第19話 中傷の沈黙 三
会計のカウンターまでは、ブースから十秒とかからなかった。どうせ無人だろうと思っていたら従業員がいた。
首から下は明らかに女性で、明るい緑色のエプロンをつけている。ただし、顔だけは瀬川だった。下手くそなコラボ画像さながらだ。
「ご利用料金は俺のブログを認めろ」
礼に欠けるばかりか文法もおかしな理屈を、顔だけ瀬川は口にした。同時に、店内でいっせいに……音楽の代わりに……瀬川の台詞がラップかなにかのように繰り返し繰り返し流れだしてきた。
『認めろ 認めろ 認めろ』
「やめてくれーっ!」
耳を手で塞ぎ、渕山は店から逃げだした。
路上に至ると、さすがに静けさが回復した。というより、当たり前な街なみに対して子犬一匹歩いてない。鈴木のときと同じような雰囲気だ。
とにかく気持ちを落ちつけたい。できればコーヒーの一杯でも。
ふとポケットに手をやると、財布は現実と同様にちゃんとあった。念のために中身を開けた。問題ない。
自動販売機でも悪くはない。ただ、もし叶うなら喫茶店がいい。渕山としては、ごくまっとうな人間と接したかった。
すがるような気持ちで道路に沿った店から店を眺めていると、まさにおあつらえむきなそれがあった。『レコグナイズ』との屋号が白抜きで描かれた、赤茶色に塗られて半円形のひさしがドアの上にかかっている。通りに面した壁はガラス張りで、良く手入れされた植えこみが下三分の一くらいを隠していた。
それにしても、レコグナイズとは認めるとか認識するといった意味だ。店そのものには責任がないものの、さっきの瀬川の態度からして皮肉な気分を味わった。
一も二もなく店まで歩き、渕山はドアを開けた。大きめの黄色い鈴が、涼やかな音をたてる。
「いらっしゃいませ」
すぐに応対してくれたのは、メイド服を着た若い女性だった。渕山にはいたく見覚えがあた。
「メ、メイコさん!?」
「メイコは私の妹です。私は姉で、メイと申します」
なんとも紛らわしい。黒く短い髪も細い身体つきも、声までそっくりだ。
「ひょっとして、双子ですか?」
ショックのあまり、つい失礼な質問をしてしまった。
「いえ、姉妹ですが双子ではありません。とにかく、お客様をたたせたままにはできません。お好きなお席にどうぞ」
メイは柔らかく笑った。なるほど、妹とはまるで他人への接し方が異なる。冷ややかで事務的なメイコとは真反対だ。
「ありがとうございます」
とりあえず、渕山はドアに一番近い席に座った。メイはカウンターにいって、おしぼりと水を入れたコップを盆に乗せた。渕山がメニューを読んでいる間に、メイはまずおしぼりとコップを彼にだした。
「ご注文はおきまりでしょうか?」
「ブレンドコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
メイは、メイド服のポケットから伝票とボールペンをだして注文を記入した。それが終わると一礼して去った。
コーヒーがくるまでは手持ちぶさたになる。渕山は、半ば無意識にスマホをだした。暇つぶしにスマホをいじるのは、彼にとって習性めいたものになっている。むろん、大事な話……たとえば商談……では一切そんなことはしない。
『どうして俺を無視するんだよ!』
スマホの画面がついた瞬間、見たくもない瀬川の顔が現れ恨みごとを垂れながしだした。
「うわぁっ!」
悲鳴が口をついてでた。大急ぎでスマホの画面を切った。
「お待たせしました」
何事もなかったかのように、メイがコーヒーを給仕した。
「あ、あのっ申し訳ありません!」
渕山は、メイがコーヒーをテーブルに置き終わるか終わらないかのところで頭を下げた。
「え? どうなさいました?」
メイは芯から渕山の行動が理解できない表情になっている。
「いや、その……。変な声がスマホから……」
「ああ、どうぞお気になさいませんようお願いします。『神捨て』にかかわるお話でしょう?」
「えっ、どうして知ってるんですか?」
「私は博尾の技術スタッフですから。こちらこそ、佐藤様のときは大変なご迷惑をおかけしました。心からお詫び申し上げます」
両手をヘソの辺りで握りあわせ、メイは深々とお辞儀した。
「いや……その、メイさんには責任のないことですし」
責任者は、まさしく博尾だ。
「恐れ入ります。私と博尾は、現在プログラムの不具合を点検中です。もちろん、瀬川様の『神捨て』にはなんの問題もありません。それとは別に、私がこうして渕山様の前に現れたのはせめてものお詫びです。さ、コーヒーを召しあがってくださいませ」
誠意を尽くした謝罪のようでいて、どこか引っかかるものを渕山は感じた。瀬川本人と、まだまともに会ってない。ネットカフェのあれはどう見ても論外だろう。
いずれにしろ、まずは当初の目的からだ。
「頂きます」
挨拶をしてから、渕山はコーヒーを一口飲んだ。元々ブラック派なので砂糖もクリームもなしでかまわない。
コーヒー自体は期待に違わず美味だった。思わず満足のため息をつきそうになる。
「美味しいです」
お世辞ぬきで、渕山は称賛した。
「それは良かったです」
メイはほのぼのと笑った。
『俺はお前を知ってるからな! 逃げられると思ったら大きなまちがいだぞ!』
和やかなくつろぎを木っ端微塵にする瀬川の警告が、コーヒーの二口目を遮った。
「な、なんだ!?」
「有線放送ですね。少し見てきます」
メイは渕山をあとにした。
『お前がいるのは喫茶店だろう! 知っているぞ! 俺は『神捨て』を絶対にやりとげてやる!』
メイはちょっとやそっとでは帰ってきそうにない。
瀬川は、最初から渕山を監視できる立場にいるようだ。対抗手段がないのと、瀬川が鈴木や佐藤のようには話を聞く人間でないのとで渕山の分が悪い。
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