第7話 奇怪な事件


 さて、話を戻そう。

「いやぁ、参ったよ、アンソニー君」

 馬車に乗るなり、パーシーは馬車の背凭れに背中を預けた。

「流石の僕も、吐き出しそうになった」

「それはそうでしょう」

 淡々とアンソニーは返す。

「余り、あそこ迄切り刻まれた死体は久しぶりだったからね」

「全く奇怪な事件ですね」

「そうだね。あの、人混みに消えたレディが早く見つかると良いけれど」

 パーシーは足を組んだ。丁度、馬車が地面の石を蹴る。突然の衝動に、ステッキがパーシーの手を離れ、転がった。

「おっと」

 と、揺れた車内で、彼はアンソニーに倒れ混む形になった。そんな主人を、彼は咄嗟に腕で包んだ。ふわりと薫る、香水の匂いに、心がざわついた。

「ご無事ですか?」

 冷静を装い、パーシーを腕で抱きながら、アンソニーは問う。

「あぁ。大丈夫だ。有難う、アンソニー君」

 車内に落ちたステッキを拾い上げると、パーシーは再びアンソニーの向かいに腰掛けた。

「驚いたね。君が居なかったら、危うく僕は鼻先を強打していたよ」

「そ、そうですか」

 アンソニーは言い淀んだ。こんな時、彼はどのような返事を求めているのだろう。果たして己は、彼の望むべき言葉を掛けられているのだろうか?


確信の持てないものには、少し心が不安定になる。


 束の間の沈黙が、二人の間を通り抜けた。

「どうしたんだい? アンソニー君。いつも小言を言う君が、馬車の中が血塗れなのを全く注意しない」

 はっと、アンソニーは顔を上げ、それから馬車の床を見た。確かに、その床は血に塗れている。先程パーシーが殺人現場に踏み込んだ時に付着したのだろう。

「まぁ、そう言う君も同じだけれどね」

「はぁ」

 己の足元も見遣り、アンソニーは肩を竦めた。また使用人の仕事を増やしてしまった。出でるのは少しばかりの後悔と、懺悔だけだ。


 やがて、馬車はパーシーのカントリーハウスの入口へとつけられる。

「パーシヴァル様、着きましたよ」

 御者は言う。

「有難う。で、結局孤児達は寄ってきたのかい?」

 馬車から降りたパーシーは尋ねた。すると御者は頭を掻き、

「数名ですがね」

 と、答えた。

「成る程。やはり僕の馬車は派手すぎるのかな?アンソニー君」

 改めて馬車の外見を見ながら、パーシーは呟く。

 確かに、ワインレッドの側面に、端には金で装飾が施されている。

 如何にも、金持ちの馬車だとわかるものだった。

「今度は歩いて行こうか、アンソニー君」

 ステッキを地面で突いて歩きながら、パーシーは苦笑した。彼にとってステッキは、お洒落の一種であり、決して足が不自由と言う訳ではない。貴族の夫人が、傘を細めてステッキに似せて手に持っている所を見かけ、それを真似ただけだった。

 最も、流石に女物は不味いと、男物の鷲の頭のついたステッキになったのだが。


「ただいま帰ったよ、ヒルダ」

 アンソニーが開いた扉を潜り、主人の帰りを待っていたハウスキーパーに向けて、パーシーは言った。

「お帰りなさいませ。パーシー様」

 ヒルダ・フリエルは腰を折る。パーシーの先祖の代からこの屋敷に勤めている、生まれながらのメイドの地位から、ハウスキーパーに迄伸し上がった女だ。そこそこ年も取ってはいるが、顔に出来たシワも、老年のそう言う美しさに満ちている。

 そんな彼女の後ろでは、使用人達が忙しげに走り回っていた。

 パーシーは懐中時計を見る。


 丁度13時。昼の時間だ。


「昼食のご用意が出来ております。お食べになられますか?」

「勿論だよ、ヒルダ。行こうか、アンソニー君」

「はい」

 アンソニーは答え、パーシーの後を追った。


 食堂で、食事を取る主人の紅茶の管理や、皿に乗せられた料理を運ぶのも、この家では全てヴァレットの役目だ。それに加えて、女主人のいないこの屋敷では、今の主流に乗った女の使用人を使わず、男の使用人が多く職務をこなしている。


 もう、いつの間にか顔馴染みなっている、コックが持ってくる皿を受け取る。

 先ずは前菜だ。

 皿には蓋をされている為、ヴァレットは中を見る事が出来ない。アンソニーは椅子に腰かけたパーシーの前に皿を置き、蓋を取った。季節もののテリーヌのようだ。

「美味しそうだね」

 フォークとナイフを手に、パーシーは口角を引き上げた。

ここのコック長は腕がいい。アンソニーでさえ、知りうる情報だ。


 昼食を終えると、パーシーは自室へとアンソニーを伴い、向かった。

「サーブを有難う。いつもすまないね」

 パーシーはそんな事を口にする。

「ヴァレットの役目ですから」

 淡々と、ヴァレットは答えた。そうして、目前の扉を開けた。太陽光に包まれているパーシーの自室は、本人曰く、酷くつまらないものだと言う。

 果たしてそうだろうか。アンソニーは首を傾げるばかりだった。

「僕は揺り椅子に揺られて少し眠る事にするよ。君は君の好きにすると良い」

「その前にお靴を。ジェイクに磨いて貰います」

「判ったよ」

 パーシーは靴を脱いで、アンソニーが用意した別の靴に履き替えた。

「それじゃあ、僕は眠るよ。もう用事は済んだだろう? 三時頃に起こして呉れれば良い」

 愛用の揺り椅子に寄りかかり、パーシーは言った。

「僕の食事を運んで呉れていたから、昼食も未だだろう? 摂ってき給え」

「はぁ」

「お休み、アンソニー君」

 そう言って、パーシーは目を閉じた。

 アンソニーは彼が泡沫の夢の中に入り込んだ事を察すると、音を立てないように、静かに部屋を出た。取り敢えず、フットマンに馬車の床拭きと、主人の靴磨きを頼まなければならない。彼は足早に階段下の、フットマン──ジェイク・バーロウの部屋に足を向けた。

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