第22.5話 超光速航行(リテイク)
傷一つないステンレスのテーブルに置かれたスタンドライトの明かりで男が本の中身をなんとか読もうとしている。それは本というより、本型のコンピューターで、電子手帳のようなデジタル表示だったがデータが壊れていてかなり読みづらいらしい。そうして明かりの傍らにはプラスチックの顔、と言っても目鼻のない、カメラアイのロボットが立っていた。背後には六人の宇宙船の乗組員達が立っており、その顔は闇に沈む。六人はめちゃくちゃにされた部屋を見て、驚きの感情を向けている。部屋は狭く、六人が立っているのがやっとだった。右端のベッドに寝かされているのは、死体だった。
本型コンピューターを手にした男は中身をざっと確認して、といっても内容が頭に入ってくるはずもなく、溜め息をついた。ほかは黙っている。
本型コンピューターを手にした男が何かを口にするのを皆は今か今かと待っている。
外には遠くの恒星が見え、完全な闇とは行かないまでも、空疎だった。宇宙船はつぎの
ここは宇宙の片隅だ。
本型コンピューターを閉じ、男は部屋を観察していた。彼の服装は周りの男達と違って、階級なのか、職業のせいなのか分からないが異質だった。顔つきは普通だが、どこか鋭さを感じる視線を向けていた。彼は検死官だ。
死人の私物の中にこの本型コンピューターがあったのだ。彼が本型コンピューターを手にしているのはそのせいだった。
検死官は本型コンピューターを置いてテーブルに腰掛けた。
そこでロボットが起動してランプをチカチカさせている。ロボットは船員の身の回りの世話をする標準型タイプだった。二足歩行をするタイプだ。ロボットが犯行の一部始終を目撃していたと思って間違いないだろう。ところがロボットは口を開かず、黙ったままだった。ただ繰り返しこのように話した。
「モース様はお部屋で休まれていました」
ロボットに尋ねる。
「このグレン・モースが死亡したとき、お前はそこに居合わせたか?」
「はい。近くにいました」
「どんなふうに彼は殺されたのか。つまりお前から見て、ということだが……」
「モース様が夕食後、お休みになられるというので、部屋に待機して彼の好きなボサノヴァを流していました。モース様は神経質なお方で一人になりたがっていたのです。私は人よけとして部屋にロックをかけておいてモース様を見守りました」
「私もひとりになりたいときがありますよ」
「そうなんですね」
後ろにいた乗組員が床を蹴った。
「この男が死んだ状況をはっきりと話せ」検死官が言った。
「できません」
「内蔵した映像を取り出したって構わないんだぞ?」
「そんなことをすれば、私はあなたに暴行を振るうかもしれません」
ウェイブ・サーフィン中の不審死はこれが最初ではない。二〇九七年、カノープスで二件、そして二一三三年、ベテルギウスで三件、デネブで二件、報告されている。他にも人類の航行している範囲ではこうした不審死があるのだろうが、統計を取っているわけではないのでわかりようがない。人々は宇宙の隅々まで広がったからだ。
ウェイブ・サーフィンという超光速航行が当たり前の時代において、便利さと引き換えに小さな死亡例に目を向けている意味はあまりないというのが一般的見解なのだ。
ただこうして目の前で事件現場を見るまでは、男はそう思っていたというのが正しい。宇宙船の船室はここを含めて八部屋だ。オタマジャクシ型の船の尻尾にあたる部分に部屋が並んでいる。司令室兼操縦室はオタマジャクシの頭にある。船内のモニターは基本的に希望制だ。プライバシー保護の名目でそうなっている。
しかし、各部屋に備え付けられたロボットは例外だ。後ろにいたエンジニアの男が検死官に言った。
「私に見せてください。このロボットが記録した物事が見られるかもしれない……」
エンジニアの男がロボットの足元に跪いて、コンピューターとロボットを接続した。コマンドを何回か打つとロボットの内蔵されたカメラアイの映像がエンジニアの男のコンピューターのモニターに映った。
ベッドに横たわるモースが暴れている。最初、自暴自棄になったのかと思われた。しかし、次第にモースが何かと取っ組み合いの格好になり、押し倒された。
「何なんだ? いったい誰の仕業だ?」
検死官の男が呟いた。
シーツがビリビリと破られた。
「怪物だ……」
エンジニアの男が言った。
記録された時刻が九時三二分となったとき、その現象は終わった。検死官は振り向いて言った。
「この時刻、何があった? 誰か、覚えていないか?」
乗組員の一人と目が合う。彼は何か言いたげにしている。
「たしかその時間は重力波航行が終わった頃かと……」
「これは捏造された映像に違いない、ロボットが作り出したものだ!」
「いいえ」
ロボットは首肯しなかった。
検死官はロボットの起動ランプを落とした。そして、乗組員に危険を知らせた。ロボットを隔離せよと伝えたのだ。
機長はウェイブ・サーフィンの不審死についてこう語っている。
「それが事件なのかは、分からない。いや分かりようがないんだ。乗客が起こしたトラブルなのか、殺人鬼が船内にいるとしたら、殺人鬼は見つけないといけないだろう。ただ今までで疑わしい人物はほとんど無罪だったという話だ」
「機内で殺人があったならロボットはどうなのです?」
「ロボットは原則そういうことができないはずだ」
「アシモフルールなんて簡単に破られますよ」
検死官はけらけら笑ったが、機長が鋭い眼差しを向けた。
「アシモフルール以外にも複数の規定が設けられている。その規定をかいくぐってロボットが人間を何の理由もなく殺すことは不可能だ」
検死官はロボットを疑っていた。あの映像は偽物だ。
*
モースの書いた日記には、こう書かれていた。
重力波航行が始まった。人間が時空から切り離されるこの瞬間は、いつでも不思議な感慨がある。地球から見える遠くの星々を越えて、いまこの体がその先に存在していることが不思議だ。船室でロボットがスピーカーで音楽を流している。それが重力波航行中に止まった。ロボットに確認させる。原因はわからないが、超光速航行が終われば元に戻るとロボットは言った。ベッドに寝転がり、家族の写真を見る。帰る頃には、なかに写る男の子は成人しているだろう。その成長が嬉しい。ただ少しだけ側にいられないことが寂しい。船室の奥で水が勝手に流れている。誰もいないはずと思い、蛇口を止める。
突然、壁が引き裂かれた。
「何だ? これは……」
肩を震わせると、何かが私をベッドに押し倒した。口が鉄さびの匂いでいっぱいになった。
透明な何かが私の上で、のしかかる。それを押しのけて取っ組み合いの格好になった。そして押し倒された。
ロボットが透明な何かを取り押さえようとした。しかし失敗に終わった。
(この記録はモースが死亡する直前にデータとして送信されたものである。)
*
検死官の判断は揺らいでいた。ロボット犯行説は正しいのだろうか。ロボットの証言とモースの日記は一致している。ふたたびモースの部屋の扉を開けた。
ロボットに再び尋ねた。
「モースはなにを見た?」
「私は疑われているのでしょう……、誠実に答えるとお思いですか?」
「嘘はつけない。ロボット規定第一四条第二項を行使する」
「わかりました。でしたら紙はありませんか? 私の見たものをお伝えしましょう」
ロボットに紙を渡した。ロボットはペンで虫のような何かを書いた。
「こいつは何だ?」
「見えない魔物です」
「そんな怪物がいるとして、どうしてお前は何も出来なかったんだ?」
「……電力不足です」
「なに?」
「見えない魔物は電気を食べるようです」
「バッテリィ容量が減っていたのはそういうことか?」
「はい……」
機長の声が船内に響く。
「これから当機はウェイブ・サーフィンを行います、揺れますので何かにつかまってください」
重力波航行が始まったようだ。電子機器がチカチカしている。普段慣れている現象だが、今は気味が悪い。ガタガタと部屋が揺らいだ。
ロボットのランプがチカチカしている。
部屋の明かりが落ちた。航行中の、問題ではなかった。なにかがそこにいる。緊張感で汗が噴き出た。
窓に映る景色が変わっていく。重力波航行が終わるのだ――。
*
モースの日記には、こんな記述がある。
怪物は、神の時代より以前から宇宙創世からそこにいたのだろう。
攪拌された宇宙のガス雲で生まれ、そして電気的な構造を持った生命体だった。刹那的な構造を持つために長く生きて来られなかったが、人類の登場がターニングポイントだった。存在は飛躍的な進化を遂げた。重力波を住処にしたのだ。それは満遍なく宇宙に広がった。
私の人間としての記憶は徐々にそのものに置き換えられていた。電気的なつながりで束ねられた私の記憶が抹消されて、新たな存在を脳内で構築し続けている。
怪物は脳神経に対して、電気的に自らをインストールすればいいと結論づけた。
ところでクジラの群れ同士は何マイルも離れたところにいながら、ときに一斉に海に潜り、姿を消してしまうことがよくある。蝙蝠やイルカの声は、人には聞こえない周波数の高い音だ。
これは色もそうだ。太陽スペクトルの両端には紫外線や赤外線がある。
私たちには見えない、聞こえない、音や光がある。
人間の目や耳は不完全な道具だ。重力波は見えない。怪物はブラックホールや連星ブラックホールの放つ重力波のなかでじっとしていた。
怪物は重力波のなかに体があるのだ。人が自然を巧みに利用するとき、聞こえない唸りを上げて、見えない色をして、私たちに襲いかかり、乗っ取るだろう! 了
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