第17話 ビーム兵器

 目覚めて階段を下りると、キッチンで妻が味噌汁を作っていた。彼女が振り向くと、味噌汁の匂いがした。ふたりでテーブルに座って、白いごはんと焼き魚と味噌汁を食べた。カーテンは閉め切られて、シーリングライトの青白い光が妻の疲れ切った顔に降り注ぐ。妻が言うには、今月は電気代が1.8倍になっているらしい。電気料金の引き上げは前々から分かっていたことだが、こうして家計に打撃を与えてくると、腹にボディブローを受けた気分だ。妻を励ましてからネクタイを締める。そうだ、俺がしっかりと仕事で成果を上げないといけないんだ。

 自らを鼓舞して、反物質エンジンを起動させる。会社のあるバッカス星雲へと会社支給のモビホイールは飛んで行く。星々の粒が窓のむこうへと消えていく。すぐだ、すぐに着く。そうして俺は会社のあるリング・ステーションにモビホイールを駐めた。リング・ステーションは人工重力装置のリングの上に立つ、軌道商社だ。

 天の川銀河を真東に見て、このバッカス星雲は回転している。おそらく天の川銀河よりむこうのブラックホール、ディオニュソスの重力圏内だと考えられているが、小惑星帯リィ・リィに遮られて、その向こうへは優れた操船技術を持つパイロットしか行けない。バッカス星雲では、小惑星雲がたびたび観測されるために、パイロットがそもそも育たないという構造的な問題がある。

 垂直から自由になることが二〇世紀までの宇宙遊泳の基本だった時代は終わった。二五世紀ともなると宇宙遊泳において垂直や水平といった感覚がむしろ邪魔になることは必至だった。それぞれがx軸、y軸、z軸、さらにいくつもの高次元空間のうえに泳いでいることを知っているからだ。

 そうして小惑星雲状降雨アステロイド・レインが迫ってきていた。

 同僚の古生カナダ人のマークが、同じく古生日本人の俺に、簡単なレクチャーをした。呼吸はだいじだ。呼吸は、怒りを静める。混乱を無くす。冷静さを失わないために呼吸をまず、するんだ、いいな? 古生時代、地球という星に大陸があり、そこで生きた人々は狩りをしていたときに、呼吸を整えたという。獲物を狙うほんの一瞬で、呼気と吸気のあいだで生死を左右するからだ。相手に睨まれて突き殺される可能性や、獲物を逃がしたあとの飢えに、すべてに呼吸が関わっていると過言ではない。マークは禅の修行者でもあったので、なにからなにまで禅の還元主義者であったが、言いたいことは分かる。

 俺には家族がいる。その笑顔を守るためにアステロイド・レインを撃ち落とさなければならない。

 モビホイールで帰宅し扉を開けると、妻が顔面蒼白な顔で立っていた。慌てて彼女の頬を叩いた。そして首筋のソケットに通電ケーブルを挿入する。バッテリーは底をついているみたいだ。

 妻はアンドロイドだ。見た目はまったく人間と変わらないが、電気で動く。量産型アンドロイドで、家事プロトコルで、古生日本人の生活を再現するモデルである。

 彼女の話をもっと聞いてやればよかった。電気代が上がったことくらい仕方ないって思ってた。けれど彼女にとっては命そのものの話だ。

 彼女を回復ポッドに寝かせて、俺はカーテンを開けた。眩しい光のむこうに自動陽電子砲台オシリスが見えた。光のビームがまっすぐに飛んで行き、小惑星を蒸発させる。砕けた岩石が落ちてくると、別の方向から光のビームが飛んできて、それを撃ち抜く。この住宅の近辺にも似た自動陽電子砲台がいくつもあり、光のドームを形成していた。都市一体型兵器ビーム・ドームはバッカス市民の平穏を保っている。

 電気代高騰の原因はずっとわかっていた。アステロイド・レインの降雨量増加のために陽電子砲台を、一日中起動しなければならないという理由だ。電力会社の発電施設、全天候型太陽電池フラワーヒルからマイクロウェーブで送電するシステムはすでに完成していたとはいえ、こうしてアステロイド・レインの過剰な時期には、一日中、バッカス星雲の電力をそこへと集中させなければならない事情は、バッカス移住者の増加を阻む問題である。こうして単身シャトルに乗り込んだ俺のような人間を除いて、家族でバッカス星雲に乗り込むバカはいない。反物質による大規模発電施設や、その研究施設のほとんどが、バッカス星雲中央宇宙都市上のバッカス軌道修正プログラムに用いられていることを考えると、ビーム・ドームを用いるような最外殻都市は、電気契約も最低プランであるプランDで契約しなければならないという事情もある。

「シンゴ、いる?」

 妻がか細い声で言った。

「なんだ、ここにいるぞ」

「わたしね、アステロイド・レインをふたりでほんとうは見たかった。あなたが仕事であれを撃ち落とす仕事をしてることはわかってた。でもあれはほんとうは綺麗なものよ」

 目頭が熱くなる。そうだ。あれを綺麗だと言う妻の心は何倍も綺麗だ。彼女の手をぎゅっと握ったが、その力は消えて、彼女の電力はゼロパーセントまで落ち込んだ。


 ずっと孤独だった。古生日本人はすでに多くが宇宙へと拡散していた。古生地球人がその姿を変えずにこれまでやってきたのは奇跡だろう。なかでも古生日本人の残した家族形態、核家族があった。俺にはそういう家族と言えるものはいなかった。温かい家庭を夢見ても、それがどんなものなのかは分からない。だから、家族の形だけ整えて、マイホームをローンで買った。妻がいること、そして守る家族がいること、それだけで強くなれた気がした。でもそれはまやかしだったようだ。なにも、強くなんてなれなかった。

 ただのサラリーマンだ。アンドロイドを買っただけの。


 そうして、いま俺は小惑星雲状降雨のなかをモビレイサーで飛んでいる。光り輝くプラズマの瞬きがあちこちに飛んで行く。ここに来るまで仲間達に止められたが、俺は小惑星雲のなかを飛行する。電気代節約のためだけに小惑星雲内にスピンネットワークボムを設置する最後の旅路だ。スピンネットワークは設置したら最後、事象の出来事と出来事の関係性の結びつきを解いて、時間と空間を並行宇宙へと飛ばす。そこから先は並行宇宙に飛ばされるかもしれない。俺は操縦桿を握る。小型爆弾が足元にある緊張感のなか、モビレイサーの進路に次々とあらゆる角度から小惑星が飛んでくる。俺はマニュアル制御に切り替えて、呼吸を整えた。小惑星雲状降雨のなかで、俺は進化している自分に気づいていた。高次元空間に自らを置き、小惑星をひたすら避ける、単純作業ではないにせよ、緊張感が上り詰める。ふと手が勝手に動いていることが分かった。皮膚感覚が獲物を逃がすまいとしている。小惑星を撃ち落とし、九〇分以上が経過していた。

 場に慣れ始めたとき、油断していたのだと思う。一メートルほどの小惑星が右翼にぶつかった。モビレイサーが体勢を崩し、回転して小惑星雲状降雨のなかを落下していく。もうだめだ、と思った。俺は何をやっているんだ? たかが電力不足じゃないか。日照時間を確保できさえすれば、バッカス星雲だってあと三ヶ月もすれば、電気代は下がる。それが待てないなんて、バカだ。本当にバカだ。たったひとつ、妻の笑顔を守るためだけに。それだけのためになんだ? 何をやっているんだ。機体は宇宙の闇の底へと落ちていく。

 墜落なのか、浮遊なのか? 俺にはもう何も分からない。気づけばデブリの浮かぶ宇宙の塵のなかで浮かんでいた。機体は飛ぶわけでもなく、浮かぶわけでもなく、進むわけでもない。もうどれだけそうしていたかはわからない。たったひとすじの明かりが俺には必要だった。それがどんなものなのか? 俺にはあのアンドロイドの妻との日常がすべてだった。あの日々に、あの味噌汁の、毎日変わらない味がすべてだった。俺はそのためだけにただ全てを賭けたというのに。

 反物質エンジンは動くようだが、出力の三〇パーセントが低下している。小惑星雲状降雨のなかを飛ぶことは不可能だ。リング・ステーションに戻るために、座標を確認する。計器がイカれている。もうだめか……。ここで俺は骨となるのだと知って、絶望するでもなく、ましてや悲しむわけでもない自分がいた。

 呼吸をする。操縦桿に力を込める。見上げれば天の川銀河の星々が輝いている。かつて古生地球人が見たであろう、宇宙のすべてがそこにあった。あの空を見上げて、帰る場所をそこに求めた人々がいた。腕のケーブルをいったんそこで引き抜く。かつて日本には四季があったという。俺にははっきりとそれが分かるわけではない。キャノピーが開いていく。こうして自然が目の前にあるようなことを四季と呼ぶのだろうか? 地球温暖化の結果、古生日本人が無くしてしまった光景に思いを馳せる。

 俺にだって、帰る場所くらいあるさ。そう強がってみる。でも進めど、進めど、宇宙の景色は変わらない。バッカス星雲はどこにもない。酔いどれ星雲とよく呼ばれるのは、ふらふらとその場所を変えるからだと同僚達から聞いたことがある。バッカス星雲の外に出ると、元の場所には戻って来られないのが普通だ。操縦桿を握る手を緩める。耳をすませば、懐かしい鼻歌が聞こえてくる。それは毎朝、妻が歌っている流行歌だった。夢でも見ていたのか、数時間ほどそうしていたらしい。夢見心地で、妻の笑顔を思い出す。人型にしては硬い金属のボディを抱きしめたい。

 俺は視線の先に、ひとすじの光の線を見つける。ビーム・ドームからの光の灯台だ。妻がバッカスの住宅から砲台を使っているのだ。ただ縋るしかない。灯台へと俺は向かった。

 明かりの下に彼女がいることを信じて。


 カーテンを開くと、今日の電力使用量が前日比よりわずかに上回っていることに気づく。妻の鼻歌が聞こえてくる。光が家の天窓から降り注ぐ。俺はあのあと、ゆっくりとバッカス星雲へと戻り、リング・ステーションの上で俺が小惑星雲状降雨のなかでスピンネットワーク爆弾を起爆させて帰ってこられたことを知った。スピンネットワーク爆弾は小惑星雲状降雨をまるごと破壊して、自動陽電子砲台と都市一体型兵器ビーム・ドームはお役御免となったらしい。古生日本人の作る新たな都市、ヤーパニア。そこで俺たち古生日本人の文化を引き継ぐアンドロイドの町を作った。そうして、俺の家庭には平穏が戻った。ただひとつの出来事を除いては。

 妻が妊娠した。アンドロイドの妻が身ごもることは、人間とは違った形で可能になっている。ただ、月々の電気料金が人工脳情報の新規データの書き込みのために、増え続けるのだ。妻の情報核のなかで、胎児の情報が次々と更新されている。そこには古生日本人としての俺の歴史が書き込まれる。そして、妻を救うためにした照れくさい事件も記録として残されるらしい。鼻の頭が痒い。それを指の先で掻いた。

 会社支給のモビホイールの反物質エンジンを起動させる。子どもの名前はまだ決めていないが、アステロイド・レインにちなんで、レインなんてどうか。

 ただ、雨はもう降らない。頬から落ちる最後の雨の名だ。〈了〉

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