第2話 重力制御
重力波観測所LIGO、Virgo、KAGRAで重力波が観測されている。その多くの重力波検出の原因はブラックホール同士の衝突である。その数から天の川銀河に推定10,000個のブラックホールが存在するとされている。
それだけのブラックホールが銀河にひしめいているのだから、宇宙は重力波で波立っていてもおかしくはない。重力波は光速で伝播する波であるから、その曲面を滑っていくことは可能である。
先生の城はそんな重力制御で、宇宙を波乗りしている。現にそうなのだから仕方ない。僕は先生の城に訪ねていくのだが、こうも見通しが立たないとは情けない。
先生は傲慢な人だ。処女の涙が欲しいと言えば、女の子を平気で強姦させるし、月見がしたいと言えば、小惑星を月にぶつけて軌道を変えて、月見を楽しむ。そういう人なのだ。
先生の城の位置は、正確にはどこかはわからないというのが世間一般の共通認識というやつで僕は当てのない旅を続ける。僕は僕で自分の探索能力の限界を知っているから、それでいいのだけれども、先生には懸賞金がかけられているだとかいないだとかという話は、僕も存じ上げている。僕は金ではなく、先生の技術を知りたくて、先生の城を探しているのだから関係ない。
いったい先生はどこにいるのか。高名な数学者は先生が抽象的次元に孤立しているから、そもそも捕まえることはできないと証明して見せた。そんな証明ができたってそれは現実と矛盾しないから、成り立つくらいの証明だろう。先生の実態を知りたいのだ。僕は僕で世界の真理を探究する科学者の卵であり、先生の気まぐれにつくったであろう弟子であることは変わりがない。
僕は何であれ先生の弟子だ。
「お前は今日から私のものだ」先生は言った。僕はその意味を深く理解せず、弟子になったと理解した。僕のあまり良く見えない目を先生は治してみせた。視界が明るくはっきりと物体が見えた。僕は世界の秘密をひとつ理解したのだ。それは闇の中で掴むより美しかった。
僕が先生の城から出たのはそれから半年後のことだった。僕は世界をもっと深く知りたいと思った。先生の城はなんでもあったが、それゆえになにも存在していなかった。先生の私物で溢れかえった研究室には、僕の知りたい世界の色彩を失った部分のみが揃っていた。どうやら僕は人生のターニングポイントに来たらしいと判断した。
先生の城からスペースビークルに乗って逃げ出した僕が魔法使いと呼ばれたのは皆が知る通りである。
先生の城は重力波に依存している。であるならば先生の城を発見するには二つの方法が考えられる。
一つ、重力波が観測されないならば、先生の城は静止している。肉眼で見つけられるはずだ。しかしこの広い宇宙のどこにあるのかが問題だが。
二つ、人為的に重力波を発生させる。僕にだってブラックホールと中性子星をぶつける魔法くらいできるはずなのだ。加えて、波があれば先生の波乗りの血が騒ぐに決まっている。
先生の城に戻る理由、それは一通の手紙に端を発する。
「オプティオ、戻ってきなさい」簡潔なこの文章が何を意味しているのかは今の僕にはよく理解できない。先生の気まぐれならいい。先生が僕を欲する理由なんて見つからない。
銀河は広い。先生の手紙では情報が足りない。先生の城はやはり波乗りしている状況にあるのはなんとなく察せられた。先生はいまだ逍遥の只中にある。僕は小さな宇宙船を借りて、先生の城を探している。
銀河は人が思うよりブルーオーシャンではなかった。よくわからないということだけがわかっている。僕がわかったのはどんなに世界の真理をわかったつもりでいても、わからないことは雪崩のように押し寄せてくる。僕の器だけでは足りないことだ。今もたまに思うことがある。こんなとき、先生ならどうするか? 先生だったら世界は単純に見えるはずだし、楽勝! と言ってニヤリと笑うのだ。先生は僕がうんうんと悩みながら進む道を、突き破ってショートカットコースを見つけてしまう人なのだ。
「君には才能というものがないのかね?」
「失礼ですね。ありますよ」
僕は瓶の中の太陽をさらに燃え上がらせてみせた。
「どうですか!」
僕は胸を張った。
「ふん、私なら……こうするがね!」
先生は瓶の中の太陽を瓶丸ごと飲み込むほどの天体に仕立て上げた。赤色巨星だ。
僕は言葉を失った。
先生は時間をも操るのか。僕は自身の才能のなさにため息をついた。
「先生、僕は……」
先生は妖艶な笑みを浮かべつつ、はだけた服の上からジャケットを羽織った。
「オプティオ、しばらく外出をする。重力制御装置を切っておけ」
「は、はい」
先生は箒に乗った。激しい風がふくと、先生は吹き抜けへと上昇しどこかに行った。先生の行方は知らない。その日から僕は猛勉強をした。いい思い出だ。
先生とのたくさんのやり取りをして、僕が辿り着いた答えは、僕は先生にはなれないし、先生も僕にはなれないということだった。後者の真理によって僕は壁を越えられた。この答えは後の旅立ちへの伏線になる。
重力波観測所LIGO、Virgo、KAGRAによれば、巨大ブラックホールと中規模ブラックホールの合体を間接的に観測した。この合体は大規模重力波の波、サード・ウェーブと呼ばれ、時空が歪むことは必至だった。
我々人類は不可思議な現象と困難なミッションとを同時に体験することになった。我々は岐路に立たされていた。
たとえば未来と過去が逆に来た。そして発生したタイムパラドックスが多数の多世界を作り出した。
人間は因果律に縛られているわけではないと哲学者たちは唸ったのがよく知られている。
いったいどれだけ宇宙の隅々を渡り歩いて、先生の城を探しあぐねたか。僕にはやはり才能がない。
木星辺りを飛んでいたところ、僕の目の前になつかしいスペースビークルが現れた。流線形の銀色のスペースビークル。あれは僕が先生の城を抜け出したときに乗った物だった。でもなぜ? 僕は手元の計器類を確認する。重力波だけが顕著な異常を示している。時空の歪み? 過去にあった出来事がいま繰り返されている? 僕はスペースビークルを追った。でも追いかけた先でスペースビークルは消えてしまった。しばらく辺りを調べた。僕は先生の城が静止している場所を見つけた。そして僕は見たのだ――。
若い僕がいままさにスペースビークルで先生の城から旅立とうとしている。僕の年老いた身体は震えていた。
あのときがいま僕の目の前で起こっている! 不思議な感動で目頭が熱くなる。先生、先生、せんせい、僕の鼓動は速くなる。
スペースビークルが飛び出していった場面を僕は見ていた。そして、先生が現れた。この場面を僕は知らない。記憶がない。先生が僕を引き止めようとした? 信じられない。僕は先生が必死に僕の後を追っているところを見ていた。先生の顔まではヘルメットで見ることはできなかった。見てしまったら僕の心は大きく揺らいでいただろう。
僕は心が震えて叫んでいた。
「戻れっ! 戻れぇー!」
僕は泣いていた。
先生の城は目の前にあった。僕はすっかり真理への野望を失い、消し炭のようにその場に立ち尽くしていた。
これは過去の残像にしか過ぎない。そのことがより僕の胸に食い込んでくる。痛かった。僕の前には茫洋とした宇宙の闇がある。僕はこのひとりぼっちの宇宙で死んでいくのも悪くないとさえ思えた。宇宙船のシートに座り込んで、身体の重みを感じた。様々な思いが錯綜していた。僕はほんとうにこれでよかったのか? 先生のもとにずっといれば探すこともしなくてよかったのではないか? 一緒にいれば時は止まらなかったのではないか、と。
地球の仲間から連絡が入ったのは数時間後のことだった。
「重力波がこれまでにないほど、観測されている。強い重力波だ」
仲間はとても興奮していた。僕はこれまでの成果を彼に話した。
進捗ゼロ。先生は見つからない。よって、先生の魔法は手に入らなかった。僕の語りのトーンに仲間はつられて暗い様子になった。ユーモアも出て来やしない。
僕は地球へ折り返すことにした。帰って、温かい風呂に浸かろう。そして酒でも飲んで寝よう。そんなことを考えた。
帰る途中、大きな重力波が観測された。光速で何かがすれ違った。僕はハッとした。あれが先生の城だとすれば僕は……。何か大きな感情の波が押し寄せてきたけれど、言葉にならなかった。
城には近づけない。僕は城を探すのを諦めたのだ。もういいじゃないか。先生には二度と会えない。会う必要はない。彼女に会えたとして僕は何を言えばいいのか。わからない。
「もしこの世に多世界があるというのが正しいとして、オプティオ、君はどうするかね」
気まぐれに先生は言った。
「どうするって漠然としていますね」
「いいから、答えたまえ」
「この世界で叶わなかった可能性を模索したいですね」
先生の育てる甘い花の香りがしている。僕は自分の研究ノートに数式を書き並べている。天井からは白い照明が僕らを照らしている。
「可能性とはなんだい?」
「できなかったこと、でしょうか」
「なら、君にはたくさんあるだろう」
私より、と先生は小さく言った。
「僕には僕でしたいこと、見たいものがあります。世界は広いんです。世界は美しいに違いないんです。だから見られるものも一握りしかないはずです」
「ふむ」
「だから、二度生きるようになるってことでしょう?」
「一理あるな」
先生はいつもの笑みを浮かべて、キッチンに入っていった。
僕は備え付けられた窓に描かれた青空と草原の絵をじっと観察し、つまらなくなって視線を外した。
先生の城はいつかどこかの宇宙のだれも辿り着けない場所にある。見つからないはずだ。それは僕らが何万回試したって無理だろう。僕の求めた真理だって、先生が望んだことだって、僕らのすれ違いの中でそっと消えていく。僕らは出会えない。会いたくても、求めても、きっとその幻だけ見て、いつだって終わっていくのだ。(了)
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