王子がもたらす甘い時間

ゆりえる

第1話 リムジンでお出迎え

『ピピピピ……』

『朝ですよ~!』

『♪グリーグのペール・ギュント第1組曲 「朝」♪』


 6時を回った瞬間、一斉いっせいに鳴り出した目覚まし時計を一つずつ順番に止めた河口かわぐち芽生めい

 静寂に戻ると、布団の中で思いっきり両腕両足を伸ばし、起きる覚悟を決めた。


 シングルマザーの母、麻子まこは、掛け持ちパートで早朝から深夜まで働き、芽生の睡眠時間以外の在宅時には、ほとんど家にいない。


 フライパンから皿に移す時に、片目が潰れた目玉焼き。

 芽生は、目玉2つそろう状態になる事が滅多めったに無く、れても不器用さの方が強く出てしまいやすい。

 円を3回大きく描きながら醤油しょうゆをかけ、卵と混じった匂いに食欲が増してきた。

 

 前日の残った味噌汁みそしるを温め、お椀に移す時、こぼれないように注意した。

 昨夕2食分いたご飯は、炊飯器すいはんきに接している部分がカチカチになり、それも茶碗ちゃわんに持った。


 芽生が一人で食べる朝食時間は、寂しい気もするが、これから始まる学校での時間を考えると、こんな静かなひと時も悪くないと思えていた。


 洗い物を済ませると、夕食用のお米を研いで、炊飯器のタイマーをセットした。

 夕飯作りも、芽生の日課のひとつ。

 多忙な母に代わり、小学生の時から台所に立っていた芽生は、料理動画など見よう見まねで料理を作り、不器用ながらも今や、母よりレパートリーが増えていた。

 

 髪をとかし、校則違反にならないよう低い位置で束ね、制服のブレザーにそでを通した時、車の近付く音が聴こえた。


 いつも芽生を拾ってくれる黒いベンツの音とは異なる気がして、ふと窓から覗いてみた。

 ベンツでも十分に違和感だったが、下には、この古びて狭いアパートに不釣ふつり合いな車体が長いリムジンが停まっていた。


(リムジン……?  どうして……?)


 目を疑いながら身支度みじたくを適度に切り上げ、リュックを持参し、ドアを開け、一目散いちもくさんに階段を降りた。


「おはよう、芽生!」


 いつものように、車のドアを開け、ごく自然な仕草で芽生の手を取り、エスコートした富沢とみざわ裕貴ゆうき


「おはよう、富沢君。どうして、リムジン……?」


「それは、昨日……」


 裕貴が言いかけた時、既にリムジンのソファーにゆったりと座っていた芽生の友人である芝田しばた百音ももね本島もとじま茉白ましろの姿が目に入った。


「えっ、百音、茉白……?」


「おはよ~、芽生」


「おはよう、先に乗せてもらっているよ~」


 昨日の放課後、裕貴と芽生が帰宅しようとした時、百音と茉白が冗談じょうだんのように、彼女達の家にも朝、迎えに来るよう要求していた事を思い出した芽生。

 まさか、それを裕貴が、こんな形で実行すると思わなかった。


「それで、リムジン?」


「いつもの車だと、狭そうだったから」


 いつものベンツでも、めると後部席に3人の女子中学生が乗るくらい出来たと思えた芽生。


「長旅に出るわけでもないし、いつものベンツで十分だったのにね~! まさか、私達まで、リムジンに乗せてもらえるなんて、超ラッキー!」


「まさに、王子様様って感じ!」


 リムジンに乗れて感動する百音と、裕貴を崇拝すうはいするような口調になっている茉白。


(たまに、富沢君を成金なりきん男子なんて言うクセに……2人とも調子いいんだから!)


 友人達がここぞとばかりに、裕貴を持ち上げている様子が気に食わない芽生。


「リムジンの中って、こんな風だったんだね~!」


「冷蔵庫の中に、飲み物入っているの?」


 向かい合わせのソファー級のゆったりししたシートの横に、小さな冷蔵庫やテレビも完備されているのを見渡した百音と茉白。


「ノンアルコールで、飲めるけど。3分もしないうちに学校着くから、おすすめしないよ」


 裕貴が、友人達にも親切な様子にヤキモキする芽生。


(富沢君が、誰にでも優しいのって分かっていたけど。目の前で見せつけられるのは、何だか複雑……)


「なんか、芽生、大人しい。王子と一緒の時って、いつもこんななの?」


 面白がって、芽生をからかう百音。

 

「いや、そうでもないけど。どこか具合悪いのか、芽生?」


は、貧血でよく具合悪そうになるよね、芽生って」


(え~っ、茉白~! 富沢君の前で、そんな事、言うなんて!)


 茉白から、軽々しく月経の事を口にされ、ムスッとした表情になった芽生。


「違うっ! そんなんじゃないから!」


 あわてて、裕貴に否定した。


「女の子の日……」


 茉白の言葉をその部分だけオウム返しして、意味がやっと飲み込めたと同時に、赤面した裕貴。


「あっ、王子が真っ赤になっている~!」


「ホントだ~! 王子も赤くなるのね~!」


「もう、2人とも止めてよ~! 富沢君、気にしないで! 私、別にどこも悪くないし……」


(2人とも、そんな風にからかったりして。富沢君が気の毒だよ。王子なんて呼ばれているけど、富沢君って、そんなに世慣よなれたような人じゃないんだから!)


裕貴の方を見て、2人が言うほど真っ赤ではなかったものの、いつもよりも動揺が見られ、ほおが赤みを帯びているのを確認した芽生。


(富沢君が赤くなったのは、『女の子の日』という話題のせい? それとも、私の事に反応してなの? 茉白や百音の話題でも、やっぱり赤くなっていた?)


 芽生が裕貴との交際を始めてから、まだ1ヵ月足らず。

 交際といっても、2人の仲は、世間一般的な中学生男女の淡い恋心から始まるようなものではなかった。

 芽生にとって、裕貴との関係は、彼氏とは名ばかりにしか感じられていない。


(あの日、富沢君の秘密を知ったのが、私じゃなかったとしても、富沢君は、きっとこうして交際していたんだよね)

 

 一か月前、裕貴と知り合うきっかけとなった出来事を思い返し、め息をついた芽生。

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