第7話 えるうぃるろっく……ゆん?
「あ~」
深夜の路地に、ボクの素のおっさんボイスが響く。
メイドとして働いている時――というかかわいい格好をした状態で誰かと話す時――は、基本声を作っているので、そこには天と地ほどの差が生じる。
そんな残念過ぎるおっさんは、いつも通り欝になりながら家路を歩く。
「今日もひなりちゃん大変そうだったなー」
さっきまでの彼女との会話を思い出し、心がざわつく。
彼女のことは人として尊敬しているし、憧れている。ひなりちゃんはボクを暗闇から掬い上げてくれて、今でもボクに生きる希望をくれている、命の恩人だから。
だからこそボクは彼女の為に(というのはおこがましいけれど)、ひなりちゃんたってのお願いで、彼女が辞めてしまった後も、あのバイトを週一で続けている。
それに、ひなりちゃんと話すのは楽しいし。
けど、そこまで想っている理想の人が、ああも本当は荒んでいるのだということを毎週突きつけられるのは、正直しんどかった。
だって言うなれば、ボクにとってひなりちゃんは理想――アイドルだった。
かっこよくて輝いていて優しくて真剣で熱心でかわいくて、全てを持っている素晴らしい人間だと思っていた。
でも、そんな彼女でも苦労するし愚痴を吐く。そんなの当たり前なんだけど、当然なのだけど、そんな当たり前のことが、なんだがボクにはつらかった。
幻想を見ていたいと思うのは我が儘。わかってはいるけれど、ボクは弱い人間だから。
テーマパークの裏側なんて、知りたくはないんだ。
同じ理由で、他のメイドさん(同僚)の悪口や陰口、いじめとかも、けっこう心に来る。ボク以外の人が対象になっているのを見るのもそうだし、もちろんボクに対するものも。
これはまあボクも悪いのだけど、週一でしか勤務していない上に来たら来たでひなりちゃんと喋ってばっかりいるので、周りのメイドさんにボクはあまりよく思われていないらしい。なんかボクだけ露骨にはぶられている感じがする。
他にも、さっきまでキャピキャピしてたのにご主人様がいなくなった途端に悪態ついてガニ股になっちゃう子とか見てると、泣きそう。
あと、我の強い子は露骨に自分の担当客に色目使うなアピールしてくるし、しんどい。
メイドカフェは、そんな無数の悲しみの上に、成り立っている。
そんな脳内ポエムを詠んでいる内に、おうちへ到着。
「ん……?」
見慣れているはずの我が家に、ちょっとだけ違和感を覚えた。
なんでかなと立ち止まる。
「あー、電気か」
そう、家のリビングから、明かりが漏れていた。
もうずっと一人だったから、家に帰っても真っ暗なのが日常だったのだけど。そういえばちょっと前からちっこかわいい同居人が増えたんだった。
エル。
彼女のことを思うと、胸の中のもやもやが一気に晴れた。
悩みなんてどうでもいい。早く彼女に会いたい。
そんなことしか考えられなくなる。
まだ出会って数日なのに、それくらい、ボクは彼女に魅了されていた。
電気のつけ方なんかまだ教えていないはずなのに、どうやって電気つけたんだろ? っていう疑問も、すぐに忘れてしまうくらい。
ガチャ。
ボクが玄関の扉を開けると、上の階からなにやらエレキギターの音が聞こえてきた。
「はへ?」
アンプにはつないでいないのか、家の外に漏れるほどの大音量ではなく、家に入った途端にうっすらと聞こえてくるような小音が。
もう時間が時間だし近所迷惑だからね。
「……って、そういうことじゃないでしょ」
セルフノリツッコミをしてしまった。
何をやっているんだボクは。
ともかく、音源がなんなのかを確かめよう。
そう思って階段を上る。
すると、ギターの音が途切れ、なにやらドタバタとすごい物音がした。
「んん……?」
わけがわからず、困惑する。
上の階でエルが一人で暴れているんだろうか。
それとも、もしかして強盗とかがエルを……?
いやでもそうなると……、というか、どっちにしろギターの音が意味不明だし……。
ボクはこんがらがりながら、リビングの扉を開けた――。
「しゅんか!(がしっ)」
まず視界に飛び込んできたのはエルだった。そして視界だけでなくボクの胸にも飛び込んでくる。
「ああ、エル。ただいま」
とりあえず彼女が無事だったことに安堵しつつ、ボクは彼女に微笑んだ。
てか、帰ってきたらこんなかわいい褐色ロリエルフが抱きつてきてくれるとか、ボク、果報者過ぎる。人生の勝者じゃん。
そう思いながら、さっきまで不足していたエル成分を思い切り吸い込んでいると、彼女はボクの服の裾を引っ張って右側を指差した。
「しゅんか!(ぴっぴっ)」
その小さな人差し指の先には、ボクが昔使っていたエレキギターが。
「あーなるほど、さっきのはこれの音かー」
一瞬納得しかけるボク。
が、
「って、は? アレは物置に置いといたはず……?」
つまり、エルがわざわざ自分でこれを引っ張ってきたってこと?
「はふー!」
よくわからない現状に頭を悩ませているボクをよそに、エルはとてとてとギターの方に歩み寄り、その流線型のボディに手をかけ――。
そしてストラップを肩にかけると、ネックを左手でおさえて、いっちょまえに構えてみせた。
「ふぅん!(むふー!)」
「おおー!」
ボクは理解の追いつかぬままに、なんとななく感嘆の声を漏らす。
「ふへ……(えへへ)」
エルはそれに満足したのか、しばらくそうやって顔をとろけさせていた。
そしてそれはボクも右に同じである。
「かわいい……」
にちゃあと顔を歪めて、しばらくギター×幼女という新境地を堪能。
と――。
ジャーン!
エレキギターが確かに音を奏でた。
それはもちろん、エルの細くて短い指が、六弦をかき鳴らした音。
コードもなにもあったものではないが、エルは自分で出した音色に満足したのか、笑顔になった。
そして――。
「ふふふふふふふふふ~、ふふふふふ~ん♪」
おそらく日本人の九割は聞いた頃がある有名な洋楽のフレーズと思しきハミングをしながら、エルはめちゃちゃにギターをじゃかじゃか言わせた。
ボクはそれを聞いてもしかしてと思い、テレビの番組表を見ると、今日はとあるチャンネルのとある時間帯で、その世界的英国バンドのライブ映像を放映していたらしきことがわかった。
「なるほどなー。そういえば映画もずいぶんはやってたし」
つまり、エルもその例に漏れず、某レジェンドバンドに心を奪われたってことらしい。
エルフってなんか厳かそうなイメージがあるけど、ロックがわかるんだなー。感動。
とはいえ。
「んー」
実はこう見えて(女装男子)ボクは音楽――特にロック系の――には苦い思い出があるので、それ以来、あまりこういうのとは関わらないようにしていた。
だからまあ、出来れば家でギターの音なんてもう聞きたくはない。
はっきり言って、それが今のボクの正直な心情だった。
でも。
「ふーんふーんふーんふーん、ふっふん♪」
そんなことを口ずさみながら、足踏みなんかして、かわいらしくギターをがしがしやっているエルの姿を見ていると――。
「ふっ……」
なんだか、心が洗われていくかのような心地を覚えていた。あるいは、肩の荷が降りるような。なんともいえない、からっとした心地。
「はぁ……」
おかしいな、それにはもう二度と触ることがないと思っていたのに。
「エル、ごめんね。ちょっとかして」
そうしてボクは、エルが一旦演奏を止めたところで、彼女のギターをひょいと取り上げた。
「むぅー(ぷくっ)」
不満気にボクを見上げるエル。
そんな顔もいじらしいのだから、ずるい。
ボクはそんなご立腹のエルを満足させるべく、なぜか脇にほっぽってあったピックをつまみ上げて、数年ぶりにそれを擦りつけた。
ジャーンと、懐かしい音がする。青春の空気振動。暗黒を呼び戻す金切り声。
「ああ……」
感無量。やっぱり、これに触ると色々思い出してしまう。
フィンガーボードと弦を交互に撫でていくだけで、無数の情景が脳裏を過る。
ツン、ツン、ツーン。
そういえば、ずっとほったらかしにしてあったのにちゃんとチューニングした時みたいな音が出てるけど、なんでだろう?
ボクの耳がそれすら聞き分けられないほどに劣化したのだろうか。
なんて思っていると、
「ほぉー(わくわく)」
さっきまでむくれていたくせに、ボクがそこそこ弾けそうな雰囲気を出し始めたからか(イキリ)、エルが期待いっぱいの目でこちらを見上げていた。
「そんなに期待されても困るけど……」
大体もう長い間やっていなかったわけだし。
でも、
「しゅんかぁー! うーぅー(きらきら)」
そんな綺麗な目で見られたら、がんばるしかないじゃん!
ボクはめずらしく気合を入れた。
そして……。
「ふぅ……」
ぱちぱちぱち。
ボクがブランクもあり下手にも程があるガバガバ英語&耳コピな弾き語りを終えると、エルはにこにこ顔で拍手をしてくれた。
こんな演奏と歌で喜んでくれるとか、天使過ぎる……。
「うぐっ、」
ボクは思わず泣いてしまいそうになった。
「しゅんか?(んー?)」
と、いけない、エルを不安にさせてしまった。なんだそれは、万死に値する悪行。
「あ、ごめんね、なんでもないよ?」
反省反省。
それにしても、拍手なんていつの間に覚えたんだろう。ライブ映像のお客さんの真似をしているのだろうか。
なんて思っていると、もっとすごいのが来た。
「しゅんかー! あんおーう! あんおーう!」
へ? なにこれ、アンコール?
ボクに抱きつきながら「あんおーう!」と連呼するエル。くぁわいいったらない。
このアンコールに応えない奴は、人非人だと断言できる。
「でも、どーしよ、そんな洋楽の曲何曲も弾けるほどボク上手くないんだよね。ギターはいなかったから弾いてただけで、ボーカルがメインだったし……」
しかし、エルのあいくるしいアンコールは途切れないので。
「まあ、別に女王様の曲じゃなくても問題ないか」
てなわけで、ボクは一番の十八番を弾き語ることにした。
そして、その日を境に、ボクとエルは音楽に明け暮れることとなった。
エルにギターの弾き方を教えて、一緒に色々な曲を聴いたりライブを見たり歌ったり……そんなようなことをしている内に、あっという間に時は過ぎていき――。
気付けば、もう五日は経った。
けれどエルの成長は凄まじく、数日でボクの三ヶ月分くらい成長した気がする。
それと、言葉の面でもだいぶ成長し、意味を把握した名詞の数もけっこう増えた。その度にボクは喜びで心が温まり、毎日赤飯を食べる勢いだった。
食べるのが好きらしいエルの為に、料理の練習をしたりも――した。
こんな充実した日々は久しぶりだった。
楽しそうなエルを見ているだけで、満たされていく気がした。
空っぽだった自分に、なにかが。空虚な世界に、意味が。生まれたような。
このままずっとこんな日々が続けばいいなんて、思春期に思うような幻想を抱くくらい。
文句なしに、掛け値なしに、最高の時間が過ぎていった。
彼女の笑顔の為なら、なんだって出来る様な気すら、した。
だがしかし。
ひとつだけ大きな、とても大きな、いや、ある意味小さな問題があった。
それは――。
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