2、王族は神にも等しい存在なの/ 姫はただの人間です

 優雅な宮廷音楽が王城に流れる、特別な夜。

 空には、二つの月が白く輝いていた。


(何を話せばいいの? ちょっと、怖いのですけど……?)


 婚約発表のあと、フィロシュネーは、婚約者になった男と中庭にいた。

 周りには侍従がいるが、距離を空けていて、空気のような存在感だ。


(この方がその気になったら、わたくし、一瞬で殺されてしまいそう)

 

 男は長身で、二十八歳。静かな印象。

 『黒の英雄』という名誉な称号を贈られていて、名前はサイラスという。家名はない。

 

 彼には、真偽不明の武勇伝がたくさんある。

 雪がない山に雪崩を起こしたとか。

 お金が大好きで、雇い主の敵が高額を払えば寝返ってしまうとか。

 不老症だとか、いにしえの呪術王が生み出した英雄の生まれ変わりだとか。実は魔王だとか、神だとか。

 大袈裟に盛られた武勇伝や面白おかしく語られた噂話が、たくさんあるのだ。


(褐色の肌は、南方の血が流れているのかしら。きれいね。黒い瞳は切れ長で、美男子だけど、ちょっと怖いかも。とてもお強いのよね。せ、性格は?)

 

 中庭には、薄紫の花が咲いている。

 緊張する頬を撫でる風は甘やかな花の香りを含んでいて、少し冷たい。


 どきどきしていると、サイラスは台本でも読むような棒読みで変なことを言った。

 

「俺があなたを愛することはありません」

 

「……えっ」

 

「美しい白銀の髪、ミルクのような白い肌、王族特有の移り気な空の青チェンジリング・ブルーの瞳……姫は傭兵がたまわる褒美としては上等ですが、愛せません」

 

 くるりと背を向けて語るサイラスの態度には、違和感がある。


(棒読みだし、言わされてるのよね?)


「なぜですの?」

 フィロシュネーは、首をかしげた。

「理由?」

「はい」


 今のところ、彼の立ち居振る舞いは、穏やかだ。

 傭兵というと荒っぽいイメージがあるが、彼は声を荒げたりしない。

 台本を読む姿には、愛嬌みたいなものも感じる。

 ……怖くない!


「姫は、えー、……恋愛物語をお好みになると、お聞きしました。が、現実は……物語のようには、参りません。それが理由です」

(はい、棒読み)

「そうね。物語の英雄はあなたとは違うわね」

「俺が現実を教えて差し上げます。男というのは姫が夢見ているようなキラキラした生き物ではありません。男は汗臭くて気が利かなくて乳と尻が大好き……夜の営みは週七日、朝まで希望……この台本はひどい……」


 背中を向けたサイラスは魔法で手元を明るくして台本を読んでいる。

 

(この茶番は誰からの命令なの?)


 フィロシュネーを嫌っている者、二人の仲を悪くさせたい者が犯人だ。


(お父様は違う)

 

 父は逆だ。フィロシュネーに夜会で可愛く振る舞えと言い、傭兵を助けさせた。印象を良くして、仲良くさせたいからだ。

 

(では、第二王妃?)

 

 第二王妃は、亡き第一王妃の忘れ形見であるフィロシュネーをあまりよく思っていない。


 フィロシュネーに有望な貴公子との婚約の話が出たときには破談になるよう働きかけ、フィロシュネーがあまり幸せにならないような相手を探して嫁がせようと画策する。第二王妃は、そんな継母だった。


「……その台本はひどいと思いますわ」


 台本だとわかってますよ、とアピールしながら、フィロシュネーは自分の大好きな恋愛物語の良さを語った。

 無駄だとは思うけど、好きなものを貶められては、そのままにはしておけない。

 擁護したい!


「現実が残念だから。殿方が残念だから、物語のヒーローは理想的に描かれて、乙女に夢を見せてくださるの。癒してくれるのっ。サイラスに言っても意味がないかもしれませんけど」


 すると。

 

「恐れながら、姫は恵まれたご身分なのに現実にご不満なのですか?」

「えっ」


 ひんやりとした声が返ってきたではないか。

 

「ご存じではないのでしょうが、貧しい農村の娘は食べ物にも薬にも困っていて、生きるだけで精一杯なのですよ。贅沢三昧で世間知らずの姫には、想像もつかないでしょうが」


 これは台本ではなく、本人が考えて放っている言葉だ。

 王女が相手なのに、媚びたり遠慮したりする気配がない。

 

 ……それに、「貧しい」とか「生きるだけで精いっぱい」とは?

 

「わたくしは、我が国は裕福で、民は飢えることなく暮らしていると聞いていますけど?」


 生きるだけで精一杯の民なんて、物語のよう。

 まるで、自分が最近みる悪夢のよう。

 

 虐げられたり、苦境に喘ぐ民は、可哀想だ。

 フィロシュネーは物語や悪夢をみて、「こんな現実はあってはならないわ」と思っていた。


「でも、そ、想像はできます。わたくしの持っている本には、悪政を敷く王族に苦しめられる民のお話がありますわ。夢を見たこともあります……想像だけで胸が痛みますわ。あってはならないことですわ」


 本心だ。

 しかし、サイラスは「ほう、さようですか」と冷たく言うのみで、振り返りもしない。


「本当ではない国家の悪評を広めたりなさったら、いけないのですわ。それは、罪に問われてしまいますの」

「姫は、そう思われるのですね」


 言葉は丁寧だけど、サイラスはずっと冷たい態度だ。フィロシュネーは慎重に言葉を選んだ。

 

「あのう……あなたはこれから貴族になるでしょうから、上流社会での振る舞いを覚えた方がよいですわ。貴族社会では、ちょっとした失言がほんとうに命取りで……」

「俺は貴族が嫌いです。貴族になるつもりはありません」

「そ、そういう発言は貴族の反感を買いますわ。ただでさえやっかまれているのに、暗殺されますわよ」

「返り討ちにします」


(こ、この方……なんですの……? お話ししている相手は婚約者で、王族なのに。今は、周りに侍従もいるのよ? どんな態度だったかお父様に報告されたら、どうなるかわかりませんのよっ?)

 

 この国は、王の権力がとても強い。

 北方の紅国にある教会勢力もない。

 

 青国では、王族が神にも等しい存在だ。

 『預言者』という不老不死の神秘的な存在が、王の神性を保証してくれるのだ。

 

「王族は、神にも等しい存在ですのよ」

「敬う理由にはなりませんし、姫はただの人間です」

「……い、言い切るじゃない……」

  

 神にも等しい青王せいおうは、フィロシュネーを溺愛している。

 この話を聞いたら、どうなるだろう。

 

 フィロシュネーは悲劇を想像して、怖くなった。


 父は優しいが、最近は「実は悪辣だったりしないかしら?」と思ってしまうときもある。

 

(わたくし、怒りましょう。お父様に「もうわたくしがその場で注意しました。終わった話です」と言えますもの)

 

「こほん、サイラス。婚約者として、あなたの無礼をわたくしが注意します」

  

 フィロシュネーはぷんぷんと怒ってみせた。

 

「そんな態度ではいけません、無礼者っ。恵まれた身分のわたくしは、お父様に『サイラスがわたくしの気分を害した』と言いつけます~っ、婚約は、破棄ですっ!」


 ここで平手打ちでもすればインパクトがありそうだが、サイラスは背中を向けているし、背が高いし、反撃も怖いので、平手打ちはなし。

 フィロシュネーはそーっと後退ってサイラスから距離を取った。


 背を向けているからサイラスの表情は見えないし、リアクションが薄い。

 

(お話、きいてます? サイラス?)


 ちょっとだけ思うのは、「わたくし、格好良い『黒の英雄』にちょっとだけ憧れましたのに」という残念な気持ちだ。


「……今すぐ撤回して謝ったら許してあげても構いませんけど……もし貴族になりたいとか、婚約を継続したいなら……物語に出てくる英雄みたいに、理想的な上流階級の殿方を目指されるなら、わたくしは……」

 

(なにか反応してくださいません? サイラス~っ?)

  

 反応を待つフィロシュネーの耳に、愛らしい猫の声が聞こえたのは、そのときだった。

 

「にゃあん」

  

(まあ。隣国のお客様がお連れの猫かしら。可愛い)

  


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