第22話 癒やし
「お先失礼します、お疲れ様です」
時刻は18時過ぎ。
上がりの時間となり、同僚に挨拶をして回る。
休憩を終えてからは客足も落ち着いており、接客よりも夜に向けた食材の仕込みや厨房と客席の清掃を主にこなしていた。
おかげで昼より疲れることもなく、比較的穏やかに仕事が出来た。
これからまたこの場所は戦場と化すので、その前に帰らせて頂く。
厨房を後にし、いそいそと着替えて帰路につく。
足取りは重く、疲労が蓄積しているのだと改めて理解する。
もう18時を回っているのに、外はまだ陽が見えていた。
6月に入り、日も長くなっているんだな。
後1週間程で真奈美が来てから1月経つことになるのかと、ふと思う。
最近は時間の経過が著しく早くなっていると感じている。
まだ大学2年生だというのに、このままではあっという間に大人になってしまう。
あ、でも早く大人になればいずれ明音と結婚して真奈美にもまた会うことが出来るのか。
今は年齢的にも同じ目線で接しているが、いつか父親として接することになるんだよな。
「おかえりー。バイトお疲れ様」
玄関ドアを開けると、笑顔で労いの言葉を掛けられる。
このように出迎えられる日も、いつか訪れるんだよな。
それはそれで楽しそうだが、今の関係では居られないから寂しさもある。
なら、なおさら今を満喫しないといけないと思い直す。
「おかえり柚希。お疲れ様」
そして今を楽しむにあたって最も大切な人もそこにいた。
今日家に行く、と言われた気がするが思ったよりも早かったな。
「うん、ただいま。何かご飯作ってる?」
2人は台所におり、野菜を切ったり煮たりと見るからに料理をしている。
「今日の夜ご飯だよー。夜ご飯は食べるってお父さん朝言ってたよね?」
「ああー言った気がする」
バイト中は賄いが食べられるけど1日1回でお昼に食べたからな。
「まだ結構掛かるから柚希はゆっくりしていて。お風呂でも入ったらどう? 疲れたでしょ。お湯も張ってあるわよ」
「わたしが掃除しました!」
作業をしつつ、明音からこう提案される。
折角来てもらったのに、何から何まで準備をしてくれているのは申し訳ない。
だけど疲れているのでお言葉に甘えたいのだが。
「俺着替える場所無くない?」
玄関と部屋には仕切りがあるけど、風呂場と台所は廊下を挟んで設置されているのでここでは着替えられないよな。
「大丈夫よ。今からしばらく時間置かないといけないからここ使えるわ」
明音の手元を見ると、ビニール袋に切り分けられた肉が調味液に浸かっていた。
多分唐揚げの類い。
真奈美もコンロの火を止めて「こっちもあとは煮るだけー」と促してくれる。
なので心置きなくお風呂に入れる。
ガス代が掛かるのと掃除が面倒という理由から普段はシャワーだけで済ましているため、お湯に浸かるのは久しぶりだ。
体を洗い、浴槽に入る。
浴槽は足が伸ばせないほど狭いが、疲れた体に温かいお湯が染み渡る。
本当に、今日は疲れたな。
久しぶりに戦場へと送り込まれた感じだった。
途中何度か逃げたくなり、その度に自分で自分を鼓舞し続けていた。
『俺は今までよくやってきた! 俺はできる奴だ! だから今日も!これからも! 俺が挫けることは絶対にない!』
どこかの長男の台詞を反芻し、鬼のような忙しさと戦った。
今ぐらいゆっくりしても良いだろう。
その気の持ちようで、そこからしばらく湯船に浸かり続けてのぼせかけてしまう。
だけどおかげで疲れは幾分かマシになった。
お風呂から上がり、体を拭いても汗が止まらない位には体が火照っていた。
まるでサウナに行ってきたかのよう。
「上がったよー」
何とか汗が引き、着替えが出来たので部屋へと戻る。
部屋では明音と真奈美がくつろいでおり、入れ替わりで2人も風呂に入るみたい。
先に明音がお風呂場へと向かい、部屋には俺と真奈美が残される。
「どお? 少しは疲れ取れたでしょ」
髪を乾かしているとき、真奈美からこう聞かれる。
「ああ、結構楽になったよ。あとは足と腰の疲労さえ消えれば完璧」
「全然ダメじゃん!?」
ふふん、と真奈美の得意げな顔が一遍、驚きに変わる。
長時間の立ち仕事に加えて、店の作業台が低いせいで起こる腰への負担。
これの疲れが簡単に消えたら、世間から効能を謳った温泉やマッサージ師は半減すると俺は勝手に思っている。
真奈美はどうしようかと頭を捻り、俺の体長を気遣ってくれている。
「別にそこまでしてくれなくても良いぞ? お湯張ってくれただけでも充分。これでも随分楽になってるから。あと2日ぐらい寝れば治る」
「そうかもしれないけど……。あ! じゃあマッサージでもしようか?」
手をワキワキさせて楽しそうに聞いてくる。
何故か嫌な予感がするが気のせいだろうか。
「いや、大丈夫。何か……真奈美にされるのは、その、怖い」
確信なんて何も無いけど、そんな気がしてきた。
「心配しなくても良いよ? 一応これでも超真面目な方のマッサージも出来るんだから」
それってつまり超真面目ではない方もあると言うことですよね?
やっぱり嫌な予感当たってたじゃねーか。
「まあまあそんな嫌な顔しないで、さっさとそこに寝転ぶ」
真奈美の勢いに押され、渋々カーペットにうつ伏せになる。
そして傍に来た気配がしたと思ったら、腰にググッと圧力が掛かる。
指にしては押される範囲が広くて力も強いと思って顔を向けると、踵で踏まれていた。
「あの、真奈美さん?」
「なにー? あんまり動くとずれるよ」
「これって真面目なやつ?」
「そーだよ?」
何を言われたのか分からない、と言った顔で首をコテンと傾ける。
まあもう少しお願いしてみるか。
顔を戻し、力を抜く。
それを確認したのか、また腰回りに圧が掛かってくる。
少しずつ場所を変えて、ぐぐっと踵を踏み込まれるのは案外気持ちが良く、れっきとしたマッサージだったのだと理解する。
腰全体を満遍なく踏まれ、腰の張りが軽くなった気がする。
「ありがと真奈美。思ったより楽になった」
一通り踏まれ、体を起こそうとしたとき真奈美から止められる。
「まだ終わってないよー。背中も足もやるし腰もまだほぐします」
そう言って今度は掌全体で腰と背中を加圧される。
背骨から外へと流すように位置を変え、何度もほぐされていく。
マッサージなんてこれまで受けたことないから、新鮮な感覚だ。
真奈美がどれ程上手いのかは判断できないけど、手慣れているのは確か。
「いつもこうやってマッサージ誰かにしていたのか?」
「そうだねー。結構やってたかな? 昔お父さんに腰踏みやって、それから高校までは部活終わりとかに色んな人にしてたから。ストレッチの延長みたいな感じかな? はい、これで背中終わり!」
多分未来の俺が真奈美にお願いしたのは今日のことがあったからではないか。
そう思うほどには気持ちよく、体が楽になった。
「じゃあ次足ねー。サランラップの芯とかある?」
「台所の右上の棚にあった気がする」
ラップの芯など一体何に使うのだろうか。
疑問に思うのも束の間、左ふくらはぎに鈍い痛みが走る。
「痛っ!? まって滅茶苦茶痛い、痛いって真奈美ちょっとストップ」
芯をふくらはぎに押し付けて、足首側から膝に向けてスライドさせたようだが、肉が持って行かれて激痛。
普段ならこんな激痛が来るとは思わないのだが、今日1日でふくらはぎが硬く張ったのだろうか。
「でもこうしないとほぐせないよ? 麺棒か鉄パイプでもあればもう少し弱く出来るけど?」
そんなもの家にあるかよ。
後どれだけこの痛みに耐えないといけないのだろうか。
「これ、あと何回ぐらいするんだ?」
「んー、ほぐれるまでだから、何回だろ? 20回位かな」
その数に軽く心が折れかける。
先程までの心地よさは一体何処へ。
耐えられるかな? 俺は一応杉本家の長男だ。
だから多分耐えられるな。次男ではないから。
「あ、でも両足だから40回とかになるね、うん」
長男でも耐えられない事があると、その時気付いた。
「柚希、そんなにぐったりしてどうしたの? 疲れ、取れなかった?」
お風呂から上がった明音に心配される。
風呂上がりの艶やかな姿を拝んでいるというのに、どうにもテンションが上がらない。
「疲れは取れたよ。寧ろ取れたからぐったりしているというか、疲労を取るために耐えたというか」
「そう、なの?」
数10回に及びふくらはぎのマッサージは、終わってみれば楽なものだった。
やられている最中は激痛との戦い。
その後の手もみによるほぐしはその前からの落差で滅茶苦茶気持ちよかった。
足も随分と軽くなり、今なら霹○一閃も撃てる気がする。
「じゃあわたしもお風呂入ってくるねー。まだ腰とか辛かったらお母さんに踏んでもらってね」
そう言い残し、廊下へと向かう真奈美。
今の言い方だと言葉足らずで誤解を招きそうだが。
「踏んで……? 柚希、いつからMに目覚めたの?」
案の定誤解された。
幸い誤解は直ぐに解け、ついでに明音にも踏んでもらった。
別に俺はMではないからな? あくまでマッサージのため。
マッサージのためだから!
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