第12話 暗闇の中で

 部屋の明かりが消えて10数分、俺は中々寝付けずにいる。

 いつもならとうに夢の世界へと旅立っているところだが、今日はそうもいかない。

 

 寝られない原因は俺のすぐ真横。

 そこには同じ布団に少し窮屈そうに横たわる明音。


 シングルサイズのベッドに2人で寝ているのだから、狭くて当然だ。

 2人で並んだら肩と肩が触れあうぐらいには距離が近い。

 明音は真奈実の布団で寝ると思っていたのに、「これはわたしが1人で堪能したいの! だからお母さんはお父さんと寝てね~」という真奈実の決意の前にやむを得ずこのような状況になった。


新品の羽毛布団を占拠し、1人ゆったりと横になっている真奈実は、もうすでに寝息を立てている。

 元から寝付きが良いのか、それとも布団の性能が良いのかは分からないが、早い段階で眠りに入っていた。


 俺も早く寝たいのだが、何せ恋人と密着して興奮しないわけが無い。

 これまではどちらかの家に泊まりをしたとしても、同じ布団で寝たことは無かった。


 明音に好きになって貰ってから。

 今までこれを言い訳にしてきたせいか、俺達はまだ手を繋ぐ事ぐらいしか進展がない。

 今日初めて恋人繋ぎをしたぐらいだ。


 色々したいことはあるけど、今ではない。

 寝ているとは言え真奈実も居るわけだし……。


 悶々として寝付けない暗闇で、隣から小さく透き通る声が耳に届く。


「ねえ柚希、起きてる?」


 どうやら明音もまだ眠りについていない様子。


「起きてるよ。ちょっと寝付けなくて」


「そう、私もよ」


「真奈実はぐっすりだな」


「ふふふ、そうね。昨日も寝付きは良かったわ」


 静かにクスクスと笑う明音は楽しそうに話す。


「昨日2人で何を話していたんだ?」


「色々よ。真奈実のこととか、未来の私たちの事とか。他にもあるけど、それは内緒」


「教えてくれないのか?」


「ええ、内緒よ。だって恥ずかしいもの」


 恥ずかしい内容なのか。

 ますます気になるけど、やっぱり教えてはくれないんだろうな。


 ごそごそと動く音が聞こえ、チラリと隣を見ると、明音と目が合った。

 暗闇で表情までは読み取れないけど、こちらを見ているのは分かった。

 明音は仰向けから体勢を変えたようで、「でもね、」と続ける。


「昨日今日と接してみて分かったけど、真奈実ね、とっても良い子よ」


「そうだな、それは俺も思うよ」


「将来あの子に会えるなら、私は今から楽しみよ。ただね、心配はあるの」


「心配?」


 それまでの明るめのトーンから一転、声が暗くなる。


「真奈実の話を聞く限りだと多分大丈夫なんだけど。私は真奈実を、ううん。柚希のことも、愛することが出来るのかなって」


 『愛することが出来るのか』

 大学生にしては結構重いと思うかもしれないが、明音にとっては大事な話だ。


「両親の事?」


「そうよ。昔から私に構ってくれることなんて無いし、多分興味を持たれていないわね。そうやって親から何もされなかったから、私自身も他人に興味を示せないんじゃないかって。誰かを愛せないんじゃないかって思うの」


 ぎゅっと服の裾を引っ張られる感覚がきた。

 布団の中で明音が掴んだのだろう。


 2ヶ月前、俺が最初明音に告白した際言われたのがこの言葉。

 『私は誰かを好きになったり愛したり出来る自信が無い』


 今まで愛だの恋だのと無縁だった彼女は告白も初めてだったのか、バッサリとこう切り捨てられた。

 だけど食い下がったおかげで今があるから、俺はあの告白に後悔はない。

 それからもう一つ。


「自意識過剰かもしれないんだけどさ、明音は俺のこと好きになってくれたんじゃないの?」


「ええ、好きよ。柚希のこと好きになれた。今まで無縁で無理だと思っていたけど、私は他人を好きになることが出来た。柚希がずっと私の事見ていてくれたからだよ」


 また穏やかな声に戻った明音の言葉に、何だかむず痒くなる。

 俺はそこまで大層なことはしていない。

 明音と付き合いたかったから告白しただけ。


「だったら、まあその、大丈夫じゃないか?」


 存外嬉しかったのか、こんなことしか言えなかった。


「でもね、真奈実が言っていたんだけど、『好き』と『愛してる』は違うらしいの。私は柚希のことが好き。だけどこれから柚希を、真奈実のことも愛すことが出来るのかは分からないのよ。そして私はその自信が無い」


「だったら、これから知っていくか。俺も好きと愛の違いとかよく理解していないしな」


 そもそも完全に理解している大学生なんて居るのだろうか。

 少なくとも俺の周りには居そうにないな。

 バイト先の店長とかなら知っているかな? 既婚者だし。


「そうね。私も『愛してる』を知りたいわ」


 明音も同意してくれてなによりだ。


「でもその言い方だとどこかの自動手記人形みたいだな」


「大丈夫よ。私の大佐は生きてるから」


 2人してベッドの中で笑い合い、真奈実を起こしていないかとヒヤヒヤする。


 やっぱり俺は明音の事が好きなんだと改めて認識する。

 こうやって何でもないことで笑ったりするのは楽しいし、何より一緒に過ごしていてここまで苦にならない人は初めてだ。


 気兼ねなく会話できるし、沈黙も苦ではない。波長が合うと言うか、隣に居るだけで幸せな気分になる。


 ただまあ今はそれが転じて全然寝付けないんだけど。


 また、しばらくの沈黙が訪れる。

 そしてポツリと明音が零した。


「ねえ柚希。前に言ってたわよね、次に進むのは私に好きになってもらってからだって。無理矢理するとかはしないって」


「ああ、うん。言ったな」


 それまで引っ張られていた服の感触が無くなり、両の頬に暖かい温もりが。

 それから、近づいたのか明音のゆったりと微笑む顔が眼前にきている。


 ち、近い……!?

 ここまで近くで顔を見たのは初めてだ。

 暗闇だというのに、はっきりと見えている。


「最近私は柚希の事好きになって、もう柚希にも知られたから、何も我慢しなくていい。私もしない。愛しているかは分からないけど、柚希のこと好きだから」


「明音?」


 言うだけ言って「んっ」という一息が聞こえた直後、顔と顔の距離が無くなる。


 唇を奪われたと気付くのに一瞬遅れた。


 10数秒間程温かみを感じ、離れてしまう。


「あ、ああ明音? 一体何を……」


「声が大きいわよ柚希。何って……キスに決まってるじゃない」


 さも当然かのように言ってのける明音だけど、暗闇でもはっきりと見える位顔中赤くなっている。

 きっと俺も明音に負けず赤くなっていることだろう。


「で、でもいきなりすぎ。もっとこう雰囲気とか、それに初めてするなら俺からさせろよ」


 慌てすぎて何を言っているのか自分でも分からない。

 何が「俺からさせろ」だよ。


「もうしたんだから今更何を言っても遅いわ。悔しかったらせめて次は柚希からすることね」


 「ほら」と目を瞑る明音。

 所謂キス待ち顔。


 これはズルい。でも可愛い。

 何だかいきなりすぎて頭の中が滅茶苦茶だけど、この顔を見たらどうでも良くなった。


「んっ」


 明音にキスをすると、彼女から甘い吐息が漏れた。

 それがまた魅惑的でどうにかなりそう。


 今すぐ手を出したい衝動に駆られるけどぐっと我慢する。

 2人きりだったら間違いなく手を出していただろうけど、さすがに娘の前では出来ないと理性を働かせる。


「なんだか癖になりそうね。柚希、もう一回して?」


 さらば理性、また会う日まで。

 明音の一言にあっという間に掌を返して理性を捨てる。


 そこからしばらく、ベッドの中でお互いにキスをしあう。


 どれ位経っただろうか、いよいよ手が出そうというその時、


「うう~~ん」


 という寝言と寝返りの音。

 真奈実、起きた?


 それによって一気に現実に引き戻される。


「もしかして真奈実起きたのかしら」


 そしてそれは明音も同じようで。

 2人してしばらく真奈実の様子を窺う。


 結果として、真奈実はただ寝返りをうっただけだった。


「びっくりした」


「そうね。さすがに驚いたわ」


 何だか2人とも、現実に戻ったおかげで冷静になっているようだ。


「……寝るか」


「そうしましょ」


 寝付けるかは分からないが、もういい加減に眠るとしよう。


「柚希、ちょっとだけこっちに寄って」


「え、うん」


 明音に言われ少し寄ると、腰回りに腕を回された。


「折角だからこうして寝るわ。柚希も抱きつきたかったらしていいわよ」


 言うだけ言って胸に顔を埋める明音。

 早くもすうすうと寝息を立てている。

 何この可愛い生き物。


 ゆっくりと腕を明音の背中側に回し、そっと抱きしめる。

 暖かい体温が直に伝わり、幸福感で満たされていく。


 物凄く幸せな気分だけど、しばらく寝付けそうになかった。

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