第6話 服など着なくてもいいだろう?

 目を覚ましたのはいつもの寝床ではなかった。見慣れない部屋の中、フカフカのベッドの上だった。


 どうやら夢ではなかったらしい。我は昨日会った人間、アリアと対等な関係になり、飯と寝床の世話になっている。半ば飼い猫のような状態だ。


 我が飼い猫か……。ブチを破り、シマのボスにまで登り詰めた我が、世間知らずと言われる飼い猫になるとは……。猫生は分からんものだな。


 我は体を起こすと伸びをする。ぐー。


 辺りはまだ暗いままだ。未だ日が昇るには時間があるらしい。我はアリアを見る。アリアはまだ寝ているようだ。相変わらず規則正しい寝息が聞こえる。


 我はベッドの上から周りを見渡す。異常はない。寝る前に見た時のままだ。


 ベッドから降りて、部屋の中を散策する。といっても、すぐに終わってしまった。寝床には広いが、散策するには狭い部屋だ。家具もベッドの他には三つしかない。その一つに近づく。見た感じ他の家具と同様に木でできているようだ。一応匂いを嗅ぐ。しかし、予想に反して木の匂いがしなかった。代わりにしたのはなんだか嫌な臭いだ。うぇー……。木ではないのだろうか? それとも、こういう臭いの木なのだろうか? 分からない。


 まぁ重要なのは匂いではない。爪が研げるかどうかだ。我は木に爪を立ててみる。なんだかツルツルするな。いや、そうでもないか? 初めはツルツルとして引っ掛かりがなかったが、しばらくすると爪が引っ掛かるようになった。これなら爪が研げる。


 我は気のすむまで爪を研ぐと、ベッドの上に戻った。さて、もう一眠りするか。アリアの傍に体を横たえる。横には規則正しく上下するアリアの腹があった。猫の性か、動くものを見ると興味が引かれる。


 ……乗ってみるか?


 我は起き上がるとアリアの腹に手を掛けた。ふにふにする感覚が肉球を通じて伝わる。これは……ベッドの感触よりも好みかもしれない。我はアリアの腹の上に乗ってみた。


「ふぐぅ……すぅ……すぅ……」


 アリアの寝息が少し乱れたが、起きる気配は無い。踏み心地も良いし、ここで寝るか。しかし、我が横たわるにはアリアの腹は手狭だ。我は仕方なく丸くなって眠ることにした。



 ◇



 それから睡眠と覚醒を交互に繰り返すこと数度。部屋の中がだんだんと明るくなってきた。どうやら日が昇ったらしい。アリアを見るとまだ寝ている。こんなに無防備では、敵襲にも気づかないのではないだろうか? 我が腹に乗っても起きないし、アリアは鈍感過ぎるほどに鈍い。やれやれ、今日のところは我が警戒してやるしかないな。貸し一だぞ。



 ◇



 その後、しばらくするとアリアの様子に変化があった。


「ぅーん……うん……」


 そろそろ起きるのだろうか?


「ぅうーおなか……重……」


 アリアの瞼がほんの少し開いて、その赤い瞳が僅かに現れる。目が合った。


「ッ!?」


 アリアがビクッと体を震わせて目が零れ落ちんばかりに瞼を開く。


「あぁ! なんだクロか……。そうだ、私。昨日、使い魔を召喚したんだ……」


 アリアの体から力が抜けるのが分かった。すごい力だったな。アリアの腹の力だけで、我の体が飛びかけたぞ。


「重いから退いてくれる?」


 アリアの言葉に、少し惜しい気持ちを抱きながら、我はアリアの腹から降りる。アリアが上半身を起こすと、ぐーっと伸びをした。人間も猫と変わらんな。我も背を反らすように伸びをする。


「ぅーん、はぁ。朝から驚いて一気に目覚めたわ。おはよクロム」

「あぁ、おはよう」

「鐘はまだ鳴ってないわよね? まぁいっか、早めに準備をしちゃいましょう」


 アリアはそう言うと、ベッドから降りて服を脱ぎ始めた。そしてクローゼットの中から服を取り出すと身に着け始める。昨日、初めて会った時に着ていた服にそっくりだ。同じ服をいくつも持っているのだろうか? 謎だ。


 謎と言えば、そもそも服を着ること自体理解できない。何故、自分の動きを制限するような物を自ら纏うんだ?


 一応助言しておくか。


「服など着なくても良いだろう? 裸の方が動きやすいはずだ」

「はぁ? 朝からなに変なこと言ってるのよ。そんなの恥ずかしいじゃない。人間は服を着るものなのよ」

「そうか」


 人間は服を着るものらしい。確かに、記憶にある人間は皆、服を着ていた気がする。しかし、恥ずかしいとはなんだ? 裸の何が恥ずかしいというのだろうか?


 ひょっとして……体がハゲていることを恥じているのか?


 コイツら人間の体はハゲている。ハゲ上がっていると言ってもいい。まともに毛があるのは頭くらいだ。堂々としていたから、ハゲていることを気にしていないのかと思っていたが……ハゲていることを恥じらう気持ちはあるらしい。


 ハゲを恥ずかしいと思う気持ちは我にもある。もし、我がハゲてしまったら隠そうとするだろう。その時、我はまるで雷に打たれたかのようにひらめいた。


 ……そのための服かっ!


 つまり服とは、人間のハゲ隠しなのだろう。


 謎が解けてスッキリした。しかし、人間がハゲを気にしていたとは……。ちょっとだけ人間に優しくなれそうだ。



 ◇



「よし、準備完了」


 そう宣言したアリアに目を向けると、初めて会った時と同じ格好をしたアリアがそこには居た。


「次は食堂だけど……どうしようかしら」


 アリアが我を見ながら腕を組んで悩む素振りを見せる。


「今日は教室に行くし、慣らしておいた方が良いか。この時間なら人も少ないだろうし。クロム、話があるんだけど」


 アリアが我を呼ぶ。我は首を後ろ足で掻くのを止めてアリアを見た。昨日、アリアに着けられた赤い布、気になるんだよなぁ……。


「昨日の約束覚えてる?」

「アリアと行動を共にする約束か? 無論、覚えている」


 なにせ、肉が賭かっている。忘れるわけがない。


「そう。これから食堂に行くわ。あなたと同じように他の使い魔も居るけど、絶対ケンカしちゃだめよ?」

「それは向こうの態度次第だが……分かった。善処しよう」

「絶対ダメだからね! さてと…っ!」


 そう言うと、アリアは我の脇に手を通し我を抱き上げた。重力に従って体が縦にびよーんと伸びる。背中もまっすぐだ。足が地面に着かなくて落ち着かない。


「こうしてみると、あなたってけっこう大きいわね」

「アリア、離せ」

「ダメよ。あなた、どこか行っちゃいそうだもの。このまま連れていくわ」


 アリアが我を抱き上げたまま、食堂とやらに歩を進める。我の身体が、アリアが歩くのに合わせて左右にみょんみょん揺れた。


 そのまま歩くこと少し。我とアリアは大きな部屋へと到着した。部屋の中にはたくさんのテーブルと椅子が並んでいて、人間とその使い魔だろう動物が、その席を疎らに埋めている。その中の一匹に我の目は釘付けになった。


 小鳥だ! 小鳥がいる!


 しかも、小鳥はまだこちらには気が付いていないようだ。狩りのチャンス到来である。


「ここが食堂よ。ここでご飯を食べるの」

「離せアリア、小鳥が居る。狩りのチャンスだ」

「離すわけないでしょ! いーい? よく見なさい。あれも使い魔よ。ケンカもダメだし、狩るのも絶対ダメ!」


 言われた通りよく見ると、小鳥の首に模様の入った赤い布が着けられている。チッ。


「あなたを捕まえておいて正解だったわ……」


 アリアが呆れたようにため息を吐いた。


 その後、アリアは我を抱いたまま空いているテーブルへと向かい、椅子の上に我を降ろした。しかし、まだ手は外さない。抱っこされたままだ。


「食事を持ってこなくちゃいけないんだけど……。いい? クロム。あなたはここから動いちゃダメよ。ケンカも狩りも無し。できるかしら?」

「それぐらいできる」

「本当かしら?」


 アリアが我を疑いの目で見ている。心外だ。飯の為なら待つことなど造作もない。狩りでは獲物を狩るチャンスを長い時間待つこともあった。待つことは我の得意分野と言っていい。


「本当、頼むわね」


 アリアはそう言うと、部屋の奥に向かって歩いていく。部屋の奥では数人の人間が忙しなく動き回っており、そこからなにやら美味そうな匂いが漂ってきた。きっとあそこから飯を調達するのだろう。


 我は視線をアリアから外して周りを見渡す。我らの他には、10組程の人間と使い魔が居るようだな。使い魔の形状は様々だった。犬、猫、鳥くらいは分かるが、初めて見るような動物もいる。


 だが、我の視線を掴んで離さないのは先程の小鳥だ。小鳥から視線を外しても、視界の隅でうろちょろされると、どうしても気になってしまう。これはもう猫の本能かもしれない。だんだん小鳥が我のことを煽ってるように思えてくるから不思議なものだ。


 貴様、我が狩らないからといっていい気になるなよ!



 ◇



「お待たせ、ちゃんと待てたのね。えらいえらい」


 アリアが戻ってきて我の頭を撫でる。コイツ案外撫でるの上手いな。


「はい、これ。あなたの食事よ」


 アリアが持っていた器を二つとも床に置く。待ってました。


 我は床に降りると器を覗き込んだ。一方は水、もう一方は昨日よりも小ぶりな肉と小魚が四匹入っていた。肉が小さくなったのは不満だが、早速食べ始める。


 肉は鳥肉のような食感だ。だが昨日とは歯触りが違う。ちょっと筋っぽいか? 味もあっさりした印象を受ける。昨日食べた肉とは違う肉のようだ。肉の部位が違うのか? 好みの問題だろうが、我は昨日の肉の方が好みだ。両方とも美味いがな。


 肉を食べ終えて、今度は小魚に取りかかる。小魚はカリカリに干からび乾燥していた。噛むとカリッと音を立てて砕け、粉々になる。面白い食感だ。この魚も肉と同じく血生臭さがない。魚が持つ旨味がダイレクトに舌を刺激し、頭が美味い一色になる。魚の腹や頭を食べた時に、微かに感じる苦味も魚の味を引き立てる良いアクセントだ。美味い。


 気が付くと肉と小魚は器から姿を消していた。物足りない。しかし、腹はむしろ食べ過ぎだと警告してくる。そうだな、これ以上食べると身動き取れなくなりそうだ。このぐらいでいい。それにしても美味かった。


 我は顔を洗いながらアリアを見上げると、アリアはまだ食事中のようだ。我は椅子に飛び乗るとアリアの方を向く。


「あら、もう食べたの?早いわね」

「アリアは遅いな。そんなことでは誰かに飯を取られてしまうぞ」

「そんな人いないわよ」


 アリアが笑いながら否定する。甘いな。食事中は無防備になりがちだ。飯を横取りされるくらいならばまだ良い。時には自分が狩られてしまうこともある。


 食事中こそ警戒すべきだ。そして素早く食事を済ませるべきだ。やれやれ、アリアはどうもポヤッとして緊張感が足りない。仕方がない。ここは我が警戒してやるか。我はため息を吐くと周囲に目を光らせるのだった。

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