第17話【中立】


「あれからだんまりだよ」


 部屋から出てきたラヴィは困ったように肩をすくめた。

 彼女が目を覚ましたのはノアの箱舟に戻って来て三日後だった。

 彼女は郁が初めてノアの箱舟に来たときに居た真っ白な部屋にいた。

 そこでアルカラの情報を何とか聞き出そうと何時間も尋問が続いている。

 一度は第壱支部の者が彼女を拷問し、情報を聞き出すようラヴィに促したが、ラヴィはそれを丁重に断った。

 アルカラだったとしても女性に対してその扱いをするべきではないと。


  彼女は自分の名前と少しの質問にしか答えなかった。

  あとは頑なに口を噤んだ。


「色々聞きたいけど、時間がかかりそうだな……」

「のう、主様よ。

儂の頑張りの報酬はあとどのくらいになるだろうなぁ」

 

 マリアはそう言うと、ユヅルの顔を覗き込む様に見上げた。

 ユヅルはマリアの方を見ると、呆れた様な顔で眉を寄せた。


「あれだけ魔力喰べたのにもう要求するの?

マリア」

「ふう、けち臭いのぅ主様は。

まぁ、怠惰の小僧のでまだ腹がいっぱいだからな我慢しよう」


 ラヴィの後にユヅルとマリアも部屋から出てきた。

 マリアは頬を膨らませていたが、部屋の外で待っていた郁に気が付くと、にぱっと笑い、郁に近付く。


「む。

そういえばお主とはまだちゃんと挨拶してなかったのぅ?

あそこからここに着くまでゆっくりと話も出来なかったし。

お主は……ふむ、面白い体をしているようじゃなぁ……。

あのとき一緒に居た吸血鬼の女子おなごとつがいか?」


 郁はマリアに言われた言葉を頭の中で理解すると、慌てたように口を開いた。


「つがい……いや、違くて!

俺はその瀕死の状態で夕凪ちゃんに助けてもらって……半分吸血鬼で決してつがいとかじゃっ……!」

「なんじゃ? まだなのか?

子供はいいぞ沢山居ると居るだけ良い。

子供はからな」

「もう黙れマリア。

ごめんな、郁くん。

……デリカシーってもんがないんだこいつは」

「む……、」


ユヅルはマリアの頭を軽く叩くと、溜息をつく。

マリアは残念そうに口を尖らせた。


「……こいつはマリア。

僕と契りを交わした暴食の悪魔ベルゼブブがこいつ。

今は幼女みたいな姿をしてるけど強い協力者だよ」

「気軽にマリアと呼んでくれ。

その方が気軽でいいからのう」

「狗塚 郁です。

よろしくお願いいたします」

「じゃあ、ワンころじゃのう」


 郁は差し出されたマリアの小さな手を握ると、マリアは嬉しそうに笑った。

 ユヅルはラヴィの方に視線を向ける。


「ラヴィさん。

彼女が持っていたカードですけど、何か分かりましたか?」

「ん? ああ、彼女が持っていたもの雨宮の方がまだ調べていると思うよ。

もしかしたらユヅルしか分からない何かがあるかもしれないから後で雨宮のところに行ってみて」

「……わかりました」


 マリアはぐっと背伸びすると、ユヅルの方へ体を向けた。


「さてと、じゃあそろそろ主様の中に戻るとするかのう……」

「もう限界なのか?」


 ユヅルがそう言うとマリアはニカッと笑った。

 二人の足元に大きく魔法陣が現れるとマリアはそこへ吸い込まれ姿が見えなくなった。

 魔法陣が消えると突然ユヅルが立った姿勢のままバタンと床に倒れた。


「ユ、ユヅルさん?!」


 郁はすぐに駆け寄ると、ユヅルはすーっと寝息をたてていた。


「ユヅルは暴食の悪魔彼女と契約を交わした際に膨大の魔力を彼女にあげているから魔力不足になると補充する為なのかこんな感じで急に倒れちゃうんだ。

面白いでしょう」


 ラヴィはふふっと小さく笑うと、「ユヅルのこと運んじゃおうか」と郁に言う。

 長身のユヅルの運ぶのに郁達二人では身長の問題もある為、郁はユヅルの両脇を抱え、ラヴィは両足を抱えるとユヅルをゆっくりと運んでいく。

 ユヅルを部屋に運ぶ道中、ラヴィは郁に思い出したように声をかけた。


「そういえばアルカラのあの子に頻繁に会ったことあるのワンコくんだったよね?」

「え、はい。

宮下の研究室と市民ホールと……四回ほど」

「試しにさ、次はワンコくんが尋問してみてよ。

彼女を」

「え……っ、俺ですか?」

「うん、もしかしたら僕のときよりなんか話すかもしれないと淡い期待をしてみたり……」

「……わかりました」


 郁は一瞬躊躇したが、こくりと首を縦に振った。


 ユヅルを部屋の寝具に運んだ後、郁達は藍の居る部屋に戻った。

 郁はドアをノックすると静かにドアを開いた。

 足に拘束具がついているので逃げることは出来ないのだが藍は椅子に大人しく座っていた。


「……はじめましてではないけど、何回か会ったことあるから」

「……そうですね、貴方の事はちゃんと知ってますよ。

半吸血鬼の元人間さん」


 藍の向かい側の椅子に郁は腰かけると真っすぐ藍を見つめた。

 冷たそうな瞳は初めて会った時と変わらず、怪訝そうな顔をすると郁が入って来たドアをじっと見つめている。


「今回は俺しかいない。

……と言っても外には仲間がいるんだけど」

「そうですか。

ですがあの魔女は居ないようですね。

さしずめ魔力の低下で眠りに入っているのか……。

貴方の顔を見ればあながち間違いではなさそうですね」


 藍はにこりと笑うと、少しだけ表情が柔らかくなる。


「……君はユヅルさんを過度に警戒しているみたいだね」


 藍は少し驚いた顔をし、ふっと笑った。

 そして郁と視線を合わせると、ぽつりと呟いた。


「……この部屋、話し声って外には漏れ出さないようですが間違いないですか?」

「うん?

さっきまでドアの外に居たけど扉が閉まっているから大声を出さなければ聞こえないと思うけど……」

「ふーん……じゃあ、どうして私があの魔女が嫌いなのか特別に教えてあげますよ」

「え……」


 藍がこんなにすんなりと自分から話そうとすることを予想していなかった郁は拍子抜けしたような顔をした。


「私はあの魔女に両親を殺されたんですよ」

「……は?」

「だからあの魔女を殺してやりたいとずっと思ってます」


 藍は俯くと、肩を震わせながらくすくす不気味に笑った。


「……ただ殺すだけじゃ満足しない。

杭を突き刺してお母さんにしたみたいにじわじわ燃やしてやりたいですよ。

お父さんにしたみたいにゆっくりゆっくりと痛みつけて最後は両手両足を引き裂いて殺してやりたい。

……あはは、何ですかその間抜けな顔?

貴方が知らないだけですよ。

あの魔女は人殺しです。

同族の魔女も殺したんですよ?」


 藍は興奮したように目を見開くと、こてんと首を傾げた。


「私は隠れてたんです。

ずっと家のクローゼットに。

そっと隙間から見てました。

……真っ赤な火と焦げた匂い、ゆらゆらと地面を揺れる黒い影と断末魔。

でもどうして隠れようとしたのかな……?

もうクローゼットの中に居たような……」


 先ほどまでとは違う藍の様子に郁は少し戸惑ったが、唾を飲みこみゆっくりと口を開いた。


「上手く言えないけど……それは君だけど、君じゃないもう一人の朱って子がクローゼットに、入った後に君に意識が戻ったとかなんじゃないかな……?

それよりそれは本当にユヅルさんなの?

ユヅルさんがそんな人を殺めることなんてするように思えないけどそれに……」

「……何言ってるんですか? 貴方は。

私には姉なんていませんよ何の話をしているんですか?

……あれ、なんで姉だと思ったんだろう?

私は……本当にあそこに居たのかな?

お母さんが真っ赤で……お父さんはだんだん真っ白になって……?」

「……っ?!」


 郁はだんだんと大きくなってくる音の先に視線を向けると、椅子から立ち上がり彼藍の腕を掴んだ。

 掴んだ腕の指先は爪にべったりと血がこびりついており、もう片方の腕には深く引っ掻いた箇所からぽたぽたと床に血が落ちていく。

 藍の瞳はゆらゆらと上下左右に動き、呼吸が浅く速くなっていく。


「ゆっくり息を吐いて……!

大丈夫……落ち着いて息をするんだ……!」


 郁は藍の背中を擦りながら、藍に声をかける。


「ッはぁ、はぁっ……はっっ」


 郁の慌てた様な大声に気づいたのかラヴィが部屋に入ってくる。

 藍は力が抜けたように郁の方へ倒れ込むが少し経つと、ゆっくりと起き上がった。


「……貴方って容赦ないですよね。

流石にキャパオーバーですよ、今の藍にとっては、ね」

「君は……朱さん?」


 郁の問いに朱は髪の分け目を直す仕草をすると、じっと郁の瞳を見つめ、大きな溜息をついた。


「はぁぁー……見慣れない真っ白い部屋に貴方が此処にいるってことは此処はノアの箱舟の本拠地で間違いないみたいですね。

結構早い再会ですね、白い魔女の家行けました?

あと、お腹が空いたので何かもらってもいいですか?」


 朱は可愛らしく郁の横に立つラヴィの方へほほ笑むと、自身のお腹を擦った。


「……とりあえず先に手当してもらって食堂に連れて来てもらえる?

ワンコくん」


 そう言うとラヴィは郁に拘束具の鍵を渡した。


「はい、わかりました」


 郁は鍵を受け取るが、チラッと朱に繋がる拘束具を見る。

 朱も郁の視線の先に気づいたのかそちらに視線を向ける。


「……此処から逃げることは出来ないってもう諦めてますから安心して大丈夫です。心配なら腰にくくりつけられるような長さの紐とかでずっと縛ってもらってもいいです……けど」


 ガチャンっと拘束具が床に落ちる音がする。


「……万が一怪しい行動をしたとしても、俺達は君を此処から絶対に逃がさない」


 郁は朱を立ち上がらせると、朱はふふっと笑った。


「可笑しい。

そうですね、だったですよね。

流石に私もカードがなくちゃ魔法は使えませんよ。

それに逃げるほどの体力も今は残ってません」


 朱は郁の手を握ると、にこりと笑った。


「それじゃあ、誘導お願いしますね半吸血鬼のお兄さん」


◇◇◇◇◇◇


 カシャンカシャンと大量の皿が積みあがっていく音がする。

 厨房では調理をする音が鳴りやまない。

 ズズズッとスープをすする大きな音がする。


「ふーっ、もう私お腹がいっぱいですー……流石無限の胃を持つと噂になっているだけありますね。

……私の負けです」

「ふふふっ、でも朱ちゃんもすごいよ!

ここまで私と競えた者は今までいないからね……しかーし、私はまだまだ食べれるよ~!

追加で小籠包青椒肉絲棒棒鶏回鍋肉ついでに杏仁豆腐!!」


 リリィは元気よく手を挙げると呪文のように料理名を唱える。


「いや、ちょっと待って!!!!!

どうしてこうなってるの?

いつからここは大食い会場になったんだ!」


 郁は立ち上がると、他の人にも聞こえるような声で目の前で口をもぐもぐと動かしているリリィと朱にツッコんだ。

 夕凪は積み上げられた皿を見ながら遠い目をしていた。


「……ごっくん。

ごめんね郁くん、こんなに美味しそうにいっぱい食べてる姿見てたら私も負けられないなって思って……だけどねお陰で大分体力が回復したよ!」


 リリィは口の端にご飯粒をつけながら郁に向かってピースをした。


「リリィ、お米ついてる」


 郁がリリィに言うと、リリィは顔を赤らめ、恥ずかしそうに夕凪の方に駆け寄る。


「え、どこどこ?

夕凪ちゃんとってぇ~」

「リリィったら……はい」

「ありがとう夕凪ちゃん~」


 朱はその光景を見ると、ふっと笑った。


「……さてと、先に言っておきますが、私もすべての情報を知っているわけではないので皆さんにとって有力な情報になるかはわかりません。

それでも良いのでしたらこの食事のお礼分は払うつもりですよ一応は」


 朱はナプキンで口の周りを拭くと、のぞくような視線でずっと黙っていたラヴィの方を見た。


「有力な情報になることを願いたいよ。

今はって呼んでいいのかな?」

「当分は妹の藍の方は起きないと思いますが、万が一のことを考えてあの魔女は呼ばないでくださいね。

私はあの魔女が同じ空間に居ようがどうでもいいんですけど、あちらさんの方はそうは思っていないような気がするので」

 

 朱はそう言うと、可愛らしく笑った。

 ラヴィは少し沈黙すると、口を開いた。


「わかったよ。

君がどうしてそこまでユヅルの事を避けようとしているのかは気になるけど、そこは追求しないことにするよ」


 ラヴィは朱にいくつか質問をする。

 朱はそれをすべて聞くと、ゆっくりと話し始めた。


「デッドを増やすことで、世界を一から創り変えることが目的の一つだとは思いますが、世釋様には何かもう一つ計画があるのは確かですね。

知っているのは大罪の悪魔のお三方だけ。

私は色欲の悪魔のイヴさんの下についているだけですから、その計画の詳細は私の方には下りてきません」

「幹というデッドが女性の血を集めていたことがあった。

それが世釋の計画に関係しているのか?」


 夕凪はそう言うと、朱は首を振る。


「分かりません。

私の主な仕事はデッドの増殖と監視のみ。

幹いうデッドに感情が芽生えた影響で世釋様の計画に支障をきたしたことは確かですね」


 ラヴィは何か考えているのか顔を伏せるが、一息つくと顔を上げた。


「最後に、アルカラの潜伏先はどこだ?

あの扉を君も開くことができるの?」

「ゲートのことですかね。

私は開くことは出来ません。

開くことが出来るのは世釋様と大罪の悪魔のお三方だけですが、一つだけ方法があります。

私が持っていたカードの中に『The Hermit』暗闇の中、杖を持った老人がランプで闇を照らしている絵が描かれているカードがあると思います。

そのカードには攻撃を与えるような強力な力はありませんが、あちらにある別のタロットカードと共鳴してホールをつなぐことが出来ます。

ですがゲートとは違い、通れる時間は短いですけどね。

……それを聞いてホールを開くことさえ出来れば、誰でも可能だと思ったかもしれませんが、残念ですが単純ではありませんよ」


 朱は人差し指を立てると、指を左右に振る。


「そのタロットカードももちろん貴方がたが回収し、今調べている私のカードも私にしか使えません。

あの魔女ユヅルの魔力でさえも使えない。

私専用のオリジナルのものですから」


 朱はそう言うと、最後に食べようと残していたプリンの上に乗っていたさくらんぼを口に含み、微笑んだ。


「そうみたいだね。

先程雨宮経由で第壱支部の研究員から報告が挙がった。

宿だってね。

君がこちらに協力をしてくれる意図はわからないけれど、利用はさせてもらうよ。

最後のチャンスかもしれないからね。

準備が整い次第アルカラの潜伏先突入しよう」


 ラヴィはそう言うと、周りの話を聞いていた隊員達からも緊張感が伝わってきた。

 しかし、郁だけはウォッカに行く前に立ち寄った宿で会った世釋の言葉がやけに引っかかっていた。


「どうしてあいつはラヴィさんを連れてこいって言ったんだろう……」

「どうした郁?」


 夕凪は首を傾げた。

 この場で言うべきか、しかしこの後にラヴィの部屋に訪れて報告すべきか郁は悩んでいると、痺れを切らした夕凪がテーブルの下で郁を足で軽く突いた。

 そして顔を上げた郁の目を夕凪はじっとみた。


「言いかけた言葉を呑み込むな、郁」

「ごもっともです。

……すいません、報告した方が良いのか迷っていたのですが……」


 郁はラヴィ達に世釋との一連の物事を話した。

 夕凪は怒るだろうなと郁は思っていたが、夕凪はなんとなくあんたの顔見てたら何かあっただろう思ってたけど、やっぱりね。と言って、少しぶすっと頬を膨らませた。




「……」


 ぱたん、と郁は本を閉じると溜息をついた。

 座っている椅子の背の方に身体を反ると大きく背伸びをした。

 リリィが女子だけでおしゃべりしたいと言い出し、夕凪と一緒に朱を連れていってしまい、郁はノアの箱舟内にある書庫に居た。

 朱はリリィの提案に戸惑っており、此処では立場的には捕虜の身ですが大丈夫でしょうか。とラヴィに確認した。

 ラヴィは少し考えた素振りをした後、了承した様に頷いた。

 郁は積み重なっている読み終えた本を一度見ると、困ったように手で前髪をかき上げた。


 ここ最近よく耳にするようになった『古来最強の吸血鬼エリーゼ』という謎の人物の存在。


 ウォッカで回収したモノ、そしてあの施設で回収した同一のもの二種類共に上層部の方が分析したいということで持っていってしまい、今は中身を見ることができない。

 書庫は広く多くの本が貯蔵してある為にもしかしたらその人物の事が少しでも書かれているものがあるのではないかと少し期待して来たもののどれもかすりもしない。


「やっぱり……あの本しかないのかな。

いつ上層部から戻ってくるのか。

戻って来たとしてどう言って借りるか。

……少しでも夕凪ちゃんの力になれればと思ったんだけど、ちょっと先走り過ぎかな俺ー……」

「おうおう、どうした郁くん。

夕凪もだが溜息ついてっと幸せ逃げてくぞ~」


 近くで珈琲が入ったマグカップが置かれ、郁は声がした方に視線を向けた。


「あ、雨宮さん! お疲れ様です……」


 雨宮はよっとマグカップを持った方とは逆の手を挙げると笑う。

 雨宮の目の下は薄くだが隈がついていた。


「なになに、郁くん調べもの? 

感心するな、でも煮詰めすぎるといけないから適度に休めな」

「ありがとうございます。

あと、すいません珈琲頂きます」


 郁はマグカップを手に取ると、ふぅふぅと息を吹いてから口を付けた。

 珈琲なんて久しぶりに飲んだせいか少し苦く感じた。


「もしかしてだけどのこと調べてる?」


 郁は驚いて珈琲を吹き出しそうになり、ぐっと持ち堪えた。


「あーごめん、ごめん。

なんとなく本の題名とか関連してそうな本が沢山あるからさ。

図星みたいだね」

「……あの、って誰なんですか?

俺、此処に来てから色んな人と関わってきました。

リリィや東雲くんのこと。

夕凪ちゃんのこと。

まだ知らないこと多いなって感じて……雨宮さんの知っていることだけでいいです。

俺に教えてもらえませんか……?」

「……俺に聞いて正解かもしれないね、郁くん。

いいよ、答えられる範囲なら答えるよ。

うーん、とりあえず今のところのことを郁くんは知りたいってことでいいんだよね?」


 雨宮はにこっと笑い、そう郁に問う。


「?」


 郁は少し首を傾げた後に頷いた。

 雨宮はゆっくりと話し始めた。


 ――エリーゼ・クロフォード。

 古来最強の純血の吸血鬼としてこの世界に君臨していた種。

 ひとたび地に降りれば食糧として人を襲い、血肉を求め徘徊するリビングデッドを生み出す。

 特殊な念力を使い、数多くの退魔師は命を落とした。

 彼女が瞬きをした間に大陸が一つ沈む。

 木々は枯れ、大地は干からびる。

 海は荒れ、空は太陽が沈む。

 それとは逆に彼女は自身の血液を操り、他者の血液と干渉することが出来た。

 他者の中の猛毒さえも彼女は取り除き、治癒し、人々を救った。

 人々は彼女を〖神〗だと讃えた。――


「郁くん達が回収してきた本はそのエリーゼ・クロフォードがあるとき何かのきっかけで、人間と暮らすなんてことがあって、そのときに彼女の側に居た人物が彼女を記していたのがあの本じゃないかってのが上層部の結論って感じだね。

俺も中身はまだ見せて貰ってないが……まさかって感じだよね」


 雨宮はははっと苦笑いすると、肩を竦めた。


「そのエリーゼ・クロフォードはもうこの世界に居ないんですか?」

「ああ。

エリーゼはもうこの世界には存在していない」

「そう、なんですか」

「郁くんがエリーゼのこと知りたいのは夕凪の為だろ。

ありがとうな、夕凪の側に居るのが郁くんでよかったよ」


 雨宮はそう言うと、踵を返して書庫から出ていく。

 そして郁には聞こえない様にぽつりと呟いた。


「……夕凪が自分のことを知りたくてあの本を見に行ったっていうラヴィの予想当たっちまったな。

そろそろ腹を括るときかもしれないぞ、ラヴィ」


◇◇◇◇◇◇


 朱はシャワーを止めると、側に置いてあったバスタオルに手を伸ばし、濡れた髪を拭いた。

 拭ききれなかった水滴がぽたぽたと床に落ちる。

 用意された衣服に袖を通すと、鏡の前に座り、ドライヤーで髪を乾かしていく。

 朱の視界に一枚のカードが現れ、朱は視線を外さず口を開く。


「……言っておきますけど、私はどっちの味方でもありません。

アナタとは違って今はです。

世釋様に報告しても構いませんよ。

それにしても、びっくりですよアナタって意外と演技が上手なんですね          

         さん」


 朱はシャワー室から出ると、郁とぶつかりそうになる。

 朱は郁の顔を見ると、にやぁと口角をあげた。


「もしかして覗きですか?」

「違う。

只、何か違和感的なものを少し感じて……だから決して覗きではない。

偶然だから」

「……勘が鋭いんですね。」

「え?」


 朱のぽつりと呟いた声が聞き取れなかったのか郁は首をかしげる。


「リリィさん達との女子トーク楽しかったです。

私にとっては少し有難い時間でしたよ。

でも此処にいる間は貴方が私の監視役になってください。

貴方だったら変に緊張しませんし、いいですよね?

郁さん」

「……そのつもりだよ。

というか、ラヴィさんにお願いされたし……えーと、朱さんって呼んでいいんだよね?」

「はい、今は朱ですから」


 郁の腕を自身の方に引っ張る。

 郁の耳元に朱の唇が近づく。


「私を守ってくださいね。 約束ですよ」


 朱はそう言うと、今まで見たことがないくらい悲しそうに笑った。


「どういう……っ?!」

「あと、私寝てしまうともしかしたら低い確率ですけど妹の方が目覚めちゃうかもしれないのでよろしくお願いしますね。郁さん」

「……まさか」

「私が此処にいる間はずっと寝ないように話し相手になってくださいね。

むしろこんな可愛い女の子と一緒の部屋で郁さんはスヤスヤ寝れますか? 

見た目は幼い少女ですが、れっきとした女性レディということをお忘れなく。

私、郁さんみたいな男性好みですよ」

「え、それはどういった解釈で俺は理解すればいいの?」

「さぁ? でも寝たら夜這いしちゃうかもしれません。

あ、このと言う言葉の意味はリリィさんが先程教えてくれました」

「リリィ……なんていうことを教えてるんだ。

むしろ、なんでそんな話題の話が出てきたんだ。

女子の話の内容が男子間で繰り広げられる話みたいで生々しくて恐ろしい……」


 朱はふふっと笑った。


 そして数日後遂に、アルカラの潜伏先に潜入する日が来た。


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