4章
思惑crosswars(1)~アルメラルダの憂鬱
これはファレリアとアラタが食堂で恋バナで盛り上がり失恋劇を繰り広げた夕方時分より遡り、少し前の事。
顔が映るくらいに磨かれた艶やかなこげ茶色の執務机。その上に積まれた書類の山をながら、アルメラルダは深くため息をついていた。
しかし、ため息は書類の山に対するものではない。この程度アルメラルダにかかれば瞬く間に片付くだろう。
今考えていたのは……先ほど送り出した少女の背中である。
(少しはうまくやれているかしら、あの子)
華奢な背中に付き従った大きく逞しい体躯を持つ青年は、ファレリアの想い人。
生徒会が繁忙期で忙しいのは事実だったが、本日ファレリアとアラタを二人で送り出したのはアルメラルダなりの気遣いだった。
ここ一年はあっという間に過ぎてしまったが、その中でファレリアとアラタが二人きりで過ごせた時間はほぼ無かった。
それはアラタの護衛対象にアルメラルダ自身も入っていたことに加え、逆にアラタが再び呪いに付け込まれることを防ぐためでもある。
後者に関しては先日、一年かけて不敬にもアルメラルダをこき使い検証を重ねた特別教諭が「星啓の魔女候補が祓った呪法に対して、対象者は耐性を獲得する」という検証結果を出したため解消している。
……通常は以前第一王子が述べていたように呪法にかかると同一のものに対する耐性が低下するため、本当に特異な力の資質を自分が備えている事を強く自覚した。
だがそれ以降も護衛という任があるため、一年前の犯人が見つかっていない現状ではなかなか二人の逢引の場を整えられなかったのだ。
ゆえに本日。アルメラルダはファレリアとアラタが二人で過ごせるように、わざわざセッティングしたというわけである。
アルメラルダが共に行動できない理由として丁度生徒会の仕事があったし、この場所に居るならば護衛を置く必要もない。加えていつもくっついてくる
現在他生徒会役員はそれぞれ個別に用意された執務室(アルメラルダは知らないが、アラタとファレリアは「缶詰部屋だ……」と称していた)に籠っている。
そのことでお邪魔虫こと小娘の苦しむ姿が見られないことを残念に思いつつ……。今のらしくない自分の顔を見られないことに安堵した。
送り出したまでは良いものの、その後が落ち着かなくて仕方が無いのだ。
自分はアルメラルダ・ミシア・エレクトリア。公爵令嬢、更には星啓の魔女となる女である。
常に自信を持ち高貴に振舞わなくてはならない。
このように不安を感じている顔など、誰にも見せてはならないのだ。
(不安? このわたくしが?)
自身に言い聞かせる中ではっと気づき歯噛みする。
二人の仲が上手く行くように。そう考え自分で送り出したくせに、去り行く背中に思わず手を伸ばしそうになった先ほどの自分が情けない。
しかし、この落ち着かない気持ちを解消するために自分の感情の動きを把握しようと突き詰めていくと……どうにも情けない考えにしか突き当らない。
(行かないでほしい)
素直に感じたその気持ちに、頭を抱えたくなる。少なくとも今日に限っては、背中を押し送り出したのは自分だろうに。
……自分がファレリアに対してあまりにも過保護であることは自覚していたが、同時にあの少女が自分の側から離れていくことが耐えられないのだ。
これに当てはまる言葉を探すならば、それは「依存」である。
縋られる立場ならともかく、自分側がそんな感情を抱くなどと……情けないと言わずしてなんと言おうか。
(それでもクランケリッツは……まだいい。ファレリアが自分で見つけた相手だもの。それにあの二人、少し似ているし。くっついたらくっついたで、そうね。大きな犬を二匹まとめて飼うようなものだわ)
この落ち着かない気持ちを払しょくしようと、納得いく落としどころを見つけ自分を納得させる。
そうだ。あの二人は犬っぽい。それがじゃれていると考えれば、可愛いものではないか。
しかし。
バキッと握っていた扇がへし折れる。今月に入って通算十二代目の扇、ご臨終の瞬間であった。
ここ一年でアルメラルダがへし折った扇は数知れず、ひそかに物の祟りを恐れたファレリアが供養塔を作っているほどである。
……そう。ファレリアとアラタを送り出したことは、別に良いのだ。寛大な自分の施しに満足感すら覚える。
ただそこに「行かないでほしい」という感情を発生させた根本の理由は別にあった。
ここ一年……ファレリアの友好範囲は急激に広がった。
そのことがアルメラルダの心に焦りを生んでおり、ささいなことで波立つのである。
怠惰で無表情で無神経で無頓着でやる気が無くてぼーっとしていて顔しか取り柄が無くて、自分がそばに居てやらないと駄目だとずっと思っていたのに……アルメラルダが思っていたほど、ファレリアは交流下手ではなかったようだ。
無表情の壁を越えて一度つながりが出来てしまえば、その無神経さが功を成して誰とでも話せるのがファレリアなのである。
そしてその最初の壁を越えさせ、つながりを作ったのは……マリーデル・アリスティとの交流が元であった。
魔法学園に入学してから二年。
アルメラルダを取り巻く令嬢達くらいしか友好関係の無かったファレリアが、自分が目の敵にしていた少女と仲良くなったことがまず信じられなかった。
しかもきっかけは、アルメラルダが仕立て上げた決闘だというではないか。
アルメラルダがそのことを知ったのは、あろうことか危うくファレリアが死ぬところだった一年前の事件。
高位の魔法騎士すら操る強力な呪法。それが用いられたことで、ファレリアは彼女が愛する者の手によって殺されかけたのだ。
今思い出すだけでもはらわたが煮えたぎるし、同時に氷を飲み込んだように心が冷える。
いったい何の目的で。
一年、アルメラルダも自分の持ちうる人脈を駆使しして犯人の正体や行方を捜した。
だが公爵令嬢たる自分や更に地位が上である第一王子と第二王子が調査を手伝ってくれているにも関わらず、手がかりすら見つからない。異常な事だ。
事件以降呪法を用いた襲撃は無かったが、解消されない不安が今でも付きまとっている。
ともかくその事件がきっかけで、アルメラルダはファレリアとマリーデルの間に交流があることを知った。
同時にその少女……マリーデルが、同性であるはずのファレリアに恋慕の情を抱いていることも。
アルメラルダは両親の特異な性癖を知ってから、成長するにつれて見分を広げようと隠れてあらゆる恋愛書籍を読み漁っていた。
その幅は多岐にわたり、同性愛の知識も完備している。自身とファレリアの間にある情とは違うが、そういったものが世の中にはある、と理解していた。
故に分かり易すぎるマリーデルの反応に、すぐ気付いたのである。
両親の形見すら彼女を守るために使った心意気には感心すらしたし、ファレリアの命を救った事に感謝もした。
……しかし、だからといってその恋心を、ファレリアとの仲を許すはずもない。
当然だ。
ファレリアが好きな相手として公言しているアラタに直接宣戦布告する度胸は認めてやってもいいが、それとこれとは話が別というもの。
マリーデルが気に食わない小娘であることに、変わりは無い。
だがそんなアルメラルダの想いとは裏腹に、マリーデルはどんどんファレリアとの仲を深めていった。
学園祭での借り物競争。
自分が「親友」と書かれた紙をもってすぐに行ってやったのに、何故同じ借り物を引き当てファレリアの元に来たマリーデルとの間で迷うのだ。すぐに自分の手を取るべきだろう。
後夜祭でのダンス。
妙な男に誘われる前に自分がファレリアと踊ってやろうとせっかく男性パートを完璧に覚えて来たのに、ファレリアが躍った相手はマリーデルだった。
旅行先で一緒に見ようと思っていた神秘的な光景。
何故かマリーデルがその場所近くを破壊した挙句に、想定より大人数でその光景を見ることになった。
音楽祭での劇。
突発的に選ばれたにも関わらず我ながら完璧にこなしたが、土付き大根のごとく野暮ったい演技のファレリアをフォローしたのは自分でなくマリーデルだった。
年末パーティーでの天体観測。
入学する前から毎年二人でその光景を見ていたのに、アラタはともかくマリーデルまで一緒に見ることになったのはなぜだろうか。
(マリーデル。マリーデル。マリーデル・アリスティ!! あああああ、もうっ! あの雌豚ぁ~!!)
ここ一年で確実にファレリアの心の一部を占めたであろう少女の事を考えると、気づけばお気に入りの扇たちは手の中でへし折られている。
……だが。
最も気に食わないところは、うとましいと感じるのにアルメラルダがその存在を許容していることだ。以前との明確な違いはそこにある。
そうでなければ仕事を押し付けるためとはいえ、自分のテリトリーたる生徒会に推薦などしない。
本性がバレてからは口調こそ取り繕っているものの、歯に衣着せぬ物言いで自分に言い返してくる少女。彼女とのやり取りを楽しんでいる自分が居たのも事実。
あの気に食わない女は、ファレリアだけでなくアルメラルダの心にまで無遠慮に土足で乗り込んできたのだ。なんて図々しい。
…………これが最初の頃のように侮蔑し見下すだけで済む相手だったら、どんなに楽か。
アルメラルダは感じていた。
この一年を契機に、ファレリア……そして自分にも変化が起きている事を。
その原因はいずれも人間。
マリーデル・アリスティ。
アラタ・クランケリッツ。
主にこの二人が中心となり、自分たちに変化をもたらしている。
人間とは変化していくものだ。変わらない者などいない。
変化とは進化。先へ進む事象。そう捕らえているアルメラルダにとって、受け入れるべきことでもある。
ただどうしたって付きまとう感情があるのだ。
……それは。
「……さみしいわ」
ぽつりとこぼす。
それが「行かないでほしい」と手を伸ばしかけた気持ちの根源。
さみしい。さみしい。
もうあの子の中の一番が、自分でないことが。
昔からアルメラルダがどんなにどついてもきつく当たっても、笑顔でくっついてきたファレリア。その彼女が唯一アルメラルダに向けていた笑顔も、すでに自分だけのものではない。これも変化の一つだ。
あいかわらず表情筋はあまり仕事をしていないが、それでもこの一年で多くの人間と笑う様子を見てきた。
それがアルメラルダをかき乱す。
けして表に出すなど無様な真似はすまいとしているが、ファレリアを取り巻いていく自分以外との様々なつながりが……彼女を自分から引き離すようで、辛い。さみしい。
痛みを愛と認識する性癖が薄れたことは喜ばしいが、それならばどうやって自分はファレリアの心をつなぎ留めればよいのだろう。
そうあるように二年かけて矯正させてきたのはアルメラルダ自身だというのに、矛盾が多くて自分で呆れる。
だがどれもがアルメラルダの本心。それが矛盾だらけの不細工で不格好なものであったとしても。
ファレリア・ガランドール。
幼馴染のその少女は、魔法学園入学前も、その後も。ずっと自分の隣にいた。
これからもずっとそうだと思っていたし、そうあるためにアルメラルダも動いてきた。
だけどファレリアの心自体が自分から離れてしまったら。
…………彼女は隣に、居てくれるだろうか。
「ああ、ダメだわ。わたくしらしくない!」
悶々とした感情を抱え込みつつ、どうにか抜け出そうと頭を左右に振った。
(なにか、別のことを考えなければ)
そして浮かんだのは。
「……恋って、どんなものかしら」
ふと思い出した顔は、誤りとはいえ自分へ「好きだ」と告げたアラタ・クランケリッツ。
アルメラルダは慌てて首を横に振ってその考えを振り払った。馬鹿馬鹿しい。
この学園に入る際、自分やファレリアに相応しい婚約者を探そうと考え候補も絞ったしそれぞれ交流も続けている。だが恋、と言われるといまいち想像はつかないのだ。
読み漁った恋愛小説のおかげでマリーデルがファレリアに向ける感情が「そう」だと気づく程度の知識はあるが……好ましく思う男性こそ多いが、いざそれが恋なのか、と問われれば判断に困る。
恋という感情。身近で最も分かり易い例は、アラタに恋するファレリア以上にファレリアに恋するマリーデルだろう。
……そのマリーデルのように、思わず取り繕っていた仮面を投げ捨てるくらいの激情を、自分は抱いたことがあるだろうか。
「ああああああ! もうっ! 結局答えの出ない考えがぐるぐる回ってますわ~!」
気づけばファレリアを送り出してから一時間以上考えに耽っていたらしい。とんだ無駄な時間を過ごしてしまった。
最近は一人になると考えるのはそんなことばかりだ。
誰にも話せず抱えた気持ちは日ごとに大きくなり、アルメラルダを悩ませている。
「もう! まったく、まったくまったくまったく! わたくしもまだまだですわね! そんなことを考えていないで、仕事を終わらせてしまわねば」
ダンっと執務机を叩く。
思わず叩き割ってしまわないことに自分の成長を感じたが、すぐ近くに落ちているへし折れた扇を見て無言でそれに手を合わせ頭を下げた。意味はよくわからないが、以前ファレリアがしていた真似である。
アルメラルダはへし折れた扇を気まずそうに引き出しにしまうと、ふうと息を吐く。
夕方にはきっとファレリアはアルメラルダを夕食へ誘いにくるはずだ。それまでに終わらせて、一日どう過ごしたのかたっぷりと聞いてやろう。
せっかく自分が気遣ってやったのに、これで何も成果はありませんでしたなどと言われたら説教も必要だ。
そのことを考えると自然と口元には笑みが浮かび、不安も薄れる。
不安の元も安心の元も同じ人間なのだから、まったく手に負えない。
そしてアルメラルダが仕事を再開しようとした時だ。
部屋に扉をノックする音が響いた。
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