第017話
小高い崖に開いた穴が、どこまでも奥に続いている。
入り口の横に置かれた魔力貯蔵装置から伸びた管が、洞窟に吊るされたランプを光らせていて、結構先まで明るい。
ここがダンジョンの入り口。
確か名前は「ルフト洞窟」。
学校の社会の教科書にも、王都近隣に発生しているダンジョン地図が記載されていた。
街道からも道が伸びていて、王都から1時間もあればたどり着ける場所にある。
冒険者ギルドが判定した難易度はFランク。
弱い魔物が多く出現する、初心者向きのダンジョンだ。
ただし奥に進むと強い魔物が出現するので、難易度はBランクに上がるって教科書には書いてあった気がする。
なんで僕がこんな所に……。
「あ、あの僕、モップとバケツしかなくて……武器とか持ってないんですけど……」
ラフィーリアは剣を抜き、近くにある木の太い枝を切り落とした。
切り落とされた枝は、地面に落ちる前に数十回と斬撃をくらい、外側が削ぎ落とされた。
剣が早すぎて、通過した影すら見えなかった。
モルテス先生の剣も早かったけど、これは根本的に格が違う。
「これ、両手で持って」
削ぎ落とされた枝は綺麗な円柱状になっていて、ささくれの一つもない、なめらかな手触りになっていた。
あの一瞬で、一本の剣でここまで加工できるなんて信じられない。
「……!?」
両手で持っていた枝は、手元から10センチくらいのところで切り落とされる。
剣で切ったんだよね?
持ってる手に、全く衝撃がなかったんだけど……。
「まぁ、いいかな」
そう呟いたラフィーリアはそこで剣を収めてしまう。
なんなんだろう……この棒は……。
ラフィーリアは左手で僕の両手を押さえて棒を平行にさせると、右手を棒の先端からゆっくりと奥へ移動させていく。
ヒンヤリとした冷気が肌を撫でると、僕の両手のすぐ先から、棒が凍りついていく。
「!?」
氷はどんどん増えていって、両刃の剣の形になった。
僕の持っていた木の棒は、剣の柄だった。
「とりあえず、弱い魔物なら切れると思う」
「す、すごい……。ラフィーリアさんのスキルって……」
「【絶対零度】」
「ぜ、【絶対零度】……なんか、ラフィーリアさんに似合うスキルですね」
「……私が冷たいってこと?」
「いや、そういうことじゃなくて! ちょっとクールなところが、カッコいいってことですよ!」
「……」
他意がないと理解してくれたのか、それとも不愉快にさせてしまったのか、無言で洞窟の中に進んでいくラフィーリアは、やっぱり感情がわからない。
浮ついた心のまま、僕は掃除道具を洞窟の入り口近くに置いて、ダンジョンに足を踏み入れた。
いちいち響いてくる足音が、「もっと奥へ来い」とダンジョンに囁かれてるみたいで不気味だ。
剣から漂ってくる冷気のせいか、背筋がゾクゾクする。
「なんで僕がこんなところに……」
僕の心は頭の中で、なんどもその言葉を言い続けている。
道は2つに別れ、また2つ、もう少し進むとまた2つに別れる。
えっと、右に曲がって、右に曲がって、左だよな。
意識して覚えておかないと、似たような景色だからすぐに迷ってしまいそう。
「あ、いた……」
現れたのは獰猛な牙をむき出しにした、デスラッド。
ダンジョンが放出する魔素を吸い込んだネズミが、狂って魔物化した姿。
ここルフト洞窟の上層を縄張りとしている。
体長は25センチくらい。ちょっと蹴飛ばしてやれば勝てそうな大きさだけど、これが群れで現れると厄介になる。
……と、学校の教科書に書いてあった。
見た目も教科書に載っていた通りだ。
「あれ、倒してみよう」
「え!? ぼ、僕がですか!?」
「大丈夫、そう難しいことじゃないから」
「そ、それはラフィーリアさんにとっては簡単かもしれないですけど……僕は……」
「ギギギギギギッ!」
「ヒィ!?」
デスラッドが牙で音を立てる。
威嚇してる。
見た目は小動物なのに、赤くギラギラと光る眼が、簡単に僕を怖気づかせた。
「シャァアアアア!」
デスラッドは先頭に立つラフィーリアを無視して、まっしぐらに僕の方に向かってきた。
僕が怖気づいたから、一番弱いと、狩りがしやすいと判断されたのだろう。
野生の嗅覚が、本能で優先順位を決めている。
少しだけ後ろに引いた足が、石みたいに重い。
頭の中では、カッコよく回避して敵を切る僕がいるのに……現実は微動だにしない景色の中で、ただデスラッドの牙が近づいてくるだけ。
モルテス先生に比べればこんな速さ、なんてことないのに……ずっと特訓してきたことが、土壇場ではなんの役にも立たない。
僕にできる抵抗といえば、目をグッと閉じてデスラッドの勇姿を無視してやることだけだった。
——ズシャッ!
生々しい音が響く。
しかし、不思議と痛みがない。
僕の覚悟が、痛みを上回ったのか?
そんなはずはない……。
恐る恐る目を開くと、ラフィーリアの背中がそこにあった。
デスラッドが噛み付いたのは、ラフィーリアの左腕だった。
「ラフィーリアさん!?」
ゆっくりとこちらに振り向くラフィーリア。
腕からは大量の血が吹き出し、噛み付いたまま宙ぶらりんになったデスラッドを伝って、ポタポタと鮮血が滴っていた。
絶望的な状況……の、はずなのに……僕を見るラフィーリアの表情は痛がる様子もなく平然としていて、まるで火と水が同時に同じ場所に存在しているかのような違和感が、僕の常識を麻痺させる。
「切っていいよ」
「は、はい……?」
「大丈夫。これは一度噛みつくと他の獲物には目が向かないから……」
「も、もしかして……僕に倒させるために、わざと噛み付かせたんですか?」
「うん」
「うんって……!?」
「できれば早くして欲しい。骨が折れると、回復が遅れる」
「!?」
腕に食い込んだ牙が、ミシミシと、あるいはギリギリと何かを削るような音を立てる。
訳がわからないけど、とにかく僕が切らないとラフィーリアの腕が噛みちぎられそうだ。
ラフィーリアに当てないように、一度デスラッドに剣を近づけて軌道を確認する。
ラフィーリアの言う通り、剣を近づけてもデスラッドはこちらを見向きもしない。
僕は大きく剣を振りかぶって、デスラッドを切った。
首から下を切り落とされたデスラッドは塵となって消え、残った緑色の小さな魔石が地面に落ちた。
ラフィーリアは魔石を拾い、僕に渡たす。
「おめでとう」
「おおお、おめでとうじゃないですよ!? 大丈夫なんですか!?」
「……大丈夫……ちょっと痛いだけだから」
「泣いてるじゃないですか!? 絶対ちょっとじゃないでしょ!?」
「
ラフィーリアはベルトに装備していた細い瓶の一つを手に取ると、中に入っていた紫色の液体を飲み干した。
傷のあった場所が淡く光る。
ラフィーリアは右手を開いたり閉じたりして、感触を確かめていた。
白い肌が服の穴から見える。血は止まって、皮膚も再生している。
どうやら本当に完治したようだ。
緊張した肺が緩んで、硬い空気が口から漏れた。
「はぁ。僕に切らせるために、わざと噛み付かせるなんて……どうしてそんな危ないことをするんですか?」
「……冒険者だから?」
「……冒険者」
ラフィーリアはキョトンとした顔で言う。
今だって袖は血に染まっているのに、まるで気にもしていない。
「この程度で騒ぐのは、蚊に刺された程度で医者を呼ぶようなものだ」、ラフィーリアの反応を見ていると、そんなことを言われている気分になる。
……そうだ。これが冒険者の仕事。
獰猛な魔物と戦う。未知の領域に足を踏み入れる。
危なくて当然。痛みがあって当たり前。
ラフィーリアにとって……冒険者にとって、このくらいの怪我は日常茶飯事なんだ。
「魔物を倒した。これで君も、今日から冒険者だね」
「……いや、こんな情けない勝ち方じゃ冒険者とは言えませんよ」
「……?」
「今度は自分で倒します」
体一つで危険に立ち向かい、世界の果てに夢を見る人たち。
残酷な現実の中で、限りない自由を謳歌する人たち。
僕はきっと身分や肩書きに縛られない、そんな強い冒険者たちに憧れたんだ。
僕だけの自由を手に入れたくて。
これはもしかしたら、そんな憧れの存在に近づける最初で最後のチャンスなのかも知れない。
洞窟は今もなお薄暗い不気味な道を作っている。
僕はもっと先へと足を踏み入れなきゃいけない焦燥に駆られた。
今までになかった夢や目標が、奥の暗がりにポツリとしゃがみ込んでいるような気がして。
「……あ、でも、危ないときはフォローお願いしますね」
「まかせて」
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