第35話 夏休み終了
盆踊りも精霊流しも終わり、22日の週がはじまった。
いぜん、学校は夏季休業中で、一部の部活をのぞいて、入ることはできない。
思いがけず参加した、夏のイベントが全て終わってしまって、頭の中が空っぽになる。
投資の話は、アヤノやカリンに頻繁に連絡を取り合っているが、週末のジャクソンホールでのFRBパウエル議長の講演での発言を警戒してか、株も為替も小動きを続けている。
花子はというと、このレンジ相場で、ちゃっかり儲けているようだ。
相変わらずテレビは特番ばかりで、キラキラスパロウのスズメは、今年のテレビ界を賑わせている。
夏休みも、お盆をすぎると、そろそろ終わりのような気がしてくる。
いつもなら宿題は後回しになるはずなのに、今年は特にやることもなく、アルバイトか宿題か、と手をつけているうちに、いつの間にか終わってしまった。
ぼうっと、している間に、週末を迎えた。
「ハナちゃん、わたし、もう寝るけど、あまり夜更かししたら体に悪いよ」
「うむ。しかしまあ、お化けは夜に活動するものじゃ。わしは、パウ爺の講演結果を待ってから寝るぞ」
どうやら、ジャクソンホールでのパウエル議長の講演では、市場はタカ派、ハト派の両面から警戒されていたが、まだまだ利下げする時期ではないとする発言が飛び出している。
どちらかというと、タカ派色の強い展開となった。
「ハナちゃん、夜のパウエル議長の講演はどうだったの?」
「うむ、まあ、まだまだ金融緩和する時期ではないようじゃの。インフレも、本当に収まったのかどうかはこれからの展開次第のようじゃし、来週かのう……」
そして、26日の週……。
学校の夏期の完全閉鎖期間がすぎて、運動系の部活も、文化系の部活も出てきている。
投資部も、ここのところ相場はあまり動いてはいないが、情報交換も兼ねて集まることになった。
「イロハちゃん、盆踊りでうったところは大丈夫?」
「はい、痕も残りませんでしたし」
剣道部も練習をはじめていて、カエデやマキも休憩時間にイロハの様子を聞いてきた。
黙々とチャートを見るだけの時間が流れるが、久々に知っている顔を見ることができたのは嬉しい。
アヤノとカリンも、久々に会ったようで、ずっとおしゃべりしている。
特にカリンは、久々に塾のない日で、大いに羽を伸ばしている。
ゆっくりとした時間が流れる中、ふとアヤノが思い出したように、
「そういえばカリン先輩」
「どした?」
「わたしたち、投資の大会にエントリーして、株や為替のデモトレをしているわけですけど、対面形式でやる、制限時間のスキャルピングの方はどうなったんですか?」
「ああ、それなんだけどね……」
カリンは、ふう、とため息をつく。
「ここのところのコロナの感染拡大で、どんどん後ろに伸びているんだよ。本当は、文化系の部活が多い秋に開催予定なんだけど、まだ日程がはっきりしていないんだよね」
「秋、ですか。大会って、リアルのチャートを使うんですよね」
「うん」
「秋になると、アメリカの中間選挙も始まりますし、ボラがでますよね」
「そうなんだよね。投資を始めたばかりの学校の部員もいるから、ビギナーズラックで勝ち進んじゃう人もいそうで、なんだかなぁ、って気になるよね」
確かに、スキャルピングでの勝ち抜き戦はワクワクするが、運も勝つための要素になってしまうのは、いただけない、とイロハは思った。
「やっぱり、投資って、ギャンブルって思われちゃいそうですよね」
みんなは、はあ、とため息をついた。
「それにしても、アヤノ先輩の読みはすごいですね。ドル円、かなり利益が出てます」
先週末のジャクソンホールでのパウエルFRB議長の講演で、タカ派色が出たことから、ドル円は上昇してスタートしている。
ドル円だけではなく、ドルはほぼ全ての通貨に対して、高騰している。
「140円、今週中に超えちゃうかも……、なんて」
みんなは、アハハ、と笑った。
「でも、もしかしたら、あるかもしれないよね」
イロハは、本田さんの書店でのアルバイト以外は、投資部に通うようになった。
カリンは塾でいないことが多かったが、アヤノはほぼ毎日部室に顔を出していた。
チャートを見るだけではなく、アヤノと夏休みの宿題にも取り組んだ。
ドル円は上昇していくし、空運株も、堅調だ。
「コロナなのに、旅行関係は堅調じゃの。やはり、利権が絡むと、儲けも出るもんじゃの」
花子が、前の与党幹事長の話をしきりにしている。
やはり、どんなときにも、政治とカネは切っても切り離せられないもののようだ……。
あっという間に週末の30日だ。
今日は、投資部は勢ぞろいだ。
「よーし、宿題終わった~!」
カリンが大声をあげて万歳した。
「塾でも勉強、宿題でも勉強、家でも勉強、もう、本当に疲れたよぉ~」
カリンがアヤノとイロハに飛びつく。
花子に飛びついた時には、
「離さぬか、呪ってしまうぞ」
などと言われていた。
「なんだか、部活って、いいものですね」
「イロハちゃん、中学時代は帰宅部だったんだよね」
「はい、特にこれといって取り組もうってものがなかったんですが……。こんなに楽しいのなら、何か入っていればよかったです」
「うーん、大変なこともあるけどね」
アヤノの顔が少し曇った。
イロハは、昔聞かせてもらった、カリンとカエデの剣道部でのいざこざのことを、アヤノが思い出しているのではないかと思った。
確かに、人間関係が崩れると、大変だろう。
そんな時、バン! と投資部のドアが勢いよく開かれた。
「マキ先輩!」
「みんないるな! 体育館でまずいことになっているぞ!」
事情も何も分からないが、マキにうながされ、みんなは体育館へと向かった。
体育館は、人だかりができていた。
体育館で活動をしている部活の生徒だけではなく、屋外の運動部の生徒も多い。
それに、文化系の部活に所属している生徒、さらには、たまたま用事で学校にきていた生徒も、野次馬になっている。
「何か、言い争ってるみたいですね……」
その理由は、すぐに分かった。
体育館の中心には、スズメが立ち、その周りを運動系の部員が取り囲んでいるのだ。
スズメを取り囲んだ運動部の部員たちは、夏休みが始まる直前、突如、使用の予約を取り消され、スズメが体育館でライブを始めたことを追求している。
「あれについては、わたしの認識が甘かった。本当に申し訳ないと思っている」
「申し訳ないって、それでわたしたちの高校最後の大会が台無しになったんだぞ!」
「芸能人はいいよな! 何をしたって、特権で許されるんだろ!」
イロハは、盆踊りの会場で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で、スズメが、体育館の使用を巡っての認識が甘かったことを、きちんと謝る、と言っていたことが、今日、ここで繰り広げられていることが、すぐに分かった。
(スズメ先輩、有言実行だ。でも……)
体育館でのライブの日、スズメに文句を言うことができなかった人たちの怒りが、一気に爆発している。
(これじゃあ、集中砲火……)
大勢の人が、スズメに罵詈雑言を浴びせる。
中には、枕営業して今の地位を獲得したんだろ、などと、心無い言葉も出る。
体育会系の生徒なので、ドスの効いた声も上がる。
聞いているだけで、怖くなる。
でも、そうした声に対しても、ひたすら謝罪を繰り返すスズメは、立派だと思った。
「あの、アヤノ先輩……」
アヤノがイロハを見る。
「わたしたち、生徒会長選挙でひどいことされました。でも、わたし、スズメ先輩は悪い人じゃないと思うんです。わたし、こんなのって、嫌です……」
アヤノは、ニコリと笑って、
「そうだよね。わたしも、こんなのは、ちょっとダメだなって思うよ」
イロハとアヤノは、スズメの横にゆっくりと歩を進めた。
「あの、みなさん……」
アヤノがみんなに呼びかける。
「みなさんの怒りはもっともだと思います。でも、吉良さんだけを責めるのも、筋が違うと思うんです」
その場にいたみんなは、アヤノに注目する。
「吉良さんは、上下高校には転入してきた人です。あまり、この学校の仕組みについて精通もしていません。そんな吉良さんが生徒会長選挙に立候補して、代表として選んだのはみなさんです」
「橘さん、それって落選したことの当てつけ?」
そんな声も上がる。
「いいえ、わたしは吉良さんは、とてもよい人だし、リーダーシップもある人だと思います。この中で、盆踊りの時の事件で、吉良さんが現場を仕切っていたのを見た人もいると思います」
そういうと、みんながガヤガヤしはじめた。
「たしかに、あまり上下高校の仕組みを知らずに立候補した吉良さんも、軽率だったかもしれません。でも、人間は全てのことができるわけじゃありません。代表を、育てていくのも、有権者の指名じゃないでしょうか?」
その場にいたみんなが、顔を見回す。
「で、でも、橘さん。夏の大会の練習ができなくなりました。この怒りは、どこへやればいいんでしょう」
「それは……」
たしかに、失われた時間は、もう戻ってこない。
と、そこへ、さらにみんなの真ん中にズカズカと入ってきた人がいた。
「湊川先輩!?」
応援部の部長で、運動部連合の会長も務めるキズナだった。
「橘君、素晴らしい演説をありがとう。さあ、みんな。これが人を選ぶということの難しさだ。その時の流行りだけで人を選ぶとどうなるか、よく分かっただろ」
「ちょっと、湊川団長! それって、吉良さんを許せってことですか?」
そういった生徒を、キズナが睨む。
睨まれた生徒は、たじろいだ。
「我々は勉学に励む者たちだ。みんな、どうして勉強をしなければならないと思う?」
みんなは、顔を見合わせている。
「人はよく、勉強をすることは、自分の選択肢を広げるためだ、などと抜かす。簡単に、よい大学、よい企業に行くためだともいう。しかし、それは断じて違う!」
みんなが驚いて、キズナを見る。
「勉強は、よき選挙人になるためにするのだ! 我々は、よき選挙人にならなければならない。そのために、われわれは長い時間をかけて勉学に励んできたのではないのか? どうすれば声を上げることができるのか。誰が言うことが正しいのか」
「でも、湊川団長! もう、吉良さんを生徒会長から降ろすことなんてできないし……」
そういった生徒も、キズナは睨んだ。
「きみたちは、橘君の演説を聞いていなかったのか! 選んでしまったことは仕方がない。選んだ人間を育てることも、選挙人の役割なのだ。吉良君を、我々の代表として育てていくことも、生徒たちの義務なのだ! たしかに、この夏の大会を台無しにされてしまった者にとっては、思うところもあるだろう。しかし、それはよき選挙人になるための勉強の一つだと、わたしは考えるがね」
みんなは、黙り込んでしまった。
「みなさん、わたし、これから、きちんと上下高校のために頑張ります。許してほしいというつもりはありません。でも、上下高校をよくしていくために、力を貸してください」
そういって、スズメは頭を下げた。
もう、文句を言う人は、誰もいなかった。
「まあ、湊川団長が言うなら……」
「うん、わたしも、吉良さんが心を入れ替えてくれるんなら、力くらいは貸すよ……」
そういって、みんなは複雑そうな顔で立ち去って行った。
「橘さん、ありがとう。助かったよ」
「いいえ、吉良さん、大丈夫だった? 一人でこんなことするなんて、無茶が過ぎるよ」
「まあ、でも、きちんと謝りたかったから……イロハちゃんのおかげかな」
スズメは、ちらっとイロハを見た。
イロハは、なんだかくすぐったい気持ちになる。
そんな二人の前に、キズナが進み出た。
「二人とも、なかなかの演説だった。まだ、生徒の中には、悪い印象しか持っていない人も多いだろうが、代表になったからには、吉良君。この上下高校のために、精を出してほしい」
「はい、もちろんです」
「うん、期待している」
そう言い残して、キズナはさっそうと去っていった。
「あの、橘さん」
「うん?」
「この学校の仕組みっていっていたけど、湊川さんって、どういう立ち位置なの?」
「えーと、実は、わたしも、よく知らないんだけどね……」
「ええ、なんだよそれ」
そういって、アヤノとスズメはクスクスと笑った。
しばらく笑うと、スズメは真剣な顔になって、
「あの、橘さん、そしてイロハちゃん。生徒会長選挙の時は、ひどいことを言ったり、嫌な態度をとったりしてごめんなさい……。たしかに、教員に吹き込まれたっていうのはあるけど、自分で判断しないで、本当に、ダメなことをしてしまった……」
スズメが頭を下げた。
「あの、スズメ先輩、もう、頭は下げないでください」
「そうだよ、吉良さん、そういうのはもうなしで」
そこへ、花子がやってきた。
「まあ、トランプとバイデンが戦った時も、罵り合っておったしの。それに比べたら、かわいいものじゃよ」
そういわれると、みんな一斉に笑い出した。
しばらく笑ったところへ、今度はカリンが、
「あの、吉良さんも投資してるんだよね? よかったら、投資部にも遊びに来てよ」
「あの、えーと、いいのか?」
スズメは不安そうな顔をする。
すると今度は剣道部のカエデとマキが近づき、
「そうよ。生徒会長なんだから、いろんな部活を見て回らないとね」
「ああ、ウチら剣道部はアヤノを応援したけど、昨日の敵は今日の友だ」
スズメはニコリと笑って、
「ああ、これからよろしくたのむ」
と言った。
「よし、そうと決まれば、まずは上下高校の教員たちの意識改革を促さないとな」
みんなはびっくりしてスズメを見た。
「上下高校の闇は、理解したつもりだ」
イロハは、スズメの察知能力の高さに驚いた。
ほかのみんなも、驚きを隠せていない。
「スズメ先輩、もう、この学校の悪いところが分かったんですか」
「ああ、こういうところはよく分かる……でも」
「でも?」
「今夜の雇用統計は読めないけどな」
みんなはしばらく沈黙した。
「おい、ここは笑うところだぞ?」
「スズメよ、ギャグのセンスはあまりないようじゃの」
花子がスズメの肩に手を置いた。
すると、みんなはアハハと笑った。
夏休みは、これで終わる。
来週から、本格的な戦いがはじまるのだと、イロハは思った。
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