第27話 期日前投票と転校生

 週末、イロハは本田さんの古本屋で、古本のデータの打ち込みをする中、選挙について書かれた本にも目が止まった。


(選挙って、けっこうグレーなことしているんだな)


 選挙の豆知識が書かれているが、わざと候補者の得票率を落とすために同姓同名の人物を充てるなど、の情報が書かれていた。


(過去には、土下座してお願いしていた人もいたのかぁ)


 イロハは、選挙は、自分たちの意見を届けてくれる代表者を選ぶものだと認識していた。


 しかし、知れば知るほど、私欲のために票を集める人も多いような気がしてきた。


(選挙って、なんなんだろうなぁ)


 アルバイトをしている商店街にも、選挙カーがやってくる。


 でも、正直なところ、選挙が何だか分からなくなってきた。




 週明けの6月27日


「日経はちょっと下がってきたけど、やっぱり参議院選挙前だから、あがってきたね。2万6千円台、このままキープしてほしいよね」


 チャートを見ながらカリンが言う。


「はい。でも、どこらへんで利益確定しましょう?」


「うーん、選挙が終わる間際にいったん、利確しようか。まあ、このまま上がり続ければの話なんだけれどね」


 たしかに、まだリセッションの懸念が払拭されたわけではない。


「黒田砲もあるわけじゃしの」


 花子も、チャートとヘッドニュースのチェックに忙しそうだ。


「そういえば、カリン先輩、今回は選挙できるんですよね? 誰に入れるかとか、どの政党に入れるかって決めたんですか?」


 カリンはうーんと腕組みをした。


「まだ決めてないんだよね。新聞見たりしているんだけど、いまいちパッとしないんだよね」


「そもそも、選挙って、どうやって候補者や政党を決めたらいいんでしょうね?」


「そうなんだよね。意見が対立していると、どっちがいいのかなって決められるんだけど、みんな言っていることは同じだし、本当に政策をやってくれるのかも分からないし。金融所得課税は嫌だし……」


 イロハは、ププっと、笑ってしまった。


「そんな、自分の考え方でいいんですか? もっと日本を良くしてくれる人、とかって考えなくても」


「うーん、でも、そんな人、なかなかいなそうだからなぁ」


 イロハは、なんだかおかしくて、吹き出してしまった。


「まあ、しかし、最近は本当に国を良くしようという人がいなくなったかもしれんのぉ」


 チャートとヘッドニュースを追いかけていた花子が顔を上げて言う。


「昔は、気概をもっと人間もいたような気がするのじゃが、最近は、保身ばかり考えている者が多い気がするのぉ」


「花子は、昔から見ているから、よく知ってそうだよね」


「うむ、じゃが、今までは選挙権はなかったからの」


 たしかに、お化けの花子には選挙権はないだろう。でも、長年投資を続けてきた花子もまた、意見を持っているだろう。


「しかし、じゃ」


 イロハとカリンは花子を見た。


「今回は、はじめてわしにも参政権が与えられたのじゃ!」


「ええ!!」


 イロハとカリンは顔を見合わせる。


「ふっふっふ、それはそうじゃろ。ちゃんと住民票をとって、戸籍もいじって、こうして学校生活を送っているのじゃからの! アッハッハ!」


「えーと、ハナちゃん、それって、本当にいいの?」


「もちのろんじゃろ。わしだって、この日本で生まれた存在じゃ! ちゃんと納税もしておるからの!」


 イロハとカリンはまた顔を見合わせたが、今度は、花子と一緒に笑っていった。




 28日、日経は上昇を続ける。


 やはり、参議院選挙の効果があるのだろうか?


 アヤノのいない投資部は、なんだか、さみしい。


「人が減っちゃうって、さみしいんですね」


「そうなんだよ。イロハがいなくなった時も、さみしかったんだからね」


「ううっ、カリン先輩、それって、いじる悪してるんですか?」


「ちょっとね」


「それ、パワハラって言うんですよ」


 そんな冗談を言い合うが、長続きしない。


「そういえば、人が減ったので思い出したんだけど、こんな時期に2年生に転校生がくるらしいね」


「そうなんですか?」


「イロハ、知らなかった? なんでも、芸能人らしいんだけど」


「ええっ、芸能人が! すごいじゃないですか!」


「うん。でも、妙だよね。うちの高校、これまで芸能活動みたいなことしている人いなかったし、テレビなんかに顔出しで出るのも、結構、許可が厳しいし。カエデなんて、剣道で全国的にも有名だから、剣道の雑誌の取材がきてたけど、先生達がゴネて、怒ってたことがあったよ」


「学校の宣伝にもなるのに、変ですね」


「そうなんだよね。でも、ようやく許可をもらって雑誌の取材を受けたら、今年受験者が増えちゃって、先生達喜んじゃったんだ。そして今年は、カエデには、どんどん取材を受けろって言ってきているらしいから、手のひら返しがすごいよね」


「たしかに、募集案内に、カエデ先輩出てましたね」


 イロハは、大人の事情というのは、勝手だな、と思った。


 しかし、大人の事情は勝手どころか、とても狡猾であることを、しばらくしてイロハは思い知ることになる……。




29日になった。


 いつも通り、花子と登校すると、学校の校門前には人だかりができていた。


「なに? この人だかり?」


「うむ、尋常ではないの」


 二人は、人を押しのけて、なんとか、学校の敷地内に入った。


 すると、新聞部が、どこから持ってきたのか、ビール瓶の入っている箱を代替わりにして、一眼レフカメラを肩からぶら下げて待機している。


 その中に、イロハと花子のクラスメイトのサツキもいた。


「サツキちゃん、どうしたの?」


「あ、イロハ、花子、おはよう! 今日、2年生の転校生がくるんだよ!」


「今日だったんだ。転校生がくることは知ってたけど、なんでこんなに人がいるの?」


「なに、転校生がくることは知ってるくせに、誰がくるのかは知らないの?」


「うん……」


 サツキが、ビール瓶の箱の上で、ヤレヤレ、というジェスチャーをしたので、少しむっとした。


「で、誰なの?」


「ふふん!」


 サツキはもったいぶる。


「イロハも、いつも歌聞いてるじゃん!」


「えっ? 歌手なの?」


「うん、それも、アイドルのね!」


「わたしもいつも聞いているアイドル……!!」


 そんな時、校門の方から、黄色い悲鳴が上がる。


 サツキは、一眼レフカメラを構えて、連射している。


 連射しながらも、ダイヤルをカチャカチャいじって、「暗い! いや明るい! F値が~ シャッタースピードがあわね~」と独り言を言っている。


 イロハはカメラの捉えている方を向く。


「!!」


 イロハも、テレビでよく見ると、毎日のように音楽を聴いているアイドルだ。


「キラキラスパロウ!!」


 それは、キラキラスパロウという芸名で活動しているアイドル歌手だ。


 イロハも、大のファンだ。


 テレビで見る以上に、きれいで、かわいい。


 長い黒髪が揺れている。


 遠くからでも、いいにおいがしそうだ。


 キラキラスパロウは、軽く会釈をしながら、肩をすぼませて左手を胸の前までもってきて困ったような表情をしながらも、右手で集まった生徒に手を振っている。


「うわ! うわ! すごいすごい! すごいよハナちゃん! うちの学校に、キラキラスパローちゃんが転入してきた!」


 ふと花子を見ると、どこかムスっとした顔をしている。


「ハナちゃん、どうしたの? うちでテレビ一緒に見てるじゃん! キラキラスパロウちゃんだよ!」


「うーむ……」


 花子は腕組みをする。


「あやつ、なにか企んでおる気配がするのぅ」




 投資部でも、その話題で持ちきりだった。


「イロハ見た! キラキラスパロウがうちの学校にきたね! なんか、もう情報つかんでた子もいるし、やっぱり情報を制すものは最前列でお目にかかることができるんだね!」


「そうですよ! 投資も芸能も、情報を制する者が得をするんですよ!」


 イロハも、久々に、タナボタ的な幸せを感じていた。


「そういえばイロハ、なんか花子が微妙な顔してない?」


「そうなんです。キラキラスパロウがきてから、こうなんです」


 花子は、機嫌の悪そうな顔で、チャートの表示されたモニターに釘付けだ。


「花子、どうしたの? そりゃ、キラキラスパロウは美人だしかわいいけど……」


「あん?」


 カリンは花子に睨まれて、少したじろいだ。


「いや、花子? 嫉妬しても、到底かなわないよ」


「嫉妬なんかしとらんわ!」


「いや、そりゃ、いまやトイレの花子さんは下火で、どっちかというとアイドルの方がちやほやされるけどさ」


「だから、違うと言っておろう!」


花子は、一段とムスッとした。


「なにか、あのキラキラスパロウからは、よからん気配を感じるのじゃ」


「よからん気配?」


「うむ。お化けの感というやつじゃ」


「お化けの……」


 なんだか、お化けの感というのはよく分からない。


「本来お化けというのは、人の悪い気を敏感に察知して、そこに現れるものじゃ。あの者、何かやらかしそうじゃぞ……」




 ただ、そんな花子の予言も、30日には投資の話題で掻き消された。


「日経、落ちてきてますね……」


 日経が下落を始めている。


「うん、まだ含み損にはなっていないし、参議院選挙もあるし……」


 それに、イロハは明日からはじまる、商店街に設置されている期日前投票所の出口調査のこともきになり始めている。


(明日から、うまくできるかな……)




 7月がはじまる。


 いまだに、学校では、キラキラスパロウに廊下で遭遇した、などという話題で持ちきりだった。


「めっちゃいいにおいしたよ~」


「2年生で同じクラスになった先輩から聞いたけど、とってもいい子なんだって!」


「かわいいし、性格もいいなんて、芸能人の鏡だよね~」


 イロハも、そんな話題に加わりたかったが、それよりも、今は生活をかけた、出口調査のアルバイトのことに専念する。


(今日と、週末にやれば、ある程度は出口調査のアルバイトにも慣れるはず。そうしたら、わたしもキラキラスパローの話題に入ろうっと)


 心にそうは決めたが、その時は突然に訪れる。


 お昼休みにトイレの個室から出る。


 手を洗っていると、先ほどイロハの入っていた個室の隣から、


「どうしよ~」


 と声が聞こえる。


(なにか、困ってる人がいる?)


「う~、さいあくだ~」


(やっぱり、困っている!)


 イロハはその個室の前まで来て、声をかけようか迷っていた。


 と、そこへ、


「クソっ!」


 といって、ドン! とドアがものすごい力で叩かれた。


(えっ? 困ってるんじゃなくて、怒ってるの?)


 イロハは、静かにその場を後にしようとする。


「なんだよ、ユロル、どこまで下がるんだよ! まったくロングしたとたんに!!」


(え、ユロルって、ユーロドルのペアのことだよね? 投資?)


 ただ、そんなことを考える暇もなく、


「マジ最悪!」


と、イライラした顔で出てきた生徒がいた。


「!!!」


 見慣れた人物だ。


「キラキラスパロウちゃん!」


 キラキラスパロウは、トイレには誰もいないと思い込んでいたらしい。


 手にはスマホを持ちながら、呆然としている。


「う、あ、聞いてた?」


「えーと、わたし誰にも言わないので!!」


 イロハは逃げるようにトイレを後にした。


(うう、校舎の中で初遭遇だよ……びっくりした……投資やってるんだ……)


 しかしイロハは頭をぶんぶんと振った。


(なんか、すごい怒ってた。損してるのかな? キラキラスパロウちゃんって、怖い人なのかな……。ううん、わたしも、爆損した時は人にあたっちゃったし……)


 イロハは、親近感がわいたような、少し残念なような、複雑な気持ちになった。




 放課後、カエデに言われていた、期日前投票所までいく。


 アヤノは結局、生徒会長選挙の準備のため、アルバイトどころではなくなってしまった。


 花子は、どうやって思い込ませたのか分からないが、18歳以上の有権者でもあるので、投票所内の、訪れた人を案内をする係になっている。


(なんだか、一人は不安だな)


 期日前投票所の前までいき、商店街の担当者の人にあいさつをする。


「君が楠木さんだね。カエデちゃんから聞いているよ」


 まず、係員の服が支給された。


 さっそく、更衣室で着替える。


「あ、けっこうかわいい服なんですね」


 水色で統一されたブレザーとスカートで、普段着では着ることのないような作りになっている。


(なんだか、ガールスカウトの制服に似ているかも。かわいい!)


「うん、似合っているよ。これから上下高校生にたのむことも多くなるということで、かわいい服にしてってカエデちゃんが裁縫屋さんにたのんだんだよ」


 さっそく、アルバイトの説明を受ける。


 やることは、そこまで難しいことではない。


 投票所から出てきた人の、年齢を聞き、誰に入れたのかと、どこの政党に入れたのかを聞く。


 そして、今の政治に何を求めるのかを聞く、というものだ。


 説明を受けると、すぐに本番になった。


「じゃあ、頑張ってね」


 説明してくれた商店街の担当者の人は、忙しいようで、すぐにどこかにいってしまった。


(内容は、簡単かもしれないけど、緊張する……)


 内気な性格のイロハなのだ。心臓がドキドキ鳴っている。


 投票所の中からは、投票を終えた人が、パラパラと出てくる。


(緊張してるだけじゃ、だめだ。アルバイトなんだから、ちゃんと仕事しなきゃ!)


 イロハは意を決した。


 しかし、サングラスをしたイケイケのお兄さんには、怖くて話しかけられない。


 主婦も、忙しそうだし、話しかけられない。


 あ、高校で見たことある3年生の人!


 イロハは、名前は知らないが、同じ学校の生徒だと分かって、話を聞いていく。


「あの、出口調査に協力してください!」


「え、あ、はい、いいですよ」


 イロハを年下だとは思っていないようで、なんだかおかしい。


 相手も、高校生なので、初めての選挙で緊張しているのだろう。


「えーと、年齢はおいくつですか?」


「18歳です」


「誰にいれましたか?」


油茶苦ゆちゃく 和伊郎わいろうさん」


「どこの政党に入れましたか?」


「えーと、憲法けんぽう太極拳たいきょくけんとう


「最後に、今の政治に何を望みますか?」


「うーん、老後の心配をしなくていい政治ですかね?」


「ありがとうございました!」


 イロハは、だんだんとやる気になってきた。


(よーし、次は大人の人にも!)


「なに? 今の政治に何を求めるかって? そりゃあ、正規雇用を増やしてほしいね」


「物価高は主婦の敵ざます! 安さこそ正義ざますよ!」


「年金増額じゃ! そしてもっと若者に苦労をさせないといかんじゃろ!」


「有料テレビ放送をぶっこわ~す」


 言われているノルマ分の調査は終わった。


(ノルマを達成したら、あがっていいって言われているけど……)


 そんな時、投票所からスーツを着た男性が出てきたのが見えた。


(うん、一人オマケして、あの人で最後にして、今日はあがろう)


「あの、出口調査をしています。ご協力を」


「あん? 別にいいけど……」


「まず、年齢を教えてください」


「あん? なんでお前に年齢を教えないといけないんだよ」


「え、えーと、調査なので……」


 なんだか、様子がおかしい。


「調査だからって、なんで年齢をテメーに教えないといけないんだって聞いてんだよ」


 教えたくないという場合には、無回答で済ませてよいと言われている。


「えーと、じ、じゃあ、次の質問に」


「おい、待てよ。どうして年齢を教えねーといけねーんだよって聞いてんだよ」


「あの、それは、きちんと統計をとるために」


「個人情報、聞いてるんじゃねーよ」


 スーツの男は、上目遣いでイロハを上から下から、嘗め回すように見てくる。


 イロハは、だんだん怖くなる。


「も、申し訳ありませんでした。じ、じゃあ、候補者は誰に入れましたか?」


「お前、それ聞いてどうすんだよ。俺の政治的な思想を知って、悪用してるんじゃねーのか?」


「いえ、決してそんなことは……」


 血の気がスーッと引いていく。


だんだん、逃げ出したくなってきた。


「あの、政党はどこに……」


「だから、俺の政治的な思想を知って、悪用するのか? お前、詐欺師なのか?」


(なんなの、この人……)


 イロハは、早く終わらせようと思った。


「最後の質問です。今の政治に望んでいることは?」


「あん? 舐めてんのかテメーコラ」


 スーツを着た男は、イロハの顔に、自分の顔を近づける。


「いや、やめて」


「あん? こっちは答えてやってんだぞ。やめてはないだろ」


「あの、もういいですから……」


「なんだテメー、自分からお願いしておいて、もういいですからって、ふざけてんのか?」


 男は、イロハの腕をつかんだ。


「ちょ、やめてください。お願い、はなして!」


 イロハは、何が何だか分からなくなる。


(そうだ……大人なんて、信用できない。大人なんて、人を助けてくれない。それどころか、スキを見せたら、ひどいことをしてくるものだったんだ)


 イロハは、そんなことを考えた。


(いやだ、どうなっちゃうの、わたし……)


 じわっと涙が出てくる。


「あん? 泣いたら許してもらえるとでも思ってんのか女! 人に頼む時には礼儀があるんだぞ。誠意見せろや」


(誰か、助けて……)


 心の中で叫ぶ


「あー! いてててて!」


 急に、男の手が、イロハの腕から離れた。


 見ると、サングラスをして、帽子をかぶった女の人が、男の腕を締めあげている。


「なんなんだ、テメー」


「ちょっとあんた、その子になにしてんの?」


「あん? 俺は社会の礼儀を教えてやってただけだよ」


「礼儀? ふーん、じゃあ、あんたにも、悪い事したら、どうなるか教えてあげようか?」


「悪いこと? 俺は悪いことなんか……」


「胸ポケットと、靴のかかと」


「…………」


 急に男が静かになった。


 そこまできて、向こうから、


「ちょっと、あなた、なにやってるの!」


 商店街の担当者が遠くから走ってきた。


「この人、盗撮してました。この子のスカートの中をカメラで撮ってました」


「え、あんた、ちょっとこっちにきなさい、警察呼びます」


「おいおい、勘弁してくれよ。このアマ! 覚えてろよ」


 スーツの男は商店街の担当者に連れられていった。


「えーと、きみ、大丈夫だった?」


 サングラスと帽子をしている女の人は、イロハに手を差し出す。


「は、はい……」


 イロハは、女の人の顔を見る。


「あっ!」


「うっ!」


「キラキラスパロー」


「あーえと、正解……」


 サングラスと帽子をしていても分かる。


なにせ、イロハはキラキラスパロウの大のファンなのだ。


キラキラスパローは目を逸らした。


「学校の、トイレの人だよね?」


「あ、はい……」


 イロハは、こんな状況でも、キラキラスパロウが自分を覚えていてくれたことが、うれしかった。


「えーと、なんというか、まずは、言いたいこと、言っていい?」


「はい……」


 イロハはゴクリとつばを飲んだ。


「きみ、無防備すぎ。そんな水色の服きた女の子が立っていたら、ムラムラした男の人に盗撮されちゃうよ」


「ええ!」


 イロハは急に恥ずかしくなった。


「きみ、けっこう小柄で内気な感じだから、男の人に狙われやすいタイプかもしれないね。気を付けた方がいいよ」


 イロハは、急に怖くなった。


「えーと、それと、今回は、わたしが助けたってことになるのかな?」


「あ、はい、あの、ありがとうございました。キラキラスパローちゃん……キラキラスパローさんって、強いんですね……」


「ああ、これでも一応アイドルだからね。簡単な護身術は教えてもらってるんだ。それよりも……」


 キラキラスパロウはイロハを見つめる。


「トイレの中でのこと、内緒にしてくれる? 今日、わたしが助けたってのと引き換えに」


「は、はい、もちろんです」


 そもそも、イロハは人に話そうなどとは思っていなかった。


「よかった。アイドルがトイレの壁叩いてたなんて言われたから、困っちゃうからね。それに、投資なんてギャンブルみたいなことしてるって思われたら、印象悪いし」


「やっぱり、ユーロドルやってたんですね!」


「うん、きみ、わかるの?」


「えーと、まだデモトレですけど」


「うわ、うれしいな。今度、学校でも話そうよ」


「は、はい!」


 イロハは、キラキラスパロウに、学校で話そう、などという提案を受けて、さっきの怖い思いなど忘れて、天にも昇る気持ちだった。


「えーと、ところで、キラキラスパロウさんは、何しにここに? 投票所から出てきたみたいに見えましたけど」


「えーと、まず、名前、芸名じゃなくて、本名でいいよ」


「本名?」


「うん、非公開なんだけど、わたし、吉良きらスズメっていいます」


吉良きらスズメ、先輩。だから、キラキラスパロウ!」


「うん。スズメ、でいいからね。それで、わたし、これから放課後と土日は仕事で忙しいから、期日前投票にきたんだ」


「え、でも、スズメ先輩って、2年生ですよね?」


「これも非公開なんだけど、18歳なんだ。芸能活動が忙しくて、一年留年してるの」


「えー!」


 イロハは驚いて声を上げてしまった。


「一年留年はきついよねー。でもさ、上下高校から、ちょっとした学校の宣伝してくれたら、飛び級での卒業を認めてくれるって提案があったんだよ。留年分を取り戻せるってわけ」


「学校の宣伝」


「うん。それと、ちょっと悪い生徒がいるみたいで、その生徒にお灸をすえてとも言われていてね」


「悪い生徒……」


 イロハは、いったい何のことだと頭をひねった。


「うん、まあ、そのうち、きみにも分かるよ。ところで、きみは、えーと」


 イロハは、今考えていたことはすぐに忘れた。


「あ、わたし、楠木イロハです。1年生ですけど……」


「そっか、イロハちゃん1年生か! じゃあ、わたしと同じ上下じょうげ高校1年目だね。これからもよろしくね」


「は、はい!」


「じゃあ、今のことは全部内緒だからね。わたし、仕事あるから、また学校で! それと、今日のことは怖かったと思うけど、気にしないでね。むしろ、自分のかわいさが認められたって思って、自信持っちゃえ!」


「は、はい! そうします!」


「じゃあね!」


 嵐のように過ぎていった。


 イロハは、しばらくぼーっとしていた。


「楠木さん!」


 突然。商店街の担当者に呼びかけられて我に返った。


「大丈夫? 怖かったでしょ?」


「え、あ、はい」


 怖いというのはうそだった。


 スズメと顔見知りになれたことで、気持ちがどこかへ飛んでいってしまっていたのだ。


「えーと、警察が事情を聴きたいということだから、交番まできてくれるかな」


「は、はい……」


 イロハは交番に向かった。


 警察から、スーツの男に詰め寄られたことについて詳しく聞かれた。


 しかし、その最中も、スズメのことが頭から離れなかった。


(スズメ先輩、投資してるんだ……。ちょっと熱くなっちゃうところも、親近感持てるなぁ。そして、助けてくれたし、いい人なんだなぁ)


 警察の話に集中するのに、苦労した。


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