第12話 有益情報!
土曜日になると、落ち着かない。
「木曜日までに、あと1万円稼がないと……」
来週、月曜日から木曜日の間、すなわち今年度が終了するまでに、デモトレードで1万円稼がなければ、進級できずに留年となってしまう。
金曜日の夜こそ、その日出た利益3万円で、120万円まで残り1万円とした安心感からゆっくりと眠りに落ちることができた。
ただ、土曜日に目覚めると、急に不安が襲ってきた。
「1万円って、相当な額!」
居ても立っても居られない。
「投資の本でも……」
カリンから借りている、投資の本を読み漁って気分を紛らわせようとする。
ウクライナ情勢のニュースもチェックする。
「停戦協議、再開しないなぁ」
チャートをチェックすると、極度の円安だ。
「円、このままじゃ紙くずになっちゃうよ……」
週明けの戦略を考えようにも、極度の円安に傾いている以上、どうしてよいか分からない。
不安ばかりがわいてくる。
こんな気持ちを紛らわせるなんて、無理だ。
そんな時、スマホが鳴った。カリンからの着信だった。
「カリン先輩?」
「アヤノ、気分はどう?」
さすが、カリンだ。
おとぼけキャラを演じることも多いが、人のことをよく考えている。
アヤノが落ち込んでいると思って、電話をかけてきてくれたのだろう。
「あまり、よくないです」
「そっかぁ。ねえ、今からウチこない?」
「行きます!」
即決した。
むしろ、朝から気持ちが沈んでいて、カリンから何か誘ってくれないかな、と思っていたところだったのだ。
商店街のカリンの家へ行く。
今では、コーヒー屋の入り口ではなく、裏の勝手口から入る。
「いらっしゃい」
カリンが、ニコリとしながら玄関にきた。
今日は、これから行くところがあるんだ。
「え、カリン先輩の部屋じゃなくて、ですか?」
「うん。とっても有益な情報を仕入れられるよ~」
「有益?」
カリンに連れられるまま、商店街を歩いた。
商店街にきても、カリンの家に行くくらいなので、まだあまりどのような店があるのかを知らない。
商店街は古めかしく、昔ながらの店も多いし、店の看板こそ掲げてはいるが、もう営業はせずに民家になっている場所もあった。
「今は、大手の資本が入ってきてるんだよね」
新しいドラッグストアのチェーン店の前を通りかかった時、カリンが言った。
「薬局や、個人のスーパーは、ドラッグストアやコンビニに射抜かれちゃうんだよ。うちも、いつまであるかなぁ」
「ええ、カリン先輩の家も、苦しいんですか?」
「いまのところは大丈夫だよ。老舗だから、常連さんも多いからね。でも、一応飲食店じゃん? このコロナ禍で人はこなくなってるから、収入は落ちているよ」
カリンは、自分の家の財務状況をよく把握しているようだった。
青色確定申告も、カリンが手伝っていたことを思い出した。
「奨学金、ほしかったですよね」
デモトレードで、大きく勝つことができれば、奨学金の話もあった。
「欲張ったら、だめってこと、よくわかったよね」
カリンが、下をペロっと出した。
「ついた!」
カリンの家からは、だいぶ遠い場所に、店があった。
「旅行店?」
そこは、旅行の商品を扱う会社だった。
店先には、北海道や沖縄の旅行を案内するチラシが置いてある。
「あ、あの、カリン先輩。休みの間に旅行でも行くんですか? いまそんな余裕は」
「まあ、とにかく中に入ってよ」
カリンに手を引かれて、店に入る。
店内は、個人で経営している旅行店らしく、こじんまりとしていた。
若い夫婦が、店の店主と旅行の相談をしている。
「カリン先輩、先客がいるようですよ」
「あはは、旅行の相談にきたんじゃないよ」
「え? どういうことですか?」
店の奥から、
「いらっしゃい!」
と、威勢のよい声が聞こえてきた。
「あ、マキ先輩!」
そこには、先日カリンと和解したばかりのマキの姿があった。
「まあ、中に入ってくれよ」
マキに導かれるままに、店の奥に入っていった。
マキの部屋は、剣道一色だ。
使い古された竹刀が大量に置かれているし、防具も置いてある。
面の防具は、特に場所をとっている。
「アヤノ、その後調子はどうだ?」
マキに唐突に聞かれてしまった。
「えーと、あと1万円です」
「木曜日までにか。なかなか大変だよな」
そういって、マキは部屋のパソコンをいじる。
「あの、カリン先輩、どういうことですか?」
カリンは、ふふん、と笑って、
「マキはこの旅行代理店の一人娘なんだよ。旅行の業務も叩き込まれていて、実は、為替に強いんだよ」
「ええっ!!」
こんな、体育会系の女子が、為替に強いとは驚きだ。
「おい、アヤノ、いま、こんながさつなやつが、為替なんてって思ったんじゃないか?」
ギクリとして、目を逸らす。
「まあ、うちも、誰に言っても理解されないから、特に話してなかったんだけどさ。カリンが投資部に入ったって知っても、言葉を交わしてなかったし」
マキは、少し申し訳そうな顔をして言った。
「まったくだよ」
カリンがずけずけという。
「こんなに詳しいって、ぜんぜん知らなかったもんね。もっと早くアドバイスとかくれたらよかったのに」
「うちだって、つらかったんだからな。カリンと話せないのは」
マキが、照れたように言って、すぐにパソコンの画面に目を落とす。
パソコンには、いつも見慣れている為替のチャートが表示される。
「うちの旅行代理店、海外旅行も扱っているんだ。だから、為替の知識がないと、お客さんに説明とかできないからさ。どこの国の治安が悪いか、情勢が危険かってことも、情報仕入れないといけないんだぜ」
マキが、パチパチっと画面を表示させる。
「マキ、どう? 来週は?」
「うーん」
と、マキはうなった。
「正直、わかんねーな。とりあえず、円安は続くと思うけど、そろそろ一時的には調整がくると思うし」
画面は、多くの通貨で円安に傾いていることを示している。
「ただ……」
マキが続ける。
「ちょっと過剰に動きすぎていると思う。ボリンジャーバンドっていう指標は知ってるよな?」
「は、はい」
マキがテクニカル指標の名前をスラスラ言うので、相当に為替に詳しいことが分かる。
「これは、トレンドがどちらに向かっているのかを示してくれるし、逆に、過熱しすぎて、逆張りの合図になる場合がある」
マキは画面にドル円の日足を表示させた。
「明らかに、円が売り込まれすぎだな」
日足の陽線は、ボリンジャーバンドの一番上の線をはるかに飛び出ている。
「この一番上のせんは、3σっていうんだけど、ここをかなりの勢いで上に抜けている。こういう時は、逆張りでもいいと思うんだよ」
マキは腕組をしながら言う。
「そして」
今度は、売買比率と書かれた指標を表示する。
「これは、いまロングポジションとショートポジションがどれだけ入っているかを示している指標だ。知っているか?」
きょとんとしてしまう。
「見たことはあるんですけど……」
「そうか。ドル円を見てみろ」
マキはドル円を表示する。
パーセントで、ドルの買いポジションと売りポジションを持っている人の割合が表示される。
「買いの人が、多いですね」
「だろ」
「ということは、まだ買いたい人がたくさんいるんですね」
「そういうことだ」
「じゃあ、このまま、ドルは買いなんですね」
「いや、ちょっと違うな」
マキは、今度は、価格分布と書かれた指標を表示させる。
ドル円の価格ごとにポジションがどれだけ取られているのかを示している指標が表示された。
「いま、買いポジションを、価格の高いところで持っている人が多いだろ」
「はい、どんどん、買われているってことですね」
「そうだ。そして、下の方を見てみろ」
「売りポジションは、ほとんど入ってないですね」
「どうして売りポジションが少なくなったか分かるか?」
「えーと」
少し考える。
「もしかして、売りで捕まっていた人が、耐えられなくて損切したということでしょうか」
「そうだ」
マキはニコッと笑った。
「これで注目しないといけないのは、どの価格帯に、どれだけの人がポジションをもって、つかまってしまっているかっていうことだ」
「つかまっている?」
「ストップロスを巻き込んで、相場が上昇したり下降したりすることは知っているよな」
「は、はい」
「当然、その方がボラが出て、大口は効率よく稼ぐことができる。となると、捕まっている人が多い価格帯を攻撃することになる」
「ええっ、そうなんですか」
「おい、アヤノ、それは基本だぜ。相場は甘くないんだからな」
「うう、勉強不足でした」
「だから、これは、ポジションが多くなっている価格帯を見つけるだけじゃなくって、為替が反転して、捕まってしまっている人が多くなっている価格帯を見つけることもできるんだ」
「ということは……」
ドル円の価格分布を見る。
「いま、買いポジションが、かなり上にたまっていますよね。もし、為替が少しでも反転すれば、この人たちが捕まってしまうことになりますね」
「おお、いいじゃん。じゃあ、次の作戦はどうする?」
「この人たちを刈って、ドル売り、円買いを進める、ですか?」
「すげーよ、アヤノ!」
マキにほめられたので、嬉しくなった。
「とりあえず、今はどんどん上昇している相場だけど、いったん崩れたら、かなりドルは下落すると思うんだ。下落がはじまったところを狙ってみると、いいと思うぜ」
「ありがとうございます!」
マキから、とても貴重な情報を得られたと思った。
「うーん、でもさ」
カリンが口をはさむ。
「その下落のタイミングが、来週くるのかな?」
たしかにそうだ。下落を狙うタイミングは分かった。
しかし、それが3月最終週にくるとは限らない。
「そこなんだよな。木曜日までに残り1万円だろ?」
三人は、ため息をついた。
「正直、今週中に調整の下落がくるかどうかは分からない。長期的に見れば、下落だとは思うんだけどな。悪いな、アヤノ」
マキは謝った。
「い、いえ、とても有益な情報でした。ありがとうございます!」
相場がいつ動き出すかは誰にも分からない。それは、仕方のないことだ。もしわかれば、ほとんどの人が儲けることができるだろう。
ただ、今回の情報は有益だ。
「こういう、取れるときに、しっかりと取るのが相場なんだ」
自分はまだまだ勉強不足だったことに気づくとともに、相場のなんたるかが、少しだけ分かった気がした。
マキの家を出て、カリンの家の方へ引き返す。
「アヤノ、かえって不安にさせちゃった?」
カリンが聞く。
「いいえ、とても有益な情報でした。むやみやたらにポジション取るより、しっかりと考えないといけないんですね」
「だよね。でも、マキがあんなに詳しいなんてね」
「ちょっと、面白いですね」
クスっと笑ってしまった。
「アヤノ、少し、元気になったみたいだね」
「うーんと、そうですね。でも、神頼みしたくなるっていうくらい不安なのは変わりないですけど」
「ふっふっふ!」
カリンは、アヤノの言葉を聞いて、笑った。
「実は、これからアヤノをゲン担ぎにご招待しようと思っていたんだ」
カリンが連れてきたのは、お蕎麦屋だった。
古めかしい外観で、一人できたとしたら、まず入らないだろう。
「お昼だし、食べていこう」
「は、はい」
このような古めかしいお蕎麦屋に女子高生二人組というのも、おかしな組み合わせだが、カリンにうながされるまま中に入った。
「いらっしゃいませ! って、カリン? アヤノちゃんもいらっしゃい」
声をかけてきたのは、カエデだった。頭に三角巾をつけて、テーブルを拭いている。
「ここ、もしかして、カエデ先輩のお宅ですか?」
「そうよ。狭いけど、座って」
カエデに席に案内され、水を出してもらう。
「注文、決まってる?」
「わたしは、てんぷらそば! 久しぶりだなぁ。カエデの家のおそば。あ、エビは一本追加してくれる?」
「おごりじゃないからね」
「うう、分かったよ」
二人の会話はスムーズだ。
「中学卒業してから、ぜんぜん来てなかったんだよ。楽しみだよ」
ニコリとしながら、カリンが言う。
「じゃあ、アヤノちゃんは? アヤノちゃんにだったら、トッピングのサービスしてあげるわよ」
「ちょっとカエデ、ずるいだろ~」
「何言ってるのよ。さんざん迷惑かけたんだからね。本来だったら、カリンが、わたしが奢るって言わないといけないのよ」
「なんだよ、それ~」
二人の会話を聞いていると、おかしくて笑ってしまった。
そして、前にカリンのコーヒー店で、カエデが「サービス」と言って意味が、ようやく分かった。
「アヤノ、ゲン担ぎだよ。ここのトンカツそばも、すごくおいしいんだよ」
「トンカツそば、ですか」
「うん。来週に向けて、ベタだけど、ゲン担ぎってことで」
「はい、じゃあ、それで!」
カリンに言われるままに、トンカツそばを注文した。
「分かったわ。でも、サービスって言っても、とんかつそばにトッピングって、何かしらね……」
カエデは、どうしてもアヤノにサービスしたいようだ。
「カリンばかりエビ天はずるいから、アヤノちゃんのおそばにも、エビ載せておくわね」
「ええ、トンカツそばに、エビですか?」
「おいしいから、いいじゃない」
そう言ってカエデは厨房に入っていった。
「なんか、おもしろい料理になっちゃうね」
「でも、楽しみです」
すぐにカエデがおそばを持ってきた。
アヤノのおそばには、トンカツのうえに、さらにエビの天ぷらが載せてある。
「面白いビジュアル!」
「これ、映えってやつかしら。新メニューにしたら、流行るかしらね」
「やめておけよ~。変だよ~」
「失礼ね」
二人の会話をよそに、おそばをすする。
エビの天ぷらも、カツも、おそばの汁を吸って、よい味になっている。
今日は、ゲン担ぎよりも、カリンと、その周りの人たちが仲直りできたのを見ることができて、とてもよかったと思った。
来週は、きっとうまくいく。根拠はないが、きっとそうだ。
エビの天ぷらつきのトンカツそばを食べながら、不安が薄れていくのを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます