デモトレ投資部!
おとさらおろち
第1章 第1話 おそるべきデモトレード
ジェットコースターの夢だ。マシーンがドンドン坂を登っていく。いい気分だ。わくわくする。
頂上まできた。遠くまで、よく見える。まるで鳥になったようだ。
レールはここから谷のように落ち込んでいる。
怖い・・・
さっきまで、あんなにワクワクしたのに。
急加速して落ちていく!! 怖い!
スマホのアラームがけたたましく鳴って目が覚める。
変な夢を見た、と思った。
起き上がった目の前には、高校の制服がきれいにハンガーにかけてある。
「あれ、今日は土曜日だよね」
今日の日付を思い出す。
寝ぼけていたので、気づくまで時間がかかったが、目覚ましのアラームの音ではない。
着信だ。
「おはギャー!」
スマホの通話ボタンを押したとたんに、悲鳴が聞こえてくる。
「なに、カリン先輩?」
声から、すぐに2年生のカリンだと分かった。
「アヤノ~、暴落した~」
スピーカーモードにして、スマホの時計を見る。まだ6時だ。
「いったい、何時だと思っているんですか」
携帯の時計には、2月12日土曜日、の日付もついている。
カリンは、「デモトレード」と書いてあるアプリを開いた。
アプリが起動すると、長く下に伸びる青い線が並んでいる。
「アヤノ~」
まだスマホの向こう側でカリンが叫んでいる。
「プーチンが~! プーチン大統領が~、ウクライナに侵攻するって決めっちゃったよ~」
「ニュース」と書いている部分をタップした。いくつも、ニュースの項目が並んでいる。見出しだけからも、プーチン大統領がウクライナに侵攻することを決めたことが分かった。
「もしかしてカリン先輩、ポジション調整してなかったんですか?」
「だってー、だってー、冬季オリンピック中だよ? 戦争なんてないと思って、ロングポジションとっちゃったよ~」
スマホの向こうで、悔しがっている声を聞いて、はあ、とためいきをついた。
「私は土日用事があるんです。また月曜日に部活で」
「えー、薄情者~はなしを聞いてよ~」
スマホの向こう側の声などおかまいなしに電話をきった。
「まったく、夜中に暴落すると、いつもこれなんだから」
また布団にくるまった。
2月21日月曜日の放課後、アヤノは部活棟の奥までやってきた。部室に入る。
「おっす! アヤノ!」
そこには、土曜日の早朝にアヤノの安眠を妨害した張本人のカリンが、すでにパソコンの電源を開いて待っていた。いや、良いようにいえば、ジェットコースターから落ちる夢から解き放ってくれた、ともいえるのだが。
カリンはなんだか活き活きしている。
「カリン先輩、もう休みの日の朝早くに電話かけてくるのはやめてくださいね」
ほどけてきた髪のゴムを一度外し、もう一度後ろで結びなおしながら、ぶっきらぼうに言う。
「ごめんごめん。あの時は気が気じゃなくてさ」
カリンが、ショートカットの自分の頭を、こぶしでこつんと叩いた。
「ほんとう、月曜は窓開けでもうだめだ~って、土日は休んだ気がしなかったよ。でも……」
カリンはパソコン画面を指さしている。
イスにすわって、指さされたパソコンの画面をのぞき込む。
赤い線が、上を向いていくつも並んでいる。
「ロシアのウクライナ侵攻のニュース、デマだったみたいでさ、今日は爆上げ。含み損が簡単に消えちゃったよ」
「それはよかったですね」
はあ、ため息をついた。
思えば、入学してすぐの頃のことだ。
翌2022年度から金融教育、投資の勉強が必修化されることにともなって、ここ上下じょうげ高校では、投資部を作ることになった。出世を狙う校長先生や何人かの先生が、偉い人と勝手に話をつけてきたらしい。
当然生徒は投資に興味がなかった。それどころか、保護者やほかの先生たちからも、投資はギャンブルだ、と猛反発があったらしい。
それでも、一度偉い人と約束してしまったことを反故にすれば、出世を狙う人は、人生を棒にふることになる。
出世を考える人は狡猾だ。保護者からの反発も怖れ、秘密裏に投資部に所属させる生徒を選抜した。
そこで、白羽の矢が立ったのが、アヤノとカリンだった。
二人の境遇は似ていた。
アヤノは、高校の入学式の日に、アクセルとブレーキを踏み間違えた高齢ドライバーの車に突撃された。体が宙に浮かんで飛んでいくのは覚えている。どこかの壁にぶつかったのは分かったが、それきり意識は遠のいた。
目覚めたのは、2週間ほどしてからだった。幸い、人の目にふれるところに外傷は残らずにすんだが、いくらか骨折があった。手術やリハビリで、多くの時間を病院で過ごさなくてはならなくなった。
カリンは、4月に新型コロナウイルスに感染してしまった。デルタ株で、基礎疾患は特になかったにもかかわらず、肺炎にまで発展し、体外式膜型人工肺、いわゆるECMOにつながれ、死の淵をさまよった。後遺症もあったため、退院までかなりの時間を要することになった。
退院したアヤノとカリンは、保護者とともに校長室に呼ばれた。
校長先生は、このままでは出席日数が足りなくなり、残念ながら留年だと告げた。呼び出された面々は、とても残念がった。そこにつけこまれた。
実は、
要するに、投資部に入れば、留年は免れる、ということだ。
さらに、もし大きく利益を上げることができれば、奨学金まで支給してくれるというのだ。
アヤノもカリンも、そして保護者も、渡りに船だと、この話にとびついた。
ただ、この話には条件がつけられていた。
100万円を最初の保有金額と想定してデモトレードをはじめ、年度末、つまり3月末日までに20パーセントの利益を稼ぐというものだ。
校長室に呼ばれた面々は、投資で20パーセントの利益を出すということがどういうことかを理解しておらず、簡単に了解してしまった。
しかし、調べてみると、20パーセントの利益が、どれだけ難しいことか分かり、愕然とした。
年利20パーセントは、投資の神様と呼ばれるウォーレン・バフェットが、一年間に稼ぐ利益だと知ったからだ。
出世のことしか考えていない校長先生はじめ諸先生方は、アヤノとカリンが留年しようが進級しようが関係ないのだ。あわよくば、投資の神様と呼ばれるウォーレン・バフェットと同じくらいの成果を出せば、より箔がつくと考えたのだろう。
もし、アヤノとカリンが20パーセントの利益を達成できなくても、高校として部活をしっかり指導しました、などとごまかしておけばよい。校長先生や他の先生たちには、まったくのノーリスクだ。
しかし、実際にデモトレードをやる方としては、たまったものではなかった。
デモトレードのアプリの入ったスマホと、連日格闘するハメになったのだ。
「株はなんとなくわかるけど、FX? CFD? 株価指数って売買できるの? 商品先物って??」
投資用語がまず分からない。必死に調べていくだけで、頭がくらくらした。
ただ、不運な二人には幸運もあった。
まだ投資の仕組みを知らなかった二人は、「ドル円」の通貨に目をつけた。正しくは、それしか分からなかったのだ。
加えて、素人の二人は、「売り」から入ることができることも理解していなかった。そのため、ドル円の「買い」、すなわち、ひたすらドルを買って円を売る、という投資方法になったのだ。
コロナショックから世界が立ち上がってきた上昇相場。そして、リスクオフになったところでも、リスク通貨として機能するドルに支えられ、一気に年利100パーセント、倍の200万円まで増やすことができたのだ。
「ほんとうに、年末はどうなるかとおもったよねー」
カリンが思い出したように言った。
「今回の相場なんて、まだまだ甘いくらいだよ」
素人が勝ち続けられるほど、相場は甘くなかった。
2021年、日本では菅総理大臣が、次の総裁選挙には出ないと宣言し、9月の総裁選挙で岸田新総理大臣が誕生した。
投資に慣れてきたアヤノとカリンは、新しい総理大臣が誕生するご祝儀相場に乗ろうと、CFDで日経平均株価を大量に購入した。
しかし、なんと岸田総理大臣は、金融所得に課税する政策を発案し、日経平均株価は大暴落したのだ。
これには、青ざめた。泣きそうになった。いや、本当に泣いていたかもしれない。
ただ、この時も、「大暴落」に助けられた。
まだ投資をよく理解していなかった二人は、これまでの大勝ちに気をよくして、日経平均をハイレバレッジで買っていたのだ。
大暴落で一気にロスカットされたことで、大きな損害を被らずにすんだのだ。
このことが原因で、知り合ったばかりの二人に、連帯意識が一気に芽生えた。
ただの、先輩後輩の関係ではなく、むしろ戦友のような関係だ。
「カリン先輩、ぜったいに120万円以下にしたらダメですよ。そしたら、来年は私と同級生ですからね」
「分かってるよ。アヤノも、気をつけないとだめだよ」
「もう120万円は確保してるんですから、3月末までは投資はしませんよ。これがリスク管理です」
しかし、24日の木曜日……
「アヤノ~! たすけてー!!」
部室でカリンがアヤノに飛びついてくる。
チャートを見て、驚いた。
いったん軍事演習を終えてロシアが軍隊をウクライナから引き揚げたというニュースが流れていたが、一転、ウクライナとロシアが武力衝突した、というニュースが流れたのだ。
いったんは、そのニュースは問題ないことだ、という観測も流れて相場は元に戻ったが、再び、発砲があったことは事実で、ロシアがウクライナに侵攻するのは時間の問題だ、というニュースが流されたのだ。
めまぐるしい流言飛語に、二人は動揺した。
まさに、ジェットコースターのように、チャートが短時間に上下に動いた。
「アヤノ~! 120万円、120万円台に入っちゃったよ~」
「カ、カリン先輩、ロングポジションなんて持ってたんですか! 損切です。全部損切してください!」
「でも、ここが底かもしれないし~」
「ダメです、進級したくないんですか!」
「奨学金が~、わたしの奨学金が~」
カリンの握っているマウスをひったくり、一気に決済注文をする。
「ぎ、ぎりぎり、120万円・・・」
保有している資金は、120万円と数千円だった。
「アヤノ~、ありがと~」
カリンが抱きついてくる。
ヤレヤレ、という顔でカリンの頭をなでてあげる。
「今週はもう、いじっちゃだめですよ。明日は部活はお休みにします! そして、スマホのアプリも、ぜったいに起動しないでくださいね!」
「わ、わかったよ~」
カリンは手を震わせていた。
25日は、東京時間こそ相場は戻したが、その後は上下に大きく揺れる相場となった。
「これは、入れないな」
家のリビングに寝転がり、スマホでチャートを見つめる。
「でも、さすがに戦争はないと思うし……」
チャートはかなり下げてきている。
「ここでロングすれば、もしかして、勝てるんじゃ……」
FXの画面を見つめる。
最近の中では、かなり下がっている。
「ユーロが、かなり下がってる……」
ユーロ円、と書かれた項目を表示する。1時間足、4時間足、日足と順番に見る。
下に伸びる青色のローソク足が目立つ。
「数量(Lot)」と書いてあるところをタップする。数字を10と入力する。
「わたし、なにやってるの!?」
ふと、われに返り、画面をとじた。
「ここで入ったら、全て台無しだよ。進級できなくなったら、どうする気?」
スマホの電源を切る。
「今日は、もう、いじらない……」
真っ黒なスマホの画面は、アヤノの姿をあやしく反射していた。
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