ノイ一族とミュラー伯爵家・3

 翌日。学園が終わった後ヴァイスはイリスを連れてミュラー伯爵家へ戻ったのだが、彼女はあっという間に文字通り侍女達に拉致られて部屋へ連れて行かれた。

 本番は明日だと言うのに今からあのはりきりようにイリスが疲弊しないだろうか些か心配になったヴァイスが、無理をさせないようにと侍女長に言葉を放つと、少々呆れ顔をされながらも了承された。

 イリスだけではなくミュラー伯爵夫人もかなり気合を入れて準備をしているようで、屋敷内はバタバタと……否、どちらかと言うとふわふわと浮かれた雰囲気である。忙しく見えながらも皆どこか楽しそうに見えたのだ。


「失礼します」


 そう言いながらヴァイスの私室に入ってきたのは先程話をした侍女長で、彼女の後ろには何やら大きな家具を抱えた使用人が二人立っていた。

 イリスの部屋への追加分であろうかとヴァイスが首を傾げると、彼女は礼をした後に使用人に指示を出した。

 運び込まれた家具が夫婦の寝室へとつながる扉を物理的に塞ぐ。驚いたヴァイスが侍女長の顔を見ると、彼女はにこやかに口を開いた。


「事故防止でございます」

「まじかよ。つーか、無理強いはしねぇって」

「ええ。坊ちゃまの辛抱強さは存じておりますが、何事もうっかりということはありますので。事故が起こらぬよう事前対策を施す必要もあるかと」

「……俺の風呂どうすんだよ」

「一番近い客間に準備させていただいております」


 要するにイリスと風呂が共用となるために、うっかり鉢合わせないようにという配慮なのだろう事はヴァイスにでもわかった。

 しかしながら物理的に扉を封鎖されるとは思わず、誰がこんな事を思いついたのかと思わず遠い目をしてしまう。

 そしてこの物理的封鎖はいつ解除されるのか。婚姻するまでこのままなのかと些か不安になったのだが、ニコリと侍女長は微笑んだ。


「今回の夜会が終了しましたら撤去させていただきます」

「……頼む。不便っちゃ不便だからな」

「はい。今回は夜会準備をイリスお嬢様がリラックスして受けられるように配慮させて頂きました」

「まぁ……急に色々変わったからな」


 勝手知ったるミュラー伯爵家とはいえ、いきなり若奥様の部屋とやらに放り込まれて慣れない部分も多いだろう。流石に今まで通りともいかない。それはイリスだけではなくヴァイス自身もであった。

 ふと湧き上がる不安があった。

 目が覚めたらまたあの円環なのではないか。

 都合のいい夢なのではないか。

 指先が冷えてゆく感覚に小さくヴァイスは首を振ると仕事を終えた使用人と侍女長を見送った。

 何度か手を握っては開くという単純動作を行った後にヴァイスは小さく息を吐き出す。

 不意にまた扉をノックされたので、驚いてヴァイスは顔を上げた。まだ何かあるのだろうかと思いながら入室を促すと、今度は家令が客を伴って部屋に入ってくる。

 その客の顔を眺めてヴァイスが驚いたのは、てっきり領地にいるのだと思っていたからだ。


「フォイアー。来てたのか」

「婚約おめでとう!ヴァイス!」


 ひょろりと背の高い優男はノイ伯爵家嫡男フォイアーであった。イリスにくっついているロートスと違って、次期当主と言うこともあり基本先代当主と一緒に領地にいることが多い。

 先日久々に海竜狩り等に同行したのだが、それもとんぼ返りであった。


「……祝ってくれんのか」

「そりゃ祝うよ?うちの領地お祭り騒ぎだよ?」

「何でだよ」


 第二王子との婚約が決まった時はそんなに盛り上がらなかったのをうっすら覚えているヴァイスが不思議そうな顔をすると、フォイアーは瞳を細めた。


「ノイ一族が伴侶を手に入れたんだからそりゃ盛り上がるよ。っていうか!!神殿での婚約式に呼ばれなかったって爺さん拗ねて大変だったんだけど!!」

「急で悪かった。……全部俺の都合だ。落ち着いたら先代に謝りに行く」

「いいよいいよ。どうせ明日の夜会で会うだろうし」

「先代も来てんのか?」

「来たよ。っていうか、爺さんに担がれて私王都まで来たんだけど。自分が作った魔具ながらちょっと制御周り雑だったの反省してる。二人で飛んだらバランス死ぬ程悪い。爺さんでなきゃ墜落コースだったね!」


 そう返事をしながら遠慮なくフォイアーは部屋の応接用ソファーに座る。すると後ろに控えていた侍女が二人分のお茶を淹れて家令と一緒に退出して行った。

 それをひらひらと手を振って見送ったフォイアーは早速淹れられた茶に口をつける。


「後で爺さんが改造するって言ってた。燃費はどうしようもないけど、制御周りはもっと楽にできるって。父さんが天才だから魔具に関しては爺さん地味だけど、やっぱりあの人もノイ一族だよねぇ」

「寧ろあの人は魔術師としての方が名前通ってんだろ」

「五属性とか意味わからないよね。しかも制御抜群に上手いし。っていうか、面倒臭いから五属性って魔術師協会に申請してるけど、本当はもっと扱えるって知ってた?」

「しれっと機密事項喋んな。協会に知られたら面倒事増えんだろ」

「書類五枚で嫌になっちゃったんだって」

「……完全にノイ一族だな。五枚書けただけ優秀な部類だろ寧ろ」


 魔術師協会と言うのは、この国だけではなく大陸全土に影響力を持つ集団である。国で登録するのとは別に、魔術師協会にも魔法が使える人間は登録を義務付けられている。

 本部は遥か遠くの島であるのだが、ミュラー商会は一つだけ魔具をそこに納めているので取引があった。

 魔封魔具。

 危険と判断された魔術師に対してつけられるものである。

 この魔具が開発されるまでは、魔術師の肌に刻印を彫り魔力を溜められないようにして無理矢理封じていたのだが、初代ノイ伯爵が魔封魔具を開発したので以降魔術師協会はこちらを採用した。

 ミュラー商会ができるまではノイ伯爵家が直接取引をしていたのだが、色々と売買手続きが面倒臭いと、ミュラー商会ができた時にフレムデ・ノイがいつも通り丸投げしてきたのだ。


「うん。そんな爺さんと私から君への婚約祝い。頑張って書類書いたんだよー」


 満面の笑みを浮かべて差し出されたのは、改良型魔封魔具の利権書。

 それを見たヴァイスは思わず立ち上がる。


「仕様書作ったのか!」

「父さんの作った例の聖女候補用の魔具から余分な機能を取り除いてシンプルな形に落とし込んだ。まぁ、そこは爺さんの仕事だけど。これがあれば条件付きではあるけど、一部の魔法だけを封じることができる」

「……魅了魔法以外も封じれんのか」

「あ、逆かな。一部魔法だけ通せる感じ?聖女候補なら治癒魔法だけ通す仕様にしたけど、爺さんみたいに多重属性なら火だけ使えるようにするみたいな。よっぽど特殊な魔法以外は触媒変えたら通す仕様にできる。魔術師協会こういうの欲しがってたんじゃないの?」


 例えば多重属性の素質があったとしても、制御能力が低い、もしくは魔力量が足りずに命に関わる等の場合は全部の魔法を封じてしまわなければならなかった。

 けれどこれがあれば不要な能力だけ封じてしまえる。

 聖女候補のように魅了魔法は厄介だが治癒魔法は有益である場合、今までは治癒魔法を切り捨てなければならなかった。


「まぁ、治癒魔法ないと神殿が面倒見る道理がないから野に放たないために父さんが拘束魔具と魔封魔具改造してそんな仕様にしたみたいだけど」

「あっという間に作るのな」

「あっという間っていうか、一晩?天才って怖いよねぇ。でもその天才は仕事やりっぱなしだから、爺さんが慌ててブラッシュアップして私が書類書いた感じ?売れるよね?お祝いになる?」

「うちに取引丸投げすんのか?直接魔術師協会に持ち込んだほうが儲かんだろ」

「お祝いだってばー。だから私がちゃんと書類も揃えてきたのに。安全テストはうちの工房でしたけど、耐久テストは時間なくてさ。そっちでできる?」

「する。……いい婚約祝いだな。ありがとう」

「どういたしまして。色々考えたんだけど、ミュラー商会が潤うお祝いがイリスも喜ぶかなぁって」


 フォイアーが瞳を細めて笑ったので、ヴァイスは少しだけ驚いたような顔をした。自分にとっては新しい取引につながるのでありがたいお祝いなのだが、イリスが喜ぶ理由が分からなかったのだ。


「……どうしたの変な顔して」

「いや。イリスが喜ぶってのに驚いただけだけどよ」

「うちの一族は基本奉仕種族だからね。自分にとって家族や大事な人が喜ぶのが一番嬉しいんだよ。相手の幸せを願わずにはいられない。相手の幸せが自分の幸せ。それ以外はどうでもいい」


 脳裏にちらつく幻影。国の人柱。第二王子の婚約者。


「ヴァイス?」


 彼の顔色が悪くなったのでフォイアーは首を傾げて立ち上がるとヴァイスの顔を覗き込む。そして手をヴァイスの頭に乗せて勢いよく彼の額を机に打ち付けた。

 ゴッと鈍い音がしてヴァイスは額の痛みに意識を引き戻される。


「戻ってきた?」

「……どっからだよ」

「こっちが聞きたいんだけど。君は時々意識をどこかに飛ばす癖があるみたいだからね」

「そうか?」

「子供の頃からの癖なんじゃないのそれ」


 癖と言われればそうなのかもしれないと思わずヴァイスは苦笑した。ふとした瞬間に引き込まれる。


「マリッジブルー?イリスの手を取ったの後悔してる?」

「そんな訳あるか!」


 思わずヴァイスが声を大きくしたのでフォイアーは目を丸くした後に安心したように笑った。


「ならいいよ。君の幸せがイリスの幸せだからね。イリスに絆されてイヤイヤだったらそれはそれで困るし」

「……俺がイリスを望んだんだ。寧ろイリスのほうが俺に絆されたんじゃねぇの」

「うちの一族を絆したならそれは史上初の快挙なんじゃないの。私たちが縋って同情を誘ってたらし込むのは普通だけど、逆はないよ。私たちは家族と大切な人以外は心底どうでもいい。イリスは君の幸せだけを願ってる」

「第二王子の婚約者だってやってたろ」

「王子様は国を支える同士ではあったんじゃないかな。騎士君と一緒だよ」

「そのまま結婚する可能性だってあった」

「君がイリスと王子様の婚姻を望んだらそうなってたかもね」

「は!?」

「言ったろ?君の幸せがあの子の幸せだって。大切な人の幸せのためなら己の人生なんて些末なものだし」


 別に伴侶に望むだけが愛の形ではないとフォイアーは瞳を細めて言い放つ。己は運良く最愛の相手を伴侶にできた。けれど婚姻と言う形以外で大切な人への思いを重ねる者も多いのだと。


「報われなくても良いんだよ私たちは。大切な人が幸せであれば。それを抱いて笑って死ねる」


――それが貴方の望みなら……仕方ないわね。今まで私のことを助けてくれた貴方になら殺されてもいいわ。

――……貴方は幸せになってね。


 いつもそうだった。何度も何度も助けられなかったのに、彼女は笑ってそんな自分の幸せを願う言葉を残してあっさりと全てを手放した。

 だからこそ諦めきれなかった。だからこそ未練になった。


「置いていかれた方はどうすりゃいいんだよ!!どうすりゃよかったんだよ!!」

「君が正しい選択をしたからイリスは生きて君の隣にいるんじゃないの?」


 驚いてヴァイスがフォイアーの顔を凝視すると、彼は不思議そうな顔をして小さく首を傾げた。


「イリスにとって君はずっと特別だったよ。絶対に幸せになって欲しい人。まぁ、あの子は君の幸せが何なのか結局今の今まで分からなくて迷走した感はあったけど。こっちが心配したよ」

「……迷走って何だ?」

「立派な第二王子の婚約者であることが君にとって都合がいいとか思ってたんじゃないの?君の立場を考えればまぁ、そんな考えに至るのもあるだろうけど……変な所で不器用なんだよねぇあの子」

「は?」

「けど、母さんもいなくなって、国も安定してきたし、君がイリスと王子様の早期婚約解消の為に動いてるの知ったから、もういいのかってあっさりやめちゃっただけだよ?あっさりやめすぎて君に後始末が全部回ったのには頭抱えてたけどねぇ」

「まじかよ」

「こんな嘘はつかないよ?君の幸せって何?」

「……イリスが幸せに生きてること……」


 胸が軋むのは彼女の幸せを願っていながら、彼女の幸せが何なのか何一つ理解しないまま足掻いていたのがわかったからだ。

 ただ彼女を望めばよかった。言葉にすればよかった。伝えればよかった。例えそれが不義だと己が断頭台にかけられる事になったとしても。王族に対する叛意だ絞首刑になりと吊るされたとしても。

 湧き上がる後悔。もう戻れない円環。罪の意識が湧き上がってヴァイスは思わず俯いた。


「じゃぁ君は今幸せだね。良かった」


 フォイアーに言い放たれヴァイスは思わず顔を上げる。その拍子に涙がこぼれた。


「ヴァイス、アクセサリーの件で確認したい事があるんだけど」

「待ってイリス!!今はだめ!!」

「え?お兄様?」


 慌ててフォイアーが声を上げるが、部屋の中から己の兄の声がしたので了承の返事を待たずにイリスは扉を開けて部屋を覗き込んだ。

 するとそこには涙を零すヴァイスと、中腰の兄の姿。


「ヴァイス!?婚約反対だ!!ってお兄様に詰められたの!?」

「言ってない!!言ってないってば!!寧ろお祝い持ってきたのに!?」


 否定の言葉を上げる兄を無視してイリスはヴァイスに駆け寄るとハンカチを差し出す。するとそれを受け取ってヴァイスは小さく笑った。


「大丈夫だ」

「全然大丈夫って顔じゃないでしょ?」

「……ちょっと昔思い出して自己嫌悪に陥ってた」


 ヴァイスが半分だけ嘘をつくと、イリスは暫くの間彼の顔をじっと眺めていたが、手を伸ばして彼の頭を撫でた。


「たまには弱音吐いてもいいのよ?」

「……幸せすぎて今が夢なんじゃないかって怖くなる」

「そうなの?じゃぁイイ夢見てるのね。まぁ!!現実ですが!!」

「どっちかって言うと幸せな夢が覚めるのが怖いとかじゃないの?」


 呆れたようにフォイアーが言い放てばイリスは少しだけ首を傾げて考え込む。


「お兄様がいなければお母様がお父様にしてたみたいにちゅーしてぎゅーなんだけど」

「あぁ、してたねぇ。父さん能天気に見えて急に沈む時あるからなぁ。私の事は気にしないでちゅーしてぎゅーでいいんじゃないの?」


 そう言われたイリスはヴァイスの顔を覗き込むと、先程打ち付けられて少し赤く腫れた彼の額に気が付きそこへ小さくくちづけた。


「ちょっと部屋出ろ」

「しかたないなぁ」


 ソファーから立ち上がったフォイアーはやれやれと言うように部屋から出る。

 そして僅かに眉を寄せた。

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