ノイ一族と眼鏡伯爵令息・中編

「そんじゃ行くか」

「ええ。お兄様、お願いします」

「任せて」


 三人の空気がガラリと変わったのでオスカーは近くにいた人に双眼鏡を借りて海竜の姿を確認する。むこうも船が何隻か海に繰り出してきたのに気がついたのか首を小さく振って陸の方へ顔を向けていた。その小さな動きさえ波を発生させる。


「防壁魔具停止カウントダウンします!」


 張り上げられた声の後に一気に周りの空気が冷えてゆくのを感じてオスカーは小さく身震いした。父親である領主が魔法を発動する準備に入ったのを肌で感じる。国内でも指折りの氷魔法使い。恐らく海に氷の道を作る等できるのは彼ぐらいだろう。


「三、二、一、ゼロ!!」


 パンッと弾ける様な音と共にイリスとヴァイスは跳躍し、それと同時に海竜に向かって一直線に氷の道が敷かれる。手前で厚さ五メートル、海竜に到達する辺りは一、二メートルと薄くなるが、恐らく足場にするには十分だろう。

 あっという間に距離を詰めるイリスを双眼鏡を覗き込みながらオスカーは追う。

 船が集まる辺りで一旦氷の道に足をつけたイリスがまた飛翔した。


「やっぱヴァイスと二人だと飛距離も出力も伸びるなぁ」

「そうなんですか?」

「ヴァイスが合わせるの上手い。イリスの飛びたい方向に身体のバランス調整するし。まぁ、子どもの頃から一緒に狩り場飛び回ってるしねぇ」


 ロートスも学園に入る頃には既に魔物討伐経験者として扱われていたのを思い出しオスカーは思わず唇を噛む。己の領地は海に生息する魔物対策で小規模な海軍のようなものを一応持っているが、オスカーはそれに同行したことがなかった。それは純粋な魔法相性の問題で、領主のように氷魔法ならともかく、水魔法は水に住む魔物には余り効果がないのだ。ロートスの様に膨大な魔力があればゴリ押しもできたかもしれないが、そこまでの出力は確保できず、結局学園に入るまでは領内にある私設の魔法訓練所で鍛錬するに留まっていた。それでも優秀だ、神童だと言われていたし、父親も先が楽しみだと言ってくれていた。

 そんな中出会ったロートス。

 圧倒的な経験値の差。魔物討伐の経験値だけで言えばマルクスにだって劣っているのを自覚してオスカーは震えるような衝撃を受けたのを今でも覚えている。


「さて。お仕事お仕事」


 先程まで冷えていた空気が一気に熱を孕む。己の隣に立つフォイアーが魔力を放つ準備を始めたのに気が付きオスカーはまた双眼鏡でイリスの姿を追った。

 海竜も飛んできた彼女たちに気がついたのだろう、警戒するように動きを止めて首ごと彼女の姿を追っている様であった。

 そして再度氷の道に足をつけたイリスは、先程とは比べ物にならないスピードで海竜に接近する。それに海竜も驚いたのだろう、少し身体を仰け反らせたのだが、それと同時にイリスが空いている手を翳して魔法を放った。

 空気の振動が陸まで伝わる。海面は彼女を中心に波を発生させ、待機する船が大きく揺れた。


「相殺された!?」

「イリスが出力調整して相殺したんだよ」


 大きく口を開けた海竜は再度魔法を放つために着地するイリスの方に首を向けた。それと同時にヴァイスの手元が一瞬光ったのに気が付きオスカーは瞳を見開く。

 イリスがヴァイスを抱えたまま後方に跳躍すると、海竜はそれを追うように首を動かしたが一瞬動きが止まった。

 ブワッとオスカーの視界の端に青が閃く。

 いつだったか子供の頃に海を渡る蝶がいると本で読んだ。その青に似た色を纏う炎の蝶。それが群れをなし一直線に海竜へ飛んでゆく姿は、美しさより恐怖を湧き起こす。

 口の中に炎の蝶が飛び込んできた事に海竜は驚いたのか魔法を放つこともイリスの追撃も止めて口を閉じた。しかし既に入り込んだ炎の蝶が容赦なく臓腑を焼けば、大きく口を上げて空気を震わす声を上げる。そして開いた口から更に炎の蝶が体内に入りこむ悪夢のような循環。

 氷の道を破壊する程暴れた海竜は咽喉を焼き切られたのか、声にならない断末魔を上げてそのまま首を海面に打ち付けて動かなくなる。それと同時に、離れた場所から様子を伺っていた船が一気に海竜を引き上げるために移動を開始した。


「お帰りイリス、ヴァイス」


 ふわりとイリスがヴァイスを抱えて戻ってきたのでオスカーは双眼鏡を外してフォイアーの方へ視線を送る。するとフォイアーはイリスを抱きしめてぐりぐりと頬ずりをしたあと彼女を解放し、今度はヴァイスに向かって両手を広げた。


「俺はいい」

「遠慮しなくていいのに」


 少々残念そうな顔をフォイアーはしたがそれ以上無理強いすることなく少しだけ口を尖らせる。

 そして賑やかになる港。海竜が現れてからは緊張状態だったのだが、討伐された事にほっとしたのだろう明るい声が響き渡る。そして海上では海竜を引き上げるために集結した船が慌ただしく行き交っていた。


「ヴァイス様。ミュラー商会の馬車が到着しました」

「あぁ」


 支店長がヴァイスに声をかけると彼は少しだけ瞳を細めた後に支店長と一緒にその場を離れる。それにほてほてとイリスがついていくのでオスカーは少しだけ驚いたような顔をした。


「あ、ヴァイス。お腹すいたから先にご飯食べてくるよ」

「好きにしろ。俺も後で行く」


 ひらひらと手を振ってフォイアーは二人を見送ると、満面の笑みを浮かべてオスカーに視線を送った。


「おすすめの店案内して」

「俺がですか!?」

「忙しい?」


 首を傾げてそう問われればオスカーは迷ったように視線を領主へ向ける。すると領主は行って来いと言うように小さく頷いた。


「余りここから離れないほうがいいですか?」

「え?何で?」

「ヴァイス様と合流するなら近場のほうが探しやすいのでは?」

「あ、それは問題ないよ。印ついてるからヴァイスは私を探せるし。新鮮な魚食べたいなぁ」


 フォイアーが指さしたのは服に付いているカフス。そこに魔力が込められているのはオスカーにでもわかった。以前国内なら追跡できるとロートスが言っていたのを思い出してオスカーはちらりとフォイアーの顔を見上げる。


「国内なら追跡できると聞きましたが本当ですか?」

「南端のノイ領国境の飛竜を北の鉱山地帯まで追跡できたから位置によってはもっとできるんじゃないかなぁ」


 大げさな言い方なのかと思っていたが実績があると言われればオスカーは思わず唖然としたような表情を作る。それを見て可笑しそうにフォイアーは瞳を細めた。


「ヴァイスは私達を絶対見失わないよ。大丈夫」

「はい」


 そしてオスカーが案内したのはたまに彼も来る小さな食堂。漁師から魚を仕入れているので新鮮なのだ。極端な話生魚も出す。

 保冷魔具が広がって生魚も海のない地域に広がりはしたがそれでもまだ根付いているとはいい難いし嫌がる人間も多い。フォイアーが生魚を食べるのかオスカーは知らなかったが、新鮮な魚と言われたのでとりあえず生魚も出すこの店を選んだのだ。


「いらっしゃい。おや、坊っちゃん。お客様かい?」

「ノイ伯爵子息のフォイアー様だ。失礼がないように」

「え!?ノイ伯爵家って今回海竜討伐に来てくれるっていう?」

「討伐は完了しましたよ女将さん。ご褒美に美味しい料理を提供してくれると嬉しいなぁ」


 愛想良くフォイアーが女将に言葉を放つ。すると彼女は驚いたような表情を作った後大きく頷いた。


「勿論!ありがたいね!残念ながらここ数日沖には出てなくて種類は少ないんだけど腕によりをかけますよ!」


 防壁内では細々と漁はしていたので全く魚の在庫がないわけではない。ただいつもより種類は少ないと言われれば少しフォイアーは残念そうな表情をしたが、出されたお茶を飲みながら瞳を細めた。


「あぁ、ミュラー商会の新作茶葉だね。もう出回ってるんだ」

「一昨日からですよ。漁に出られなくてピリピリしてる連中に振る舞ってくれって持ってきてくれてね。太っ腹ねあの商会は」


 ミュラー商会の茶葉と言われてオスカーが少し微妙な顔をしたのに気が付きフォイアーは首を傾げる。


「美味しいよ?」

「すみません。鼻に抜ける甘みが余り得意ではなくて……」

「春夏のやつだね。これは秋冬の新作だから風味は違うよ」


 恐る恐ると言うようにオスカーは茶を口に運ぶ。どうしてもあの後味が苦手で余り好んでは飲まなかったのだが、フォイアーの言う通り風味が全く違う。どちらかと言えばスッキリした後味にオスカーは驚いたような顔をした。


「春夏は女性には人気があったんだけどねぇ。男性からはちょっと意見が極端に別れたみたいだから、秋冬は落ち着いた風味にしたって言ってたよ」

「そう言えばイリス様が調合されてるんでしたね」

「そうそう。元々は母が父のために調合してたんだけど、ミュラー会長が売ってみたいって言うからさ。まぁ、イリスの気晴らしにはいいかなって」

「気晴らし?」

「うん。ほら王族教育やら社交やらで馬鹿みたいに忙しかったからねあの子。大好きな魔具作成も時間取れないし、ストレス発散的な?ヴァイスがあれこれ調合用の茶葉調達してくれるから色々試すのも楽しいみたいでね」

「ストレス……ですか」

「そりゃ私達にとっては大好きな人との時間と魔具作成以外はストレスだよ。正直よく我慢してるなって思ったぐらいだし。まぁあの子は母に似て辛抱強い方だったから八年?九年?我慢してたけど、私なら一ヶ月で逃げ出すね」


 婚約破棄されたがイリスは長い間第二王子の婚約者として過ごしてきた。面と向かって年数を発言されればオスカーはその長さを改めて自覚したし、我慢と言われれば少しだけ違和感を覚えた。


「……あの」

「なに?」

「フォイアー様はあの婚約破棄を怒っていないのですか?」

「一方的に疵物にされたって聞いた時は城燃やしてやろうかなと思ったけど」


 悪びれもなくそう言い放ったフォイアーにオスカーはぎょっとする。しかしながらオスカーには存在しないが妹がいたとして、そんな扱いを受ければ腹は立つだろうと想像できたし、あの仲の良さを見れば燃やしたいと言う発言も理解できる。やられては困るのだが。

 

「でもまぁ、ヴァイスが怒って王子様殴ったらしいから私は我慢しとこうかなって。それにさぁ、イリスはこれでお仕事は終わりだって喜んでるわけだからねぇ。もしも私が嫡男降りていいって言われたら万歳三唱しちゃう。もう仕事しなくていい!やったー!ってなっちゃう。喜んでるイリスの気持ちに水を指すのもねぇ。後始末はヴァイスがやってくれてるみたいだし、まぁ、ムカつくけどいいかなって。ムカつくけど」

「仕事……ですか」

「王子様の婚約者なんて仕事以外のなにものでもないんじゃないの?真面目だから一生懸命やってたけど、結局王子様よりヴァイスのほうがよっぽどイリスの面倒見てたし。ヴァイスにしてみれば王子様の婚約者だって大事に面倒見てた子を疵物にされてブチギレるのも仕方ないんじゃない。自分の長年の仕事台無しにされたのと同じな訳だし。円満解消すればいいのに、後釜据えられたら聖女候補と一緒になれないとかで騙し討ちしたんでしょ?あーやっぱり城燃やそうかな」

「燃やさないでください」

「とはいえ。まぁ、ヴァイスは結局王子様に見切りつけてイリスにくっついてきちゃったけどねぇ。あんまり私は中央の事わからないけど、あれ大丈夫なの?王子様の乳兄弟って言ってなかった?」

「大丈夫かどうかはわかりませんが……今は宰相閣下の三男ではなく、ミュラー伯爵家嫡男と言う扱いですから……黙認されてる感じだと思います」


 本来なら側近候補だったろう。けれどヴァイスはそれをあっさり蹴るようにミュラー伯爵家の養子手続きをした。それにオスカーは驚いたが、財務トップの息子であるベルント・ゲルラッハ侯爵子息は悪くない判断だと言い放ったのを思い出す。

 その時は意味が分からなかったが、実際少し時間が経てば元々ノイ伯爵家からの信頼が厚いヴァイスが仲介役をしてくれなければ大惨事になっていただろうことも薄っすら察する事がオスカーにもできた。

 基本中央の政治に興味のない一族だとは聞いていたが、本当に見向きもしない。イリスが勤勉であった上に婚約者として何一つ問題がなかった為にノイ伯爵家の異常さが薄れてしまっていた。

 どこの世界に嫡男から外されて喜ぶ人間がいるのだ。目の前の男が言い放った言葉を聞けば他人に興味が薄いロートスだけが異質なのではないとオスカーは強く感じる。


「あ、そう言えば君は聖女候補の顔知ってる?」


 そんな事をぼんやりと考えていると突然話題が変わってオスカーは面食らう。


「はい」

「どんな子?容姿とか、雰囲気とか。うちは教会ないから全然噂回ってこなくてね」

「金髪で翡翠の瞳の子ですよ。こう……ふんわりとした雰囲気というか……何事にも一生懸命な……」

「あー。じゃぁ仕方ないかなぁ」

「何がですか?」

「いや、イリスと完全にベクトル違うかなぁって。王子様の好みがふわふわした砂糖菓子みたいな子ならイリスよりそっちがいいってのもしかたないねぇ。まぁ、私にとってはイリスは奥さんの次に可愛いけど。真面目で、優しくて、奔放で、最高に可愛い」

「奔放ですか?」


 思わずオスカーが首を傾げたのはイリスにその様なイメージがなかったからだ。容姿こそ風切姫似の凛とした美人だが、淑女の鑑と言われる物静かで穏やかなイメージが強い。


「貴族令嬢って魔物狩りにいかないんじゃないの?」

「……行きませんね」

「夜会やだーってベッドで転がってヴァイスに怒られたりしてるよ?」

「転がるんですか?」

「お兄様!!」


 悲鳴のような声がかかって思わずオスカーは店の入り口に視線を送る。そこにはヴァイスとイリスが立っており、彼女はつかつかとフォイアーに歩み寄ると鼻を摘む。


「めっ!!家での事は内緒って言ってるでしょ!!」

「もう王子様の婚約者やめたからいいかなって思ってた。ごめんごめん」


 鼻をつままれている為に妙な鼻声になりながらフォイアーが謝罪するとイリスは仕方がないと言うように彼を解放した。

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