第28話
筆頭公爵家アインバッハ当主。その男は目の前に座る第二王子に視線を向けると小さく溜息をついた。
「殿下。何度頭を下げられても無理な話です」
聖女候補を養子にという頼みは今回で二度目である。一度目は手紙であったのだがアインバッハ公爵はそれに否と返事をした。
第二王子の婚約者候補として上がっているのは筆頭公爵家令嬢であるローゼ。ただ従姉妹という血の近さから他の候補より優先度が低かった。そしてローゼ本人もその気はない。それをゴリ押しする気もなかったアインバッハ公爵は第二王子の婚約者選定に関しては余り口を出していなかった。
丁度良い年頃の娘がいる家は実子を推すだろうがアインバッハ家ならばとルフトは考えたのだ。
「しかしローゼが私の婚約者候補から外れているのは血の近さと聞いています。養女であるならその点の問題は……」
「殿下」
冷ややかな公爵の声色にルフトは思わず姿勢を正す。王弟である公爵はある意味ルフトと同じ立場であったのもあり、比較的関係は良好である。けれど今回ばかりは可愛い甥の頼みと言えども公爵は飲むわけにはいかなかった。
「いずれ公爵領を拝領してからと思っていたが……。機密になりますので国外への情報漏洩を防ぐためにもこの場限りでお忘れください」
そう言われて差し出された書類にルフトは目を通す。それはこの国における魔物討伐の資料であった。地域別の討伐数等細かい数字が書かれており、それ自体は軍に行けば手に入るものだと知っている。それもあってルフトは公爵の意図が読めず眉を寄せた。
「この数字は?」
そして端に書かれた三つの数字。それに意味があるのかと公爵に問う。
「左から王国軍による討伐数、領軍による討伐数、外部による討伐数です」
「外部?」
「傭兵等ですな」
辺境や要地は領軍を持っているが小さな領ではそれが常時維持できないので魔物討伐を専門とする傭兵を雇うことがある。その数だろうとルフトは思ったのだが僅かに眉を上げた。
「かなり傭兵に頼っているな。大型は三分の一か」
「大型に関しての傭兵実績は実質ノイ伯爵家の討伐軍のみです」
「は?」
「流しの傭兵やギルド所属の傭兵がせいぜい対応できるのは中型までですからね。そしてこれがアインバッハ領の実績です」
「……アレだけの領軍を抱えているのにノイ伯爵家の討伐軍が対応しているのか」
「ええ。手に負えないと中央軍への依頼をしてる間に小麦畑は焼け落ちてしまいますからね。ノイ伯爵家の討伐軍ならミュラー商会の流通網を使って早々に対応してきます」
その上どうしても間に合いそうになければ指折りの魔術師を単体派遣してくると言われれば、幼少の頃オリヴァーやヴァイスと共に魔物討伐についていったのをルフトは思い出す。風切姫やノイ兄弟が頭一つ分出ていたが、それ以外にもノイ家の討伐軍は優秀な魔術師や騎士を抱えていた。中央の軍属にと勧誘しても、彼らは魔物を討伐するのが目的ではなく魔物の素材を狩るのが目的なのでほぼ引き抜きは成功しないとも言われている。
ノイ伯爵家と言うのは中央政治に興味が無いので基本的に政略結婚は行わない。相手は貴族でも平民でもお構いなしに気に入れば娶るし婿に行く。そしてその血統はノイ伯爵領にじわじわと広がり、ノイ伯爵家討伐軍の魔術師であったり、魔具工房であったりと己が望む職につく。
「おわかりですか殿下。アインバッハ領はノイ伯爵家の討伐部隊を利用してやっとの思いで食料庫を守っている状態です。そして辺境伯や他の要地もほぼうちと同じだとお考えください」
「……そんな話は聞いたことがなかった」
「他国に国軍や領軍の兵力を知られるわけには行きませんし、魔物の分布図等も言い換えれば国の弱点を晒すことになります」
第二王子という立場は基本的には王太子のスペアであるのだが、無事に王太子の婚姻も纏まりあとは後継者の誕生を待つばかり。そうなれば第二王子の役割も変わってくる。レア同様他国へ行く事も可能性としてあるのだ。公爵として臣下に降る可能性のほうが高かったのだが、可能性がゼロではない以上彼の王族教育にはイリス同様国家機密に関わることは除かれていた。
それ自体はルフトも承知していたのだが、ノイ伯爵家の領軍がここまで手広く魔物討伐を引き受けていた事は気が付かなかった。尤も、ノイ伯爵家の魔物討伐軍は国からの補助を受けていないので傭兵、もしくは自警団扱いであるのだが。普段は工房で魔具を作っていたり、個人的にギルドに所属して魔物討伐をしていたりと様々であるのだが、ノイ伯爵家が声をかければ彼らは率先して仕事を請け負う。そんな集団なのだ。
「だからといってノイ家に対して忖度し過ぎでは?彼らも伯爵家。国の要地を守る事を放棄するのは身勝手ではありませんか?」
「ええ、身勝手です。そんな身勝手さに我々は長く助けられているのですよ殿下。彼らは我々のことは狩り場を提供してくれる親切な領主程度にしか思っていません。こちらからの依頼を受けてくれるのは、普段狩り場を提供してくれている礼に過ぎない」
「……どういう意味だ?」
「ノイ家の人間にとって国も、民もどうでもいい」
「そんなバカな」
思わずルフトが声を上げた様子に公爵は冷ややかな視線を送る。これは高位貴族や彼らの力を借りて魔物討伐をしている領主達からすれば暗黙の了解であるのだが、どうやらルフトは気がついていなかったらしいと僅かに落胆する。
「イリス嬢の勤勉さとヴァイスの調整力が仇になりましたかね」
風切姫の影響を大きく受けて国や民を思いやる姿勢は見えるが彼女は根本的にノイ家の人間だと公爵は察していた。
あくまで第二王子の婚約者であるからそうするのが望ましいと周りから求められて合わせていただけ。風切姫が民を守りたいと願ったからそうしていただけ。持ち前の生真面目さからイリスは実に上手く第二王子の婚約者としての役割を果たしていた。そしてヴァイスが上手く彼女を支えていた。ミュラー伯爵が幼馴染のノイ伯爵を上手く手なづけて中央の研究室に放り込んだように。
「あの一族は家族の安寧と魔具作成ができれば他はどうでもいいのですよ殿下。金の卵を生む天才を国外に流さない為に爵位と狩り場を国が与えた。気に入らなければ彼らはさっさとどこぞへ流れるでしょうね。無辜の民が泣こうが、国が魔物に蹂躙されようが彼らは無関心ですよ。今回の件で国外にさっさと出ていくのも心配されましたがそこはヴァイスが上手く宥めたようですが」
「あの優しいイリス嬢が民を見捨てるなど……」
「軍属撤回。これだけでも十分でしょう。彼女はノイ家の血統ですよ。孤児院への寄付は続けているようですが、それもヴァイスがノイ伯爵家への風当たりを緩和するためにそれとなく手回したのでしょう。彼はノイ家に命を助けられたことを恩に感じているようですからね」
「……」
「我々もかの家が拝領した時から長く助けられていました。大破壊の時などそれこそ彼らの子飼いがどれだけの民を救ったか。けれどそれは彼らにしてみれば素材を手に入れるための手段であって目的ではない。殿下……我々は領民を守る義務があります。領民を危険に晒す選択はとることはできない。彼らに狩り場を変えられては困るのですよ」
初代ノイ伯爵は拝領の際魔物の多く出る森が半数を占める南の土地を望んだ。今までその魔物の多さからまともに運用などできなかった国境沿い。あっという間に魔物を狩りつくし、結局まだ素材が足りないとよその土地まで遠征に出る始末である。けれどそれは国や魔物の被害にあう領主にとっては都合が良かった。だから好きにさせていたのだ。
「せめてイリス嬢かヴァイスに相談すれば上手く調整したでしょうに」
「ヴァイスは……エーファをよく思っていないから反対されたと思うが」
苦々しい表情でルフトが呟くと公爵は僅かに眉を寄せた。
「逆ですよ殿下。ヴァイスはイリス嬢を瑕疵なくノイ伯爵家へ返すためにずっと早期解消を勧めていた」
「……ヴァイスが?」
「聖女候補を生徒会へ入れた辺りからですかね。宰相閣下は王太子殿下の子ができるまでと結局引き伸ばしをとりましたが。ヴァイスは風切姫やノイ伯爵に気に入られていたのもあって、殿下よりあの一族の性質をよく知っていたのでしょう。家族愛が馬鹿みたいに強い一族ですからね」
王太子の婚姻が成立した時点で解放すべきだったのかもしれないと公爵はぼんやりと考える。子ができるまでと欲をかいた結果がこれだと。けれどあの時点ではこんな結末になるとは誰も想像していなかったのだ。
「ヴァイスが既にミュラー伯爵家との養子縁組成立報告ついでに、今後もかの一族に狩り場の提供をしてもらえるなら商会としてもありがたいと釘をさして回っている。……少なくとも要地を抑えている貴族との養子縁組は厳しいと考えたほうがいいですよ殿下」
公爵の話を聞いてルフトは大きくため息を付いた。ヴァイスの行動理由はこうやって公爵の話を聞けば何となく分かる。ノイ家を国外に流さないためにミュラー商会がサポートすることを今後も続けると宣言した。彼らの望む狩り場を提供し、家族の安寧を守ってやればあの一族は留まり続けるのをヴァイスは知っていたのだ。
あっという間にミュラー伯爵家への養子縁組を成立させ、ヴァイスはひたすらノイ家をつなぎとめるために奔走した。
「ノイ家やミュラー商会と疎遠になるのを覚悟で聖女候補と縁組をする家は少ないでしょう。大破壊前なら熱心な教会信徒が引き受けたかもしれませんが……結局我々を救ったのは教会の神ではなく軍神風切姫でしたからね。言い方は失礼かもしれませんが、運がありませんでしたな殿下」
祈っても神は助けてくれず蹂躙された。国を、民を救ったのは鮮血にまみれ戦い続けた軍神。教会としても落ちた威信を回復させようと聖女候補に望みをかけたのだろうが、結局国を混乱させる始末。
公爵としても甥が厳しい立場に立たされるのは気の毒とは思うが優先させるべきことがあると非情にならざるをえない。
「……話してくれて助かった。私はもっと彼女を知るべきだったのだな」
婚約者として何一つ彼女に瑕疵はなかった。結局自業自得。
何一つ文句を言わず書類にサインをしたイリスは、己の役割は終わったのだと昔の姿に戻っただけである。聖女候補への妨害は何一つしていないし、そもそも彼女は聖女候補にすら興味がなかったのかもしれないと今更ながらルフトは感じた。
第二王子の婚約者としてやるべきことをやっていた。それをやめただけの話。
愛する人を周りに認めてもらおうと手を尽くしているがそれもうまくいっていない。筆頭公爵の言う通りヴァイスに相談すれば話は違ったのかもしれないが、初めから聖女候補に対して否定的であった彼にというのは気持ち的に難しかった。
――貴方の旅路が良きものでありますように。
きっと心の底からイリスはそう思い何の未練も、執着もなくその言葉を己に贈ったのだろうとルフトは考えて瞳を細める。
ヴァイスの言ったように己の全てを国に捧げていたイリス。彼女の献身が第二王子である己だけではなく国をも支えていた事に気が付かず軽く見すぎていた。己が切り捨てた。
イリスの後釜としての役目を求められるエーファの重圧は大きい。ならばせめて身分という部分だけでも何とか押し上げられないかと思っていたのだが、それも難しいのが嫌というほどわかってルフトは次はどうしたものかと頭を抱える。少しづつでも周りに認めてもらえるように。彼女の負担が少しでも軽くなるように。愛する彼女との旅路が良きものであるように。そう考えながらルフトは筆頭公爵との面談を終えた。
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