第6話:左半身で感じる彼女の体温
僕は、自分がどうすればいいのかわからなかった。日々木さんに会えると思って古本屋に足を運んで、そして本当に会えたにも関わらず、顔を合わせたらろくに話もできなくなってしまうなんて。この感情をなんと呼べばいいのか、鈍感な僕にもわかっている。そうだ、これは「恋」というやつだ。僕は日々木さんのことが好きになってしまったのだ。
日々木さんと同じ空間にいる。他にいるのは店主のおばさんだけ。関係を
話しかけようと思えば今すぐにでもできる。むしろ、今すぐ話しかけないと彼女は帰ってしまうかも知れない。あるいは他の客が来るかも知れない。こんなチャンスはめったに無いのに、行動に移すことができない。
どうしようと焦っている僕は、現実から目を背けるかのように本棚に目を泳がせた。すると大判コミックのコーナーに『ファイナルファンタジー』の文字を見つけたので、思わず手にとってページを開いてみる。
冒頭から宇宙ステーションのようなシーンが出てきたので、一見するとこれはFF1とは違うシリーズであるかのように思えた。しかし、少し読んでみるとそれは古代文明の出来事のようで、すぐに光の戦士やガーランド、コーネリアの町といった馴染みの用語が出てきた。そう、これはれっきとしたFF1の漫画版だったのだ。
これをきっかけに日々木さんと話せるかもしれない。僕はそれを持って、彼女のいるゲーム売り場へと歩いていく。そして、勇気を出して声にする。
「ねえ、日々木さん。これ、知ってる?」
「……FFの漫画?」
「そう、FF1の漫画みたいなんだ」
僕はページを開く。
「……へえ、こんなのあったの。知らなかった」
左側からのぞき込む彼女の右肩が、僕の左肩に触れる。体の左半分が熱くなる。
「ねえ、これ買うの?」
「どうしようかな。値段いくらだろう」
表紙を見ても値札は付いていない。
「このお店の本はね、ここに値段書いてあるの」
そう言って彼女が裏表紙をめくると、¥500と鉛筆で書いてあった。
「お会計お願いします!」
奥で在庫の整理をしていたおばさんに声をかける。レジに来ると、手にとって値段を確認した。
「あー、500円かぁ。日焼けしてるから400円でいいよ」
僕が財布から100円玉を1枚ずつ取り出して会計トレーに並べていると、日々木さんが1枚出した。
「この前、割引券使ってくれたお返し」
「別にいいのに」
「気にしないで、代わりに私も読ませてもらうから。……ねえ、そこの公園で読まない?」
彼女が指差す道路の向こう側には公園がある。
「まいど、ありがとね」
僕の心を知ってか知らずか、おばさんはお金を受け取ると、にこにこした顔で僕たちを見送ってくれた。
*
二人で並んで、自転車を押して横断歩道を渡る。まるでデートみたいだ。
「その自転車、いいね」
話題に困ったので、僕は思わず彼女の自転車をほめた。実際、パステルピンクのフレームは真新しくてピカピカしている。
「うん。自転車通学になるからって、進学祝いに新しく買ってもらったの」
嬉しそうに笑いながら答えてくれた。スニーカーもピンクだし、クールなようでいて意外と女の子らしい趣味なのかも知れない。
*
公園には屋根の付いたベンチがある。広場では小さい子連れの家族が遊んでいるが、ベンチには誰もいない。僕たちは並んで座って、一緒に漫画を読み始めた。
「ゲームよりパワーアップしてるね。マトーヤも仲間なんだ」
ガーランドとの戦闘シーンを読みながらつぶやいた。
「タケルさんもFF1知ってるの?」
「うん、昨日父さんが実家から持ってきたんだ。少しプレイしたよ」
そう言いながら、スマホで撮影した画面写真を見せてあげた。
「……へえ、そのレベルでエルフの町まで行けるんだ」
「日々木さんは?」
「私も始めたばっかりだけど、もうちょっとだけ進んでるかな」
*
「……漫画、これ以上はネタバレになっちゃうかも」
主人公の出生の秘密のような話が出てきたところで彼女が言う。
「今はもうやめとく?」
「うん。でも、また読ませてね」
僕は名残惜しい気持ちでいっぱいだったが、彼女の一言に救われた。
「わかった。どうする? またお店に行く?」
「ううん、私はそろそろ帰らなきゃ。また明日、学校でね」
自転車に乗って去る彼女の、風になびくショートヘアが視界から消えるまで、僕はただじっと見つめていた。僕の左半身は、春風を浴びてもまだ熱い。
***
注:
漫画版『ファイナルファンタジー』
作:海明寺裕 1989年・宝島社発行
主人公の出生うんぬん(というか過去エピソード)は、この漫画のオリジナルストーリーである。
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