クローズド・シナリオ / 扉の向こう側

 ドアの先は無人の映画館だった。


 一見、普通の劇場に見える。巨大なスクリーンと向かい合うように、所狭しと座席が並べられていた。劇場内の薄暗さと時折明滅するスクリーンのせいで、それ以上のことはわからない。

「私はちょっと探し物をしてくるよ」

 森林木しんりんぎ和可わかと名乗る、ドアをバールで破壊する異常な女はそう言った。きっと、ここから脱出するための手がかりを探しに行くのだろう。

「じゃあ、俺は前を探します」

 その言葉を聞くと、彼女はうなずいて劇場の後方に向かっていった。


 俺は劇場の前方を調べはじめた。

 パッと見たところ、スクリーンには特に変わったところはない。俺はスクリーンに触れてみた。滑らかな手触りが心地よい。


 後ろを振り返った瞬間、プロジェクターから伸びる光が目に飛び込んでくる。光の眩しさに耐えきれず、俺は思わず目を伏せた。その光の影に、森林木のシルエットが見えた。

 森林木和可。高嶺の花という言葉がこれほど似合う人には、初めて出会ったと思う。同じ高校にいたなら、きっと学校中の男子の憧れになっていただろう。

 彼女がバールでドアをぶん殴るところを見ていなければの話だが。

 そんなことを言っても、彼女はトラブルに巻き込まれた俺を助けてくれている。頼もしいと思う反面、彼女の底知れなさが恐ろしい。

 そんな理解不能な異常さも含めて彼女は高嶺の花だ。きっと宇宙に咲いている。宇宙飛行士をパクパクと捕食する美しい花の化物を思い浮かべながら、俺はそう結論付けた。


 結局、スクリーンからは何の手がかりも得られなかった。手持ち無沙汰ぶさたになった俺は目の前の座席に腰かけた。座席のクッションの柔らかさに身をゆだねていると、意識が遠のいていくように感じて息苦しくなる。

 座席のひじ掛けに設置されているドリンクホルダーに触れると、ひんやりと固い金属の感触を指に感じた。中にあるものを取り出してみると、それはジッポーライターだった。

「映画館で吸っちゃダメだろ」

 俺はそのジッポーライターをポケットに入れた。


 俺たちが入ってきたドアを見る。どうやら俺たちが入ってきたのは、非常口だったようで、その上には緑色の標識がぼんやりと輝いていた。ドアはオートロックだったようだが、機械仕掛けの部分が無残に破壊され、空回りするモーター音だけが空虚に鳴っている。


 俺は何も映っていないスクリーンを見た。最前列からスクリーンを見るときには、自然と見上げる形になる。このまま見ていると、映画が終わるころには首を痛めているだろうな。そんなことをふと思っていると、森林木が声をかけてきた。

「どう?何か見つかった?」

 俺は首を横に振る。

「何も。そっちは?」

「めぼしいものはなかったね」

「そうですか。ああ、そうだ。これならありました」

 俺はそう言って、座席に置かれていたジッポーライターを見せた。

巡坂めぐりざかクン、真面目そうに見えるのにタバコ吸ってるんだね。ショック」

「いや、俺のじゃないですって」

「そんな子に育てた覚えはないよ」

「あなたに育てられた覚えもないです」

 俺はジッポーライターをポケットに戻した。


 はあ。俺は思わずため息をつく。鍵のかかった部屋の次は無人の映画館、まるで夢でも見ているようだ。

「そうだ。出口なら後ろにあったよ」

「それを先に言ってください!」

 

 森林木に案内された先には、華やかな装飾が施されたドアがあった。ドアの上には『退場口』と書かれた金属製のプレートが取り付けられている。

「この先は?」

「まだ見てないよ」

 俺は恐る恐るドアの取っ手をつかんだが、ドアは動かない。

「鍵がかかってます」

「ここを開けないと」

 彼女は呆れ顔で取っ手の上を指差す。そこに取り付けられていたつまみを、俺は見落としていた。目の前にあったというのに。

「キミはドアの開け方も知らないの?」

 彼女は大げさに驚いた様子でそう言った。彼女の芝居じみた態度が、俺の恥ずかしさに拍車をかける。

 ドアをバールでぶっ壊す異常な女には言われたくなかったが、目の前にある鍵も見つけられない役立たず男は何も言い返すことができない。

 返答の代わりに、俺は黙ってつまみを回す。するとドアからカチャッという音が鳴った。俺は彼女の視線に耐えながら、慎重に慎重にドアを開けた。


 ドアの先には部屋があった。

 最初の部屋と同じ白い壁に囲まれた白い部屋だ。入ってきたドア以外にドアはもう1つだけ。最初の部屋とは違い、電子ロックではなく南京錠がかけられている。

 鍵の違い以外にも最初の部屋と大きく違うところがある。最初の殺風景な部屋とは違い、この部屋には床を埋めつくすように物が雑多に散らばっていた。絵本、ぬいぐるみ、プラスチックの食器。散らばっている物はどれも子供用の玩具や製品のようだが、ここを子供部屋と呼ぶには、真っ白の壁とドアにかけられた南京錠はあまりにも異質だ。


「最初の部屋と似てますね」

「うん。デザインが大変だったのかも」

「使いまわしってことですか......」

 デスゲームに予算があるのなら、俺はよほど予算の少ないデスゲームに巻き込まれたのだろう。床に散らばった物がどれも子供用なのも、コスト削減のためかもしれない。

 どうせ参加させられるのなら、せめてもっと豪華なデスゲームにしてほしかった。高層ビルの間の鉄骨渡りとかトラップが仕掛けられた迷宮とか。命がかかったデスゲームが低予算なんて腹が立つ。


「特にめぼしいものはなさそうですね」

「だね。とりあえず、こっちが出口につながっているのかな」

 彼女は南京錠がかけられたドアを指差しながら、そう言った。

 その言葉に俺は妙な引っかかりを覚える。とりあえず、南京錠を調べてみよう。そう思い、俺はドアに近寄った。


 その瞬間、言いようのない悪寒が全身を走った。喉の奥からこみあげてくる強烈な吐き気をこらえながら、俺はドアから離れる。


 ヘビに睨まれたカエル。いや、宇宙空間に放り出されたアリが感じるような、理解できない存在に対する恐怖。このドアの先には、おぞましい『何か』がいる。俺は直感的にそう理解した。もし、このドアを開ければ、俺たちは生きて帰れない。


「南京錠、壊しちゃうね」

 森林木はバールを取り出すと、南京錠に向かって振りかぶった。

 ダメだ。彼女にこのドアを開けさせるわけにはいかない。

「待ってください!」

 俺は今にも振り下ろされようとしている森林木の腕をつかんだ。

 彼女は振り返って、不機嫌そうな顔で俺を見る。


「そのドアは開けちゃダメです」

「ダメ?どうして?」

「それは......。勘です」

「勘違いだよ。今までのドアも先に通じてたじゃないか」

「それはそうなんですが。ただ、直感的に感じるんです。このドアの先はやばいって」

 その言葉を聞いて、森林木は眉をひそめる。

「キミの言う勘ってやつが、私にはさっぱりわからないよ」


 森林木は並外れた力で俺の手を無理やり振りほどくと、再びバールを構えた。

 このままドアを破壊されたら、この先にいる『何か』が来る。そうなれば、俺たちの命はないだろう。


 ここから生きて帰るためには、今ここで森林木を止めなければならない。どうすれば、それができるだろうか?

 力ずくは?無理だ。バールでドアをぶん殴る女をどうやったら止められる?

 ならば頭を使え。彼女を納得させられるだけの理屈をつけるんだ。そのために使える材料は何だ?ここに来てからの全てを思い出せ。引っかかっているのは『このドアが出口』という彼女の言葉だ。鍵のかかった部屋、無人の映画館。今までにいた2つの場所と比べると、この部屋はどこか不自然だ。

 そうだ、これだ!これなら彼女を納得させられるだろう。


「そのドアは出口じゃありません。規則性です!規則性がないんですよ!」 

 それを聞いた森林木は振り下ろそうとしたバールを止めた。

 キミの推理を話してみろ。彼女の目はそう語りかけてくる。

「そう、最初のドアを思い出してください」

「私が開けたドアのこと?」

「はい。あなたがぶっ壊したドアのことです。そのドアには『出入口』と書かれていました」

 彼女は俺をじっと見つめて、話に聞き入っている。思わずその、月のない真夜中の空のような瞳に吸い込まれそうになり、少し視線をそらす。


「その次、映画館にあったドアには『退場口』というプレートがありましたよね。今までの2つのドアには、それが出口だとわかる目印がありました」

「なるほど。それがキミの言う規則性ってやつか」

「はい。この部屋に出口があるとすれば、それにも何か出口だとわかる目印があるはずです」

「それで、何の目印もないこのドアは出口ではないと」


 森林木はしばらく黙り込んだ後、納得したようにうなずいた。

「キミの言う通り、確かにこのドアは出口じゃないのかもね」 

 彼女は拍子抜けするほど簡単に引き下がった。俺はドアの先に潜む危険を回避できたことに胸をなでおろす。


「それはそれとして、このドアは開けてみよう」


 え?

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