第32話 マルティナの休日
王都に帰還した二日後の午前中。仕事が休みのマルティナは、朝からスキップをしそうなほどに軽い足取りでどこかに向かっていた。
行き先は――もちろん王宮図書館だ。
図書館の扉を開けて中に入ると、マルティナは大きく深呼吸をして、図書館独特の香りを胸いっぱいに吸い込む。
「はぁ、落ち着く」
満面の笑みで思わずそう呟いたマルティナの下に、優しい笑みを浮かべたソフィアンが近づいた。
「マルティナさん、お久しぶりですね」
「ソフィアンさん、お久しぶりです……! ソフィアンさんの顔を見ると、図書館に帰ってきたという感じがしますね」
「ふふっ、とても瞳が輝いていますよ」
「ずっと図書館に来ることができずに本も読めなくて、禁断症状が出そうだったんです……今日は一日中、本を読み続けられるので嬉しくて!」
マルティナが興奮を隠しきれない様子で図書館への愛を語ると、ソフィアンは嬉しそうな笑みを浮かべてマルティナをいつもの席に案内した。
「本日は読まれる本を決めていますか?」
「いえ、これから選ぼうかと思っていました」
「では私のおすすめなど、いかがでしょうか?」
「ぜひ……! ソフィアンさんのおすすめに外れはないです」
「ありがとうございます」
優雅な微笑みを浮かべたソフィアンが指をくるっと動かすと、一冊の本がカウンターの中から飛んできた。
その様子に最初の頃は驚いていたマルティナだったが、今ではもう飛んでくる本の中身にしか意識は向いていない。
「こちらをどうぞ。今回は少し昔の騎士物語です」
「物語……大好きです。ソフィアンさん、おすすめをありがとうございます」
「いえ、司書なので当然ですよ。ではゆっくりと楽しまれてください」
「はい!」
それからマルティナは、物語の世界に入り込んだ。ソフィアンが選んだ騎士物語は、リアルな歴史描写とフィクションを上手く融合したような作りになっていて、楽しめるし学びにもなるというものだ。
舞台は多くの国が領土を巡って争いを行っていた戦乱の世。主人公は一つの小さな国に生まれた、国主の息子だった。しかしその男は生まれつき体が弱く、家族にも家臣にも疎まれることとなる。
そして次第にこの世を呪い、呪術に手を出した男は、悪魔と契約して強い力を得た。
その力は魔物を生み出せるというもので、男が呪文を唱えて地面に手を付くと、そこには漆黒のモヤが現れ、そこから魔物が何年も生まれ続けたという。
男はその力を使い、周辺国を次々と滅亡に追い込んだ。そして一時の栄華を得たが……すぐに男の国も魔物に蹂躙され、男も魔物に食い殺されてしまう。
そして最後には、人類が魔物によって滅亡してしまった。そんな悲惨な終わりとなる物語だ。
「これって……」
その物語を最後まで読み終えたマルティナは、眉間に皺を寄せた厳しい表情でじっと本の表紙を見つめた。しかしそこにはタイトル以外の情報は載っていない。
「ソフィアンさん、この本をなぜ選ばれたのですか?」
近くで本の整理をしていたソフィアンにマルティナが声を掛けると、ソフィアンは本を置いて立ち上がり、マルティナが座るテーブルのそばに向かった。
「――実は瘴気溜まりのことを耳にする機会がありまして、たまたまその本の存在を思い出したのです。もしかしたらその本は、瘴気溜まりのことを示しているのではないかと」
いつも優しい笑みを浮かべているソフィアンが真剣な表情で告げた言葉に、マルティナはゆっくりと頷いた。
「私もそう思いました……この本には作者名が書かれていませんが、明らかに瘴気溜まりや悪魔など、歴史に詳しい人物が書いたものだと思います。もしかしたら、この本はただの物語ではなく、過去の歴史研究家が多くの方法で後世に情報が残るようにと、正確な情報を盛り込み書かれたものかもしれません」
物語の中では人々がなんとか黒いモヤを消し去ろうと、そして男が悪魔との契約を解こうと奮闘する場面があるのだ。マルティナはその部分を、瘴気溜まりの消滅に置き換えられると考えた。
「特に気になるのは男が最後に調べていた、悪魔との契約を解除する解除者についてです。解除者はこの世に存在せず、異境から呼び寄せなければならないと結論づけられていました。さらに呼び寄せる方法は、召喚陣を描くこと。私は解除者が聖女で、召喚陣とは聖女召喚の魔法陣であると思います。召喚陣は完成半ばで男が命を落としてしまいましたが……前向きに捉えれば、半分は完成していたということです。これを参考にして他の文献からも情報を集め――」
マルティナは考えを整理するかのように、半ば自分の世界に入り込んで意見を口にしていたが、ハッと目の前にいるソフィアンに気づいて俯き気味だった顔を上げた。
「すみません! 訳が分からない話をしてしまい……」
「いえ、構いませんよ。それに聖女召喚については少し聞いております」
ソフィアンのその言葉に、マルティナは瞳を見開き驚きを露わにした。
「……ソフィアンさんは、情報通なのですね」
「ふふっ、そうなんですよ。図書館にはさまざまな方が集まりますから」
「確かにそうですよね」
「はい。ですから消滅が叶わなかった瘴気溜まりについても聞いておりまして、私も少しでもお役に立てれば良いのですが」
「この本のことを思い出してくださっただけで、とても貢献していると思います。光属性でどうにもならない以上、聖女召喚は大きな可能性の一つですから」
そう言ってまた難しい表情で考え込んでしまったマルティナに、ソフィアンはいつもの優しい笑みに表情を戻すと、マルティナの目の前に置かれたままになっていた騎士物語を風魔法でカウンターに戻した。
「あっ……」
突然本が飛んだことに驚いて顔を上げたマルティナに、笑顔で声を掛ける。
「マルティナさん、せっかくの休日にこのような本をおすすめしてしまい申し訳ございません。難しいことはまた後ほど考えるとして、もしよろしければ私と共に昼食などいかがでしょうか」
ソフィアンの笑顔と惹かれる提案に、マルティナは頬を緩めて頷いた。
「ぜひご一緒させてください」
「ありがとうございます。では他の司書に声を掛けて参りますので、少々お待ちください」
「分かりました」
それからソフィアンは数分で昼休憩に入る準備を終え、マルティナと共に王宮図書館を出た。二人が向かうのは王宮内にある食堂だ。
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