第21話 託された想いと紫の石
「――避けろ!」
誰が声をあげたかは知らない。ただ叫ばれた声のまま、反射的に、弾かれたようにその場から一斉に散り散りになった。
散り散りに足許を蹴って退けた処には、紅色の焔のような塊が転がり落ちる。紅色の塊が転がったそこは瞬時に辺りを明るく照らし出し、ずぶずぶと不気味な音を立てながらまた闇に戻って行く。
明かりと入れ替わりに、辺りにはこれまでに嗅いだこともない、鉱物かなにかが熱せられて放つような汚臭が漂い、ぬらぬらと液体のような物がゆったりと広がっていくのが見えた。
目の前で突然広がった光景が、累々と広がっていた亡骸の一部が、あの焔のような物で溶かされたのだと判るまでに瞬きほどの時間を要するほどだった。
後ひと刹那でも遅かったなら、いま足許に爛れているのは我が身だったかもしれない――脳裏に過った想像に五人の背筋が凍る。これまでに遭遇してきた幾多の魔獣や妖獣とは比べ物にならない、圧倒的な威圧感と先制の攻撃に無意識のうちに歯が鳴り、膝が震えていた。
「あいつら、大丈夫かな……」
「どうでしょう……無事であったとしても、そう長くは耐えられないと思いますよ」
直前まで囲っていた座の位置の関係か、グドはザングと共に岩影と思われる処に身を潜め、残り三人もまたそれぞれ影にじっと息を潜めているようであったが、安否のほどは定かではない。
言葉を交わしている間に、辺りには再び湖の畔で吹かれたような激しい風が吹き始める。竜とそれに命を奪われた亡骸たちが放っていると思われる汚臭と、吹き荒れ始めた疾風に呼吸もままならない。
ただ風の中に身を置くだけでも容赦なく体力は奪われ、体温までも低下していく。身を縮こまらせて微動だにしないようにしているだけでもどんどん指先や爪先の感覚が鈍くなっていく。
時折、足許に散らばっている白い躯の欠片が彼らに襲いかかることもあるため、鋭利なそれらも払い除けつつ耐えるしかなく、掌の中の命数が音を立てて闇の風に巻かれて飛ばされていく。
「グド、さっき渡した水晶を」
「え? あ、あぁ、返す……」
「いえ、それで風を鎮めてください」
「これで? できんの?」
「あなたの矢にそれを結わえて、竜の眉間の辺りを狙い撃ち抜けばきっと鎮まります」
「眉間?」
「そこがヤツの末魔です」
「……そんだけで、ホントに?」
「あなたにしかできません、だから、渡したんです」
烈風吹き荒れる闇の中、真っすぐにグドを見据える瞳は、彼の手の中に改めて握らされた水晶にとてもよく似た色をしていた。
自分の全てを
手中の紫水晶を矢じりの付け根あたりに固く結びつけると、風に大きく弧を描きながら菫色の欠片が揺れる。
冷たい烈風に晒された五つの生命が己の手に委ねられた。新たに圧し掛かる重みにぐっと奥歯を噛み締めながら、グドは弓を杖のようにして身を起こし、ゆっくりと立ち上がる。
容赦のない風が白骨の欠片で渦を成し、塊となって次々と襲いかかってくる。古く脆いそれらは、身体に当たる直前で腕を振れば簡単に払い除けることはできた。
しかし、止めどなく続く強襲に、残り少ない体力が徒に削がれていく。託された矢を構え、放つことも困難とさえ思えた。
足を踏みしめ立ち続けることがやっとな烈風の中、心が折れたわけでは決してなかったが、眼を空けることすらも難しい状況がこれ以上好転するとも考えにくい。
苛立ちと焦りだけが募っていく中、何かの影が風の吹きつけてくる方向に立ちふさがる気配をグドは感じた。影を感じた途端、若干ではあるが彼に当たる風は勢いを削がれ、白骨の欠片を除ける必要もなくなったのだ。
グドが驚いてそちらを見やると、自分とは離れ場所に逃れたと思っていたテレントの背があった。テレントは烈風に巻き上げられて舞いあがる骨の渦を次々と薙ぎ払う。
渦に当てられたか、退けたときに除けそこなったりしたのだろう、渦を薙ぐ剣を握る肩が鈍い赤色をしていることにグドはすぐに気付いた。
赤く染まった肩を庇うことなく剣を振り続けるテレントに、グドが声をかけようとするよりも早く、怒号が背中越しに飛ぶ。
「ここは俺がやる、おまえはおまえの務めを果たせ!」
自分の務め――蒼白の月明かりの下で託された故郷の悲願、無事に帰還し、再び抱き合えることを信じて疑わない幼いぬくもりとの約束、手の中に託された五つの生命――闇の風を前に竦んだ足を渾身の力を振り絞って踏みとどまらせ、紫紺の欠片の揺れる漆黒の矢を構える。
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