第15話 彼らがいま望むもの

 野営を行っている間、夜間は交替で見張りをしながら休息を取る。見張りは常時三人いるようにしていたが、数刻置きの交代は二人ずつだ。

 見張りをする間は火を夕餉の時のように焚くことはできない。大きな火のある場所は人がいると魔獣たちは知っているからだ。

 旅慣れない頃は交替の頃合いになっても交替の者が起きてこなかったり、見張りの途中で三人の内二人が眠ってしまったり、それを不服に思った物と当事者が口論になったりなど、揉め事が少なくなかった。

 だが目的地までの目途が立ち始めたこの頃では、身体が自然と交代になると思われる時間の前後には眼が覚めるまでになっていた。


「静かだな、なんか」

「えぇ、この前までが嘘のように、小物の気配すらありませんよ」

「狗宵の外れはホントに何にも生き物がいないんだって昔、聞いたことあるよ。グドがさっき話してた話、あながち嘘でもないみたい」

「生き物という生き物が、城を見捨てたってのが?」

「うん……城っていうか、この土地全部を見捨てたんだろうね。だから、闇が好きな魔獣とかが集まっちゃうのかも。あの城の、竜とかみたいなのが」


 遠く、視界のはるか向こうに城の姿を臨んでいるかのような眼をしてフリトが言う。闇の中を活き活きと跋扈ばっこする生き物の気配が日増しに濃くなっていき、当たり前のように姿を見せていた野鼠のねずみ栗鼠りすのような小さなごく当たり前の獣たちが段々と姿を見せなくなっていることに気がつき始めていたからだ。

 昔、まだ生きていた頃の父親に聞かされた闇の生き物が息づく森の話の通り、この森は深く進めば進むほどに生の気配が薄れていく。


「それもあるから、城の周りには生き物は近づかないんでしょうね」

「だね……近づいたら食われちゃうからかな……」


 フリトの呟いた言葉にテレントとザングがひっそり笑い、そしてまた感情の薄い表情に戻る。

 鬱蒼うっそうと茂った樹々の狭間から夜空の星すら眺めることができない漆黒の闇。それでもゆっくりと移り変わって色を変えていく景色にも、闇に紛れて近づいてくる魔獣の影を感じ見極めるように見慣れてしまっていた。

 身体の髄にまで沁みつく闇の森独特の日常が、これまでの常識の儚さを嗤っているようだ。

 もうじきこの旅はひとまずの終わりを告げる。それが目的地に到達してという意味での終わりなのか、あるいは、すべての終わりという意味も含んでいるのか――それは、辿り着かなければ得られない答えであることだけは確かだった。

 先程のグドの話によれば、数百年前まで今いる場所は国の中心であった街だったのだ。文明を贅と人々の欲望が渦巻く、この世の宝石のような街。

 それが、見る影なく樹々が生い茂り、魔獣と妖獣の蔓延る、足を踏み入れたものは全て喰らいつくしてしまうほどの死と闇の森に変わり果てている。目指す月の城は、それを見下ろすような形で太陰山連のすぐ麓にそびえ立っているという。


「あー、酒飲みてぇなぁ! 肉も、イヤっていうほど食いたい」


 せいの気配をすっぽりと飲み込んでしまいそうな沈黙を、テレントが大きく伸びをしながら声をあげて破る。己の欲求不満を口にしたというよりも、あえてそうすることで静寂に沈む場の空気を和らげる。

 「もう少しの辛抱ですよ、テレント」と、子どもを宥めるような口調で応えるザングに、テレントは苦笑しながら、「生きて帰れればって話だろー」と、返す。無防備に曝された魂の危機を笑いの種に変えて不安を紛らわせるという術も、いつの間にか身に付けてしまっていた。

 「願い事、酒飲みたい、肉食いたいってのにすれば?」テレントの言葉に、更にフリトが言葉を重ねると、「んなの一瞬で終わりじゃんかよ!」テレントは呆れた風に、それでいておかしそうに笑う。


「それなら、どんなことを願うんです?」


 二人のやり取りを眺めていたザングがそう訊ねてくると、テレントは急に考え込んだ。

 強欲の限りを尽くして滅びた地に眠る、すべての望みを叶える秘宝。それを手にすることができたとして、一体何を望むのか。命あればこその儚い夢であると判り切っているものの、ふと心の隙間に思い描いてみようとするも、何度試みても、不意に口をついた言葉以上の望みが浮かんでこない、と、テレントは答えた。


「剣で身を立てたいとか?」

「今でも十二分にその腕はあるぜ、俺は」

「じゃあ、金持ちになるとか?」

「それこそ、その王族の二の舞だろ。権力持って偉くなったりするのも、きっと同じだ」


 思いつく限りの望みを並べたがことごとく否定し、その上尤もらしい理由まで付けてくる。反論の余地もない答えに、「だったらなんで、この旅についてきてんのさ」と、つい、忌々しそうにフリトが質問を変えた。

 フリトの新たな問いかけにテレントは小首を傾げながら答える。


「さー……なんだったんだろうな、最初はそれこそ金持ちだとか王様みたいになりたいとか、そういうのを叶えたかったのかもしれないけど……なんだろ、気づいたらそんなことがどうでもよくなってんだよな、なんか」

「僧侶か年寄りみたいだね、なんか。悟ってる」

「なんか毎日化け物倒して、殺して、俺らはどうにか生きて、何か食って、ちょっと寝て、歩いて……っての繰り返してるとさ、“あー、もうちょっとだけでいいからあったかいもの食いたい”とか、“もう少しだけゆっくり休みたい”とか、それぐらいしか願いっつーか、欲がないんだよなぁ……」


 極限の状態に置かれ、自分の意の届かぬものに翻弄される日々を送り続けていると、欲望というものはなりを潜めてしまうものなのだろうか。

 当初の目的こそ金や名誉や、果ては永遠の命などをそれぞれ望んでいたのかもしれないし、実際そうであった。

 しかし、日々それを得るための手段や避けられぬこととはいえ、進むため、身を守るために数え切れぬほどの殺戮を繰り返していくことになる。

 それは想像をしていたよりもはるかに重く心身に圧し掛かり、時としてそっと音もなく忍び寄り、心身を蝕まんとしているようにも思えた。


「こう……なんて言うか、当たり前にこうやって生きてる以外になんか要ることってあるかなーって思っちゃう瞬間、ない? だってさぁ、生きて帰れるか判んないんだぜ? 明日死ぬかもって感じじゃんか、毎日。それなのに、“金持ちなりてー”って思える?」

「まぁねぇ……俺実際死んだしねぇ」

「だろぉ?」

「だからって、今更引き返すつもりもないんですか?」

「それは……みんな、同じじゃないの?」

「……まぁ、そうでしょうね」

「うん……」


 斬り捨ててきた幾多の魂の上に立つ自分の魂と、闇と向き合う日々の中、旅の始まりの頃は欲望で膨れ上がっていた己の姿が刻々と変化していくのを感じる。

 命を積み重ねた先にある、この世のあらゆる望みを叶える秘宝を手に入れるために歩みを進めるほどに、膨れ上がっていた欲望は削られていく。

 身を削り、命を削り、生の危機に瀕するたびに、あれほど抱(いだ)いていた欲望はらはらと晩春の花吹雪のように散っていく。散っていくそれらを、もう既に惜しいとすら思わなくなっているのは言うまでもなく、散ったことにすら最早気が付いていないのかもしれない。

 そしてそれぞれの掌の中には、真に願うもの、望むものだけが蹲っている姿が見え始めていた。

 ただ今は、それを口にしてしまうことはあまりに尚早かと思われ、誰もそれ以上口を開くことはない。


「……静かだね、ホントに」

「ええ……本当に、すぐそこまで来ているんですね」

「うん……」

 己の真に願う望みを叶えるべく歩み続けることを止めるわけにはいかない。己の誇りや名誉のためではない、本能が望むものを叶えるために、彼らは歩み続ける、この夜が明け始める前に。

 ゆらりと生暖かな風が三人の頬を撫で、六つの眼が見上げている星も月も見えない闇の中を吹き抜けていった。

 民も臣も、辺りに息づいていた生きるもの凡てが見捨てた殷賑の城まで、あといくばくもない距離に思いを馳せながら、静寂に身を委ねていた。


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