百合の気配 6

 昼休みが終わって午後の授業が始まる。

 教室内には気だるげな空気が漂っている。あと二時間だけだしね、適当に流したくなる気持ちは分かる。

 かくいう私も気だるげな空気を醸し出している生徒の一人だ。私の場合は午後の授業以外にも理由がある。昼休みの事だ、昼休みの出来事で、私は間違っていなかったのか。そんなことを悶々と考えていてる。要するに絶賛後悔中ということだ。

 私はノートを広げて唇を噛みながら、昼休みの出来事を一つ一つ思い出している。新手の拷問か? でも、家に帰って布団の中で悶えるより、まだ記憶が新しい時に悶える方がいい。

 保健室で聞いた神乃しんだいさんのこと、それに対する私の対応は本当に良かったのか? からかわれているのかな? ああ、こんなことを考えてしまう私って本っ当に最低だな……。

 神乃さんの声、息遣い、体温と鼓動、それらを肌で感じたのに、決意したはずなのに。

 だめだ、あんなことまでしたはずなのに、なにをいまさら考えているんだろう。大丈夫、神乃さんは大丈夫な人。必死にそう言い聞かせながら、さりげなく窓の外を見る。

 それにしても今日一日で随分と仲良く? なってしまった。昨日までは小柄で可愛らしい子だなと思っていた神乃さんが今日だけで、グイグイ来る人とか、大丈夫な人、と随分と印象が変わった。

 今日は神乃さんのことばかり考えている。高校生になって初めての友達。うん、悶えることよりこういうことを考えるべきだ。結局これは目をそらしているだけなんだけど。


 五時間目の授業の終了のチャイムが鳴る。あと一時間。

 私は教科書を片付ける。すると、私の視界に。

「あと一時間ね」

 神乃さんが現れた。授業中は悶々と神乃さんのことを考えてたりしてたけど、いざ話し出すと今まで考えていたことがまとめて吹っ飛んでしまう。

「あ、うん。そうだね」

 私がそう答えると神乃さんは目で教室の外を示す。なにかあるのかな? 私は廊下の方へ顔を向けるけど、特になにもなかった。しいて言うなら廊下で談笑する生徒ぐらい。

「行きましょう」

 教室でも耳元⁉

 私は席を立つと逃げるように教室から出ていく。

 ごめんなさい神乃さん!

 教室から逃げる私が向かう場所はあそこしかない。そう、屋上前の階段。

 どうしよう、クラスの人に見られていたら。私達の距離感になにか言われたら。それで、神乃さんが傷ついたりしたら嫌だ。本当に? 私が傷つけられるのが嫌の間違いじゃないの? 絶対そうだ! だって体が熱い、ただ私が恥ずかしいから逃げただけなのに、それなのに言い訳に神乃さんを使うなんて……。

「やっぱりここにいたのね」

 私の隣で衣擦れ聞こえると、身体が温かくなってきた。

花灯かとうさんはこの場所が好きなのね」

「す、好きっていうか、誰もい、いない場所だし……」

 ここなら神乃さんが見つけてくれるし。

「し、神乃さんと……ふ、二人になれる……から」

 ここなら、私達の距離感でも、文句を言う人はいないから。

「ふふ、嬉しいわ。そして、優しいわね」

 優しい? 私のどこが優しいの?

「別に、優しくないよ。優しいわけがないよ、私なんて」

「だって花灯さん、わたしを守ろうとしてくれているもの」

 違う、神乃さんを守ろうとしているんじゃない。私は自分を守るために、その言い訳に神乃さんを使っているだけ。保健室で神乃さんは大丈夫な人だから、私のことも大丈夫な人だって思ってもらえるようにしよう、そう思ったのも、結局自分を守るためだ。さっきの逃げたのだって、クラスの人に私が笑われたり、奇異の目で見られたくないからだ。

「そ、そんなことないよ、私が勝手に恥ずかしがってるだけだし!」

 結局それを口に出して神乃さんに言うことはできない。でも嘘はつきたくない、だから本当のことだけど、少し冗談めかして伝える。

「そうね、花灯さんは恥ずかしがり屋さんね」

 神乃がクスリと笑いながら私の頭を撫でる。

 凄い包容力。

 もし、今私が思っていることを神乃さんにぶつけたとして、神乃さんはそれを受け入れてくれるのかな?

 ダメだ、いつもこれだ。

 なんでこういうことを考えてしまうんだろう。神乃さんは大丈夫な人のはずなのに。

 

 大丈夫な人だから、受け入れてくれるはず。


 本当に大丈夫な人か分からないから試してみよう。


 結局私にとって神乃さんはどういう存在なんだろう。保健室でのあの時、私は心の丈を打ち明けたと思っていただけで、実際は嘘を並べて相手に同情してもらおうとしただけなんじゃないかとすら思ってしまう。

 不意に私の身体が温かくなって、耳を舐めるような吐息が私の意識を持ち上げる。

 ハッとすると、神乃さんが私に抱き着いていた。

 また自分のことしか見えなくなっていた。今は神乃さんと二人っきりなのに、なんで自分のことばっかり、悩むなら一人で悩まないと。ああでも違う、保健室でもこうなっていた。勝手に一人で悩んでいた。あの時は神乃さんもお互い様みたいなことを言っていたし。

「大丈夫?」

 どうでもいいや、悩むのは後にしよう。ううん、悩むのは放課後、神乃さんと二人の時間にしよう。今はただ、神乃さんと二人で短い時間を過ごそう。

 私は身体を神乃さんの方へ向けると、力いっぱい抱きしめる。

 大丈夫今は。でも、少し大丈夫じゃなくなるかもしれない。だから私は神乃さんの首に顔をうずめる。そして、神乃さん頬に、私の熱くなった頬を重ねて囁く。

「大丈夫……今は」

 神乃さんの吐息が私の耳元で感じる。

「だから、放課後、約束」

「……ええ、約束」

 少し言葉足らずだっただろうか。

「その時に教えて。花灯さんのこと」

「うん……ありがとう」

 神乃さんは待っていてくれる。優しい人だ。

 私はそろそろ休み時間が終わるだろうと、神乃さんから離れようとする。

「あ、ごめんなさい。制服、しわになるわ」

 そう言うと神乃さんは、私の背中を何度か撫でる。私もつられて神乃さんの背中を撫でてみる。

 やがて神乃さんが撫で終わったのを確認すると、私達は共に離れる。少しだけ神乃さんの耳が赤くなっていた。

 もうすぐチャイムが鳴るだろうと思っていたけどなかなか鳴らない。そんなタイミングで、神乃さんが私に小指を差し出す。

 私もそれに応じるため小指を差し出して、神乃さんの小指に絡める。

 丁度その時チャイムが鳴って、私と神乃さんはそのまま教室へと向かう。

 二人だけの世界から出る直前、するりと神乃さんの小指が私の小指を離れる。だけど私達は並んだまま、教室へと向かうのだった。

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