17
やがて後半戦が始まった。我々は必死になって戦った。全員でピッチを駆け回り、せめて一点でももぎと取ろうと奮闘した。
だが、二人も欠けた穴は想像以上に大きく、ハイリーの攻撃を喰い止めるだけで手一杯だった。サイドを駆けあがるカウンターも潰され、バートンのフリーキックも失敗に終わり、最後までゴールを奪えなかった。
試合は一対〇で、ノーザンプールが敗れた。この瞬間にプレミアリーグの首位を明け渡し、二位に転落した。
ハイリー側で巻き起こる歓声が耳に痛かった。ホームでの敗戦は一番の苦痛だ。サポーターたちも足早に去ってゆく。私も一刻も早く立ち去りたい。しかしハイリーの選手に呼び止められた。
「残念だったな」
ヤンが握手を求めてきた。ヴューランジェもいる。
「動きがずいぶんとちぐはぐだったよな。もしかして、トレイを我慢していたのか?」
「君たちが心配することじゃない」
ヴューランジェは握手した手を痛そうに振った。
「そりゃそうだけど、ドーバー海峡を渡って、宿敵のブリタニアに上陸した仲間として心配しているんだぜ。ドュートルの奴は、頓着しねえだろうし」
「だったら、オウンゴールでも決めてくれれば良かっただろう」
ヴューランジェはヤンに肩をすくめる仕草をした。母国のクラブの下部組織にいた頃からドュ―トルと仲が良かったヴューランジェは、彼と同じクラブにいる私に嫌がらせをしたいのだろう。
「おいおい、試合に負けたからって八つ当たりするなよな」
「勝手に現れたのは君たちだろう」
ヴューランジェが呼吸困難にでも陥ったかのように、鼻息を荒くした。
「今度は勝つ」
返事も待たずに背を向けた。背後で悪態をつく声があがったが、もう関係がない。
ふと、エヴァンスマネージャーがベンチにいるのに気がついた。いつも通りの隙のない身なりで、試合の終わったピッチを不満そうに睨んでいる。VIP用の観客席から観戦していたはずだが、聖なるクラブの敗戦は彼にとって受け入れ難い苦痛なのだろう。だが私に気がつくと、何故か口元にうっすらと笑みを浮かべて立ち去っていった。
マネージャーの微笑に首をひねりながら、ドレッシングルームへ向かうと、その途中でバーン監督が数人の記者たちに囲まれていた。記者たちの質問が耳に入ってきた。――チームメイトは仲間割れしているのですか? 監督は冷静に応じた。――私たちは全員仲間です。私は選手たちを信じている。
私はため息をつきながら、ドレッシングルームのドアに手をかけた。アイはどうしているだろう。試合に負けたショックよりも、アイの身が心配になってきて、一気にドアをあけた。
室内には、チームメイト全員がいた。
「どうしたんだい?」
ただならぬ空気に、注意深くドアを後ろ手で閉めた。その場にいたチームメイトは、そろって私を振り返った。みな険悪な表情をしている。試合に敗れた後だとしても、異様だ。
よく見ると、ギルとポーティロが窓側のベンチに座り、その反対側にアイとレインとゲイリーがいて、互いに睨みあっていた。あとのチームメイトは、四人を見守るようにして立っている。
「どうしたんだい?」
嫌な予感がした。
すると、ポーティロが床を蹴って立ちあがった。
「もういいかげん限界だ!」
「なにがだい?」
ポーティロの瞳が反対側に座るアイを矢のように突き刺した。
「決まっているだろう! こいつのことだ!」
私は床を踏みしめるようにポーティロに近づいた。ポーティロの頭の高さは私と同じくらいである。わざと長身の胸を張って腕を組んだ。ポーティロも負けじと顎を突き出した。
「こいつとは誰だい?」
「そんな嫌がらせをするなよ、ヴィク。頭のいいお前だったらわかっているだろう」
両腕を広げてもたれかかっているギルが顎をしゃくった。
「お前が罵った、そのジャパニーズのことだよ」
「俺の名前は磯崎愛です」
アイが抗議した。だがギルはせせら笑った。
「どっちでも同じだろう?」
「同じではない」
アイが私を見上げた。私は彼の横に立った。
「どうだっていいさ」
ギルは軽くいなした。
「問題なのは、こいつのせいで今日の試合に負けたってことだ」
「そうだ」
ポーティロが苦々しく相槌をうつ。
「こいつのせいで、試合に負けた。大事な一戦だったのに、下手糞なファウルでPKを取られ、挙句にはレッドカードまで喰らった」
「確かにPKをもらったのは俺の落ち度です」
アイは小さな体に似合わない声で言い返す。
「けれど下手糞と言われる筋合いはありません!」
私は思わず目を見張った。アイは果敢だった。
だがギルは、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「だから何だ? 俺たちが言いたいのは、全てお前のせいだってことだ。最近の試合で勝てないのも、お前がチームの一体感を乱しているからだ。お前がいるとチームが一丸となって戦えないんだ……邪魔なんだ」
ギルはアイの黒い両眼を覗き込んだ。
「お前は日本のスポンサーのおまけだろう? 実力のない奴は、さっさとこのクラブから出て行けよ」
アイの肩が震えていた。怒りからかショックからかはわからない。私はその肩を掴んで、力任せにベンチに座らせた。そしてアイを庇うようにして前に立った。
「ギル、それはチームメイトにかける言葉じゃない。今すぐ謝るんだ」
「お前は謝ったのか?」
「謝ったよ! ヴィクは!」
叫んだのはレインだ。目の前の二人を敵意剥き出しで睨んでいる。手元に石があったら、投げつけているかもしれない。
「ヴィクはちゃんと謝ったんだ! ギルもポーティロもひどいよ!」
「そうなのか?」
ギルが上目遣いに私を見た。その口元が冷笑している。
「随分と優しいな、ヴィク。傲慢なフランス人が謝罪するなんて、何かあったのか?」
「悪いのは、私だ」
この際、チームメイト全員に言っておくことにした。
「彼には何の落ち度もなかった。私が悪いんだ」
「ヴュレルさんは悪くない!」
いきなり背中を強く引っ張られた。
「あの時は、俺が生意気な口を聞いたから!……俺が悪いんです!」
私を押しのけたのはアイだった。私は驚いた。しかしアイは私を見ようとしなかった。
「君は悪くない」
私を庇おうとしたのかどうかは知らないが、彼を悪役にさせるつもりはなかった。
「悪いのは私なんだ。チャンスがあったのに、君にパスをしなかった私は、チームの司令塔として失格なんだ」
「いいえ、悪いのは俺です。あなたじゃない」
アイが反抗的に言い返してくる。私は段々と腹が立ってきて、彼の頭にひとさし指を突きつけた。
「いいかね? 私の発言を否定する権利は君にはない。私自身が悪かったと言っている以上、それが事実だ! それ以外は全て出鱈目だ!」
「いいえ、悪いのは俺です」
アイは横を向いて、むっつりと言ってきた。まるで壊れたテープレコーダーのように、同じ言葉を繰り返している。一体何だと言うんだ! 私が何をしたと言うんだ! 生皮を剥がされるような思いで謝罪しているというのに、私に恥をかかせるつもりか!
その時だ。誰かが吹き出した。
「最高だな」
ゲイリーがこの場の息苦しい空気を吹き飛ばすように、膝を叩いて笑っている。
「おい、アイ。いいもの見せてもらったぜ。この高慢ちきなフランス人がむきになる姿なんて、滅多にお目にかかれないぞ」
「確かに」
と言ったのは、なんとドュートルである。
「これほどヴィクトールが感情的になった姿を見たのは、初めてだ。素晴らしい、イソザキ君」
私はカチンときた。何を言い出すのだ、このブルターニュ人は。だが急に周囲が気になった。すると周りのチームメイトはみな、笑いを噛み殺していた。先程までは影に脅えて固まるネズミのようであったというのに!
「君たちは何がおかしいんだ!? 誰か腹の捩れるジョークでも言ったのかい!」
「いや、ヴィク。すまない」
成り行きを見守っていたエヴァレットも小さく笑っている。私は憮然となった。何がおかしいのだ?
「さあ、そろそろいいだろう」
エヴァレットは笑いを呑み込むと、その場をまとめるように手を叩いた。
「今日の試合の反省はこれで終わりだ。次の試合に向けて意識を切り替えよう」
「そうだぜ。文句ばっかり垂れていても、しょうがないってことだ」
ゲイリーは二人の野蛮人に向けて言った。
しかしポーティロは舌打ちをして、立ちあがった。
「俺は認めないぜ」
アイへ強烈な一言を投げ飛ばし、その場にあったタオルを掴み取ると、床を踏みつけるような足取りでドレッシングルームを出て行く。
「俺は親切に教えてやっただけさ。世界の現実というものをな」
ギルもそう言い捨てて、後に続いた。
「イソザキ君」
ドュートルがタオルを手に近づいてきた。
「君も気づいていると思うが、先程喋ったギルの発言は半分は正しい」
アイは苦しげに眉をよせたが、覚悟を決めたというように頷いた。
「そうです」
「だがギルも隠している真実がある。チームの連帯感を阻んでいるのは、君自身ではなく、多分に第三者の人間によってもたらされた噂のせいだ。君はその不名誉な噂によって、自らの立場を貶められている。それに対し、全力で戦わなくてはいけない。たとえ孤独であろうとも」
「彼は一人じゃない」
私は反射的に言い返した。
何故かドュートルは満足そうに頷き、ドレッシングルームを出て行った。
「オレたちも行こうぜ」
レインがアイの肩を叩いた。アイは我に返ったかのように、慌てて自分のタオルを取りに走った。
「ヴィクも行こうよ」
「あとから行くよ」
私はアイを見つめた。しかしアイは顔を逸らしたまま、一度も私を振り返らなかった。
「おい、随分と仲がいいじゃねえか」
「まだいたのかい」
ゲイリーが馴れ馴れしく肩に肘をのせてきたので、思い切り撥ねつけてやった。
「お前、あの子を抱いたのか?」
「……まさか」
あの停電した夜のことが蘇ってくる。
「そっと……キスしただけだよ」
柔らかくて甘い味の残り香が、まだ私の唇を惑わしている。
「彼を、傷つけてしまったよ」
アイが驚いて抵抗したので、私は唇を離すと、その足で出て行った。
「アイがおかしくなったのは、私のせいなんだ」
「そうか?」
だがゲイリーは撥ねつけられた肘を撫でながら、気味が悪いくらいにニヤニヤしている。
「お前、どうやら本格的に惚れたようだな」
「私はチームメイトは抱かない」
言いながら、胸が苦しくなった。ならば、私のしたことは何なのだろう?
「まあ、いいさ。お前も相当なへそ曲がりだからな。先行くぜ」
白いタオルを片手でぶらぶらと振りながら、ゲイリーは出て行った。
ドレッシングルームには私だけが残った。この静まり返った空間には、見覚えがあった。アイが飛び出て行き、私一人が残った時と同じ光景だ。
しかしあの時と今とでは、もしかしたら私は変ってしまったのかもしれない。
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