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「クラブに新しく加入した選手たちは、うまくやっていけそうかな」
「さあ」
予想はついていたが、私は彼らのセラピストではないので、他に言いようがなかった。
「うまくやれなければ、来年荷物をまとめるしかないでしょう」
「確かにそうだ。だが私はクラブのマネージャーとして、彼らに期待しているんだ。できるだけバーン監督の希望にも応えたつもりだしね。それに、ビジネスとしては移籍金も払っているんだ。我がクラブが損をすることは絶対に許されない」
フロントの立場としてもっともなことを言うと、エヴァンスマネージャーは辺りを見回した。
「今期入った選手のうち、二人は大丈夫だと思っている。ただ……少々毛色の違う選手が入団しただろう? なにしろアジア人は初めてだからね……」
いつもは磨いたナイフのように歯切れの良い口調が、ためらって濁った。
「彼は使いものにならないと?」
私がマネージャーの心情を代弁した。
エヴァンズは肯定も否定もしなかった。ビジネスに関わる人間特有の冷徹な眼差しが、代わりに物語ってくれる。クラブのマネージャーがチームの結束を乱すような真似をするはずがないとは信じつつも、目の前にいる男がこのクラブを守るためならどのようなことでもするだろうというのは感じた。ノーザンプールは、エヴァンス選手が現役時代からずっと忠誠を誓っている聖なるクラブなのだから。
「ああ、呼ばれている。それじゃ、ヴィクトール」
エヴァンスマネージャーはオレンジ色のグラスを挨拶代わりにあげて、離れていった。
私は壁際から身を起こし、グラスをテーブルに置いた。だが、今度は赤毛のパンクロッカーがやってきた。
「ねえ、ヴィク。俺と一緒にアイを迎えにいこうよ」
突然に何を言い出すのかと思ったが、バーン監督とエヴァレットも待っていたかのように近づいてきて、同じことを喋った。
「アイは新しいチームメイトだ。こういう機会に、ほかのみんなとコミュニケーションをとるのも大切だ」
「それに、君とレインが迎えに行ってくれたら、アイも喜ぶよ」
私は白旗をあげた。包囲網を築かれては、そのとおりにするしかない。まるで登校拒否児を迎えにいけと命令された教師のような気分だが、従うことにした。
監督とキャプテンの信頼に応えるべく、私とレインは彼の部屋へ向かった。その足で、私も部屋へ戻ればいい。
「あのさあ、ヴィク」
静まり返った通路を歩きながら、レインは言いたくて仕方がなかったかのように切り出した。
「監督が言っていたんだけど、アイは調子が悪いみたいなんだって」
「そうなのかい」
「うん、練習のときだって、あまりシュートが決まらなかったじゃんか。どうも本来の実力が出ていないみたいなんだよ。バーン監督がそう言っていたんだ」
「本番になれば、きっと発揮されるよ」
彼がどういう状態だろうが、私が案ずる義理はない。
「彼はプロのサッカー選手だ。アマチュアではないだろう」
少々口調がきつかったのか、レインはウサギのように階段を飛びあがりながら、しかめっ面をして睨んできた。
「ヴィクって、アイには冷たいよね」
「そうだね」
私は頷いてあげた。ますますレインは怒ったようだ。
「ほかのみんなもさ、すっげー冷たいよな。いったいアイが何したっていうんだよ。日本人だから避けているのかよ」
「君は仲よくなったようだ」
「だって、アイはいい奴さ。ヴィクだって、きっとそう思うよ」
レインも相当に性格がいい。
私たちは二階にあがって、左に曲がり、奥の行き止まりで足をとめた。突き当たって右側が、彼に割りあてられた寝室である。部屋番号は211。
「おーい、アーイ」
ノックをしながら、ドアの四角い取っ手をまわした。鍵はかけられていないようで、あっさりと開いた。室内は暗かった。
「アーイ、いるんだろー」
レインが盛んに叫ぶと、人気のなさそうな室内で物音がした。外の夜気が我々の膚に触れてくる。どうやら、窓があいているようだ。
そのうちに、明かりがついた。それを背負って現れた日本人の彼は、オフホワイトのTシャツにジーンズ姿だったが、今起きたかのように眠たげだった。
「あれ、寝ていたの?」
「あ、ううん、そうじゃないよ」
彼は英語で応じながら、レインの背後にいる私に気がついた。すると、途端に目つきが険しくなって、そっぽを向いてしまった。
予想された態度とはいえ、けして気持ちのよいものではない。なぜ彼が私を避けるのか、理由がわからなかった。
「今、下のフリールームで、パーティーをやっているんだが、君も出ないか」
私は事務的に喋った。手早く用事を片付けなかった。
「そうそう、監督やキャプテンだって来いって言っているよ。行こうぜ、アイ」
レインも気軽に誘う。
彼は我々の申し出に困ったようだったが、やがて首を横に振った。
「いいよ、俺は」
レインに向かって、そう返事をする。
「疲れているし」
「えー、でもさあ」
レインが頑張っているが、私はもう消えることにした。監督とエヴァレットに頼まれたことはきちんとやったのだ。あとは本人の自由だ。
二人を残して、その場を離れた。レインの癇癪が背中にあたったが、片手で振り払って、階段を下りた。
自分の寝室へ帰る途中、立ち止まって廊下の窓を見上げた。地上の照明はグラウンドを照らし、夜空でも星が輝いていた。ひときわ輝いているのは、北極星に違いない。
私は立ったまま、しばらくの間、星を眺めていた。
自分でも気がつかなかったが、いつのまにか右手が拳に変化していたらしい。私は窓ガラスの下にある壁にかるく押しあてた。泥のように溜まった苛立ちが、吐き出し口を求めていた。
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