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「後半は選手を入れ替える」
ハーフタイムを挟んで、バーン監督は指示を出した。前半戦に出られなかった選手である。白チームは新しく入団したスウェーデン人がラースと交代し、赤チームはイエンセンに代わって日本人が入った。
ランドンコーチが後半開始の笛を鳴らし、今度はレインと日本人がボールを蹴る。
去年はピエールがいたポジションに、似ても似つかない人間がいるのはひどく奇妙な感じがした。身長も体格も、ボールを追う動きも違う。ピエールは常に相方を支えるように動いていた。だが、私たちに迫ってくる二人は、どちらも主役を張りたいようである。
私はボールを奪いに走った。日本人がボールを持っている。私の姿を認めると、黒い瞳が敵を見るように睨んできた。そこまで闘争心を剥き出しにしなくてもよいと思うのだが、日本人は真面目な国民だと聞いている。彼はその国民性に恥じない振る舞いをしているのだろう。肝心の名前が思い出せない。
私は真正面から足を繰り出した。近くには頑固なドュートルもいた。だが不思議なことに、彼もボールも私の横合いをすりぬけて行った。気がついた時は、もう遠ざかっていた。
スピードケリーにまさるとも劣らない速さで、彼はドリブルしていった。私の動きが遅かったのだ。正直驚いた。あの速さはピエールにはなかった。
急いで後を追った。彼はボールを独り占めする気はなく、バートンへパスをする。ボールはピッチ上を渡り歩いたが、あのブラジル人ペレイラが奪い、私へパスをくれた。が、誰かが私のユニフォームを背中で引っ張った。それに一瞬気を取られ、ボールは近くに落ちてしまった。
レインが背後から飛び出てきて、ボールを拾った。私へ向かって悪戯小僧のように舌を出す。私は呆れて肩をすくめた。審判は笛を吹かない。見えていないのだから、吹きようがない。こういう反則は試合につきものだが、なにも仲間内ですることでもあるまい。私は練習台ではない。
仕方がないと思いつつ、ボールを追って走った。だが、いきなり笛が鳴った。
何事かと思ったが、相手チームのペナルティエリアに近づくと、誰かが倒れていた。黒髪の小柄な選手。日本人だった。
ランドンコーチが手振りを交えて、厳しく応対している。その相手はポーティロだった。
「どうしたんだい?」
近くにいたスターンに尋ねると、いつも陽気なジョークを繰り出す声が、少々暗かった。
「ん……あの子がシュートしようとしたんだけどな。ポーティロがおもいっきり体当たりしてさ……」
私も顔をしかめた。リーグ戦開幕前に怪我をさせてしまうような荒っぽいプレーは、やってはいけないことだ。しかもチームメイト同士でのぶつかり合いなど、言語道断である。
「俺は悪くないぜ」
ポーティロの声が聞こえる。
「プレミアでの試合は、こんなことざらだろう? 俺はこいつにそのことを教えてやっただけだ。こんな軽いタックルで骨を折るようじゃ、やってられないぜ。もう一度ミルクを飲むところから始めたらどうだ」
バーン監督も医療チームと一緒にピッチの中へ入ってきた。倒れている日本人のそばで膝をつき、様子を見る。
私はその場に立ったまま、腕を組んで、さりげなく周囲を観察した。心配そうに近づいていったのはレインとエヴァレットだけで、それ以外のチームメイトは全員遠巻きにして眺めている。私と同じように。
そのうちに、日本人が上体を起こした。頭に手をおいて、靄を払おうとするかのように軽く振っている。監督やチームドクターが診察しようとしたが、彼はそれを振り払って立ちあがった。
「大丈夫です」
彼の声が聞こえた。静かで落ち着いた青年の声だった。
バーン監督は彼の状態を確かめるように屈んでいたが、やがて納得したように頷いて、試合の続行をランドンコーチに告げる。危険なタックルをしたポーティロには、冷静に注意をした。
ポーティロは改めてイエローカードを突きつけられた。本来ならレッドカードを与えられてもおかしくはない行為だったかもしれない。しかしポーティロは私にまで聞こえるぐらいに舌打ちをして、己のポジションへと戻った。
ランドン審判が笛を鳴らし、赤チームにPKが与えられる。ボールを蹴るのは、日本人の彼である。
我々が見守るなか、ボールを置いて、思いっきり足を蹴りあげた。だが先程の不慮の影響か、全く勢いがなく、簡単にヴァレッティに止められてしまった。
それからの試合展開は、味が大甘なワインのようだった。試合自体は一対〇で、私のいたチームが勝ったが、内容的にはよくなかった。
その夜、合宿所にあるシャワールームで、ギルと一緒になった。
「ポーティロに何を言ったんだい?」
シャワー室は壁で仕切られているが、首から上部分には仕切りがない。シャワーのノズルをまわして、温度調整をし、熱い湯を全身で浴びながら、隣で体を洗っていたギルにそれとなく話しかけた。
「何がって? ああ、あのジャパニーズのことか」
立ち籠める白い湯煙のなかから、ギルが上半身を起こして、こちらを向いた。
「うちのクラブに金を落とすためだけに、連れてこられたんだろう。そう言ったんだ。客寄せパンダだってね」
イングランド人のギルは、フランス人も驚くぐらいの辛口である。
「しかし、ああいう荒っぽい行為はよくないだろう」
「知らないな。俺はマネージャーから聞かされた話をそのまま伝えただけだ。文句なら、エヴァンスに言え」
エヴァンスマネージャーは、チームの総責任者だ。彼が自らの立場上、そのような話を選手に語って聞かせたとは思えない。
私が黙り込んだので、ギルは濡れた髪を後ろに撫でながら、シャワーをとめた。
「お前だって、ピエールがいなくなって寂しいだろう? 今日のゲームじゃ、あのジャパニーズはまったく使えなかったじゃないか」
「それは、誰も彼にボールを回さなかったからだ」
PK以後、彼はボールに触れることができなかった。
「それがどうした。俺たちは遊びで試合をやっているんじゃない。サッカーは仕事なんだ。仕事ができない奴に、大切なボールを渡すわけないだろう」
ギルは濡れた青いタオルを肩にかけると、仕切り越しに顔を近づけてきて、私の耳に小さく囁いた。
「お前も、本当は気に入らないんだろう?」
私は無言でギルを見つめた。イングランド代表でも右サイドを支配する実力派のアタッカーは、五年前に「アリーナ」から移籍してきた。アリーナはマンチェスターに本拠地を置く強豪クラブの一つで、ノーザンプールのライバルチームでもある。サポーター同士の競争意識も強く、ノーザンプールへの入団は、当時「世紀の移籍」とさえ云われた。その後アリーナのサポーターからは常にブーイングを受けているが、モデル並みに整った容貌にはいつも冷たい笑みを貼りつけている。今もそうだ。
私は無表情を装い、シャワーに向き直った。ギルはシャワールームを出る際に、私の背中を小突いていった。
私の吐いたため息が、湯煙に混じった。リーグ開幕戦が迫ってきているというのに、今一つ集中できない。この湯煙のように、ふわふわと浮いているような感じだ。地に足をつけようとしても、何かが邪魔をしている……
その時、シャワールームのドアの開く音がした。ギルが私を笑いに戻ってきたのかと思ったが、小柄な人影は、あの日本人だった。
彼は白いタオルを手に、周囲を見回しながら、慎重に入ってきた。すぐにシャワーの音に気がついて、私の方を見る。
視線があった。
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