Scene C1「初恋の追憶」

いびき虫

追憶の初恋

「ねえ見てこれ、やばくない?笑」

嘲笑する檀香(まゆか)が興奮気味に友人に見せるのは、昨日隠し撮りした同じ学校に通う同級生の奇行が収められた動画だった。


「キタキタ。あいつだよ...笑」

ひそひそと話す彼女たちの目線の先には、動画の中に映る彼がいた。


彼は檀香と同じ高校に通う同級生だ。聞いた話では、中学の頃からただの一度も言葉を話していないらしい。


寡黙で内気な彼はある日の放課後、隣街の桜が散りゆく公園で、奇声をあげながら走り回っていたのだ。その様子を偶然見かけた檀香は咄嗟に彼の奇行を隠し撮りしていた。


その様子はインスタの親しい友達機能を通して、檀香の友人達の間で瞬く間に広がっていった。

檀香達は退屈な日常を終わらせようと、放課後の彼を尾行することにした。


尾行初日。檀香達の期待は思ったより早く叶うことになった。彼は電車で数駅行ったところで降りて、数分歩いた先にある寂れた公園で、砂遊びを始めたのだ。

「やっばぁ・・・!笑」


高校1年生の男子がひっそりと公園で砂遊びをする様子は檀香達にとって期待通りの違和感溢れる行動だった。檀香達は早速その様子をスマホで撮影して親しい友だちに共有した。


それからも暇さえあれば檀香達は彼を尾行しては盗撮する日々を繰り返した。学校では全く言葉を話さない内気な彼が見せる奇行は檀香達にとって最高の暇つぶしになっていたのだ。


しかしその年の冬、檀香達が親しい友だちのみに共有した彼の動画は、Twitterに転載され、「普段は地味な男子高校生の奇行」というタイトルで瞬く間に日本中に広まることとなった。



ゆりへ

無事、高校に入学することができました。

そちらはどうですか?寂しくはありませんか?

僕はまだ友達の一人もできてはいませんが、特に寂しくはありません。


今日は隣駅のさくら公園に行きました。桜の木の下で大きな声を出してみたんです。だけどやっぱり上手に言葉を話すことはできませんでした。でもほんの少しだけ心の奥が楽になった気がします。


あまり長く手紙を書くのは得意じゃないので今日はこの辺でやめときます。


PS.

そういえば今日、君のお姉さんを見かけました。勿論話しかけることはしなかったけど、元気そうだったから安心して下さい。


澪志より



「澪志(れいし)ー!朝ごはんできとーよー!起きっ!?ひっ!」


今まさに起こそうとした当の息子(僕)が、無言で真後ろに立っていたので、母は声にならない悲鳴をあげた。


「びっくりしたぁ!心臓止まるかと思ったわよ!あんまりびっくりさせんとって!」


母の心底驚いた顔が些か滑稽で笑いそうになったが同情して笑わないであげることにした。


「朝ごはんできたからはよ食べてよ」

「・・・」


僕は無言で頷いた。

僕は吃音症である。吃音症というのは言葉が詰まったり同じ音を繰り返してしまう症状のことだ。成長するにつれ、症状が収まることがほとんどだが僕の場合むしろ成長と共に悪化している気がする。吃音症だから内気なのか、内気な上に吃音症なのか、今ではよくわからないが、高校1年生の僕は言葉を全く話すことがない。


小学生6年の夏休み前日、友達だと思っていた大輔くんに突然、「お前、喋り方気持ちわりいんだよ。イライラするし、もう二度と喋んな」と言われた。


そして僕は夏休み中、永遠と大輔くんの言葉を反芻していた。そして、夏休み明け僕は言葉を話すことができなくなっていた。


こんな小さいことで?と思うかもしれないが、僕にとっては心に風穴が空くのに十分すぎる出来事だったのだ。


僕はいつものように風邪をひいてるわけでもないのにマスクをして学校へと向かう。



その日、学校中がざわついていた。


「おい、あいつじゃね?」

「やっべえ本物だ笑」

「気づいてんのかな?」


生徒達の関心は昨日、Twitter上で一躍有名になった「奇行男子高校生」だ。


その彼が同じ学校に通っているのだ。言うまでもなく彼は好奇の目の集まるところにいた。


その動画を撮影した当人である檀香は自身の意図しない広まり方に怒りを覚えていた。親しい友だちにだけ共有したいわば「秘密の動画」を親しいと思っていた友人に勝手に転載されたのだ。


仲間内では撮影者が檀香であることは周知の事実であったため、彼女から距離を取ろうとする友人も少なくはなかった。


しかしこの怒りの大半は、そんなことよりも彼への罪悪感を押し殺すためのものだった。

怒りで目を曇らせなければ彼への罪悪感によって今にも潰れてしまいそうなのだ。


檀香は怒りのまま彼に声をかけた。


「おい、お前」

澪志は振り向いたが口は開かない。

「・・・」

恐らく彼自身も昨日自分がネット上でピエロになっていたことは知っているだろう。

「お前、」

檀香が言葉を詰まらせているとそこに見物客が集まりだした。見物客たちは檀香を含めてあざ笑うようにひそひそとまくし立てた。


「・・・」

澪志は何も言わなかった。ただ黙って檀香の方を向いていた。

しかし彼の目は怒りに満ちることはなく、むしろ檀香を哀れんでいるような目で見ていた。

「・・・っ!」

檀香はその視線が酷く不愉快だった。蔑みの目。あの日の自分と全く同じ目をしていた。


自身の罪悪感と彼の冷たい目で感情の糸が音を立てて切れた。後頭部の方に痛みと熱が集中するのがわかる。そこからはまるで自動操縦に切り替わったように怒りのまま体が動いた。


「おいてめえ!すましてんじゃねえ!」

す怒気を放ちながら彼の襟元を掴んだ。目線を下に移すと彼の右手に手紙のようなものを見つけた。


檀香はその手紙を無理やり奪おうとしたが、その日初めて彼は強く抵抗した。

「・・・」

彼は無言だが、その表情には、熱が籠もりはじめていた。


「離せよ!なんだよこの手紙!きっしょいな!」

檀香は叫びながら渾身の力でその手紙を彼から引っ剥がしたが、手紙の封筒が破れて、中の便箋がその場に散らばった。


勢いのまま檀香は後ろに倒れた。自身の目の前に落ちた手紙を咄嗟に拾い上げ、便箋の一部に目をやった。


「・・・は?」


檀香は戸惑いを隠せなかった。その手紙の筆跡に見覚えがあったからだ。見覚えがあるどころか、檀香はこの字が大好きだった。もう二度と見ることがないと思っていた大好きな字だった。


目線を彼に移すと、先程までとは打って変わって彼の表情はとても歪んでいた。


「おいお前ら!何してんだ!ほらお前らも教室戻れ!澪志と白木は俺と来い」

突如現れた先生の怒号に騒然としていたその場は静まりかえった。



その日の放課後、檀香が澪志の教室へ向かった。澪志もまた檀香が来るのを待っていた。二人は示しをあわせたように二人で屋上に向かった。屋上につくまでの間、二人はただの一度も話すことはなかった。


屋上につくと澪志は、1通の手紙を檀香に渡した。檀香は黙ってその手紙に目を通した。


檀香の目頭が熱を帯びた。今日1日、そしてこの1年ずっと張っていた糸が切れたように涙が溢れた。


その手紙は1年前、病でこの世を旅立った妹、白木ゆりが書いたものだった。


檀香が澪志の顔を見ると、少し戸惑った様子で口を開かず、スマホのメモ帳で筆談を始めた。


「まず、僕は言葉を喋れない。ごめん」

涙でうまく喋れない檀香はぶんぶんと首を横にふった。


「僕は吃音症です。言葉が上手く出ない。小学生の頃それで友達に馬鹿にされてから言葉を話すことが怖くなった。」


檀香はただ黙って澪志の話に目を傾けた。


「吃音とは関係なく、小さい頃から病気がちの僕はある検査入院の日、ゆりと出会いました。病院の中を徘徊していたら、ある個室の扉が開いていて、そこから吹き込んだ風の香りがあまりにも優しくて、そう石鹸っぽいのにどこか甘くて、控えめな香りが心地よくて、思わず病室を覗いたら、そこにゆりがいた」


「・・・っふふ。あはは」

檀香は突然声をだして笑った。ただ伝えるだけにしてはあまりにも小説のような情景の描き方をする澪志に笑いがこみ上げてきたのだ。


澪志はきょとんとしている。

「・・・?」

「あははは。ごめんね。いいよ続けて」

檀香はようやく止まった涙を拭いて、再び澪志の文字に目を傾むけた。


「・・・」


あっという間に小一時間が経過していた。

話を聞き終えた檀香は、深呼吸をして澪志に頭を下げた。


「本当にごめんなさい」


澪志はそんなこと気にしなくていいよ。といった様子で首を横にふった。


澪志の話によると、澪志とゆりの二人は病院で少しずつ言葉を交わすようになり、当時、吃音症と性格も相まって友達のいなかった澪志にとってゆりはかけがえのない存在になっていた。


しかし内気な澪志は病院の外で会おうと提案することもなく、メールでやり取りするだけの関係が何年も続いた。


小学6年生の頃、澪志は言葉を話さなくなった。丁度その頃、ゆりからメールの返信が来ない日々が続いた。その頃のゆりは病気の進行によって、手術を繰り返していたので返信ができる状態ではなかった。そのことは澪志に隠していたのだろう。


だけどそれを知らない澪志はゆりに嫌われたのだと思い込み、自らもまたゆりと連絡することをやめた。


それから3年経って中3の卒業間近、ゆりから連絡がくる。

「2月21日、最後の手術をするよ。応援しててね。」


澪志はすべて投げ出してゆりのところに向かいたかったが、その日は高校受験当日だった。


言葉を話さなくなってから強い意志表示ができなくなっていた澪志は、「彼女を応援に行きたい」と親にも学校にも言えなかった。


それに今の自分を見られたらガッカリされるのではないかと、結局ゆりのもとに向かうことはなかった。


そして、ゆりはその1ヶ月後、この世を去った。

澪志はその事実を酷く後悔した。


そして高校に入学する前、ゆりから澪志へ一通の手紙が届いた。

内容はゆりからの澪志に対する謝罪と、病気が治ったら澪志と一緒にやってみたいことリストだった。

ゆりもまた澪志のことが好きだったのだろう。

しかし、余命わずかな自分が澪志の人生を縛ることを恐れ、思いを伝えることができずに居た。


手紙には、ガタガタで読みづらいけど温かいまさしく妹ゆりの字でつらつらと澪志とやりたいことリストが纏められていた。


・春になったら桜の見える公園で君と鬼ごっこがしたい。

・夏になったら一緒に海に入って、思いっきり大きな声を出してみたい。

・秋は紅葉の見える山でやまびこしてみたい。

・冬は雪の積もる学校でこっそり雪遊びしてみたい。

・澪志と毎日たくさんお話がしたい。澪志の声が大好きだから。


澪志は、妹ゆりのため、そして自分の後悔を少しでも晴らすためにこの手紙を持って、リストの内容を放課後可能な限り実行していたのだという。


彼は今までろくに外にでたこともなく言葉も話してこなかった。

そんな彼の行動は周囲からはそれが奇行に見えていたのだろう。まさしく私がそう思っていたように。


しかし彼の奇声はゆりの意思に基づいて必死に出そうとした「声」であり「言葉」だったのだろう。


そして当然、私がゆりの姉であることには気づいていた。


私の彼に対する冷遇についても、同じく大事な人を失っての行動だろうと思うと責める気にはなれなかったらしい。

ゆりは彼のこういう優しさが好きだったのだろうと思う。


しかし私がやってしまったことの罪は重い。謝罪して許されることではないが、妹のためにこれだけ体を張ってくれた彼に誠心誠意心から謝罪をした。


彼は首を横に振った。


しかしそれでは私の気が収まらない。私は彼に、今後そのリストにあることを一緒に手伝わせてくれないかと提案した。


彼は少し歪んだ表情で、気持ちは嬉しいが自分と一緒にいると貴方まで好奇の目に晒されてしまう。と伝えてきた。私は首をぶんぶんと横にふって、「お願いします。手伝わせて」と改めて強くお願いした。


彼は少し困った様子でスマホのメモに「よろしくお願いします」とだけ残した。



それからの日々はあっという間だった。毎日のように二人で度々街の至る所で奇行に走った。それまで仲のよかった友達はいなくなったし、彼と私は奇行カップルとして学校中で注目の的になったり、つい先日は雪の降る日、学校に侵入して雪遊びをしていたら通報されて警察、先生、親、皆から怒られることになったが退学にならなかっただけマシだと思う。


いやむしろ、この3人で過ごす青春は私の人生における一番の財産になるとさえ思っていた。


青春の大半を奇行に費やした間、彼が言葉を話すことは一度もなかったけれど、その視線の先にはいつも妹のゆりが居た気がした。


そして早いもので、本日、高校3年間の生活が幕を閉じた。あまりにもあっけなくて涙が出る暇もなかった。


卒業式後、澪志から一通のメールが入った。「明日の16時。2組の教室に来てほしい。」


卒業式当日、私は疲れて12時間近く寝た。翌日だらだらと支度を済ませて、昨日卒業したばかりの学校に向かう。


3年2組の教室には既に彼がいた。


「・・・」


彼は無言で、以前は見せてくれなかったゆりからもらった追伸の1枚を渡してくれた。

その追伸の最後にはこう記されていた。


初めて会ったとき、君が一生懸命、

私に話しかけてくれたあの日が、

私の人生で最も幸せな瞬間でした。

貴方の声と言葉はきっとこの先も、

誰かを救って

幸せにするのだと思います。

だから沢山言葉を紡いで下さい。


貴方に最初に救われた人より



手紙を読み終えて、彼に視線を移すと彼はいつもつけていたマスクを外して、顔を真っ赤にしていた。




今にも吐き出しそうな表情だった。



「・・・っ」



「・・・」



「・・・・・・・」



「・・・・・・・・あ・・・・・・・」



「あ・・・・」



「あ、あ・・・」



「・・・・・・あ・・・あ・・・あ・ありがとう。」


初めて聞く澪志の言葉が耳を通して、血管に伝わり、全身に行き渡った。


あまりの驚きに私はその場に固まっていたが澪志はそのまま言葉を続けた。


「・・・」


「・・・ま・・・」


「ま・・・・まま・・・」


「っ・・・」


「・・・」


「ま、ま、まゆかと、と、で、出会えて、その、あ、えっと、う、う嬉しかった。し、しし幸せ、だだった。」


「っはぁっ・・・」


澪志の言葉が全身の血を熱くした。一気に体中が暖かくなって、熱々の目頭から涙が溢れるのを堪えることなど到底できるはずもなかった。


檀香はお世辞にもきれいとは言えない嗚咽混じりの声で泣きながら澪志を抱きしめた。澪志もまた、こらえていた涙が溢れ出し、ゆっくりと檀香を抱きしめた。


檀香は鼻水混じりの声で澪志にお礼を伝えた。

「ゆりが言ってた言葉の意味がわかった。私今、めっちゃ救われたもん。あんたすごいよ。あんたの言葉、今まで見たどんな名言とか、そんなんより響いた。あーマジ生きててよかったって感じ笑」


二人の涙は次第に笑い声に変わった。3人だけの教室で鼻水まじりの笑い声がケタケタと響いていた。












10年後


28歳になった澪志は天国のゆりに宛てて手紙を書く。


初恋の君へ。


桜色の春霞がこの街を染める頃、

ふと貴方の香りがしました。

だから、君に手紙を書こうと思います。


その香りは、

街角の香水店で出会ったものでした。

君と初めて出逢ったあの日を蘇らせる、

ほのかに甘く、控えめな石鹸のような香り。

そしてパッケージには

「初恋の香り」と記されていました。

運命のような偶然に心が躍り、

たちまち買ってしまいました。


今、思えば君が病院で香水が使ってたとは

思えないけれど、この香りを嗅ぐと

君を思い出します。

せっかくだから手紙に振りかけておきますね。



おわり


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