婚約者はこの世界のヒロインで、どうやら僕は悪役で追放される運命らしい〜another story

結城芙由奈@12/27電子書籍配信

現世編

1-1 サチの場合 1

 私の名前は氷室幸子。今年中学生になったばかりの新一年生。


 家は築15年の戸建て住宅で、家族はお母さんと5歳年上のお兄ちゃん。お父さんは、2年前に病気で死んでしまったので今は家族3人で暮らしている。



「それじゃ、仕事に行ってくるからね」


 朝、いつものようにお兄ちゃんと2人で食事をしているとスーツ姿のお母さんが腕時計をはめながらリビングにやってきた。


「母さん、もう仕事に行くの?」


 ご飯を食べていたお兄ちゃんがお母さんに声を掛けた。


「ええ、そうよ。今日はお客様を現地に案内しなければならないのよ」


「そうか……大変だね。昨日も帰りは21時を過ぎていたし」


 お母さんは不動産業で営業の仕事をしている。毎日ノルマがきつくて大変そうだった。


「いいのよ、忙しいことはいいことだから」


 そう言って笑うお母さんの顔は何だか疲れているように見える。


「母さん……やっぱり、僕は大学進学をやめて就職しようかと思っているんだけど……」


 お兄ちゃんは家計が大変なことを知っているから大学進学をためらっていた。だけど、学校で生徒会長を務めているお兄ちゃんは優秀だから大学へ絶対大学へ行くべきだと私は思う。


「何言ってるの?駄目よ、そんなこと言ったら。隼人を大学に進学させなかったら亡くなったお父さんに顔向けできないわ。アルバイトもいいけど、貴方は何も心配しないで勉強を頑張りなさい」


「うん、ありがとう。母さん」


「それじゃ、悪いけど後片付けは宜しくね。洗濯物は……」


「あ!それなら大丈夫!私が干しておくから!」


 小学生のときから家の手伝いをしている私は家事が得意なんだから。


「そう?それじゃ幸子、お願いね」


 お母さんは私の頭を撫でると、急ぎ足でリビングを出ていった。



 バタン……


 玄関の扉が閉じられると、お兄ちゃんが声を掛けてきた。


「何だい?サチ。その不機嫌そうな顔は」


「え?そ、そう?不機嫌な顔してる?」


 まさか顔に出ていたなんて!


「うん、してるよ。また幸子って名前で呼ばれたからだろう?」


 お兄ちゃんはクスクス笑いながら私を見ている。


「そうだよ!折角名前を付けてくれたのは有り難いけど……でもね、こんな昭和みたいな名前付いてる子、誰もいないんだよ?!私だけなんだからね!こんな名前!」


 私は言いながらお味噌汁を飲んだ。


「そうかな?僕はその名前いいと思うんだけどな……さて、後片付けをしようかな。サチは洗濯干してくれるんだろう?そろそろ急いだほうがいいよ?もう7時過ぎてるから」


 リビングの時計は7時20分を差していた。


「あ、いけない!もうこんな時間だったんだ!それじゃ洗濯物干してくるね!」


「うん。僕は食器洗いするよ。終わったら洗濯干すの手伝うよ」


 その言葉にギョッとする私。


「や、やだ!この変態!エッチ!」


「え?へ、変態?エッチだって?!何で?」


 エプロンを身につけながらお兄ちゃんが目を白黒させる。


「だってそうでしょ!洗濯物の中にはね……私の下着だってあるんだから!」


「ええ〜……だけどサチ。僕はまだ赤ちゃんだったサチのオムツだって変えてあげたし、お風呂にだって入れてあげたじゃないか」


 お兄ちゃんの言葉に私は顔が赤くなる。


「ば……バカバカバカ!な、何言ってるのよ!そんなにデリカシー無ければ彼女なんてぜーったい出来ないんだからね!」


 するとお兄ちゃんがピクリと反応する。


「え?彼女?彼女か……」


 そして何故か嬉しそうに笑うお兄ちゃん。


「え……?何?今のその反応……も、もしかして……お兄ちゃん。彼女が……?」


 するとコクリと頷くお兄ちゃん。気のせいか、顔も赤く見える。


「うん。とっても可愛い彼女が出来たんだ」


 そしてお兄ちゃんはそれだけ言うと、カチャカチャと食器を洗い始めた。


「ちょおっと!話、まだ終わっていないんだけど!どんな人なのよ?紹介してよ」


 私の大切なお兄ちゃんの彼女なんて……。これは絶対に顔を拝んでやらなければ!


「あ〜そ、それは駄目だよ。彼女はとってもシャイだからね。大切な彼女だから……紹介はもう少し待ってもらえないかな?」


「本当に?絶対、いつか紹介してよ?」


「分かってるって。それよりほら、洗濯干さないと学校遅刻するよ?」


「あ!いけない!」


 急いでお風呂場に向かう時、ちらりとお兄ちゃんを振り返ると楽しそうな横顔が見えた。


 ひょっとして、彼女のこと考えているのかな……?絶対いずれ紹介してもらうんだから!



 けれど、その後お兄ちゃんから「大切な彼女」が紹介されることは無かった――。

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