3-2 明日でぜんぶ、おわるんだ。

「むう……一体なんなのですか、あのおかたは」

 

 引き続き俺の部屋。

 花の嵐にも似た〝厄介事〟を持ち込んできたリリアが去ったあと。

 

 残った霞音かすねはぷくうと頬を膨らませていきどおっていた。


「せんぱいのことが好きだから『自分に譲れ』などと――か、彼女の私に対して、失礼です……!」

 

 『彼女』という言葉にすこし照れくさそうにしながら霞音は言った。

 

「冷静に考えれば、そのようなことありえませんのに。そうですよね? せんぱい」

「ん……あ、ああ」

 

 俺は全身から未だ引かない冷や汗をハンカチで拭いながら曖昧に答える。

 

「ですよね。そうに決まっています」霞音は食い気味にして、「何しろ、せんぱいは私のことが大好きで、毎晩毎夜私の家の方角に向かって祈りを捧げているほどなのですから」

 

 おいおい。どこの教祖様だ。

 きっとまた〝霞音の夢の中の出来事〟なのだろうが……。


「あ、ああ……そういえば、ソウダッタナ」

 

 俺はうなずくしかない。


 何しろ、今の霞音は交通事故の後遺症で『夢と現実の区別がつかない』のだから。

 病気が治るまでは、彼女の『夢の中の俺』に、現実を合わせてやらなければならない。

 それが症状の緩和にもつながるし、彼女の姉――蝴蝶こちょう絵空えそらさんとの約束でもあった。


 しかし……。

 それにしたって、毎夜霞音に向かって愛の祈りを捧げているなど。

 霞音の夢の中の俺は、どこまで狂信的に霞音カノジョのことを愛しているのだろうか……。

 

 不安になっているとスマホが震えた。

 リリアからのラインだ。

 

  ――『ねえ。ユートも次のお仕事の現場にきてよ。』

  ――『まだ話し足りないんだ。』

  ――『あとで車まわすね。』


「なっ……あれだけ状況をかき回した上で、今そんなこと言われてもな」


 そんな俺の心中を見透かしたようにリリアから追撃が入った。


  ――もう、明日でなんだよ……?


「……っ」

 

 それを言われてしまうと何も返せない。

 

 明日で最後。

 それはつまり、リリアとの『恋愛練習』の期限のことだ。

 

 ――憧れの舞台のオーディションに向けて、恋愛の演技の向上のための7日間の

 

 その契約の最終日が明日に迫っていた。

 

「あ、そうだ霞音……」


 俺はおずおずと切り出す。


「今日このあと、出かけなきゃいけないんだった」


 霞音がぴくんと眉を震わせた。


「予定を思い出してな。ほら、前に話していた慈善活動ボランティアの件だ」


 嘘はついていない。

 リリアとの練習恋愛に付き合うことは、俺にとっては無償のボランティアだ。

 

「そう、ですか……」

 

 霞音の寂しそうな様子に、ちくりと心が痛んだが。

 

「す、すまん……だがな、安心してくれ。ボランティアもあと1日で終わる。ぜんぶ、終わるんだ。それが終わったら、そうだな。霞音。またお前と色々なところに行って……いろいろなプリンでも食べよう」

「っ! ぷりん……!」霞音の髪の毛がぴこんと立った。「はいっ。たのしみにしていますね」


 霞音の表情が柔らかくなったことに、ほっと安堵する。

 

 ――ぜんぶ、終わるんだ。

 

 頭の中でそのセリフを繰り返しているうちに、『そういうことか』と合点がいった。

 

 御伽乃リリアはだ。

 限られた7日間のうちに、すこしでもな恋愛の経験をするために。

 

 『ボクにくれない?』などと、霞音のことをきつけるような真似をしたのだろう。

 

 すべては恋愛の演技の向上のためだ。


 あと一日が経てば。契約が切れれば。

 きっと夢からさめる。ぜんぶがなかったことになる。


 そんなことを考えていると、うしろからくいと身体を引っ張られた。

 振り返ると霞音が俺の制服の裾を掴んでいる。不安そうに。まるで『どこにも行かないで』と言っているみたいに。


「本当に、だいじょうぶ、ですよね……?」

「ん?」

「あ、あのっ……」


 霞音はもじもじとしながらつづける。

 

「せんぱいは、私の、こと。その……、ですものね。ですから、リリアさんに、なびくなどということは……」

「そ、そんなわけないだろ!?」

 

 ついつい気持ちがこもった。

 そうだ。そんなわけがない。

 確かに悪友・スナガミの余計な追求を免れるために『俺は御伽乃リリアが好きだ』などと一時的に言ってしまった。

 リリアからの『模擬恋愛練習』の申し出も、絵空さんに相談した上で7日間という期限付きで受けた。

 

 しかし、俺とリリアの関係はどこまでいっても非現実ニセモノだ。

 

 そもそも冷静に考えてみてほしい。

 御伽乃リリアという、世界中に狂信者ファンをもつ絶対偶像プリマドンナが、俺というしがないいち男子学生を、『なんとなく自分にとって良いにおいがするファン』などという極めてふわっとした曖昧な理由で好きになってくれるわけがない。

 

 リリアは現実的な一般人には手が届かない、夢の中の非現実的な存在だ。

 7日間が過ぎれば、夢からさめる。彼女はまた遠い世界へと去ってしまう。


 すべてもとどおりだ。

 

「……せんぱい?」

 

 思考が戻ってくる。眼の前には現実的に霞音がいる。

 

 冷静に考えれば。

 幼馴染とはいえ、学校内で同じく崇拝される【絶対零度の美姫ブリザード・プリンセス】である霞音が、俺のことを好きなんてことも。


「どこまでいってもリアリティに欠ける――夢みたいな話なんだがな」

「せんぱい? ……どうなのですか」

「あ、すまん。俺がリリアになびくかどうか、だったか」


 こほん、と俺は咳払いをしてつづける。


「そんなことあるわけがないだろう。なんといっても、俺は霞音のことが――好き、だからな」

 

 その言葉を口にしてみて。俺の心臓は――。

 俺の心臓は?

 

 ――好きと愛してるじゃ、心臓の音がぜんぜんちがうの。

 

 いつか、霞音の姉・絵空さんがそう言っていたことを思い出す。

 

 俺は霞音のことが

 嫌いでなんかあるもんか。いや、それだけじゃない。俺は霞音と疑似恋愛をするようになってから、以前にも増して霞音のことがになっている。


 しかし……。

 その『好き』は、はたして『愛している』と同じ種類のものなのだろうか?

 

 ただの『好き』とは、決定的に異なる音をしているのだろうか?

 

 今の俺にはまだ。

 分からなかった。

 

「…………」

 

 ぶるり。スマホがまた震えた。

 ひとまずはもうひとりのお姫様――御伽乃リリアがお待ちのようだった。

 

 事態をかき回してよりややこしくしたのは他ならぬリリアの方だったが……霞音との恋愛関係を黙っていたのは、俺にも後ろめたさがある。


「そのことも謝っておかないとな」

 

 壁にかかったカレンダーを見て日付を確認する。

 間違いない。御伽乃リリアという劇的な偶像が転校してきて、明日で一週間だ。

 

 そう。心配しなくても。



 

 ――明日でぜんぶ、おわるんだ。



 

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明日で終わるなら一安心ですね!(素直)

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