1-7 好きと愛してるの違いってなにかしら


霞音かすねちゃんとはどう? うまくいっているかしら」

 

 霞音の姉・絵空えそらさんがきいてきた。

 場所はファミリーレストランの端の席で、俺と向かい合って座っている。

 

 ――治るまでの間、病気のことを霞音ちゃんにさとられないようにしてほしいの。

 

 そんなお願いをされてから、俺たちふたりは霞音のことで定期的に近況報告や相談をしあうことになった。

 

「ううん……どうでしょうか。今のところ、症状のことは知られていないと思いますけど」

「けど?」


 こてん、と絵空さんが首を倒した。


「いかんせん、……俺にはそういう経験がないので。困惑しているというか」

「ああ、のことかしら?」

 

 俺が言いよどんでいると、絵空さんはさっぱりと言った。


「っ……はい。そう、です……」

「うふふ。あのユウくんと霞音ちゃんが彼氏彼女になるなんてね」

「あ、あくまでですよね? 霞音の、病気が治るまでの間の」

「――いや、だった?」

「え?」

「霞音ちゃんの〝彼氏のふり〟するの」

「あ、いや……べつにそういうわけじゃ。ただ、さっきも言ったとおり、うまくできるかどうかは別問題で」

「協力してくれるだけで充分よ。霞音ちゃんのに付き合ってくれて、本当にありがとうね」


 絵空さんはそこであらためて俺の瞳をまっすぐにとらえて言った。

 彼女の瞳はかすかにうるんでいるようにもみえる。

 

「いえ……あ、でもひとつだけ、気になることがあって」


 俺はコーヒーカップに視線を落として言った。

 

「そもそも、あの霞音が俺のことを〝好き〟というのは本当なんでしょうか?」

「ええ。大好きよ」

 

 絵空さんが間髪かんぱつ入れずに断言した。


「大好きよ、ユウくんのこと」絵空さんは繰り返す。「昔から近くにいるのに気がつかなかった? たくさんヒントがあったでしょう?」

「ヒント、ですか……?」

 

 ううむ、と俺は腕を組んで唇をかるくゆがめた。

 

 ――まったく、女心というのはよく分からない。


 あのいつもの霞音の態度から恋愛感情を読み取ることなんて、初心者の俺にはハードルが高すぎだ。


「ねえ、ユウくん」

「は、はい」

「ユウくん、もしかして別に〝好きなひと〟とかいたのかしら?」

「え。急にどうしてですか?」

 

 絵空さんは白い指先をあごにあてながら言った。


「ちっちゃい頃からユウくんのことは知っているけれど、こういう話はしてこなかったじゃない? ほら、いわゆる〝恋バナ〟みたいな」

「こ、こい、ばな……」


 絵空さんの口から出たその単語に思わずどぎまぎしてしまう。


「どう? 好きなひと。いる?」

「ええと……今はいない、です」

「霞音ちゃんのことは? 好きじゃないの?」

 

 絵空さんが核心に迫ってきた。

 俺が霞音のことを好きかどうか?

 それは意識的に(あるいは無意識的に)自分の中でも深くは考えないようにしていたことだ。

 

 だからこそ――俺は正直に、答えた。

 

「まだ、

「わからないって、好きかもしれないし、嫌いかもしれないってこと?」

「嫌いなんて、そんな!」俺は食い気味に言った。「あ、いや……あいつとは小さい頃からの幼馴染で。たしかに口うるさいときもありますけど、それで嫌いってわけじゃ、ぜんぜん、ないです」


 なんだかあらたまって言うと恥ずかしくなってきたが。

 それが今の霞音に対する俺の忌憚きたんない気持ちだった。

 

 好きか嫌いかで言えば、当然〝好き〟だが――


「それが恋愛としての〝好き〟かって言われると、やっぱりまだ分からなくて」


『ねえ、好きだよ』


 タイミングよく。

 近くの天井にぶら下がっていたテレビの中からそんなセリフが聞こえた。

 少女漫画を原作にした恋愛ドラマの再放送で、主演は今話題の若手女優だった。モニターの中の彼女は頬を赤く染めながらつづける。


『愛してる――だから付き合って、くれませんか?』

 

 御伽乃おとぎのリリア。【1000万年に1度の逸材】とされるカリスマ高校生女優だ(1000万年など、女優の歴史どころかを超える規模なのは突っ込まないでおく)。

 

 周囲を見ると、他の客たち(加えて店員さんですら)も〝告白〟のシーンを演じる彼女の姿を食い入るように見つめていた。


「好きだけど、愛してるじゃないから――霞音ちゃんとには付き合えないってことかしら?」


 絵空さんがテレビの画面から視線を戻して俺にきいてきた。


「……そうですね。すくなくとも、今は」と俺は答えた。

 

 絵空さんは『そう』とあくまで中立を保ったような声で言った。

 

「一体――〝愛してる〟ってなんなのかしら」

「え?」

「ユウくんにとっての〝好き〟と〝愛してる〟の違いって、一体なんだろうと思って」

「ううん、そうですね……」


 俺は指の関節を下唇にあてて考えたあと、首を振った。


「やっぱりそれも今の俺には分かりません。絵空さんはどう思いますか?」

「好きと愛してるの違い?」


 俺はうなずいた。

 絵空さんは思いを巡らすように目を細め、


「そうね――、じゃないかしら」


 口元を朝の陽射ひざしのように優雅に緩ませてそう答えた。


「相手に対して、どきどきしたら〝愛してる〟ですか? 単にどきどきするだけなら、割とふつうにあることな気がしますけど」


 特に俺のような思春期男子にとっては、女子に関する日常のささいなことで胸が高鳴ることもどうしたってある。

 それを毎度毎度〝恋〟として捉えていたら、文字通り身も心ももたない気がした。

 

「ううんとね」絵空さんは自らの胸に掌をそっとのせてつづける。「〝好き〟と〝愛してる〟じゃ、が――心臓の音が、ぜんぜん違うの」


 俺は眉をしかめてきいた。


「心臓の音が違う?」

 

 絵空さんは目をおだやかにに細めてうなずいた。


「きっとユウくんも、そのときになったら分かるわよ」

「そうでしょうか……あ」


 絵空さんと顔を合わせていると、ふと彼女の背中の部分に気になるものを見つけた。

 

「絵空さん、その……今このタイミングでとても言いづらいんですが……」

「ふふ? なあに?」


 気にせずなんでも言ってちょうだい、と優雅な微笑みを浮かべる絵空さんに。

 俺は告げてやった。

 

「――背中に、ついたままです」

「え? ……ふにゃっ!?」

 

 絵空さんは背中に手をまわすとタグの存在に気づき、目を広げて頬を一瞬で赤く染めた。


「う、うそ、恥ずかしい……ユウくん、ごめん。に、いれてくれる?」

「え? あ、はい」

 

 俺は絵空さんが座る側の席へと移った。襟首えりくびのタグを手にとって背中に入れようとすると、くすぐったかったのだろうか、『んっ』『あっ』などと青少年の教育上よろしくない声が何度か漏れた。肌はほんのり赤く染まり、汗で湿っている。ほのかに漂ってきた香水の甘い香りに、いち思春期男子である俺の心臓は情け容赦なくと高鳴ったのだった。


 ――やっぱり、この不純で背徳的などきどきを恋と呼ぶには無理があるよな。


 実際にその時になれば『愛してる相手への胸の鼓動どきどきは分かる』と絵空さんは言っていたが。

 

 本当にそんな瞬間が俺に訪れることはあるのだろうか。


「こ、こほん……ユウくん、教えてくれてありがとう。でも、今の一部始終は忘れてくれるかしら……?」


 俺に向き直った絵空さんが眉を下げて恥ずかしそうに言った。


「任せてください。記憶からすっかり消しておきますよ」と俺は答えた。

 

 確かに絵空さんは優雅エレガント気風きふう漂う大人のお姉様ではあるが……昔からの付き合いである俺は知っている。

 絵空さんにはこんなふうに、時々すこしところがあるのだった。


「かわりに、ここのお会計は任せておいて」

「あ、良いですよ。俺もちゃんと払います」

「いいのよ。霞音ちゃんのことで無理をお願いしてるのはあたしの方なんだし。その代わり、これからもこういう会は定期的にしましょうね。――コイバナありで」


 絵空さんはまだ頬に赤色を残したままウインクをひとつして。

 机の上の会計用紙――ではなく、その近くに置いてあった『紙ナプキン』をもってレジへと向かっていった。


「あ、それ……」

「霞音ちゃんのこと、これからもよろしくね」と本人は気づかず、ひらひらと優雅にミートソースがついた紙ナプキンを揺らしている。

 

 ふむ。

 そういえばいつか友人スナガミが『年上お姉さんのドジっ子属性は尊い』などと熱弁していたな。

 

 せっかくだから、紙ナプキンだとレジで気づくまでほうっておいてみよう。


「あ、そうだ」

 

 俺は途中でふと思いついて、絵空さんの後ろ姿に声をかけた。


「なあに?」と絵空さんは振り返る。

「そういう絵空さんはいるんですか? 好きなひと」

 

 俺のそんな質問に対して。

 

 絵空さんはすこしもためらうことなく女神のような笑顔で答えた。




「ええ、いるわよ――好きなひと」




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次回、霞音ちゃんとふたたびデートです!

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