紅は園生に植えても隠れなし⑥
子供が卓球を始める時は指導者がその戦型を決めてしまうことが多い。どう見ても内気な
要するに
「平原さんってさっぱり人に興味ないくせに卓球絡みだとそこそこ突っ込んだこと聞きますよね。時々びっくりします」
菫が露骨に渋い顔をする。自分を前にした後輩は敵意を示すか気後れした様子になるかがほとんどだが、菫のリアクションは毎度そのどちらでもなかった。菓子の包み紙を細く折りたたんだ菫は、どう見ても乗り気でない様子で喋り始めた。
「小学校の時、プールの授業でみんなで潜るゲームってあったじゃないですか。おもちゃとかガラスの飾りとか拾わされるの。菫、あれ苦手だったんですよね。奪い合いになって人とぶつかるの嫌だし、ぶつかってまで拾いに行きたくないし。それで教師にいっつも言われてたんです、おまえは闘争心も競争意識も努力する気もないって。別にそのせいってわけじゃないですけど、実際スポーツはすっごい嫌いで」
特に球技、と付け足して、髪をかき上げた菫が小さく笑う。話を促しておいて、平原は今更この後輩が自分の話をするというのは珍しいことではないかと思い始めた。
人の話に適度なコメントを挟んで、時に冗談で茶化して――菫が自分の込み入った事情を話す姿を、平原は一度も見たことがない。
「球技って最後の最後までボールを追いかける人が褒められるじゃないですか。よく諦めなかった、って。ああいうのがやなんです。最初から追いつかないのがわかってて追わないのはダメで、無駄でも最後まで走ったら偉いっていう理屈がわかんないから。だって、結局負けなんですよ。ミスはミスです。届かないのがわかってても追いかけるのが立派だとか、言いたいことは伝わりますけど、そんなのただの自己満足ですもん」
静かに持論を展開する菫の手元でかさかさと乾いた音が鳴る。紐状に折った包装紙の両端を結んで輪を作り、それを指に引っかけてはくるくる弄ぶ菫は、一秒たりとも退屈に耐えられないといった様子で左右の人差し指を互い違いに動かしていた。
「でも卓球って、速攻ってそれが求められないわけで。一瞬で抜くか抜かれるかで、『諦めない気持ち』とかいうのを見せる暇なんかなくて……そういうところがはっきりしてて好きなんです。相手が反応できないボールを打った人が強いっていうのはすっごいシンプルな理屈だし、単純だから納得できるっていうか」
ボールを最後まで追うというのは、そもそもボールが落ちるまでに時間を要する競技でしか起こり得ない話だ。これがカットマンならまだしも速攻にそんな暇はない。一歩も動けずボールを見送ってからスイングしたところで何にもならないのだから。
自分は最後まで頑張りました、というポーズは勝負の上ではまったく無意味だ。平原は菫ほどにそういった行為を――結果に結びつかない努力を誇示することを憎悪しているわけではないが、後輩の言わんとすることは理解できた。そして、子供に目で見える形の努力を要求する人間が実に多いというのもよく知っている。
「だから、あれですね。速攻がしっくりくる程度の闘争心はあったってことですよね。人に勝ちたいとは思わないですけど、強い人との試合はめちゃくちゃ楽しいですし――もし卓球やってなかったら、自分に闘争心があるなんて一生気付かなかったと思います。これでも普段はおとなしくしてるつもりなので」
「……それは知ってる」
平原がいつぶりかに口を挟むと、菫はえへへと目を細めた。この後輩が極力波風を立てないよう言動に注意を払っているのは事実だが、裏を返せばそれだけ素の性格が攻撃的だということだ。
自己主張をしないわけではなく、自分の意見を押し込めるわけでもない。
「進藤さんが何のためにそこまで控え目にするのか、わたしは全然わからない」
「ですよね~。でも、世界中の人が平原さんみたいに対人関係全部投げ捨ててるわけじゃないですし。菫みたいなのはどうやったって人と馴染めないって相場が決まってるんで、結局静かにしてるのが懸命だって学んだんです。でも、むしろ菫は平原さんのほうが大変そうだなって思いますけど。誰かに勝つのって、もうそれだけでしんどいじゃないですか」
遠い目をした菫は、ビニール製の不格好な指輪をはめてどこかの試合を眺めている。後輩の言葉はことのほか平原の耳に残った。なぜ勝ちにこだわるのか。勝利を求めるのは自明のことだと思っていたからか、平原は深刻に自分の動機を振り返ったためしがなかった。
もしかしたら最初は、心のどこかに少しくらいは、無責任このうえない言葉を吐いたあの男を見返そうという気持ちもあったのかもしれない。勝負に負けて自分を妬む相手を結果で黙らせようという気持ちも。
けれどもう平原はそんな段階をとっくに通り過ぎていて、飯野に会った思い出は何の変哲もない過去の一地点でしかなく、その記憶が今の自分を走らせる原動力たり得ているとは露ほども思えなかった。では自分には動機などないのだろうか。とりたてて理由も持たず、勝利に邁進することを義務として生きているのだろうか。
ただ、強いて言えば、菫の使った表現を借りるなら――ある時を境に、平原の目には卓球というスポーツがとても魅力的なものとして映るようになった。
つまりはきらきらと輝くガラスの飾りが水底に投げ込まれたのを軽い気持ちで拾おうとして、プールサイドから飛び込んで、そうしてもう何年も深く深くに潜り続けているだけなのだ。
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