第11話 嘘の終わり
深い森の中。ハァハァと息を切らしたシエルは、半ば寄り掛かるように傍らの針葉樹に手を突いた。
主な雨雲は通り去ったのか、雨は先程よりも大人しくなっている。けれども生い茂る木の枝からは未だ絶え間なく樹雨が降り注ぎ、シエルたちを濡らし続ける。
何度かぬかるみにはまった足下は、泥で汚れきっていた。
「よく分かったな。雷が落ちるなんて」
「たまにあるんです、こういう雨の時。この辺りは高い木が多いから度々落雷があって、なんとなく、今日は落ちそうだなって」
シエルとは正反対に、息一つ乱していないアヴィーに笑ってみせる。けれど声は震えていた。
「予報は絶対じゃありません。信じてくれたアヴィーさんのおかげです」
もしかしたらシエルの助言なんかなくとも、どうにかしていたかもしれないが、と。脱出の際の身のこなしを思い出して微笑むシエルに、アヴィーは呟く。
「アヴェルス」
「……?」
「アヴィーは愛称だ。本当の名はアヴェルスという」
「アヴェルス……? アヴェルスって――」
唐突すぎる告白に、驚愕と困惑の入り交じった声を零すシエル。しかしその続きは、荒々しい足音に遮られた。
追ってきた野盗たちが、シエルたちを取り囲もうとにじり寄る。
「よくもやってくれたなあ。そいつが空読みの神官の孫娘か」
舐め回すような目でシエルを見る。
「まだガキだが出るとこ出てるし悪くねぇじゃねぇか。ひゃははは!」
鼓膜を揺らす不快な笑いに、シエルはつい後退ってしまう。
そんなシエルを隠すように、黒髪の青年が前に出る。
「おいおい兄ちゃん、この数に勝てるとでも思ってんのか? あ?」
「……頭数だけで考える。世の中を知らない、ゴミ頭の典型だな」
「なんだとぉ!」
逆上する野盗たちの激昂も意に介さず、彼は流麗な動作で腰の剣に手を伸ばす。
そしてシャラリと、涼やかな音を立てて長剣を抜き放った。
鏡のように美しい等身に、一目で一流の職人が仕上げたと分かる、繊細な装飾の柄。鍔に施されたのは、リュクレース王国を治めるル・フレム家――王家の刻印。
青年アヴィーは――否、アヴェルスは冷ややかな声で告げる。
「特別に名乗ってやろう。我が名はアヴェルス・リュクレース・ル・フレム。……そのなまくらを振り回して勝てると思うなら、かかってこい」
勝敗は一分とかからず決した。
倒れた野盗たちの中心で、アヴェルスは静かに剣を収める。その姿を見て、シエルはぺたりと座り込んでしまった。
「安心しろ。全員気絶しているだけだ。家に縄はあるか? とりあえずこいつらを拘束して、それから麓に連絡を――」
「殿下!」
アヴェルスがシエルに歩み寄って、手を伸ばす。
その時、聞き慣れた声が耳朶を打った。
振り返れば、見慣れた初老の老人――アヴェルス付きの筆頭執事と、今回の度に同行した臣下数人が駆け寄ってきていた。
「殿下、勝手な行動をしなさるなとあれほど! ようやく足取りを辿ってみれば、これは一体どういう――」
「説明はあとだ。転がってるこいつらを拘束しろ。それから麓の街の憲兵に連絡を。野盗だ」
「はっ」
お小言を封じてそう命じれば、初老の執事たちはすぐさま行動を開始する。
後は任せておけばいいだろう、と。そう無感情に状況を判断するアヴェルスの背後で、
「……随分と身勝手な王太子殿下なんですね」
ぽつりと零された言葉に、アヴェルスは半身で振り返った。。
「……お前と街でぶつかっただろう。あの時直観で、お前が『予報』を行っていると――ジュスト殿と何か繋がりがあると思ってな。追おうとしたが、説明する時間が惜しかったからな。撒いた」
「なんですか、それ」
なんてことのないようにいうアヴェルスに、シエルがおかしそうに笑みを零す。けれどそれはすぐに色を失い、乾いた笑いへと変じる。
「はは……本当に、最初から……みんなみんな、気付いてたんですね。おじいちゃんがもう、もう死んじゃってるってことに」
そうして自虐のようにひとしきり笑って、笑って、笑って――
「おじいちゃん」
笑みを顰め、たった一言零す少女。地に手を突いて俯くその肩は、どうしようもなく小さかった。
「立てるか?」
アヴェルスは手を伸ばす。しかし近くに雷が落ち、少女はびくりと身を竦める。
「苦手なのか」
差し出した手をそのままに問えば、少女は静かに首肯する。
アヴェルスは少し逡巡して、それから外套の留め具を外すと、羽織っていたそれを無言で少女の頭の上にかぶせた。
それから少女の隣に、静かに腰を下ろした。
手際よく野盗を縛り上げていく臣下たちを、木の幹に寄り掛かって眺める。
雨はまだまだ止みそうにない。
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