第4話 閃きは突然に

「む~~~~……」


 三日後、シエルは局の資料室で本と睨めっこしていた。

 振り返れば机の上には、既に大量の文献が積み上げられている。

 ぱたんと本を閉じて溜息を吐く。


「今日も手がかりなしかぁ」


 ラスペード公爵夫人・オティリーの不調の原因について。侯爵邸から戻って以降、毎日の業務の合間にあれこれと思い当たる節を調べはしているものの、未だにこれといって有力な情報は得られていない。


「よいしょ」


 シエルは積み上げた本の山に更に一冊を重ね、腰を入れて持ち上げた。それから、よたよたとおぼつかない足取りで、資料室を後にする。いくらアヴェルスが持ってきた『仕事』とはいえ、シエルの仕事は他にもある。いつまでも資料室に籠もっているわけにもいかなかった。


 今日もお昼寝はナシかな、と。そう嘆息しそうになった時、突然、腕への重みが軽くなった。


 視線を上げる。


 すると視界を覆っていた本が何冊かなくなって、そこに微笑を湛えたマリーが立っていた。


「あ、マリーさん」

「そんなにいっぱい抱えて、危ないわよ。現業室に戻るところかしら? ご一緒してもいいかしら」

「あっ、はい。もちろんです。ありがとうございます。マリーさんもお戻りですか?」

「えぇ、さっき白雪宮ペルス・ネージュに行って観測結果を確認してきたところよ」


 シエルとマリーは、二人並んで歩き始める。


 予報局が設立してから始まった気象観測は、王都内の各所はそれぞれ手配した人員が。王宮――正式名称『白雪宮』の屋上に置かれた観測地点は、シエルたち予報局の局員が担当することになっている。


 観測は三六五日、毎日欠かさず行う。これもシエルたちの大切な仕事の一つだった。


「それにしてもこれ全部読むの? 殿下のご命令とはいえ、大変ねぇ。何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってね」

「ありがとうございます、マリーさん」


 屈託なく手伝いを申し出てくれるマリーに、シエルは明るく返事をする。けれど、それこそアヴェルスの言うとおり毒だったら――シエルにはどうしようもない。シエルはただの気象予報官なのだ。


 そうこうしているうちに、シエルたちは予報現業室へ到着する。


「ただいま戻りましたー」


 ガチャリとドアを開く。途端、鼻を突く刺激臭。

 これは、と思った瞬間には、もうシエルの身体は反応していた。


 むずむず、むずむず。


「ふぇ……へ……へっくしゅん!」


 シエルは身体を曲げて、盛大なクシャミをした。垂れそうになる鼻水を啜って、キッと目を吊り上げる。そして部屋の奥に向かって、声を張り上げた。


「局長! 局の中では吸わないで下さいって言いましたよね!?」


 すると、書類の山の向こうに、壮年の男性が頭を覗かせる。


「おぉ悪い悪い悪い。戻ったのか。誰もいなかったから、つい、な」


 男性――気象予報局の局長は、そう言って豪快に笑うと、火の付いたままの煙草を掲げてみせた。


「見せなくていいです! とっとと消して下さい! ふぇっくしゅ!」

「あらあら、シエルちゃん、大丈夫?」


 耐えきれずまたクシャミが出てしまう。シエルは適当に本を置くと、マリーと手分けして窓を開け始めた。ふわりと部屋に流れ込む、花の香りの交じる空気。


「局長、何度言ったら分かるんです? ただでさえ身体に悪いのに、こんなに山積みの書類の中で吸って、万が一、火事にでもなったら、局長、責任取れるんですか? 吸うならバルコニーで。守れないなら王太子殿下に頼んで、いっそ局内を全面的に禁煙にしてもらいますからね」


「ちょ、マリーちゃんそれは勘弁!」


 幼子に言い聞かせるようなマリーのお小言を聞きつつ、シエルはチーンと勢いよく鼻をかむ。


「まったくもう!」


 と言って、再度ちり紙に手を伸ばした、その時だった。


「……あ」


 シエルの頭の中で、一つの結論が芽吹く。

 もしかしたら――


「あの、マリーさん!」

「はいはい、マリーさんですよ」


 自席の本の山から身を乗り出すシエルに、いつもの調子で応じるマリー。しかしそののんびりさを、今は気にしている暇はない。


「あの、集めて貰いたい資料があるんですが――」







「殿下!」


 バンッと音を立てて執務室の扉を開け放ったシエルに、書類仕事をしていたアヴェルスは手を止めて、頭痛が痛い顔をした。


「ノックをしろ静かに開けろ何度言えば分かる衛兵は何をしてる駆け込むのを止めろ」


 そこまで一息に言うと、扉の外に立っていた兵士二人が、両側から顔を覗かせる。


「いえ、でもシエル殿ですし……」

「……いつものことですし」


 顔を見合わせる兵士二人に、アヴェルスはますます頭痛が痛くなるのを感じる。

 まぁいい。いや、よくはないが。


「で、何の用だ」

「オティリー様の不調の原因が分かったかもしれません。えっと、まだ仮説で、調べて欲しいことがあるんですが……」

「言ってみろ」


 興奮気味のシエルは執務机に手をついて身を乗り出すと、アヴェルスにそっと耳打ちした。


「分かった。早急に調べさせよう」


 そう頷くと、シエルはパッと身を引いて、花が咲いたような笑みを見せる。


「ありがとうございます! よろしくお願いしますね、では!」

「おい、どこへ行く。急用でもあるのか?」


 と、来た時と同じく駆け足で去って行こうとするシエルを、アヴェルスは思わず呼び止める。


 シエルはきょとんとして、それから満面の笑みを浮かべて言った。


「ちょっと裏山まで芝刈りに!」

「…………は?」


 これ以上無いほど間抜けな声を零したアヴェルスを、後に衛兵は「あんな殿下は初めて見た」と語った。







 後日、ラスペード侯爵邸にて、一同は再び集まった。

 医務官が固唾を呑んで見守る中、ベッドの傍らに腰掛けたシエルは、包みからある物を取り出す。


「これは……木の枝?」


 オティリーが不思議そうに見つめる先で、シエルは茶色の身のような物がいくつもついた木の枝を、軽く揺らしてみせる。すると――


「……っ、くしゅ!」


 ややあって、オティリーが口元を覆って、小さなクシャミを零した。


 その様子に、ざわりと空気がどよめく。医務官が、侍女が、信じられないと言った様子でオティリーとシエルを見ていた。


 オティリーのクシャミは止まらず、侍女が慌てて手ぬぐいを差し出す。

 シエルはその隣で、サッと枝を包みの中にしまった。


「なんだそれは……?」


 怪訝そうに尋ねるアヴェルスを振り返って、シエルは応えた。


「これは杉の木の雄花です」


 その一言に、医務官はしきりに頷いた。


「先日、その可能性を教えていただいた時はまさかと思いましたが……間違いありません」

「あの、私の身体に一体何が……」


 オティリーが不安げな顔をする。シエルは医務官と顔を合わせ、どちらともなく頷き合った。

 シエルはオティリーに向き直って、結論を告げる。


「オティリー様の症状の原因は『アレルギー』。身体の免疫異常です」

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