第18話-額に刻まれた赤い蕾

「これを見て」

「はい? ……あれ。この懐中時計、数字がないんですね」


開かれた中は文字盤どころか針もない。星が瞬く宇宙色の盤面に、ぐるっとガラス管の輪がついたものだ。

よく見てみるとガラス管の中で、12時の位置から時計周りに少しだけ光が点り始めている。


「『懐中時環かいちゅうときわ』と呼んでいる。邸のある街と同じ名称だから覚えやすいだろう」

「この光が完全な環になったら福田さんが起きてしまう。つまり、夢前世にいられるタイムリミットがこれで分かるんだ」

「はあー、便利ですね」


ちょっとやそっとのことでは驚かなくなってきた祈吏は、ヨゼの言葉をそのままポタージュと共に呑み込んだ。


「福田さんを2時間くらい寝かせてもらうようマテオくんにお願いしたから、夢前世の体感時間だとざっと2日くらいかな。この光の進み具合的にもそれくらいだろうね」

「その間に福田さんの前世の未練を突き止める。祈吏くん、分かったかな」


「はい! 責任重大ですね……頑張ります!」


「もし今回で突き止められなかったとしても、福田さんの前世はあまり危険な世じゃないからまた来ればいい。だから、無茶だけはしないようにね」


そう言うとふと思い出したかのように、ヨゼは再び懐から何かを取り出した。


「ああそうだ、これをあげよう」

「ありがとうございます。……これは、なんでしょう?」


手渡されたのは時環ときわのガラス管と似たような指輪だった。


「時環のリング版。小さいから正確な残り時間は分かりづらいけど、目安にはなるから使ってね」

「なるほどー……。綺麗な指輪ですね。今すぐつけておきます!」


漆黒の中で幽かに星々がきらめくその様は、まるで宇宙を閉じ込めたみたいで。

その輝きにほうっとしながら、祈吏は右手の人差し指にはめた。


「最後に重要なことをもうひとつ。この夢前世での福田さんの見つけ方についてだけど――……ッ!?」


ヨゼが話し始めようとしたその瞬間――店内に轟音と悲鳴が上がった。


「祈吏くん、下がって!」

「わっ、はい!」


咄嗟にヨゼに庇われ、その肩越しに何が起きたのか店内の異変を伺う。

視線の先には今しがた拳を振り下げただろう赤髪の大男と、その先にはテーブルごと吹っ飛ばされただろう酔っ払いが蹲っていて。


「……夢前世の持ち主は、額に花の蕾がある。それが目印だ」


息荒な大男の額には、赤い蕾のタトゥーがあった。


「おめーの女房がアバズレだって言ったのがそんなに気に喰わなかったのか!」

「っ……!」


殴られた酔っ払いが立ち上がり叫ぶ。怒りに満ちた形相の大男は、再び拳を振りかざしたが。


「おいテメーら!これ以上店で暴れたら出禁にすんぞ!!」


店の主人マスターが怒鳴ると拳を下ろし、当の2人は苛立ちを隠さない表情で視線を逸らす。

そしてお代を近くのテーブルに叩きつけると、それぞれ店を後にしていった。


「祈吏くん、大丈夫?」

「はい、おかげさまで自分は大丈夫です……!けど、お店の中はめちゃくちゃですね」


ひと騒動あった周囲は料理が床に散乱し、テーブルは先程吹っ飛ばされたままひっくり返っている。

店の主人は大きなため息を吐くと、何故かその惨状と反対の方向を見やった。


「ったく、どうしようもありゃしねぇ!この店にはタイプライターが置いてあるんだ、くっそ高かったんだから壊したらただじゃおかねーぞ!」


店の主人マスターがぶつぶつ言いながら見た方には、分煙エリアのように区切られたスペースがあった。

そこは書き物をする人が集まる場所なのか、物書き用のテーブルが数台と、言っていたようにタイプライターが奥に1台ぽつんとある。

すぐ横にはポストのような箱もあり、書いた手紙をすぐに出せるのが伺えた。


「この時代にはもうタイプライターあるんですか!?」

「みたいだね。タイプライターが出来たのは確か18世紀の前半だから、19世紀の今は商業流通しててもおかしくないかも」

「そんな昔からあったんですか、知りませんでした」

「ここでは手紙を出す際に代筆を依頼できるようだ。きっと良い感じの文章を作ってくれるんだろう」

「へえー……」


(手紙の内容も考えてくれるとしたらかなり良いサービスだ。特に仕事先とかに出す畏まったものだと需要ありそう)


「あっ。それより!」

「先ほどの男性、福田さんの前世の人だったね」

「はい、追ってみましょう!」

祈吏たちは食事を詰め込み、食堂を出て福田さんの前世らしき大男を追った。

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