<最終話>イタリー新聞社は今日も元気に営業中

「さあ、断罪の時間だよ」


 サスークに追いかけられ、ほうほうの体で厩舎まで逃げてきた伯爵。


 馬にさえ乗れれば逃げ切れる。そう思った彼の前に、アンツォが待ってましたとばかりに立ちはだかった。


「お前は……イタリー卿」

「そろそろ観念したらどうなんだい」

「見逃してくれ」


 伯爵はアンツォの姿を見て、観念するどころか取引を持ちかけてきた。


「人身売買をしていたことは認めよう。だがあの娘たちは行く宛も無い者ばかり。少しでも人の役に立ち、生活の糧も与えたのだから、恨まれる覚えはない」


 それにそういう業界の話題はお前の新聞には欠かせない話題だろう。持ちつ持たれつではないかと鷹揚な態度で伯爵が語りかけてくる。


「金ならいくらでもある。な、見逃せ」

「そうはいかないんだ伯爵よ。お前さんは国家反逆罪に問われる身だからな」


 伯爵はユリアーナを殺し、その罪をリーゼに着せるのみならず、そのことで王太子の威信を失墜させる狙いがあった。


 フランツを除き直系の王位継承者がいない現在、傍系に王位を奪われぬよう、彼は威信を取り戻すために他に後ろ盾を得る必要があると睨んでのことだ。


「そこで貴方は伝手を利用して、隣国の王女との縁談をまとめ上げる算段だった。そうすることで、王宮内での権力は増し、隣国との繋がりも持てるからな」

「な、何を根拠にそのような妄言を……」

「お前さんが頼みにしていた隣国の貴族だが、今頃粛清されてるぜ」

「なに……」


 協力者であったブルート族は手を引いており、隣国で手引きした貴族も勝手に話をまとめようとしたことで完全に失脚することになるだろうと告げると、伯爵が体全体をワナワナと震えさせた。


「貴様が、貴様がどうしてそんなことを知って……!」


(ブスッ……)


「謀反人ウィロー・ハウエヴァー伯爵の命、王命により頂戴する」

「お……お前……まさか……お、おうけの……か……げ……」

「死にゆくお前が知る必要はない」



 ◆



〈それからしばらく後、イタリー新聞社〉


「ういーっす」

「あーら編集長、何日ぶりの出勤っすか?」

「しょーがねえだろ。忙しかったんだよ」


 あの後、王太子フランツに対するハニートラップ事件は無事解決となった。


 王太子妃の座を狙い、現婚者の失脚を狙った男爵は、娘が何者かにイジメられていたように自演し、それを侯爵令嬢リーゼが行ったかのように装ってその身を貶めようとしたことが発覚。


 更には手駒としていたはずの養女の告発により、彼女のみならず多くの少女が男に弄ばれ、娼館に売られと悲惨な目に遭っていたことも明るみとなり、男爵は当然のごとく死罪。少女を買ったお仲間の貴族たちも少なくない罰を受けることとなった。


「各紙とも、連日その話題で持ちきりですよ。俺もネタ記事がどんどん書けます」

「なんたって今回の一件を一番間近で見たのは俺達だからな。好きなだけ書け」

「真相は闇の中っすね」

「そういうこと」


 事件の起こった翌日、新聞各紙が前夜の夜会で起こった一件を大々的に報じる中、伯爵の死を報じる記事がひっそりと載っていた。


 逮捕されたのは、みな伯爵に近い関係の者ばかり。当然その関与も取りざたされるところであり、事実証拠を押さえたという報道もあったから、体調の悪化による急死とされた報道に違和感を感じた者は少なくない。


 逮捕を恐れて自殺したか、はたまた恨みを持つ誰かに殺されたのか。色々と憶測は飛んだが、その死と事件に直接の因果関係はなく、さらにはその生前の罪状によって、多数の財産を差し押さえられたうえで伯爵から男爵へと降格の上で親族が継承という罰を受けたという報道以降、名前すら出てくることは無くなり、事件は組織的な人身売買と売春斡旋、そしてそれを基にした王太子へのハニートラップ未遂ということで決着を見たのであった。


「下手に隣国との関与がなんて報道されたら敵わねえからな」

「そうっすね。そこを表に出ないように処理するために自分らに命が下ったわけですし」


 隣国は隣国で、ハウエヴァー伯爵と共謀していた貴族の粛清が内々に進んでいるようであり、そのことからも、今回の一件でもめ事を起こそうという気が無いことは明白。なればこちらも下手に騒ぐ必要はないのだ。


「王太子殿下も皆を労っておった」

「そういえば、リーゼ嬢とは仲直りできたんすか?」

「だいぶご機嫌斜めだったけどな」


 王宮の方はというと、フランツの謝罪大会が繰り広げられていたらしい。


 信じているとは言ったものの、王太子とユリアーナの親密ぶりは聞かされており、当初何も知らされず蚊帳の外に置かれていたこともあって、リーゼの機嫌を直すのにかなり苦労したとか。


「最終的には仲直りしたけど、侯爵家には伯爵家から没収した財産を内々に分与するってことで詫びにしたようだ」

「子供たちを引き取る分の謝礼込みですね」

「それもあるな」


 人身売買の温床となっていた養護院は強制捜査の結果、その事実が間違いないものとして解散。残された子供たちはヘンリク侯爵家が支援する別の施設で保護されることになったので、それに対する礼という意味合いも含まれているのだろう。


「そういうわけで色々忙しかったのよ」

「分かってますよ」


 その他にも今回の件で迷惑をかけた関係各所との調整だったり、隣国の動向を探ったりと、この数日アンツォは新聞社に顔を出すこともできないほど大忙しだったのだ。


「そういやエッサン先生のところにも詫び金が入ったみたいでな。新しい医療器具を買うとか言ってたな」

「それ、使うほど患者が来るんすかね?」

「知らん」

「サイゾさーん、お昼ご飯買ってきましたよー」


 アンツォとサイゾが事件の後始末についてあれこれと語っていると、両手に大荷物を抱えた、少女の元気のよい声が聞こえた。


「おかえり。ユリアーナ」

「アンツォさん、来てたんですか」

「来てたんですかって……お客さんみたいな言い方するなよ」




 男爵令嬢……だったユリアーナ。彼女もまた、本来ならば罰を受けるはずであったが、その境遇、犯罪に加担せねばならなくなった経緯、そして彼女の証言が事件解決の決定打となった功績などを勘案し、特赦という形で罪は不問となった。


 とはいえ養父が死罪となり、男爵家も取り潰しになったため、今は行く宛もないただの平民の少女。今さら養護院に戻るのも気が引けると思っていた彼女に、最初に手を差し伸べたのはリーゼだった。侯爵家の使用人として働いてみる気はないかと誘ったのだ。


 彼女は役を演じていただけとはいえ、十分に貴族の令嬢を務めていた。まだまだ足りないところはあるだろうが、侯爵家で教育すれば侍女として務まるだけの素養を見込んだのだろう。

 

 しかし彼女はその申し出を断った。


 夜会の場で証言したことで、彼女がそれまでに受けた仕打ちはその場に居た者たちに知られたところであり、事情やむを得ないとはいえ、汚れた女であることに変わりはない。それが侯爵家に仕えれば他の貴族が何というであろうか、と。


 リーゼや侯爵家の者が構わない、気にするなと言ったとしても、自分が心苦しいし、口さがないものや邪推する者によって、雇った理由が単なる情けだけではないと疑われるのもよろしくないと断ったのである。そこでアンツォが引き取ることにしたのだ。


 短期間の準備で貴族令嬢を演じられたように、彼女には生来の頭の回転の速さと環境への高い順応能力があり、王太子が「油断していたら自分も骨抜きにされていたかも」というくらいには男を誑し込む素養もある。


 言っておくが、彼女はただの孤児の少女。そんなことを学ぶような環境に置かれていなかったのにだ。


 侯爵家で厄介になるのが気後れするのなら、これはもう自分のところで引き取って、影の一員に仕立て上げるしかない。さしずめシルヴィアの後継者にはうってつけだとアンツォは直感したわけだ。




「それで……教育役のお局は弟子を買い出しに行かせて何やってんだ」

「風呂っす」

「もう昼だぜ……まったくサボり癖がついてやがるな」

「いやほら、ここんところ監視が長かったから、ゆっくり風呂にも浸かれなかったし」

「仕事中だっつーの」


 やれやれと言って頭をボリボリと掻きながら、アンツォが風呂場のほうへと向かうと、ユリアーナが今行っちゃダメですよと言いかけたが、サイゾに無駄だよと止められた。


「いいんですか?」

「病気だから仕方ないっす」

「病気……?」

「知らないわけがないでしょ。好きで浴びに行ってるんす」


(………………バシャバシャバシャーン!!!)


「ふおーーーーーっ!」

「グォラァァァァァァーーーー!!!」


 そしてやや間があって後、風呂場の方から聞こえてくる水が激しく爆ぜる音、それに続いて叫び声と怒声が聞こえてくると、サイゾが「ほらね」とユリアーナの方を向いて肩をすくめた。












「フン、フンッ!」


 その頃、裏庭ではサスークが雄たけびを上げながら謎の器具でトレーニングをしていた。


「むーーーーん、フンッ!!」


 トレーニングに熱が入り、サスークの雄たけびも力強さを増す。


「うおーーーーーっ!」

(ふおーーーーーっ!)

「うおらぁぁぁぁぁぁーーーー!!!」

(グォラァァァァァァーーーー!!!)


 するとどうしたことだろう、サスークの雄たけびを反芻するように、同じような声が建物から聞こえてきた。


「ん? 中でもトレーニング……なわけないか」




 イタリー新聞社にいつもの日常が戻った昼下がりであった……

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