「第7章 私の為に」

「第7章 私の為に」(1)

(1)


 大樹の視線はクリアファイルに向けられていた。中には紙束が入っていてそれは、由香によって切り取られた灰色の本のページ。パッと見た感じ、まだ数ヶ月分はある。これが存在するという事は、まだ死なないという事だ。


 死ぬと思って色々準備してきたのに無駄になってしまった。大樹がため息を吐くと、由香がまだ震えている事に気付いた。


「大丈夫。由香を怒ったりはしないから」


「本当?」


 不安そうな目を向ける。先程まで大樹より二手三手先を行っていたのに、今では年相応の子供の対応だった。彼女に向かってゆっくりと頷く。


「どこにも怒る理由なんてない。なるほど、由香が言ってたチャンスっていうのは死にそうで死なない今日みたいな日を差すのか」


「うん」


 由香は大樹の言葉に対して一瞬、躊躇したようにして同意する。


「でもあれだ。お父さんが今日、本当に死んでしまったら結果的に灰色の本の未来を変えてしまう。それこそ修正された未来どころじゃなくなるぞ。危ない危ない」


 灰色の本の通りにやっていたつもりだったのに危なかった。死んだ後では、もうどうやっても修正出来ない。大樹はクリアファイルに手を伸ばす。


「……それ、取るの?」


 由香の質問に伸ばした大樹の手が空中で止まる。そのまま彼女の顔を見ずに答えた。


「取るよ。当たり前じゃないか」


 今の生活は何から何まで灰色の本によって成り立っている。今日からいきなり何もない生活には戻れない。そんな事をしたら、どういった事になるか計り知れない。


 仕事だって生活だって、ままならなくなってしまうだろう。

 そんな事になったら、美咲の願いを叶えられない。由香を任されているのだ。


 自分を納得させて大樹はクリアファイルを手に取った。


「お父さん、本を見るの。もう止めて」


「俺はもう、あれなしでは生きていけないんだ。弱くて情けないのは重々承知してるけど、こればっかりは、もうしょうがない」


 渇いた笑いを混ぜて、由香にそう言い放つ。灰色の本のメリット・デメリットをちゃんと把握している。その上で止めないのだ。


「どうしても止めない? 私が頼んでも?」


「ああ。由香に頼まれても止めない」


 そうだ。誰に頼まれたって。止める訳にはいかないのだ。


 由香に答えながら、自分自身に強く決意する。


「そっか。私がお願いしてもダメなら、お母さんからお願いしてもらうしかないね」


「お母さん?」


 由香の言っている意味が分からなくて首を傾げていると、彼女MacBookを手に取り、膝の上でパチパチと操作する。そしてこちらを向けて「はい」と一つのムービーファルを開いた。


 開かれた動画に映っているのは、あの日の美咲だった。

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