古臭い音楽


コツコツと、足音を立てながら。


いや、生徒全員ゴム底の上履きなので、正確にはキュッキュッという音を立てながら、と言い表すのが正しいのだろうが、そんな幻聴、今は些細ささいな問題だった。



ただ、に。

机や椅子を縫って歩くのでは無く、彼女はただ真っ直ぐに、僕の方へと歩みを進めていた。


(まるでモーゼの十戒じっかいだぁ)


彼女の歩みを邪魔しないよう、クラスメイト達が慌てて机と椅子を壁際に寄せる姿を見て、そうゴチる。


たった数秒の現実逃避の後、目の前で立ち止まった彼女に、もはや逃げる事は出来ないだろうとさとる。


もっとも、今更逃げたとて、だ。

だからこそ、僕は引き攣った顔を彼女に向けた。



「あ、の」


「ごきげんよう、古倉匠人」



蚊の鳴くような僕の声を遮って、彼女はニコリと笑みを浮かべると、流れるように膝折礼カーテシーを行った。


その美しい所作から、彼女の育ちの良さが見て取れて、感嘆の声がこぼれそうになる。



「またお会い出来て嬉しいですわ」



……ただ、どうしてだろう。

その美しい所作と、優しげは声色とは裏腹に、僕を見下ろす彼女の双眸そうぼうからは、憤怒ふんぬの感情が読み取れて……僕はブルリと肩を震わせた。



「どうして、名前……」



椅子から立てばいいのか、座ったままでいいのか、挨拶を返せばいいのか、悲鳴を上げればいいのか……兎にも角にも、このまま押し黙っている訳にもいかないだろうと、焦った拍子に出た言葉がであった。



「あら、そんな些事が気になりますの?私の手にかかれば、一生徒のプロフィールから国家機密まで、なんでも手に入りましてよ」


「ぷ、プライバシー保護法は……?そもそも、それって犯罪なんじゃ……」


「そんな事より、古倉匠人!」



僕の言葉を遮るように、バンッと両手を机に叩きつけ、語気を荒げた女の子。


ビクッと身をすくめ、たちまち口をつぐんだ僕を、情けないと言わないで欲しい。



「昨日は良くも私の敬愛するアニソンを、散々けなしてくれましたわねっ!」



……ああ、なるほど。

だから彼女はに来たんだと。

ようやく罪状を把握出来た僕は、ヘニョリと眉を下げる。


正直、昨日は言い過ぎたと思っていたからだ。



「ご、ごめ」


「もう二度とそのような戯言たわごとが言えないよう、今から小一時間どころか三日三晩かけてアニソンの素晴らしさを説いて差し上げ……あら?」



ふと、矢継ぎ早に言葉を紡いでいた彼女は、キョトンとした表情で、僕へと目を向けた。



「??……あの」


「あなた、何か拝聴はいちょうしておりまして?」



彼女の言葉に一瞬、眉をひそめる。

ただ、すぐに何を言っているのか理解出来た。

彼女の目が、僕の耳から垂れるコードを見ていたからだ。



「あぁ、うん。クラシック音楽を聴いていたんだ」


「……クラシック音楽、ですの?」



眉根を寄せ、疑問を口にする彼女に答えるように、僕は声を弾ませた。



「そう、クラシック音楽。今はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第5番……運命を聴いていたんだ。交響曲第5番と言えばルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1808年に作曲した5番目の交響曲で、第一楽章の冒頭部分【ジャジャジャジャーン】ってフレーズはクラシック音楽の中っも有名だから、聴いた事くらいあるよね?これって実は、たった四つの音から成り立っていて【運命がドアを叩く音を表している】とも言われているんだ」



好きな事を早口で語るオタクよろしく〜のように、ベラベラと喋る僕の姿を見て、呆気に取られるクラスメイト達。



「ベートーヴェンは幼少の頃から──」



ただ、そんなクラスメイト達すら気にもとめず、饒舌じょうぜつに語る僕の言葉を遮ったのは、彼女の無機質な声だった。



めて下さる?」


「──え?」



ハッと正気に戻って彼女の顔を見てみると、まるで無価値なモノを見るような、そんな酷く冷めた瞳が僕を射抜いていた。



「止めて下さる、と言いましたの。そうでしょう?クラシック音楽なんて古臭い音楽アンティーク・ミュージックの話など、聞いているだけで耳にカビが生えてしまいますわ」


「な、なな、な……ッ!?」



まるで壊れた蓄音機ちくおんきのように、言葉に詰まる僕を尻目に、彼女は呆れたように言葉を続けた。



「やれオーケストラ、やれ管弦楽団、やれ交響楽団などと、ずいぶん格式高く語られていますけれど、物音一つ立ててはダメなんて、そんなの息が詰まって堅苦しいですし、そもそもクラシック音楽なんて退屈でつまらない文化モノですわ。あなた、おおかたクラシック音楽はだ、なんて思っているのでしょう?」



彼女の指摘に、ビクリと肩がはねる。

その言葉が、正に図星だったからだ。


彼女はそんな僕の様子に、つまらなそうに鼻を鳴らすと、きびすを返してドアへと向かう。



「お、おい。どこに、行く気だよ……です」


「どこって、教室へ帰るのですわ。そんな古臭い音楽を聴いている者に、アニソンの素晴らしさをいくら説いても理解出来るとは到底思えませんもの」


「ちょっ、待──」



とがめるように手を伸ばす僕を、チラリと一瞥した彼女の目は、もう僕への興味を失っているようだった。



「クラシック音楽なんて、そのちゃちなイヤホンで聴くのがお似合いですわ」



ドアに手をつき、最後にそう吐き捨てるようにして教室を立ち去った彼女を、僕はただただ見送る事しか出来なくて。





「な、なはははっ、タクトくーん!あの天神音あまがみね未来みくちゃんと友達だったんだねぇ!オレってば特進クラスの人達とはまだ仲良くなって無いから、ギザ裏山シス!!」



何とも気まずい雰囲気に包まれている教室の中、どうにか空気を清浄しようと夏君が声を上げる。


ポンポンと、まるで慰めるように僕の肩を叩く夏君の手が妙に優しくて、クラスメイト達が端に寄せていた机と椅子を定位置に戻す最中、僕はしばらく顔を上げる事が出来ず、ホロリと落ちるしずくを拭った。







そのころ、くだんの御嬢様はというと。


(どうしましょう、少し言い過ぎてしまったかしら?……いいえ、彼の者はアニソンをけなしたのです、これでおあいこですわ。でも、モヤモヤが晴れませんわ……これはセバスチャンに相談、ですわね)



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