人と成り

となりの席の櫻井さん

第0話 理解

 人と人とが理解をし合うというのは、なかなかどうして難しい。


 人には欲というものがある。

 あれが食べたい、お洒落にしたい、人から良く見られたい、お金が欲しい、自分の意見を通したい、異性から愛されたいなど、人間は欲求の中でそれを満たそうと生きている。


 それは悪いことではない。


 そして自分と価値観の合わない人間は排除し、攻撃的になる。


 私自身がマイノリティな存在であるが故に、これまで数多の排除される対象となってきた。

 人間社会において、マジョリティは絶対的正義といえるだろう。

 これは大きな濁流そのものであり、流される藻屑こそがマイノリティであるからだ。


 しかし、その濁流が流れる大地そのものはは唯一無二の地形で、マイノリティによって形成されていることを大多数は気付かない。

 世の中は一握りの成功者によって技術的進歩、記録の更新、芸術の発展などを遂げてきた。

 そして大多数であるマジョリティはそれを時に称え、時に羨み、妬みさえした。


 人は心の弱い生き物だ。


 称賛される技術や能力に対しては担ぎ上げるくせに、その未熟さを痛感させられると身近な変り者を淘汰することで自分の存在意義を確かなものとしようとする。


 理解し難い哲学的な言い方をしよう。


 人の世には「陽(日)の目を見る」という言葉がある。

 太陽という存在は総じて、万物に平等な光を射す有難いもののように錯覚をしがちだが、太陽は不平等の象徴といえる。

 何故なら、陽の目を見るという言葉の通り、逆説的に陰を作るからである。

 悪いイメージのようだが、これは真理といえるのではないだろうか。

 

 大多数、マジョリティのほとんどは陽の目を見ない人間で、太陽を背に自分の影を見ながら生きている。

 故に、何かを成し遂げマイノリティへと到達したいと心の底で願い、その矛盾の中で生きている。

 

 それを直視でき、受け入れることができるのか?


 それを知る方法は至って簡単だ。

 自分の外見や容姿、SNSの発信内容を見ればすぐにわかる。

 

 ブランドもの、豪華な食事、高い車や時計、よくわからん自撮り、頻度の高い旅行等々、とにかく外見的に着飾る発信が多い人間は、自分の内面に向き合えない人種だ。

 まさか自分が承認欲求モンスターとは思いもしないのだろう。

 そしてその多くが経済的に余裕があり、人生においてこれといった苦労もしたことがない人間が殆どである。


 経済的に余裕がある=勝ち組

 経済的に困窮している=負け組


 おそらくこの程度でしか物事を図れない短絡的な思考回路なんだろうなと思う。


 人間の欲というものを、自分自身がきちんと理解して向き合うことは心の教養にとても重要な意味を持つ。


 そしてその指針を何処に置いているかで、物事の解釈や人との関わり、自身の立ち振舞いや言動に多大な影響を及ぼす。

 

 それらを理解していない人間は、例えば部下から慕われないし、自分の横暴で身勝手な振舞いも肯定してくる。なんなら「あたし仕事できるし!」となかなかな勘違いをしてくる。上司に媚びることだけは達者な傾向が強い。

 

 こういった人たちに是非とも勧めたいことがある。


 それは【天体観測】だ。

「星みてどうすんの」と思うこと無かれ。


 何も考えずに夜空を眺めていて欲しい。

 時間の無駄だと思うならそれでもよい。


「美しいものを美しいと思える、あなたの心が美しい」という言葉があるように、自分の心が今どういう状態なのか、星を眺めることで気付けることができる。


 自分を着飾ることでキレイに見せようとせず、ただそこにあるだけで綺麗だと思えるその存在は「平等」という他ない。


 星の光は影を作らないからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る