26 神霊の化身
重い瞼を開く。
目に映るは、十一人の騎士が描かれた天井。モーガンの部屋だ。
どうやら現実世界へ帰還できたらしい。
上半身を起こす。すると、体が少し重い事に気づく。とはいえ、実際に体重が増加したのでは無く、暫く体を動かしていた時の感覚に近い。
見下ろした机の上には白い機械。円形の形をしたそれは駒の様な形をしていた。中央に切れ目があり回転できる。
「どうしてここに……?」
この機械を私は知っている。
確か研究所にあった物だ。
ここは異世界でしょう?
どうしてこの様な物がある?
いや、冷静に考えろ。
いくら異世界といえど元いた世界と同じ様なテクノロジーが発展している可能性はある。
とはいえ異世界へ転移してからというものこの駒みたいにSFチックな物体は見たことが無い。
ふと、周囲を見渡してみる。モフたんの姿を探したがその気配は無い。
「彼なら何か知っていると思ったのですが」
謎の機械を使用する方法はもう既に知っていた。これは研究所で使われていた記録簿だ。過去の研究成果について纏められていると聞いたことがある。
なぜ「聞いたことがある」なのか。
至って簡単である。
実際に使用した事が無いから。
駒の様な機械をひねると表面に無数の点が現れた。点を正しい手順で繋げば中身が見れる筈だ。点の数はざっと見ただけでも三十個近くあり、手当り次第繋いではキリがない。
「まさかねぇ」
試しに円形になる様に点を繋いでみる。
円卓の様に整った円に。
その刹那、駒の先からモニターが現れる。
映し出されたのは生徒の名簿らしきもの。
てっきり、化学物質の名前とか電子回路のリストでも出てくると思っていたので少し拍子抜けする。
モニターに映し出されたリストには生徒の顔写真や名前、生年月日など個人情報と呼ぶべき物が並んでいた。一見すると何の変哲もない記録だが、リストのうち1項目に星の印がついている。
項目を軽くタップすると印がつけられた生徒の細かい記録が表示される。
【氏名 ヨハナン・ファウスト 入学 神霊歴3021年 所属 トリスタン寮】
顔写真とその他の記録を見て確信する。
これは
彼は神立聖魔術学校の出身であったらしい。更に記録された顔写真を見て既視感を覚える。フランドレアにて対峙した
もっと最近会った事があるような。
「ヨハナン……?」
そうだ。私をアルティエの元へ導いてくれたヨハナンという生徒。彼女に良く似ている。今思えばそもそもヨハナンという名前自体男性名だ。どうして今まで気づかなかった。
ファウストの記録を眺めていると最下部に赤い文字でdeleteと書かれている事にきづく。
この世界では独自の文字と言語は発達している。英語など存在しない。
ならばどうして……?
記録を更に漁るためにスクリーンをタップする。 しかし、母屋から近づく足音がその指を止めた。
*
「おはようございます。全く、このまま、おとぎ話の眠り姫みたいにガラスの棺の中で永遠の眠りについてしまわないか心配でした」
「それもはや死んでいませんか?」
母屋から迫る足音。その主はモーガンだった。
テーブルの上にシロップの様な液体に白玉の様な何かが浸された食べ物が置かれる。
「えーと……これは?」
「昔メルランがよく作ってくれた軽食です。数日間何も食べていなかった胃には丁度いいでしょう」
「数日間!? 私一体何日眠っていたのですか?」
「三日です」
「三日あぁぁあ!?」
――呪いが原因とはいえ、あのそこまで長くない夢を三日間も見ていたのですか!? いや、ちょっと待ってください。世の中にはレム睡眠とノンレム睡眠という物が……。
「そうです三日。私も最初はコハクが看板を見た拍子に義絶しただけかと思っていましたが、いつまで経っても目覚めないので呪いによる物だと疑い、あれこれ解呪を試みました」
「いやいや看板を見たぐらいで義絶しませんって」
「しかし、いくらコハクの体を調べても呪いの痕跡すら発見出来ませんでした。コハクはその……眠っている間悪夢を見ませんでしたか?」
「悪夢というか、過去の出来事を夢として見ていました」
「過去の出来事……なるほど」
「何か分かりましたか?」
モーガンが持ってきた食事を口に含む。見た目とは裏腹に白玉のような食べ物は柚の様な酸味があり、数日間何も消化していなかった胃でもあっさり受け入れる事ができた。
「他人に夢を見せる
「他人の夢を盗み見る呪いって事ですか? どうしてそんな物が」
「夢という物には、眠る者が抱く感情や記憶、様々な者が反映されます。ですので、例えば……貴方について知りたいと願う者がいれば、見たいと感じるのは至極当然でしょう。術者に心当たりは?」
心当たりがある術者……一人だけいる。
「それなのですが一人心当たりがあります」
イタカと名乗った少女。呪いをかけた犯人として心当たりがあるとすれば彼女しかいない。薄雲の魔法道具店でおきた出来事をモーガンに話す。
話を聞く彼女はまるで家族の身に何かが起きた時の様に真剣そのものだった。
「イタカ……っち。そういう事か。まさか小娘だったなんてね」
「知っているのですか?」
「えぇ。アルティエから間接的に。イタカは十一人の
「あの小さな女の子がぁ!?」
「私も信じがたいのですが。その歳で私の目さえ誤魔化せる呪詛を行える者となると
モーガンは複雑な表情でしばらく天井を仰ぐと、再び微笑む。
「ひとまず、今は休みましょう。まだ呪詛の後遺症が残っているかもしれませんし」
「待って下さい」
「何でしょう?」
「モーガンさん……あの、もし、暇だったら、少し話しませんか?」
「ふーん。構いませんが、コハクがそのような申し出するとは珍しい」
モーガンは部屋の隅から椅子を引っ張り出して、ベッドの側に配置する。そして、私の顔を覗き込んだ。
「何かあったの?」
その瞳は、雪の様に白い肌は、月光の様に輝く紙は、そして、その笑みは。何よりも美しく。何よりも清らかで……。
「話してごらん?」
女神のようだった。
「いえいえ。先ほどまで悪夢を見ていたから……少し話せば気が休まるかなあって」
そう言って、落ち着こうと深呼吸をする。
本音を言えば、私は彼女に尋ねたい事があった。
ヨハナンと合流した時に感じた違和感。
「へぇ。それではコハクの恋バナでも聞きましょうか」
「私のですか? 無いですよ」
「率直に否定しますね。私も無いのですが」
「ではこの話題は八方塞がりですね……そういえば、モーガンさんに聞きたい事がありました」
「初めからそちらが本音でしょう?」
「よくお分かりで」
「それで、聞きたい事とは?」
「この家を囲っている森についてです。数日前私を迎えに来てくれたヨハナンは森の入り口で私を待っていました。基本的に誰かを迎えに行くときって家の前まで来ませんか?」
「あーあ」
モーガンはクスクス笑う。
「コハクはあっさりここまでこれたから気づかなかったのですね。この森にはメルランの許可が無い者は入れないように結界が貼ってあります」
「森自体に結界?」
「えぇ。この森と池はあいつが恋慕していた女との約束の地です。いや、今でも恋慕しているのかな。何百年も何千年も」
モーガンは椅子から立つと、私を手招きした。
「立てる? 中庭までいらっしゃい。見せたい物があります」
*
中庭へ出るとモーガンは女性の彫刻の前に立つ。
池の周りは長年整理されていないためか草が生い茂っていたが、不思議と水は澄み渡っていた。
「この彫刻が何か?」
「ご覧なさい」
モーガンが小さな声で詠唱すると、彫刻にかかっていた布が外れた。
それは女性の像で、古く寂れていた。
なのにも関わらずその姿には既視感がある。モーガンにそっくりだ。
「まっまさか。モーガンさんが湖の女神!?」
「ばーか。そんな訳ないでしょう。最後まで話を聞きなさい」
「はい……」
モーガンは深いため息をつく。そして再び口を開く。
「今から話すのはとある愚かな妖精の恋バナ、そして女神の化身でもあり、寂滅の魔女でもある少女の物語。今日はまだ日も高いですしゆっくりと話しましょうか」
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