23 風に乗りて歩むもの

「やっほー、久しぶりだね。コハク」


 翌日の朝。メルラン宅を囲む森を抜けると、森の入り口でヨハナンが待っていた。


「ヨハナンさん。お久しぶりです」


最後に会ってからそんなに日が経っていないような気がするが、恐らくこの挨拶は社交辞令なので、細かい事は気にしないことにする。


「よーし、それじゃあアルティエ先輩がいる議会室まで案内するよ。まずはこれを付けて」


 ヨハナンはそう言うと、私に鳥の模様が描かれた金色のブローチを渡した。どこに付けるべきかは指示されなかったので、ひとまず、胸の辺りに付ける。スカートポケットの中ではモフモフが寝ているので、付ける上半身だろう。いや、あのモフモフなら、ブローチの針が刺さったぐらいではピンピンしていそうだが。


「それは学校外から来た人が付けるブローチだよ。議会室は学校の中心にあるから、それが無いと中に入れないんだ」


 ああ。そういえば私が産まれた世界の学校でも、学校外から来た人が首からプレートを下げていましたね。それと似た物でしょうか。


「へぇ。ちなみに、このブローチに描かれているのはカラスですか? 」

「そうそう。渡り烏とかいう名前の烏らしいけど、詳しい事はしらないや。そんな事より早く出発しよう」


 ヨハナンが急かすように私の袖を握る。

 それに対して、こちらも「はいっ!」と明るく返答した。



*



 朝の繁華街は比較的静かだった。殆どの店が、まだ営業していない。

 ヨハナン曰く、一番賑わうのは放課後の時間帯だそうだ。

 そして、静寂に満ちた繁華街を抜けると、急に雰囲気が全く違う建物が現れた。ログレシアの中心にある森を囲んでいた建物の一つだろう。

 緑の屋根。白い壁。植物の模様をモチーフとしたステンドグラス。同じく植物をモチーフとしたデザインのランタン。家具は一つ一つのデザインが洗練されている。

 

「わぁ。綺麗な建物ですね」


 こちらの率直な感想に、ヨハナンが喜々として返答する。


「でしょー。でしょー。ここがトリスタン寮だよ。ちなみに寮全体の専攻は植物学。魔法薬学。生物学ね。ちなみにボクは、呪いで手足を失った人が使える偽足を研究してる」


――それで建物全体が植物をモチーフにしたデザインになっているのですね。ほかの寮もこんな感じなのでしょうか。


「本当は寮の中も案内したいけど、それはまた今度ね。議会室は寮を抜けた先にあるよ」



*


 

「はじめまして。君に会えるこの時をずっと心待ちにしていたよ。フランドレアの英雄さん」


 奇麗に切りそろえられたブロンド。真紅の瞳。そして人形のように整った顔。ログレシアの住民で彼の顔を知らない者はいないだろう。


 トリスタン寮を抜けた先で待っていたのは議会室という名前の二階建ての建物だった。てっきり議会室という名前から椅子とテーブルが並んだ部屋を想像していたが、その正体はその変の一軒家よりもはるかに大きい建造物であった。


 そして、議会室のエントランスで私を出迎えた人物こそが、現在対峙している人物、アルティエ・アウレニアヌスである。


「それじゃ。ボクはこれにて失礼」


 隣でヨハナンが会釈すると、玄関が開閉する音が聞こえた。

 彼女に礼を述べるのを忘れてしまったが、また別の機会があればその時に伝えれば良いだろう。


「えぇ、はじめまして。アルティエさん。私も貴方とお話がしたかったです。何か誤解をなさっていますね。ここに英雄なんで立派な人は居ませんよ」 


 アルティエが眉を吊り上げる。


「おや、君がフランドレアの礼拝堂に侵入した日から、フランドレア内の星木ヴァイダが不足する怪現象に終止符が打たれたと聞いたが」


「ログレシアは排他的な都市と聞きましたが、外部の情報には詳しいのですね」


「そりゃ、ログレシアの外に僕の『耳』が沢山居るからね」


「えぇー、そんなに沢山の感覚器官が!? 」


「比喩だよ? 」


 部屋にアルティエの咳払いがこだまする。


「仕切り直して……と。僕が君とずっと会いたかったのは、取引がしたがったからだ」 


「取引? 」


「君はログレシアに何日ほど滞在するつもりかい? 」


「魔法道具を購入したら、直ぐに去るつもりです」


「おや、それは難しいと思うよ」


 アルティエは階段を下ると私の隣に立った。そして耳元で囁いた。

 彼の方が遥かに身長が高いせいだろうか。

 少し縮こまってしまう。



「最近使徒ユースティティアの一人が訪れた際に、君の行方を尋ねてきた。奴が去るまで下手に動かない方がいい」


 使徒ユースティティアが私の行方を?  

 どうして?

 調査団によって私の容疑は晴れたはず。

 そもそも、吟唱祭まで使徒ユースティティアは来ないはず。



「吟唱祭まで、まだ日付がありますよね? 使徒ユースティティアがどうしてログレシアに? 」


「どうしてかって? 色々交渉をする為に観光客の出入りが激しくなる。詳しいことは話せないけどね」


「ログレシアは出入りの規制が厳しいと聞きましたが? 」


「ログレシアは精霊師マギーズの楽園だ。そして、使徒ユースティティアは国王の側近である精霊師マギーズの集団だ。つまり、精霊師マギーズである彼らを拒む理由は、我々には無い。歓迎もしないけどね」


 ログレシアの民は精霊師マギーズでは無い者を差別する。しかし、裏を返せば精霊師マギーズなら誰でも受け入れるのか。例え相手が使徒ユースティティアでも。


「それが取引と、どの様な関係が? 」


「もし、僕の要求を呑んでくれるなら、代わりに君がログレシアに滞在する間、身の安全を保証するよ」


「身の保証? どうやって? 」


「それはナイショ」


 アルティエは、人差し指を口元で立てると再びウインクした。

 正直、使徒ユースティティアなど気にせず、さっさとワタヅミ島へ向かいたかったが、前回の調査団の事を考えると、大人しく彼の取引に乗ってしまった方がいいかもしれない。


 無論、条件によるが。


「ふーん。それで要求って何ですか? 」


「そんなに心配しなくても、簡単な仕事だよ」


「詐欺師の人って大体そう言いますよね」


「アハハ、詐欺師ねぇ。よく言われるよ。

僕がやって欲しいのは本当に簡単な事だよ。君には『とある実験のデータ』を解読して欲しい」


「それのどこが簡単なんですか」


「君にとって簡単な事だよ。まぁ、見れば分かるさ」


「なんですかそれ……」


 この世界に連れてこられてから、数えきれないほどの不可解な出来事や人物に遭遇してきたが、恐らく、彼が一番理解できない存在だ。


 暗号の解読なら他に適任者がいるだろう。


 思わずため息が出る。



 そして、その刹那。



 扉の外から大きな足音。


 足取りからして何やら慌てているようだ。


「ペンドラゴン様。至急お伝えしたい事があります」


 アルティエが舌打ちする。


「入っておいで」


 扉が勢いよく開く。

 そして、神立聖魔術学校の生徒である少年が入ってきた。


 ピーナッツ色の髪とそばかすが特徴的なその少年は、全身汗だくであった。


「先程、吟唱祭の準備の為に聖剣の状態を確認していたのですが……そしたら聖剣が……聖剣が破壊されていました」


 アルティエの表情が少し不機嫌そうになる。


「聖剣はアウレニアヌス家の所有物だが、誰の許可で聖剣の確認を? 」


「え? アルティエ様のご指示では? 」 


「僕は何も指示していないが? 」


「でも……私の元に伝書烏が……伝書烏は円卓議会の方しか使えないですよね? 」


「その通り。ならば、僕の名を騙って指示を出したのは円卓議会の人間かな。悪い騎士は早く誅さないとねぇ」


 アルティエの声が一転。

 表情は笑ったままだが脅すような、威嚇するような低い声となる。


「それと……今はお客様がいるけど、君はずいぶんとおしゃべりな様だ」


 少年がこちらを一瞥すると、表情が真っ青となった。

 まぁ、アルティエの言う通り部外者である私が居る場所で、大切な情報をベラベラ喋るべきでは無い。

 

「もっ申し訳ありません! 」


「まぁ良いよ。報告ありがとう。もう返っていいよ。ただし、この件に関して他の生徒から何か聞かれても一切答えないようにね。余計な混乱は招きたくないから」


「承知いたしました」


 そう言うと少年は、そそくさと姿を消した。

 アルティエ・アウレニアヌスという人間の本性を垣間見た気がする。


「さて、コハクちゃん。わざわざ、来て貰って悪いけれど、お話はまた今度にしようか? 」


 アルティエは再び私に向き直ると、上機嫌そうに笑った。

 あの威圧感は一体いずこへ。


「そうですね。どうやら一大事みたいですし。それにしても不可解な事件ですね。聖剣はこの島を維持するのに不可欠な物ですよね? それを島の統治者たる円卓議会の人間がわざわざ破壊するなんて」


「そうだね。実に不可解だ。そして、破壊したのが議会の人間とは限らない」


「あぁ、分かりました。議会の方は、聖剣を破壊した犯人に利用されて伝書烏を使っただけかもしれないと」


「良い推理だね。君の言う通り、こんな事を仕組むのは、ログレシアに敵意がある外部の人間や、寂滅の魔女ぐらいだろう。けれども君はこの件について関わらない方が良いよ。確実に面倒事になるから」


「では、取引の交渉はいつしますか? 」


「こちらの予定が空き次第また連絡するよ。あまり待たせない様に努力する。そうだ、思い出した。君がログレシアにいる間お守りを貸すよ」


 お守り?

 アルティエが手招きしながら階段を登るので、それについて行く。

 導かれて辿り着いたのは。彼の執務室であろう部屋。

 赤いカーペットに、木製の家具に囲まれたその部屋には、上品かつ、厳格な彼の風格が表れていた。


「はい、これ」  


 アルティエは何やら大切そうな書類が積み重なった机の引き出しから、小箱を取り出す。


 開けた小箱からは銀色の指輪が出てきた。


「なんですか。この指輪」

「我が家に伝わる家宝の一つさ。それを見せれば僕の保護を受けている証明になる。魔法道具だから、杖代わりとしても使えるよ」

「身分証明書みたいな物ですか? 」

「そんな所かな」


 受けとった指輪を、左手の人差し指に着けようとして少し躊躇う。聞き手が右手なので、左手を選んだほうが利便性が高いが、確か、左手の指輪には服従の意味があった筈だ。


「右手につけたら邪魔じゃない? 」

 「私の故郷では左手の指輪には服従の意味があるって言われているので」

「へぇー。僕の部下になるのは嫌? 」

「嫌です。絶対に嫌」


 そもそも、私はアルシエラの眷属だ。


――この世界に来てから眷属らしいことは何もしていない気もしますが。




*



 ログレシアの繁華街を、少女と男性が歩いている。


 この文書だけを見れば、親子連れか、カップルが和気あいあいと繁華街を歩いているように聞こえるだろう。


 しかし現実は違う。


 楽しそうに鼻歌を口ずさむ少女とは対象的に男性は険しい表情をしていた。

 

「ファウストって、使徒ユースティティアの礼服を着ていない時は冴えない中年男性ぽいよね。傍からみたら私達は親子に見えるのかな」


「君が私の娘であったら、ストレスで禿げてしまいそうだよ。もう少し子供らしくしてくれれば話は別だが」


「年下の私が貴方より序列が上だから気に食わないの? 」


「話聞いてないだろ」


 男性……いや、ファウストはフランドレアで現れた時とは対象的な紺色のカジュアルな服装をしていた。

 隣を歩く白髮の少女も、黒色のワンピースを纏っている。彼女の姿自体は、普通の少女と変わりないが、ただ一つ違和感があるのは彼女の視線が常に下を向いている事だった。絶対に他人と目を合わせない。

 

「それにしても無駄な騒ぎを起こさない為とはいえ、庶民と同じ服装をするのは不快極まりない」


「私からしてみれば使徒ユースティティアの礼服も下界の民の召し物だよ」


「またそんな事言ってるのか厨二病」


「だーれが、厨二病よ。いつか、星間宇宙の帝王は宇宙より来たる。これは私の信仰。この信仰は我々の国王陛下に対する忠誠心と同等に深い」 


「あー、はいはい。君には君なりの事情があるのだろう? 深堀りはしないでおくよ……」


「パパ。アイス食べたい」


「だから、話を聞け。誰がお前のパパだ。そして急に子供らしくなるな。我々は遊びに来た訳ではないのだぞ」  


「分かっているとも。でも庶民に紛れるには庶民の習慣を真似するべきだよ」


「それっぽい事を言うな。とりあえずアイスは買ってやるから、君とは別行動させてくれ」


「ありがとうパパ」


「だから、その呼び方は辞めなさい」  


 ファウストが小銭をいくらか取り出すと、少女は近くにあった露店へ駆け込んだ。

 そして数分後片手にスティック型のアイスを持った少女が戻ってくる。


「これじゃあ本当に父親になった気分だ。さて、君もいい加減、その旅行気分をどうにかしたらどうだ? 」


「そうね。久しぶりに故郷に少し舞い上がってしまっていたわ」


「ほう故郷に情が湧くなら今からでも本部に帰るか? 任務の遂行に支障をきたすだろう? 」


「まさか、情なんて湧くわけないでしょう」


 少女は笑った。

 ゆっくりと口角を上げて。


「私は使徒ユースティティア序列三位イタカである。任務の遂行に私情など挟まない」

 

 少女は笑う。

 翠眼の中に華奢な体には見合わない、怒りと憎悪を湛えて。


 繁華街に強い、強い、風が一筋吹く。

 この風が何を意味するのか、ログレシアの民は知る由もない。 


 

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