第4話 ■
翌日。私は鵲を模したような暗い藍色の襦裙を身に纏い、後宮と隣接した場所に位置する、皇帝陛下の私的な庭へと向かうことになった。
迎えにきた茗将軍が、私の姿を見て目を細める。
「似合うじゃねえか」
私は裙を摘んで尋ねる。
「……あの……すごくいい生地ですよね」
「そりゃ主上に会うんだからな」
「ずっと私の衣装の準備してくださってますよね? いいんですか? お金は……ハッ! これがお仕事の報奨金、ってことですか……?」
はっはっは、と茗将軍は手を横に降る。
「このくらい経費だよ経費。綺麗な格好じゃないと皇城では何かと身動き取れねえだろ? こまるもんがあったらいつでも言ってくれよ。女官にでもいいからさ」
「ありがとうございます……」
皇帝陛下の元に行く時だけではない。普段着としても着心地の良い袍服をいただいているし、女官たちは毎朝いい感じに整えてくれるので男装の麗人っぽい感じのいい感じの装いができている。佐州の占い部屋では古着や如家から貰った敷布を縫い合わせて帷やら袍服やらを作っていたので、今浪費している生活費を聞いたら泡を吹きそうだ。
いつものように牛車に乗ってゆられて、私は後宮に隣接した陛下の庭に足を踏み入れた。極楽のような色の鳥が舞い、庭はとても美しい。
終戦復興後の搾りかすのような国でも、これだけの美しい世界を陛下のために構築できるんだ……と思うと、感じ入るものがあるほどの空間だった。
池に浮いた四阿、その瑠璃瓦の輝きの元に、従者を複数連れた小柄な陛下の姿が見えた。
橋を渡って四阿のそばに跪き、石畳に低頭する私たちに、陛下は掠れた変声期の声で話しかけた。
「ここは朕だけの楽園だから。そなたも卓につき、楽にしてほしい」
茗将軍も頷いて、私が席に座るように促す。恐れ多くも席に座った私に陛下は肩をすくめた。
「昨日は我が義母が辛い思いをさせたと聞く。高名な占い師と呼び声が高いそなたに興味をもち、朕が呼び寄せたばかりに」
私は頭を下げる。
「我が国の野鳥は陛下のものでございます、陛下。陛下にお声かけいただきました喜びに勝るものはございません」
十五歳になる皇帝陛下は、病弱ゆえか少女のように華奢で色白の佇まいだった。皇帝として纏っている衣も簾の輝く
陛下と私は四阿でお茶を飲んだ。お茶には茉莉花が浮かび、添えられた砂糖菓子も花の形で可愛らしい。皇帝陛下の可憐な雰囲気によく似合った。私たちのそばには茗将軍が立っている。
「とにかく覚悟が必要だったろうに、ここまで来てくれてありがとう。……茗将軍が言ったのだ。朕の周りに少し、新しい風を入れた方がいいだろう、と」
兄を慕うような眼差しで、陛下は茗将軍を見やる。茗将軍は黙礼で返した。
「さて、さっそくそなたに占ってもらいたいのだ」
彼は興味津々の顔で私に身を乗り出した。
「……そうだな、朕が……皇帝らしくあるためには、認められるには……どうすればいいと思う?」
「承りました。恐れながら陛下、私の占術は額を拝見することが必要です。よろしいでしょうか」
「もちろんだ」
陛下は額を出す。
まだ年若い綺麗な額に、命式がきらきらと文字となって輝いて見えた。
——胸には
私は茗将軍の命式を思い出す。あれはまさに昔ながらの「皇帝」らしさを感じさせる、剛の者という感じだ。対して皇帝陛下は柔の強さ。隼家がどんな命式の読み方をするのかはわからないけれど、保守的な読み方をするのだろう。彼らはこの柔らかさを「皇帝らしくない」とちくちくしているのだろう。でも。
「私は……陛下の命式、優しくて美しく、素晴らしいものだと申し上げます。柔らかくてしなやかな強さ、とても凛々しくて眩しくて……」
陛下は目を見開く。
私は心からの言葉で告げた。
「陛下は無理に強さを見せようとせず、人に愛され、人に『助けたい』と思わせるような……人の心を柔らかく解きほぐすのがお得意な方です。そして役目を堅実に、真面目に全うしようと一生懸命になる。……陛下は陛下らしいやり方で、陛下の役目を果たすのが一番です。陛下の在り方を決めるのは臣下ではありません。陛下が決めて、陛下が貫き、陛下が成すのです」
しん、と静まり返る。
遠くでぐわぐわと王貴妃か妃嬪の誰かが鳴く声が聞こえる。
ハッとした。陛下も茗将軍も、周りの女官たちも目を丸くしている。
——偉そうなこと、言いすぎたー!!!
「申し訳ありません、陛下! 出会ってすぐに、こ、こんないきなりお説教のような事を……!」
「落ち着いて。頭をあげて。説教なんかじゃないでしょう? 朕を心から褒めてくれたこと、しっかりと伝わったよ」
「へ、陛下……」
陛下は柔らかく微笑み、あろうことか私に手を差し伸べてくれる。
手を借りて座ると、緊張ゆえか、触れた部分が痺れるような感覚になった。
陛下は上擦った声でつぶやいた。
「初めてだ、こんなに真っ直ぐに……そのままを褒めてもらえたことなんて」
陛下ははにかみとながらお茶を飲む。美少年な陛下が微笑むと、ますます美しい。真っ赤な花がほころぶようだ。
私は見惚れないように視線の持って行き場を迷いながら、陛下の次の言葉を待った。
「朕はこのままでいいと言ったね? けれど皇帝らしくない皇帝だとしても、この国を守ることはできるのかい?」
真面目な真剣な目で尋ねられ、私は礼をしてから続けた。
「空を高く飛ぶ龍も、部屋に閉じ込められれば苦しいでしょう。鳥も風切羽を切られれば飛べなくなる。皇帝陛下も同じです。陛下の良き部分を伸ばせば、それは不得手な部分を庇うだけの翼となるでしょう。たくさんの臣下はいわば皇帝陛下の手足。彼らを上手に扱えば陛下のご治世が一千年の繁栄の礎となりましょう。……そうなってしまえば、今度は陛下が手本の側になるのです」
父は言っていた。天は一人一人違うかたちに人を作り、生きる道標として設計図を与えた。その設計図を参考に生きることが、最も自然に幸福に、天が与えた生を全うできるのだと。設計図は自然と読めるものもいれば迷うものもいる。
だからこそ茗将軍のように占いを必要としない人もいれば、占いを求める人もいる。占いは——その人が生きやすくなるための「道具」の領域を超えるものであってはならないのだ。
設計図を上手に扱う生き方と、自分を潰す生き方もある——だから、必要な人のために占い師がいるのだと。
それから陛下は私にあれこれと質問をした。
星の意味、その場にいる女官たちの命式、私の命式、占い師として、これまでどんな暮らしをしてきたか。
「すごいな喜鵲! 朕の知らない世界を、見識を、よく知っているな!」
彼は話し上手でとても社交的で、勉強熱心な人だった。いち臣民として「このお方を守りたいな」なんて気持ちが湧いてくるほど、私は素敵な人だと思った。
話に夢中になる私たちを、茗将軍は優しい目をして見守っている。
風が吹く。
女官たちが空の食器を片付け、三人だけになったところで——陛下は、遠い目をして手元を見つめた。
「朕は本当は、皇帝になるべきではなかった。そう……隼家は言い続けている」
「……なんて畏れ多い暴言を」
占いはあくまで、生きやすくなるための道具。
否定するためのものではない。
悔しさのあまり、私は卓の下で拳を握る。陛下は続けた。
「朕には兄がいたんだ。下級女官を母に持つ、ずっと年上の兄が」
私は思わず陛下を見る。彼は遠い目をして話を続けた。
「隼家が申すには……かつて皇城で重用されていた占術師の一人が、兄を皇帝として不適格だと占ったのだそうだ。皇帝失格の命式を保つ兄を生んだ下級女官は周囲に批判され、虐げられ、最後には……兄と心中してしまったらしい。……問題の占術師は鑑定の失敗の責任を取らず逃亡し……その後、隼家が宮廷占術師として権威を奮うことになったそうだ。……隼家は、皇帝として不適格な朕を皇帝たらしめる唯一で絶対の占術師だと……義母と政治家たちはいうけれど……」
皇帝陛下は顔を歪める。
私は悲しくなった。生まれた時からずっと、占いに翻弄され続ける人生ではないか。そんなの間違ってる。人を萎縮させたり悲しませるために占いは使ってはならないのに——
「占いというものは幸せになるためにするものです。父はそんなふうに言っていました。……こんなふうに言うのは許せないです」
「君の父上は優しい人なんだね」
「はい。尊き天帝、陛下、そして父母は私の心からの誇りでございます」
女官たちが戻ってくる。
陛下は口をつぐむ。表情もまた、寂しいものへと戻った。
ここで話は終わり、私と茗将軍は皇帝陛下の庭を後にした。
◇◇◇
私の屋敷に戻ると、茗将軍が牛車を降りたところで「少し話そうか」と誘ってくれた。
「ひどい顔してるぞ、喜鵲」
「……だって……」
「俺が美味い飯用意させてるから。まあ待ってろよ」
「させてる?」
茗将軍は私の屋敷を顎で示す。
「きっと話を聞いたら重たい空気になるだろうと思ってたから、朝のうちから美味い夕飯用意してくれって頼んどいたんだ」
そういえばとても良い匂いがする。後宮内に漂う動物臭ですっかり気づかなかった。
屋敷に入り食堂に向かうと、円卓に見事な料理が盛り付けられていた。
自宅のような気軽さで席に着くと、茗将軍は女官に酒を頼む。
「あんたも呑める?」
「私は呑んだことないです」
「じゃあ蜂蜜水割りにするといい。美味いぞ」
「飲むのは確定なんですね。まあいいですけど。初めてだ〜」
同じ卓で同じ酒を交わすのは親愛の表現だ。断る無粋はしたくない。
そんな風にして二人で夕食を食べると、先ほどの重たい空気が少し和らいだ。
「この海老のやつ美味しいですね。お茶っぱの味が香ばしくて」
「新茶の海老炒めだ。苦味のない最高級の葉っぱだから、葉っぱも食えるぞ」
「本当だ甘くて美味しい」
私が一心不乱に食べていると、茗将軍が少し笑う。そして言った。
「今日、ありがとうな」
「もぐ?」
「あんなに笑顔で話している主上を初めてみた。ありがとう」
私は口の中のものを飲み込み、首を横に振る。
「……私は何もできてません。悔しいです。占いで人が不幸になるのは」
思い出すと、占い師としての怒りが沸々と腹の底から湧いてきた。
「それだけじゃありません。私が怒っているのは」
私は茗将軍の目を見て訴えた。
「あそこに侍っていた女官の人々も従者もみんな、旧来の占い方では『相性が悪い』と言われるような人ばかりが選ばれていました。いわゆる破や害、刑といった悪い関係になりやすい……命式を呪いに流用しているようなものです。こんな嫌がらせ、誰か気づくものではないのですか?」
茗将軍は悲しい顔をして首を横に振る。
「気づいても今の皇城で進言できる者はいない反対派は全て殺されるか失脚した。……最近は俺が率いて宮廷に連れてきた部下たちの勢いもあるが、まだまだ上層部を牛耳る官吏は隼家の言いなりだ」
私はふと、師兄さんのことを思い出す。
師兄さんの実家如家は隼家と関わりはないはずだ。私の前で仕事の話をしない師兄さんだけど、きっと皇城では辛いこともあるのだろう。だから、私が皇城に行かないように、止めようとしてくれたのだろう。
師兄さんの隠した優しさと苦労を思い、私はつぶやいた。
「……師兄もきっと……すごく頑張ってるんでしょうね」
「師兄って、あの状元様か。礼部侍郎補佐官と言っていたな。……祭祀や科挙試験に携わる礼部はまあ……現状ほぼ政治の中枢には出世できない扱いだ」
行政について私はよくわからない。けれど国の建て直しが急務のこの時代、儀礼や学問を司る部門が後回しにされがちなのはなんとなくわかる気がする。
想像だけど、師兄さんは仕事においても不正や賄賂とかを許さない、とても高潔な人だと思う。それに私の父の占いを習っていた人だから、きっと隼家のやり方に苛々することも多いだろう。それでも官吏として頑張ってくれているのが、師妹として誇らしかった。
むん、と私は拳を握る。
「頑張ります。……私、これからまず宮廷に慣れて、皇帝陛下に何ができるのか、じっくりやってみます。師兄もきっと力になってくれるでしょうし……きっと」
「あいつ仲良いみたいだけど、許嫁かなんか?」
「そういうんじゃないですよ。幼馴染です」
「……へえ、そうなんだ。あんたの言う『運命』ってやつじゃないわけね」
茗将軍は何か含んだような口ぶりで笑いながら、蟹が丸ごと入った汁を飲み干す。私も負けじと、目の前の包子をもぐもぐと平らげた。
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