かささぎの宮廷占い師は寿ぎを継ぐ

まえばる蒔乃

第1話 ■

 ——これがお前の『運命』だ。


 遺言を言い残し、父は私に一枚の紙を残してこの世を去った。

 そこに書かれているのは、父の字で書かれた男性の命式めいしき——占術士が生年月日から導き出す、いわば運勢の見取図。

 父の残した『運命』の人は、私より八歳年上の男性。人心を掴む石門星せきもんせいを胸に抱き、人の頂点に立つ者の星、天将星てんしょうせいを中年期——人生の盛りに持つ男だった。

 私は父恋しい夜は命式を見ながら、その男性がどんな人か思いを巡らせて過ごしていた。

 私に何を齎す人だろうか。

 どういう意味の『運命』だろうか、と。


◇◇◇


 五月一三日、日干支にっかんし丁酉ていゆう。佐州某村は晴天だった。

 行商人と旅人が賑やかに往来する商店街の一角、古びた倉庫を改装した占い屋がある。黒く染め抜いた帷を何枚も重ね扉の代わりにし、その奥に蒼い男物の袍服を纏って座した、黒に近い藍色の髪を二つに結った小柄な小娘——それが私、嶌喜鵲とうきじゃくだ。

 私の前には神妙な顔をした商家の子女らしい身なりの男女が座っている。私は二人の額に光となって浮かんだ『命式』を読み、彼らへ占いを口にする。


「まず一言で申し上げると——二人の相性は最高です」


 私の言葉に二人はほっと顔を見合わせる。占いに訪れる人は大抵すでに不安でいっぱいになっている。先にまず、安心させなければ鑑定結果も全部悪く受け止められる。

 私は笑顔を保ちつつ、心は慎重に話を続ける。


「夫婦円満の秘訣は、旦那様が笑顔で活気ある奥様を受け止めることです。奥様は快活で働き者、しっかりしていて顔も広い。その長所を生かして人に助けられて運がひらけていく人です」


 うんうんと頷く奥さん。流行の簪を挿して、見るからに活発そうだ。

 ——きっと「夫を尻に敷く悪妻の相あり」とか言われたんだろうなあ。


「そして旦那様は、肩を楽にしておおらかに、奥様を見守ってください。それが旦那様の開運にも繋がります」

「ほ……本当かい?」


 気弱そうに顔を伺うご主人。きっとこちらは「しっかりしろ! 男だろ!」と言われ続けてきたんだろうな。奥さんを見つめる目は優しいし、物腰も柔らかくて良い人なのに。

 型に嵌めても、人は幸せになれない。


「本当です」


 私は断言して頷く。


「奥様を見守り、穏やかで優しく在るのもまた殿方の度量。上がる凧のようにのびのびと人脈を泳いでいく奥様と、ゆったりと笑顔で見守りながら、糸で軌道を整えて差し上げる。そんな二人がぐんぐん開運していく姿が見えるようです」


 私が心からの笑顔で告げると、二人は笑顔になる。そして旦那様がここだけの話とばかりに口元に手を添えて言う。


「いえね、鵲鵲娘娘じゃくじゃくにゃんにゃん。都の高明な占い師に言われたのさ。相性が悪い、女が男を喰らい尽くす関係だ、なんてね。……まさか気休めの嘘を言ってるんじゃないだろうね?」

「気休めなんて申し上げませんよ。大丈夫です、命式にも出ていますから」


 私は二人の額に描かれた命式に目を向ける。


 陽占ようせん——九つに分かれた升目、その左上をひと枡だけ空けて描かれた八文字を眺めた。

 奥様は中心に石門星せきもんせいを持つ。家の外、社交の中でこそ力を発揮する星だ。

 対して旦那様の中心には調舒星ちょうじょせい。繊細で感性の鋭く内に世界が広がる人。

 この二人の相性を悪いと断じるのは教科書通りだし、容易い。

 けれど二人はこうして仲良くしたくて、私の元に訪れているのだ。


「ありていな『夫婦の在り方』として、夫が全てを決定し、夫が男らしく全てを導き、それに淑婦が従うという形があります。占いでは原則、この在り方こそ基本であり、この基本から外れた夫婦関係は『相性が悪い』と見做すのです」


 確かに所謂『黙って俺について来い!』の夫婦関係を最良とする価値観で命式を読めば、悪妻と弱い夫になるかもしれない。

 けれど、だからと言って二人が関白亭主と大人しい女になって幸せになるか?

 能力を生かせるか? ——否、だ。


「しかし、人間も色々。男女の在り方もいろいろです。だからこそ天は人が善く生きられるよう、命式をそれぞれに授けました。いわば説明書です」


 私は二人をみてにっこりと笑う。


「お二人はお互いに尊敬し合い、愛し合っているようにお見受けいたします。そんな素敵なお二人が幸せになるために、命式を読ませていただきました」

「……そうだな。私も明るく元気な彼女は素敵だと思う」

「私が大雑把だから、細かいところに気づいてくれるこの人がいるから幸せよ。……じゃあ、私たちはこれからも今まで通りでいいってわけね?」

「はい。今後さらにより良い関係になれるように、深掘りした鑑定に入らせていただくことができますが、如何でしょうか?」


 陽占だけの占いはいわば『おためし』だ。ここから生年月日、時間の干支を読み、五行の相性を調べていく。お試しで二人はすっかりその気になり、躊躇いなく分厚い財布を取り出した。


「是非お願いします。鵲鵲娘娘なら私たちのための占いをしてくれそうだ」

「今後の店の経営についても聞きましょうよ」


 二人で盛り上がる。私は頭を下げ、鑑定延長の砂時計を傾ける。

 ——今日も占いは大盛況だ。


「今日はありがとう、鵲鵲娘娘!」

「また来るわね! 次は子供もつれてきたいわ!」


 二人は多めの依頼料を置いて去っていく。

 その背中に頭を下げて見送り、頭をあげる。

 私は清々しい気持ちになった。


「今日も繁盛しているね、『鵲鵲娘娘』」

「……その呼び方やめてよ、子孝しこう師兄にいさん」

「全く、恐れ多い渾名をつけられているんだから。この師妹いもうとは……」


 後ろから話しかけてきた美男子は、この店の土地を私に貸してくれている如家の嫡男で科挙試験を状元じょうげんで突破した何から何まで凄い人、如子孝じょしこうだ。里帰り中なので官吏装束ではなく藍色の袍服を纏っている。軽く上半分だけ結い上げた垂髪も、青みがかった黒髪で艶やかだ。私の亡き父、嶌紹正とうじょうせいの占術私塾に通っていた縁で、私たちは「喜鵲きじゃく」と「師兄にいさん」で呼び合う仲だ。


「休憩にしないかい? そこで肉まんを買ってきたんだ。酢醤油もあるよ」

「わあ、ありがとう!」


 私は早速休憩中の札をかけると、店の外に椅子と卓を持ってきて兄さんと囲む。占い部屋の中は狭いのだ。行商人が売る遠い異国の肉まんは、甘くて酢醤油がよく合って美味しい。自分では包子の買い食いなんてできないから私の中で完全に包子=師兄さんが買ってくれる肉まんになっている。包子と味が違うのだ。


「でもあの二人、相性最高まで言っちゃっていいの?」

「えーやだ聞いてたの? 恥ずかしいな」

「ふふ」

「でも明らかに相性最高だったじゃない。運命っていうか」

「……運命、ね」


 肉まんを食べながら、師兄さんが神妙な顔をする。


「まだ、如家に身を寄せるつもりはないのかい?」

「またまたあ。私は如家にお世話になれるような立場じゃないよ」

「でも、生活は成り立っているとはいえ……君を独りでいさせ続けるのは心配だよ」


 父が先日亡くなってから一年。彼は何かと私を心配してくれる。けれど師兄さんの元にいくことは、つまり私が師兄さんの嫁になることになる——良家の妻になるには、私では不釣り合いだ。まあ師兄さんも本心ではなく、仲良くしていた幼馴染の私が一人でいるのが気になっている、という程度だろう。


「心配ありがとう師兄さん。じゃあにっちもさっちもいかなくなったとき、如家の女中に雇ってくれたら嬉しいな。頑張るよ、私!」

「女中だなんて冗談でも言わないでくれ、喜鵲。嶌家の娘なのだから君は——」


 その時。

 私に背後から影がかかったかと思うと、肩に肘をかけられる。


「なんだなんだ、男といちゃついてるのか? 『鵲鵲娘娘』さんよ」

「わっ、肩が重い」

「おっと悪い。それ美味そうだったからつい」


 私に話しかけたのは見るからに武人らしい、背が高く体が分厚い男性だった。年は師兄さんと同じくらい——二十代だろうか。柳のような美男子の師兄さんと対照的な、精気がみなぎる美形だ。眼光は鋭く鷹を思わせるはっきりとした鋭い琥珀色。頸の見える短髪は珍しい赤銅色の髪をしていて、内側は朱色の色が強い。襟首のあたり、申し訳程度に尻尾のように一部だけの髪を腰まで長く伸ばしていた。願掛けする武人の髪型だ。


「肉まん気になります? これ西通りの角の露店で売ってますよ。おすすめ」

「へー後で買うわ」

「ぜひぜひ。おまけの酢醤油も忘れずに」

「ちょっと待った」


 師兄さんが立ち上がり、私と彼の間に立ち塞がる。


「彼女に気安く話しかけないでもらおうか」

「占い師に話しかけるなって難しくね?」

「今は彼女は休憩中だ。その身なりの者なら立札くらい読めるだろう」

「あ、いいですよもう。肉まん食べちゃったんで」

「喜鵲!」


 師兄さんが呆れた声をあげる。私は手をぱんぱんと叩くと、椅子と机を一つにまとめて抱える。


「武人さん、一見さんですよね。先払いで返金不可ですが構いません?」

「もちろん。金ならこれだけ」

「わお最高」


 彼が見せたずっしりとした皮袋に歓声が出る。師兄さんが「喜鵲!」と叫んだ。


「まあまあ師兄さん。お客さんなんだし大事にしないと。肉まんごちそうさま! お客様は中へどうぞ」

「おう」


 二人で中に入ろうとすると、師兄さんが立ち上がる。


「待て。私もついていく。二人きりにはしないぞ」

「占いだから守秘義務的にまずいよ師兄さん」

 困っていると、武人さんは師兄さんを振り返り、片目を閉じて笑顔を見せた。

「いや、俺は構わねえよ。むしろついててくれ保護者の兄さん」

「……」


 師兄さんは不服そうな顔をしてついてくる。

 武人さんは占い館に入るなり、小さな椅子にどっかりと座る。

 私は準備をしながら彼を分析した。占いの精度を高めるため分析は肝要だ。これは推理ではない。同じ鑑定結果でも、どんな言葉が相手に必要なのか考えるのは占い師の役目だ。

 武人さんの服装は質素な袍服に幞頭を被った姿は一見、一般平民男性という感じだ。けれど食事が良いのか平民にしては肌が綺麗すぎるのと、背筋を伸ばした堂々たる佇まいなのが気になる。

 少なくともチンピラやごろつきではない。それなりの地位についた武官。それも相当若くして異例の出世をした手合いだ。


 ——数年前まで国の三分の一を焦土と化した四維侵襲しいしんしゅう

 西夷せいいと呼ばれる西の騎馬民族が我が国に侵攻してきた戦争のことだ。

 騒乱で多くの貴族が命を失い官吏職の席が空いたため、武功を挙げて成り上がった武人も多い。年齢に合わない妙に腹が据わった落ち着きと威厳からすると、彼もその手の武人さんだろう。


 占い館に入って椅子に座るまでの間に判断を済ませ、私は卓を挟んで彼の前に着座した。


「お待たせいたしました。それでは生年月日と生まれた場所を」

「……言わなきゃ駄目か?」


 彼は挑むように笑って尋ねる。よくある煽りだ。

 普通の占い師ならここで命式を求める理由を説明する必要があるけれど、私は違う。


「では、代わりに額を見せていただけますか?」

「それでわかるのか?」

「ええ」


 にっこりと、私は微笑む。

 天命眼てんめいがんを持つ私は額を見れば生年月日と生まれた場所、そして命式——天命の見取り図を見ることができる。父から受け継いだ嶌家一子相伝の巫覡ふげきだ。

 武人は素直に前髪をあげ、形の良い額を差し出す。

 その額に向けて目ではなく頭の奥で感じるように、意識を集中させる——すると、彼の額から浮かび上がるように、輝く文字が見えてきた。まずは命式の陽占ようせんから眺める。


 ——胸に石門星せきもんせい、右足に天将星てんしょうせい。いわゆる人の上に立つ者の配置。

 両手には石門星せきもんせい龍高星りゅうこうせい天恍星てんこうせい天将星てんしょうせい天堂星てんどうせい

 次は陰占いんせんに目をむける

 数年前の時に日干支と年運が律音りっちん

 その命式の上に書かれた、生年月日と生まれた場所。


「『運命』……」


  私は無意識につぶやいていた。彼は大きな瞳で私をじっと射抜く。


「どうした?」


 一旦命式から目を離し、改めて私は彼を見た。


「……なぜ、こちらまでお越しになったのですか?」

「来た理由か? 噂に聞いたんだよ。宮廷の占術師とは違う独自の鑑定を得意とする『鵲鵲娘娘』が佐州にいるってな。理由あって、一度その実力を確かめる必要があると思った」

「……そうなの、ですね」


 鼓動がばくばくと跳ね続け、私は胸を抑えた。深呼吸をして平静を装う。

 ——だめだ。この話は、私の問題なんだから。占い師としてお客様を不安に思わせちゃだめだ。

 私の様子がおかしいのに気付いたのか、師兄さんが片眉をあげて注視している。

 武人さんは目をすがめて問いかけてきた。


「で、どうなんだ? 俺の命運は読めないか?」


 私は声を振るわせないように努めながら口にする。

 あくまで、彼の命式の鑑定だ、これは。


「……申し上げます。貴方がどういう立場の方かにより、読み方が異なりますが——ここまで強すぎる命式を持った方は、運命の波乱と課せられた使命に押しつぶされるか、持て余して腐る人がほとんど。しかし貴方は見事に乗りこなしていらっしゃるようにお見受けします」

「へえ? 続けろよ」

「はい。政に携わる占い師ならば貴方をもって……おそらく、まるで皇帝になるために生まれたような星の方と言うでしょう」

「——っ……!」


 皇帝。その言葉に彼が目を見開く。

 当然だ、この世で最も喩えに出してはならない尊い相手を挙げたのだから。

 師兄さんも驚いた顔をして立ち上がり、何か言いたそうな顔をする。

 真面目な顔になった武人さんは、低い声で問うた。


「なあ『鵲鵲娘娘』。そんな星のもとに生まれた俺だが、もちろん皇帝陛下ではない。だがあんたのいう通り、俺は誠心誠意を持って、主上を苦境からお助けしたいと思っている。——あんたなら、どう動くべきだと俺を導くか?」

「貴方様が『主上をお助けしたい』と思われるなら、どんな困難な道だとしても信念を貫くべきです。といいますか、そういう生き方しか貴方はできないでしょう。私が言おうとも、言わざるとも。私を試すという目的がなければ、あなたに占いは必要ない。あなたは自ら、『運命』を乗りこなす人……違いますか?」


 沈黙ののち、パン、と小気味良い音が鳴る。

 膝を叩いた武人が、満面の笑みで私の頭を撫でた。


「ひゃああ」

「はっはっは! 気に入った! 気に入ったぜ、あんた! 決まりだ。あんたは俺と一緒に来い。一緒に主上を助けようぜ」

「い、一緒に!?」

「ああ悪い。何ひとつ説明してなかったな」


 彼は立ち上がると居住まいを正す。

 そして懐から出した書状を広げ、朗々とよく通る声で告げた。


「嶌喜鵲。汝、禁軍大将軍、茗朱鷹めいしゅおうと共に宮廷に顔を出すことを命じる。……宮廷にて皇帝陛下のもと、後宮人事その他側近占術師として働くこと。勅命である」

「……ダイショウグンってどなたですか?」

「俺俺」

「ああ、あなたですか……って、ええー……?」


 あまりに現実感がなさすぎる。情報が多い。

 呆然としていると、師兄さんが立ち上がり拱手をし、声を張り上げた。


「茗将軍。礼部侍郎補佐れいぶじろうほさの如子孝が言上奉る。彼女は科挙すら受けていない、ましてやただの婦女。勅命で陛下の側近占術師に就任など俄かに信じがたい」


 武人さん——茗将軍は師兄さんを一瞥し、つまらなそうに肩をすくめる。


「今の宮廷では、ンな悠長なこと言ってられないのは、状元様ならわかるだろ?」


 前述の通り、状元とは科挙で主席を取った兄に贈られる称号だ。茗将軍は兄が何者かもわかった上で、乗り込んできたのだ。

 師兄さんは唇を噛み、茗将軍を睨む。


「……喜鵲の身の安全が心配だ。私も同行する。陛下の話は私が代理で承ろう」

「陛下に代理の状元様が話しかけるってか? どれだけ偉いんだあんたは?」

「なっ……」


 冷たく言い捨てると、茗将軍はころりと笑顔になり、私にビシッと直立して軍礼をした。


「と言うわけだ、『鵲鵲娘娘』。これからしばらくよろしくな」

「……はい」


 なんだかその笑顔が場違いなくらい普通のお兄さんって感じで、私は流されるままに立ち上がり、拱手あいさつを返す。


「喜鵲! ……ああもう、天よ……一体どうしてこんなことに……」


 師兄さんが悲痛な声をあげ、顔を覆ってため息をついている。

 私はふわふわとした、不思議な感覚だった。

 父に委ねられた、遺品の書をしまい込んだ胸元にそっと手を当てる。


 ——茗将軍。彼は父の言う、『運命の人』だ。


 父がそれを、どんな意味で言ったのかはわからない。一体彼が何を私に求めるのかわからない。このまま宮廷で、どうなってしまうのかもわからない。


 ——けれど。

 父が託した『運命』の人が笑顔で手を差し伸べるのならば、私は当然ついていく。

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