第21話 繋約

「──君、バカなの? そんな小瓶一つで、戦場に行くなんて」


 時は遡り、イリスが宿の外に飛び出した直後。

 自分も力になりたいと飛び出そうとする彼女を、聞き覚えのある声が引き止めた。


「は? え……!?」


 驚いたシオンが振り向くと、そこにいたのは、洞窟で戦いを繰り広げた霊魔種の少女だった。


「な、何でここに!? っていうか、どこから出てきたの!?」


「はぁ……。質問が多いなぁ……」


 捲し立てるシオンにため息をつく少女。


「ここにいる理由は、自ら死に行こうとしているバカな君を止めるため。出てきたのは君の影から」


 近くにあった椅子に腰を掛け、彼女の質問に答えていく。


「君の影の中にいた理由は、傷を癒すため。どうせ聞かれるだろうから、先に答えておいてあげる」


「影の中にいると、傷が治るの?」


「そういう魔法だからね。影を繋ぎ、影を操る魔法。それが私の影鎖魔法えいさまほう


「まあ、そこまでは納得したけど、オレの影の中にいる必要あった……?」


 恐らく、影の中に潜ることで欠損した身体を補うという理論なのだろう。

 だが、それはシオンの影の中に潜む理由にはならない。

 影ならどこにだって存在している。

 どうして、わざわざシオンの影の中に身を潜めようと考えたのか。

 一時は殺そうとしたような相手の影の中に。


「無機物の影と繋がっても傷は回復しないし、だからと言って、遠くまで移動できる力も残ってなかったから」


「だから、オレの影に?」


「……そう。あの女の影に潜るよりはマシだし」


「あー……まあ、それもそうなのかなぁ……」


 シオンは彼女の言葉に納得する。

 確かに、自分も同じ立場だったら、イリスの影の中に潜ろうと思えない。


「っ! こっち来て!」


 苦笑いを浮かべるシオンとは対照的に、目の前の彼女の顔つきが変わる。


「え?」


「早く!!」


 鬼気迫る彼女の表情に、シオンは急いで彼女に駆け寄る。

 次の瞬間、足元の影に落ちていくシオンが見たものは、切り裂かれる宿の姿だった。



「な、何だったの今の……!?」


「さあ? 一つ言えることがあるとすれば、あのままあそこにいたら、私たち二人とも真っ二つだったってこと」


 暗く深い、光の届かない世界に落ちてきたシオンたち。

 ほんの少しでも遅れれば、命を失っていたと冷静に語る霊魔種の少女。


「イリス……」


 だが、そんなことより、シオンは最後に見た光景が忘れられず、イリスの心配をしていた。


「……そんなにあの女が心配?」


「当たり前だろ! オレを守るために飛び出していったのに、心配するに決まってる……!」


「殺されかけたのに?」


「殺されかけてもだよ!」


 彼女の言葉に、シオンは即答する。


「イリスの笑顔を、幸せを、夢を、願いを守る。どこに行っても、どんなことが起きても、どこに行っても、絶対に助けるって誓ったんだ……!」


「何の力もないくせに?」


「……まあね。でも、せめて盾になることぐらいは出来るでしょ?」


 シオンは自嘲気味に笑って、彼女の意地の悪い問いに答える。

 何の力もないからという理由で、イリスを助けに行かない理由にはならない。


「どうして……どうしてそこまで出来るの?」


「どうして、かぁ……」


 困惑し、本気の眼差しを向けてくる彼女を前に、シオンは考える。

 イリスは、自分を助けてくれた大事な存在だ。

 これから先の未来を約束したかけがえのない存在だ。

 でも、それだけで、自分の命を差し出す理由になるのかと言われれば、確かに違うような気もする。

 何がシオンをここまで駆り立てるのか。


「あ……」


 考え続けたシオンの脳裏に、一人の少女の姿が浮かび上がった。

 よく遊びに来ていた近所の年上の女の子で、綺麗なブロンドの髪と青緑のグラデーションがかった瞳が特徴的だった。

 彼女は頭がよく、博識だったこともあり、色々なことを教えてくれた。

 そんな彼女に、シオンはよく懐いており、いつまでもずっと一緒にいてくれると思っていた。

 また明日。誰もが交わす当たり前の挨拶をして別れて、また翌日も一緒に遊んで。

 ずっとずっと同じように楽しい日々が続くとそう思っていた。

 だが、その日は訪れなかった。

 シオンが慕っていた少女が現れることはなかった。

 また明日と言い残し、彼女は失踪したのだ。

 彼女の家族も、少女の行方を知らなかった。

 その日から、シオンは何かに関心を持ったり、誰かと深い繋がりを持つようなことはしなくなった。

 失った時に傷つくことが怖いから。

 それなのに、シオンはイリスとずっと一緒にいることを約束した。


「……まあ、それしかないよな」


 シオンは、その答えをとっくに理解していた。

 ただ考えることから目を背けていただけだった。


「オレは、イリスのことが大好きなんだ」


 彼女と初めて会ったあの日から、イリスがシオンの手を取り、走り出したあの日から。

 シオンはずっと、イリスのことが好きだった。


「確かに、大事に思えば思うほど、失った時のことを思うと怖いよ。考えたくもないし、そんな日が来たら、自分がどうするかなんて分からない」


 今のシオンは戦う力もない足手纏いだ。

 いつか、シオンを見捨てて、どこかに行ってしまう可能性だってある。

 戦いの中で命を落としてしまう可能性だってある。

 好きになるということは、かけがえのない存在になるということは、同時に失い傷つく覚悟もしなければならないということだ。


「それでも、オレはイリスのことを助けたいし、イリスの笑顔を守りたい。ずっとずっと一緒にいたいんだ。そのためなら、オレの命なんて安いもんだ」


 それが、シオンの出した答えだった。


「……何それ。バカみたい」


「バカでも何でもいいよ。それが、オレの答えなんだ。傷つくことは怖いけど、大事だって気持ちに……大好きって気持ちに嘘なんてつけない」


 少女は、シオンの言葉に呆れた様子を見せるが、それでも彼女は真っ直ぐな言葉を少女にぶつけた。


「本当にバカで愚かだよ。……でも、嫌いじゃない」


 その真っ直ぐな思いを、少女は笑わない。


「私も、同じだから」


 きっと愚かなほどに真っ直ぐで純粋だから、自分のことも助けてくれたのだから。


「……ねえ。君はさ、霊魔種が他種族間で何て呼ばれてるか知ってる?」


「……ごめん。知らない」


「だと思った。影の中で、君の知識のなさは十分分かったから。……君が人間種じゃない人間だってこともね」


 シオンの影に潜っていた彼女は、二人の会話を全て聞いていた。

 それ故に、彼女が人間種でもなければ、この世界の人間でもないことは理解していた。

 そうでなければ、霊魔種の自分に平然と接することなど出来ないから。


「霊魔種はね、他の種族にとっては憎むべき敵だし、研究対象でもあり、素材でもあるの。どこに行ったって、まともな扱いなんて受けられない……!」


 少女は、叫んだ。

 これまでの旅路での、地獄の日々を思い返しながら。

 何度も捕らえられ、殺されかけたどうしようもない、救いのない日々を。


「霊魔種は世界の敵だし、私達にとっては世界が敵なの……!」


 彼女の叫びに、シオンは答えられない。

 目の前の少女が味わってきた苦しみは、彼女だけにしか分からない。

 イリスの時と同様に、シオンはただ少女の叫びを受け止めることしかできない。

 彼女の悲しみと苦しみごと、彼女を抱きしめることしかできなかった。


「でも、君だけは、私を助けてくれた。長い長い旅路の中で、君だけが私を助けてくれた」


 シオンの腕の中で、少女は呟く。

 イリスに殺されかけた時、シオンは身を挺して庇い、助けた。

 誰も助けてくれなかった彼女を、シオンだけは助けた。


「だから、私は君の力になりたい」


 それが、少女の答えだった。

 助けてくれたから助けたい。

 シオンと同じ、純粋な思いから出た答えだった。


「君が戦う力を求めるなら、私にはそれが出来る。……まあ、あの女を助けるためっていうのは二、三回くらい殺したいところではあるけど」


「一回も殺さないでくださいお願いします」


 本気の殺意を滾らせる少女に、シオンは一瞬で土下座し、命乞いをする。


「それで、どうする? 私と契約、する?」


 その様子を笑いながら、少女はシオンに手を差し伸べる。


「するよ。オレを選んでくれた君の想いに答えたい」


「後悔しない?」


「ここで何もしない方が後悔するに決まってる」


 シオンは、彼女の手を優しく握る。

 二人の影が混ざり合い、溶けあっていく。


「──シオン」


 その最中、シオンは唐突に自分の名前を呟いた。


「え?」


「オレの名前。そういえば言ってなかったなって。ずっと君って呼んでたし」


 今更ながら、自分の名前を伝え損ねていたことを思い出したのだ。


「まあでも、ずっと一緒にいたようなものだったし、知ってるよね」


 影の中で二人の会話を聞いていたのであれば、当然、自分の名前も聞かれているだろう。

 馬鹿なことをしてしまったのではないかと苦笑いをするシオンを、少女は黙って見つめていた。


「──カノ」


 そして、小さな声で少女は呟いた。


「私の名前。聞こえた?」


「うん、ちゃんと聞こえたよ。これからよろしくね、カノ」


「こちらこそ、永遠によろしくね、シオン」


 混ざり合う影の中に溶け落ちてゆく二人。

 視覚も、聴覚も、触覚も、何もかもが重なり合い、二つの鼓動が響きあう。

 誰も知らない暗闇の中で、契約は成立する。


 後に、『奏黒(ブラック・デュオ)』と呼ばれ恐れられることとなる、二人が誕生した瞬間だった。

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