第21話 繋約
「──君、バカなの? そんな小瓶一つで、戦場に行くなんて」
時は遡り、イリスが宿の外に飛び出した直後。
自分も力になりたいと飛び出そうとする彼女を、聞き覚えのある声が引き止めた。
「は? え……!?」
驚いたシオンが振り向くと、そこにいたのは、洞窟で戦いを繰り広げた霊魔種の少女だった。
「な、何でここに!? っていうか、どこから出てきたの!?」
「はぁ……。質問が多いなぁ……」
捲し立てるシオンにため息をつく少女。
「ここにいる理由は、自ら死に行こうとしているバカな君を止めるため。出てきたのは君の影から」
近くにあった椅子に腰を掛け、彼女の質問に答えていく。
「君の影の中にいた理由は、傷を癒すため。どうせ聞かれるだろうから、先に答えておいてあげる」
「影の中にいると、傷が治るの?」
「そういう魔法だからね。影を繋ぎ、影を操る魔法。それが私の
「まあ、そこまでは納得したけど、オレの影の中にいる必要あった……?」
恐らく、影の中に潜ることで欠損した身体を補うという理論なのだろう。
だが、それはシオンの影の中に潜む理由にはならない。
影ならどこにだって存在している。
どうして、わざわざシオンの影の中に身を潜めようと考えたのか。
一時は殺そうとしたような相手の影の中に。
「無機物の影と繋がっても傷は回復しないし、だからと言って、遠くまで移動できる力も残ってなかったから」
「だから、オレの影に?」
「……そう。あの女の影に潜るよりはマシだし」
「あー……まあ、それもそうなのかなぁ……」
シオンは彼女の言葉に納得する。
確かに、自分も同じ立場だったら、イリスの影の中に潜ろうと思えない。
「っ! こっち来て!」
苦笑いを浮かべるシオンとは対照的に、目の前の彼女の顔つきが変わる。
「え?」
「早く!!」
鬼気迫る彼女の表情に、シオンは急いで彼女に駆け寄る。
次の瞬間、足元の影に落ちていくシオンが見たものは、切り裂かれる宿の姿だった。
◇
「な、何だったの今の……!?」
「さあ? 一つ言えることがあるとすれば、あのままあそこにいたら、私たち二人とも真っ二つだったってこと」
暗く深い、光の届かない世界に落ちてきたシオンたち。
ほんの少しでも遅れれば、命を失っていたと冷静に語る霊魔種の少女。
「イリス……」
だが、そんなことより、シオンは最後に見た光景が忘れられず、イリスの心配をしていた。
「……そんなにあの女が心配?」
「当たり前だろ! オレを守るために飛び出していったのに、心配するに決まってる……!」
「殺されかけたのに?」
「殺されかけてもだよ!」
彼女の言葉に、シオンは即答する。
「イリスの笑顔を、幸せを、夢を、願いを守る。どこに行っても、どんなことが起きても、どこに行っても、絶対に助けるって誓ったんだ……!」
「何の力もないくせに?」
「……まあね。でも、せめて盾になることぐらいは出来るでしょ?」
シオンは自嘲気味に笑って、彼女の意地の悪い問いに答える。
何の力もないからという理由で、イリスを助けに行かない理由にはならない。
「どうして……どうしてそこまで出来るの?」
「どうして、かぁ……」
困惑し、本気の眼差しを向けてくる彼女を前に、シオンは考える。
イリスは、自分を助けてくれた大事な存在だ。
これから先の未来を約束したかけがえのない存在だ。
でも、それだけで、自分の命を差し出す理由になるのかと言われれば、確かに違うような気もする。
何がシオンをここまで駆り立てるのか。
「あ……」
考え続けたシオンの脳裏に、一人の少女の姿が浮かび上がった。
よく遊びに来ていた近所の年上の女の子で、綺麗なブロンドの髪と青緑のグラデーションがかった瞳が特徴的だった。
彼女は頭がよく、博識だったこともあり、色々なことを教えてくれた。
そんな彼女に、シオンはよく懐いており、いつまでもずっと一緒にいてくれると思っていた。
また明日。誰もが交わす当たり前の挨拶をして別れて、また翌日も一緒に遊んで。
ずっとずっと同じように楽しい日々が続くとそう思っていた。
だが、その日は訪れなかった。
シオンが慕っていた少女が現れることはなかった。
また明日と言い残し、彼女は失踪したのだ。
彼女の家族も、少女の行方を知らなかった。
その日から、シオンは何かに関心を持ったり、誰かと深い繋がりを持つようなことはしなくなった。
失った時に傷つくことが怖いから。
それなのに、シオンはイリスとずっと一緒にいることを約束した。
「……まあ、それしかないよな」
シオンは、その答えをとっくに理解していた。
ただ考えることから目を背けていただけだった。
「オレは、イリスのことが大好きなんだ」
彼女と初めて会ったあの日から、イリスがシオンの手を取り、走り出したあの日から。
シオンはずっと、イリスのことが好きだった。
「確かに、大事に思えば思うほど、失った時のことを思うと怖いよ。考えたくもないし、そんな日が来たら、自分がどうするかなんて分からない」
今のシオンは戦う力もない足手纏いだ。
いつか、シオンを見捨てて、どこかに行ってしまう可能性だってある。
戦いの中で命を落としてしまう可能性だってある。
好きになるということは、かけがえのない存在になるということは、同時に失い傷つく覚悟もしなければならないということだ。
「それでも、オレはイリスのことを助けたいし、イリスの笑顔を守りたい。ずっとずっと一緒にいたいんだ。そのためなら、オレの命なんて安いもんだ」
それが、シオンの出した答えだった。
「……何それ。バカみたい」
「バカでも何でもいいよ。それが、オレの答えなんだ。傷つくことは怖いけど、大事だって気持ちに……大好きって気持ちに嘘なんてつけない」
少女は、シオンの言葉に呆れた様子を見せるが、それでも彼女は真っ直ぐな言葉を少女にぶつけた。
「本当にバカで愚かだよ。……でも、嫌いじゃない」
その真っ直ぐな思いを、少女は笑わない。
「私も、同じだから」
きっと愚かなほどに真っ直ぐで純粋だから、自分のことも助けてくれたのだから。
「……ねえ。君はさ、霊魔種が他種族間で何て呼ばれてるか知ってる?」
「……ごめん。知らない」
「だと思った。影の中で、君の知識のなさは十分分かったから。……君が人間種じゃない人間だってこともね」
シオンの影に潜っていた彼女は、二人の会話を全て聞いていた。
それ故に、彼女が人間種でもなければ、この世界の人間でもないことは理解していた。
そうでなければ、霊魔種の自分に平然と接することなど出来ないから。
「霊魔種はね、他の種族にとっては憎むべき敵だし、研究対象でもあり、素材でもあるの。どこに行ったって、まともな扱いなんて受けられない……!」
少女は、叫んだ。
これまでの旅路での、地獄の日々を思い返しながら。
何度も捕らえられ、殺されかけたどうしようもない、救いのない日々を。
「霊魔種は世界の敵だし、私達にとっては世界が敵なの……!」
彼女の叫びに、シオンは答えられない。
目の前の少女が味わってきた苦しみは、彼女だけにしか分からない。
イリスの時と同様に、シオンはただ少女の叫びを受け止めることしかできない。
彼女の悲しみと苦しみごと、彼女を抱きしめることしかできなかった。
「でも、君だけは、私を助けてくれた。長い長い旅路の中で、君だけが私を助けてくれた」
シオンの腕の中で、少女は呟く。
イリスに殺されかけた時、シオンは身を挺して庇い、助けた。
誰も助けてくれなかった彼女を、シオンだけは助けた。
「だから、私は君の力になりたい」
それが、少女の答えだった。
助けてくれたから助けたい。
シオンと同じ、純粋な思いから出た答えだった。
「君が戦う力を求めるなら、私にはそれが出来る。……まあ、あの女を助けるためっていうのは二、三回くらい殺したいところではあるけど」
「一回も殺さないでくださいお願いします」
本気の殺意を滾らせる少女に、シオンは一瞬で土下座し、命乞いをする。
「それで、どうする? 私と契約、する?」
その様子を笑いながら、少女はシオンに手を差し伸べる。
「するよ。オレを選んでくれた君の想いに答えたい」
「後悔しない?」
「ここで何もしない方が後悔するに決まってる」
シオンは、彼女の手を優しく握る。
二人の影が混ざり合い、溶けあっていく。
「──シオン」
その最中、シオンは唐突に自分の名前を呟いた。
「え?」
「オレの名前。そういえば言ってなかったなって。ずっと君って呼んでたし」
今更ながら、自分の名前を伝え損ねていたことを思い出したのだ。
「まあでも、ずっと一緒にいたようなものだったし、知ってるよね」
影の中で二人の会話を聞いていたのであれば、当然、自分の名前も聞かれているだろう。
馬鹿なことをしてしまったのではないかと苦笑いをするシオンを、少女は黙って見つめていた。
「──カノ」
そして、小さな声で少女は呟いた。
「私の名前。聞こえた?」
「うん、ちゃんと聞こえたよ。これからよろしくね、カノ」
「こちらこそ、永遠によろしくね、シオン」
混ざり合う影の中に溶け落ちてゆく二人。
視覚も、聴覚も、触覚も、何もかもが重なり合い、二つの鼓動が響きあう。
誰も知らない暗闇の中で、契約は成立する。
後に、『奏黒(ブラック・デュオ)』と呼ばれ恐れられることとなる、二人が誕生した瞬間だった。
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