第12話 君の笑顔を守りたいから
「そ、そんな……」
唯一の抜け道を断たれたシオンは、力なくその場に崩れ落ちた。
「──四翼銃」
そんな彼女の背後から冷たい声と銃声が響き渡る。
振り向いたシオンの目に映ったものは、瓦礫の雨の中で、血に濡れながら笑うイリスの姿だった。
「イ、リス……?」
先ほどまで、焚火の前で楽しく話していた彼女とは、似ても似つかぬ姿。
あれが彼女の本性なのか。
それとも、何かに意識を乗っ取られているのか。
その答えは分からないが、彼女は笑みを浮かべながら、宙を舞う人影に弾丸の雨を浴びせていた。
狂気と苦痛に歪んだ醜い笑顔を浮かべながら。
「調子に、乗るな!!」
負けじと人影も、いくつもの影の刃をイリスに放つ。
しかし、崩れゆく洞窟の中で、常に揺らめき続ける影から刃を生成することは困難だった。
ぐにゃぐにゃに曲がった黒刃は、イリスの届くことなく、粉々に切り刻まれた。
いつの間にか全方位に張り巡らされた弦が、人影の攻撃を粉砕していたのだ。
「ほら、避けてみなよ」
イリスは、人影に狙いを定め、弦を弾く。
「なっ!?」
次の瞬間、弾き出された大気の弾丸が、人影を吹き飛ばした。
「ほら、ほら!」
何度も何度も撃ち出される大気の弾丸は、互いに混ざり合い、大気の奔流となって、影を襲った。
逃れようのない力の渦に弄ばれる人影の身体は、どんどんとひび割れていく。
どうにか体勢を立て直さなければ。
そう考える人影の前に、いつの間にかイリスの姿があった。
洞窟内の弦が、黒銀の剣となって、彼女の手の中へと戻っていく。
「反理銀翼、一翼刃(アルキオネ)──!」
イリスの放った一閃は、人影のひび割れた身体を切り裂いた。
そして、血を流す彼女に戦斧を振り下ろし、地面に叩きつける。
轟音と土煙の中、完全に動かなくなった人影。
戦いはイリスの勝利で決着した──ように思われた。
「もう終わり? そんなわけないよね……!」
だが、彼女は弦を張り巡らせ、瓦礫の雨と共に、影に向かって一直線に落下していく。
落下の速度と衝撃を乗せ。葬具を纏わせた拳を、人影に直撃させる。
「あ、あああああぁぁ!!」
骨が砕ける音と、内臓が潰れる音。
それに混ざる甲高い悲鳴。
「ほら、まだ動けるじゃん」
霊魔種の人影がまだ生きていることを喜び、笑いながら影の身体を殴りつける。
美しい銀の髪と、白銀の羽根は血に濡れ、空よりも澄んだ青い瞳は、底なしの冷たさを浮かべていた。
先ほどまでの苦痛が嘘のような表情だった。
「さっさと構えなよ。本当に死んじゃうよ?」
血を撒き散らす霊魔種を前に、楽しそうに銃口を向けるイリス。
獲物をいたぶる狩人のように、彼女は致命傷にならない個所に弾丸を当て続ける。
それはもはや戦いと呼べる所業ではなかった。
虐殺、あるいは蹂躙に近いものだった。
「……だ」
「え?」
瓦礫の雨が降り注ぎ、悲鳴と銃声、肉が抉れる音が響く凄惨な光景の中。
シオンは、か細い声で何かが聞こえた気がした。
声が聞こえた方に視線を向けると、そこにはイリスから逃れるように、地面を這う小さな人影があった。
「……やだ」
不気味で正体の見えない黒い影は剥がれ落ち、今にも消えそうな命の灯火が汐音の目に映った。
「……いや、だよぉ。しに、たくない……」
暗赤色の髪の毛の少女は、血と涙を流しながら、今にも消え入りそうな声で呟いた。
「っ!!」
その声が聞こえてしまったシオンは、目を見開く。
無力で無様な、地面を這いずるこの少女の姿は、一歩間違えば、自分が辿っていたかもしれない未来だ。
この世界に来た日、運よく優しいイリスに出会えたから、シオンはここまで平和に旅を続けることが出来た。
もしイリスが助けてくれていなかったら、目の前の少女のようになっていたかもしれない。
これは、勝手な自己投影だし、そんなことを言われたら、霊魔種の少女は今度こそシオンを殺すかもしれない。
それでも、少女のことを見捨てることは出来ない。
彼女の声を聴いてしまったから。
何より、涙を流して、戦意を失っている少女を、イリスが虐殺する様子をただ見ているなんて、絶対にしたくなかった。
イリスが困っていたら助けると約束したから。
彼女の笑顔をたくさん見たいと思った自分の気持ちに、嘘をつきたくないから。
自分には戦う力がないからと傍観者に徹していたが、そんな言い訳はもう出来ない。
これで死んだって構わない。
ここで何もせずに生き残る方が、絶対に後悔することになるから。
「もういいだろ、イリス……!! この子はもう戦えない!」
少女を庇うように、シオンはイリスの前に飛び出した。
「どいてよ。先に攻撃してきたのはそっちなんだから、徹底的に打ちのめしておかないと、また殺しに来るかもしれないでしょ?」
「どかない! だって、それが理由なら、やっぱり戦う理由なんてない。この子はもう徹底的に打ちのめされてる! もう戦いは終わってる!!」
彼女の冷たい殺意に震えながら、それでもシオンはイリスの前から動こうとはしなかった。
「どいて。次はないから」
「どかない……絶対に、どかない!!」
「あっそ」
シオンの言葉に答えるように、イリスは無感情に引き金を引いた。
響く銃声と共に、シオンは膝をついた。
「う、ぁあああ、がぁぁぁああああ!!」
左肩を撃ち抜かれた痛みに、彼女は絶叫し、地面を転がる。
筋肉も骨も神経も、そこにあった部位を丸ごと抉られた痛み。
数十分前、壁に叩きつけられた時以上の死に近い痛みに、シオンは涙を流す。
「私の邪魔するからだよ。さ、これで邪魔者はいなくな──」
「ど、どがないっ……絶対に、殺させない!!」
シオンは痛みと崩壊の振動によろめきながら、イリスの葬具にしがみついた。
「何で……何で、そこまで──」
「君に、泣いてる女の子を殺すような真似してほしくないから……! そんな辛そうに、苦しそうにするぐらいなら戦わないでほしいから! 君に笑っていてほしいから!!」
あまりにも必死なシオンに、イリスの殺意がほんの少しだけ揺らいだ。
「オレにはイリスしかいないんだ……一緒にケーキ、食べるんじゃなかったのかよ……!!」
「シ、オン……」
ボロボロと涙を流しながら叫ぶシオンの姿が、イリスの視界にようやく映った。
その瞬間、狂気に呑まれ、輪郭を失っていた彼女の意識が戻り始める。
冷徹な殺意が明確に薄れ、銃口がほんの少し下に下がったその一瞬に、足元から伸びてきた影が、彼女の手から葬具を奪い取る。
「シオン……。ごめん、ね……」
小さな声で呟きながら、糸が切れたように崩れ落ちるイリスの身体を、シオンが受け止める。
「イリス……! イリス……!!」
懸命に呼びかけるが、意識を失った彼女は答えない。
その代わり、今まで聞こえていたのとは決定的に違う、手遅れとしか思えない崩壊音が響き渡る。
「え?」
シオンは、ただ呆然と、自分たちの頭上に落ちてくる巨大な瓦礫を見つめることしかできなかった。
こうして、彼女たちの戦いは、洞窟の崩壊とともに終結した。
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