18話


 磨かれたガラスの向こう側に小綺麗なアートギャラリーがある。そこのオーナの岸井は店内のカウンターで、作品を検品していた。見た目は30代後半ぐらいで、清潔感があり、いかにも営業マンのような風体だ。

「こんにちは」

 僕が店に入り、挨拶すると、岸井は素敵な笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ。作品をお探しですか?」

「いえ、わたくしこういう者でして……」

 僕が名刺を差し出しても、その笑みは変わらない。

「探偵の方ですか。何か御用ですか?」

「実は、一年前の資産家殺人事件について、調査をしているんです。その一環で、遺族が残された美術品を上原氏が引き継ぎ、岸井さんが買い取ったということを伺ったので、その件について詳しく教えていただけませんか?」

「もちろん、かまいませんけど」

「岸井さんは、事件の当日は何をされていましたか?」

 踏み込んだ質問に対しても岸井は眉ひとつ動かさない。

「私は警察に話した通り、事件当日は自宅のマンションで過ごしていました。マンションの防犯カメラを見ていただければわかります」

 岸井は言った。

「それでは、上原さんの美術品をあなたが買い取ったとのことですが、金額はいくらになりましたか?」

「当時のレートでおおよそ2億円になりました」

 僕は岸井の言葉をメモに書き留めた。

 岸井の話している内容と母さんのメモに食い違うところはない。先の上原の情報もあったので、何か新しい情報を期待していたが、どうやら、ハズレらしい。

「ここは絵画が専門なんですか?」

「ええ。西洋のものが中心です。私が好きなものでね」

 岸井は扱っている絵画について話し始めると止まらなくなった。よっぽど、絵画が好きなのだろう。絵に対して教養も興味もない僕は、途中から話を聞き流してしまった。しかし、話をしているうちに、岸井は気をよくしたのか、話に熱が帯る。

「芸術のためだったら、なんだってするのが、僕のモットーなんです。僕は学生時代に画家を目指していたんですが、絵の才能がありませんでした。だけど、どうしても絵に携わりたくて、こうして美術商人をしているのです」

「そうなんですか」

「三ノ宮氏も芸術に理解のある方で、作品を見る目がありました。だから、彼には芽の出ない若手のパトロンになって欲しかったのですが、亡くなられたと聞いて、とてもショックです。私もあなたと同じように、犯人を逮捕を願っています」

 岸井の言葉の巧みさと表情の操り方に、この人が信頼できる人間だと思ってしまう。

「作品の購入や売却を検討する機会があれば、ぜひ私にご相談ください」

 岸井は間髪を入れずに、僕に名刺を差し出した。

「すみません、商談がありますので、話はここら辺でいいですか?」

「こちらこそ、お話を聞かせてもらって、ありがとうございました」


§


「岸井って人、けっこうやり手っぽいわね」

「うん。つい、向こうのペースに引き込まれちゃったよ」

 僕は名刺を眺めながら、考えをまとめた。

 現時点で岸井が事件にがっつり関わっているとは考えにくい。というのも、事件当日にはアリバイがあるということと、彼が絵画を専門に扱っている美術商であり、盗まれたのは宝石類や腕時計は、彼の専門外だ。だから、関わっているとしても、せいぜい彼の知り合いから宝石商を仲介するぐらいのことぐらいだろう。

 だけど、岸井の話し方が、何かを隠しているような気がした。彼の丁寧な口調や、慇懃な態度が、むしろ、疾しいことを隠すためのものに思えて仕方ない。

「今回の調査でわかったことがひとつあるわ」

 アテナは難しい顔をしている僕に言った。

「何がわかったんだよ?」

「この事件に関して何もわからないってことがわかったわ」

 アテナはドヤ顔で言うから、ちょっとだけ笑った。それもそうだ。僕ごときが解決できる問題なら、そもそも警察がとっくの昔に解決しているのだ。

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