16話


 次の日は学校が休みだったので、僕とアテナは現場検証のために館へ向かった。

 昼間に見る館は、夜ほどの不気味さはないが、館の輪郭がくっきりと見えるために、その大きさにあらためて驚くばかりだ。

「あらためてみるとすごい豪邸だな」

「いや、私から言わしてみると漱石の家がショボすぎるのよ」

「なんだァ? てめェ……」

「たかが小市民が私に勝てると思ってるのかしら?」

 お互いにメンチを切り合うが、今は時間が勿体無い。カスアテナのカス発言はよこに置いておいて、館へ足を踏み入れる。

「どこから見るの?」

「まずはアテナの部屋だな」

「漱石って結構積極的なところあるわよね」

「そうか?」

 僕らはアテナの部屋へ向かった。流石にアテナの案内があると、家の中を迷うことはない。

 部屋は肝試しに来た時と変わってなかった。

「私は寝てる時に殺されたのよ」

 アテナはベッドフレームを指差した。

「胸元を包丁でぐさーっ!て感じで。走馬灯を見る余裕も無かったわ……ってちょっと聞いてるの?」

 聞いてるよ。と適当に返事をしながら、部屋の隅々まで点検した。ベッドフレームに微かな血の跡が残っていたので、アテナの言うとおり、彼女は寝ている最中に殺されてしまったらしい。他に見ていないところといえば……あのクローゼットか。

 僕は観音開きの扉を開けようと、両手で取っ手を握って開けると、中はアテナの部屋と同じぐらいの広さだった。

「ここの中に服が入ってたのか?」

「ええ。全部埋まってたわよ」

 空になったクローゼットを詳細に見てみるが、特にめぼしいものは見つからない。クローゼットを閉めると、右手がザラザラしていることに気づいた。見てみると乾いた血がついていた。たぶん、取っ手についていたものだろう。僕は血を払って、

「ここに高価なものは置いてあったのか?」

 僕はアテナに訊いた。

「うーん。心当たりは無いわね。強いて言うなら……」

 アテナはクローゼットを指差した。

「服とかカバンはブランド物が多かったわ」

「なるほどね……」

 ブランド物はとんでもない値段がついていたりするから、盗まれてもおかしくはない。

「ちなみに服は盗まれたりとかしてたのか?」

「わからないわ。正直、とんでもない数の服を持ってたから、2、3着ぐらい無くなってても気づかないわね」

「ありがとう」

 僕はボールペンとメモ帳を取り出して、部屋の状況を書き記した。

「他にこの部屋に何かあるか?」

「そうね……」

 アテナはしばらく考えて、あっ、と何かを思い出した。

「そういえば、お父様が何かあったらこれを売りなさいって言われたものがあるはずよ」

「おお。それってなんだ?」

 僕は尋ねた。

「ただの絵よ。それが私の部屋の天井裏に置いてあるわ。誰にも話してはいけないって言われたけど、今思えば、あれは隠し財産ね。お父様も悪い人だわ」

「それっていくらぐらいになりそうなんだ?」

「うーん。それは鑑定に出してみないとわからないわね」

「なるほど……」

 僕にもそういうのがあればいいが、残念ながら僕に残されるのはおそらく、僕が今握っている、父の発明した、女子高生の肌の柔らかさと同じ柔らかさのグリップにになっているボールペンの特許と商標権ぐらいだろう。こんなキモい財産は嫌だ。しかし、キモいこと以外は、使い心地が抜群なために重宝しているから、よけいに腹立たしい。

 部屋の天井裏を開けると、平べったい包みが埃を被っていた。取り出して中を見ると、花の絵であった。暗い背景に、沢山の明るい黄色の花と数本の赤い花が、茶色の花瓶に入れられている。

 額縁にタグが付けられていたので、見てみると、

—ゴッホ『ケシの花』—

 僕は選択授業で習った美術の知識を引っ張り出した。ゴッホといえば自分で自分の耳を切り落としたロックンロールの先駆けみたいな奴で、向日葵や自画像が有名だが、こんなありきたりな絵は見たことがない。

「ケシの花だって」

 僕はタグをアテナに見せた。お世辞にも高そうな絵画とはとても思えなかった。そもそも、ゴッホがこんな絵を書いていたかどうか怪しい。

「これが向日葵とか自画像だったらもっと高かっただろうね」

 僕は思ったことを言うと、

「そうなのよ。お父様って、メジャーなものをバカにする節があるのよ。ほら、洋楽好きな人が邦楽をバカにするあの感じ。だから、こんなよくわからないものを買ったんでしょうね」

 アテナもうんうんと頷いた。

「それにしても、これが本当にゴッホが書いたものかな? ゴッホの絵ってもっと絵の具をそのままベタって厚塗りにして、もっと派手な色を使っているのを教科書で見たんだけど……」

「お父様の見る目ってないんじゃないかしら。あんまり価値は無さそうだし……」

 僕もアテナの言うように、この作品に価値を見出すことはできなった。

「両親の部屋に案内してくれないか?」

「私の部屋の向かいよ」

 両親の部屋も詳細に見てみるが、特におかしなところは見当たらない。

 やはり、犯人は証拠を残さずに、犯行をやり遂げたのだ。コイツを追いかけるなんて、月に手を伸ばして取ろうとするのと、同じぐらい無謀なことだと思えてくる。

「何かわかりそう?」

 アテナの言葉に、僕は首を振った。

「じゃあ、次は地下金庫に行きましょうか」


 僕らは一旦エントランスへ向かった。地下金庫へ続く扉は、2階へ上がる階段の反対側に巧妙に隠されていて、一目ではわからない。

「こんなところにあるんだ」

 僕は嘆息を漏らすと、アテナは、

「お金持ちを舐めるんじゃないわよ」

 とアテナはドヤ顔で言った。

 地下金庫へ続く扉を開けると、澱んだカビ臭い空気が、僕の顔にへばりついて、気持ち悪い。

「肝試しに来る人もここには気づかないみたいだね」

「もちろん。この中であけみとよく遊んで上原さんに怒られたわ」

 アテナは懐かしそうに言った。

 僕はスマホのライトを付けて、階段を下ると、再び扉が現れた。それは分厚く、開けるのに一苦労する。僕はその先に金銀に輝くお宝を期待するが、実際にはただの倉庫だった。

「ちょっと期待していたから、がっかりだ」

「中身のほとんどは上原さんが片付けたわ」

 空になったディスプレイには、かつて、アテナの父のコレクションが並べられていたとアテナは語った。珍しい金貨や、高級食器、ヴィンテージ腕時計、骨董品などが並べられて、幼い頃はその価値がわからず、それらを使っておままごとをしていたらしい。

 ディスプレイの下は収納になっていて、戸を開けると、古ぼけた箱が大量に詰められたダンボール箱が出てきた。古ぼけた箱を開けると、くしゃくしゃになった新聞紙や、取扱説明書が出てきたので、食器や腕時計の箱だとわかった。

「お父様は腕時計が好きでね。私によく腕時計の話を聞かせてくれたんだけど、その話が全然面白くなかったわ」

「だけど、こんなゴミがなんでここに残ってるんだ?」

「さあ? いつか捨てようと思って忘れてるんじゃないかしら」

 僕は一つの空箱を取り出して何気なく眺めると、品質保証書がひらりと足元に落ちた。全て英語で書かれていて、ほとんど読めず、文字の上を目が滑る。……self winding、『自分で曲がりくねっている』? watch、これは『時計』だ。made in Switzerland、『スイス製』で、limited model、『限定モデル』で……、serial number 1/300、『個体識別番号一番』

 つまり、300個限定生産された腕時計のうちのトップナンバーを保証しているらしい。

 アテナも一緒になって覗き込んでいた。

「そういえば、お父様がその時計を買ったとき、えらく喜んでいたわ」

「へえ、そうなんだ」

 流石に小市民の僕でも、世界的に知られている高級腕時計メーカーはスイスに集中していることは知っている。しかし、こんな箱だけ残っていても、中身がなければ意味はないだろう。

 不意に、扉の開く音がした。驚きのあまり、バクッという心臓の音が喉元まで響いた。

 誰かがやってくる。

「隠れる場所はあるか?」

 僕は小声でアテナに訊いた。

「ここなら大丈夫よ」

 アテナはディスプレイの下の収納を指差した。箱を隅に寄せれば、人1人分が入れる隙間ができた。僕は慌てて、そこに身を隠した。誰かの足音が不気味に響く。

「ちょっと、漱石が入っちゃったら、私の入る場所がないじゃない」

 テンパったアテナは小声で主張する。僕は、なるべく体を隅に寄せようとするが、なかなかスペースができない。その間にも足音はだんだんと近づいてくる。

「っていうか、お前、幽霊なんだから、すり抜けられるだろ」

 と僕が小声で言うと、

「ほんとだ。忘れてたわ」

 アテナはそう言って、僕の方へヘッドスライディングを仕掛けた。

 コイツ、何考えてんだよ!?

 僕は思いっきり目を瞑るが、よく考えると、アテナは幽霊なので、ぶつかることはない。っていうか、コイツは幽霊だから、隠れるまでもないのに。

 僕はそう思いながら、目を開くと、足音の正体を見て、再び心臓が飛び跳ね、えっ? と思わず声を漏らしそうになる。


 執事の上原だった。


 彼は部屋の隅までやってくると、うずくまり、床のタイルを剥がした。そこでしばらく何かをしていたが、やがて、首を傾げて、元来た道を引き返した。扉が閉まるのを確認すると、僕は胸を撫で下ろし、ディスプレイの下から這い出る。

「上原さんだったね」

 僕が言うと、アテナも神妙な面持ちで頷いた。

「何しにきたのかしら?」

 アテナは僕に訊くが、僕は首を傾げる。上原がいた方へ向かい、床のタイルを外すと、小さな戸があり、英語のキーボードが埋め込まれていた。キーボードの上に二股に分かれた笛の記号と、翼の生えた女性が描かれてあった。

「これはなんだ?」

 僕が訊ねると、

「たぶん金庫じゃないかしら?」

 アテナは首を傾げた。どうやら、彼女もその存在を知らなかったらしい。だんだんと暗雲が立ち込めてくるのがわかった。

「この中には何が入ってるかわかるか?」

「わからない。私もはじめて見たから」

 アテナはしばらく考えた。

「たぶん、金目のものじゃないかしら」

「そうだろうね。おそらく隠し財産だろう」

 僕はあらためて、金庫を見つめ直した。母のメモにあった隠し財産は、僕の目の前にある。

 おそらく上原は隠し金庫を開こうとしたが、解錠のパスワードがわからず、立ち去ったのだろう。

 しかし、問題はどうして上原が隠し金庫の存在を知っていて、それを開けようとしたのか?ということである。

 例えば、上原が、主人の隠し帳簿を見つけてしまったら? そこに退職金以上の金が載っていたら? 隠し場所を特定できたら?

 三ノ宮家の金の流れを知っている彼は、地下金庫のメンテナンス中に偶然にもこの地下金庫の存在を発見し、この中に脱税されている財産が隠してあると確信した。そして、強盗の計画を立て、共謀者を募って、三ノ宮邸宅の情報を提供し、その分け前を分配することを約束する。しかし、隠し金庫の存在は共謀者には明かさなかった。実行犯は強盗を実行し、一家を殺害。上原は事件が風化してしまった頃合いを見計らってから隠し金庫の中身を独占しようとしたと考えられるんじゃないか? 

 その間に上原はパスワードを入手しようとしたが、手に入れられなかった。しかし、キーボードの上に刻まれている記号が、この金庫を開くヒントであるから、これを解き明かせさえすれば、誰でも開くことができるのだ。

 僕の推理をアテナに話すと、

「なるほど。一応筋は通っているけど……」

 彼女は納得できない様子だった。そりゃそうだろう。執事とはいえ、家族同然に過ごしてきた仲だから、複雑な心境に違いない。

「だけど、上原さんの動機はわからないから、まだ犯人だと決めつけることはできないな」

 僕は言った。

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